千葉久
一関ショッピングデパート千葉久[1] Shopping Departmentstore Chibakyu | |
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店舗概要 | |
所在地 | 岩手県一関市新大町1番地[2][3] |
開業日 | 1975年(昭和50年)[1] |
閉業日 | 1997年(平成9年)8月[1][5] |
施設管理者 |
一関ショッピングデパート[4] ↓ 東北ニチイ[2] |
敷地面積 | 1,717 m²[3] |
商業施設面積 | 6,700 m²[4] |
前身 | 千葉久[1] |
後身 |
一関サティ[5] ↓ イオン一関店 |
最寄駅 | 東北新幹線・東北本線・大船渡線:一ノ関駅[1] |
種類 | 株式会社[6] |
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本社所在地 |
日本 岩手県一関市新大町1番地 |
主要株主 | ニチイ[6](後のマイカルで現在のイオン) |
千葉久(ちばきゅう)は、かつて岩手県一関市大町の大町商店街[1]に所在した、日本の百貨店である[7]。
歴史・概要
[編集]1952年に開業[7]した地場資本の老舗百貨店[1]で、「福原」や「東光」と共に一関の三大百貨店[7]などと称される。(「東光デパート」は1978年11月に倒産。跡地に三春屋が進出するが1981年4月に一関店を「ダイエー」に譲渡し撤退[8]。1985年に「ダイエー一関店」[9]が開業。)
1973年3月に、顧客の組織化を企図して資本金150万円で「株式会社千葉久友の会」を設立する[10]。
1975年[1]にニチイと[11]提携し、一ノ関駅前の大町商店街と駅前通りの交差点角に店舗を移転[1]して「一関ショッピングデパート千葉久」を開業[1]する。地上5階[3]の都会的な売り場構成で、地場の小売業者に大きく影響[11]を及ぼす。
1997年9月に東北自動車道一関インターチェンジ近傍の国道沿い[12]に「一関サティ」が開業[5]し、「一関ショッピングデパート千葉久」[1]は1997年8月に閉店[1][5]する。
店舗跡の活用
[編集]「一関ショッピングデパート千葉久」の建物について、2002年8月に一関商工会議所「市中心市街地活性化協議会」は「老朽化などを理由に活用は困難」[5]とする。一関市は9月に検討委員会を設置し、市が取得して図書館など公共施設で再活用を検討[5]するが実現しなかった[3]。
2005年に、市内地元資本の建設会社が跡地を取得し、隣接地と合わせて住宅開発の大手企業と共同でバスターミナルを含む大規模な再開発で事業化[3]を目論む。2007年に、跡地のみを対象に1階を商業施設とする地上13階建て分譲マンション[3]の建設に変更される。2017年に、分譲マンション完成。
法人としての千葉久
[編集]「一関ショッピングデパート千葉久」は「株式会社一関ショッピングデパート」が運営していたが[4]、のちに「株式会社東北ニチイ」が運営[2]した。「一関ショッピングデパート千葉久」の閉店後も「千葉久」の法人は存続し、「東北ニチイ」などの大株主[13]であった。
「マイカル東北」が2001年9月に、秋田サティ、旧盛岡南サティ、米沢サティ、福島サティ、会津サティ、いわきサティなどと共に「一関サティ」をマイカル本社へ譲渡してマイカル直営店舗とした[14]後、9月14日に「マイカル」は東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請して事実上破たん[15]した。当社が大株主である[13]「マイカル東北」も、9月18日に東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請して事実上破たん[14]した。
千葉久友の会
[編集]「株式会社千葉久友の会」は1978年2月に「株式会社ピープル」へ社名を変更し、同年4月に「ニチイグループ」のスポーツクラブ事業「エグザス」を讓受[10]して「マイカル」の子会社として東京証券取引所第1部に上場[16]した。
「マイカル」は保有する全株式をコナミへ2001年1月29日に売却することで合意し、同社のグループから離脱[16]した。2001年6月に「コナミスポーツ株式会社」[10]、2006年3月に「株式会社コナミスポーツ&ライフ」[17]、2015年10月に「株式会社コナミスポーツクラブ」[18]、2019年3月に「コナミスポーツ株式会社」へそれぞれ商号が変更された。
芭蕉記念碑
[編集]1982年8月に一関青年会議所が当店の敷地内に建立した、松尾芭蕉と「奥の細道」の旅に同行した河合曾良の一部を刻んだものである[19]。
支店
[編集]大船渡駅前に大船渡店を出店していたが、昭和50年代から昭和60年代に閉店し撤退している[20]。
沿革
[編集]- 明治中期 - 呉服店として創業[1]。
- 1952年(昭和27年) - 百貨店を開業[7]。
- 1973年(昭和48年)3月 - 「株式会社千葉久友の会」を設立[10]。
- 1975年(昭和50年) - ニチイ(後のマイカルで現在のイオン)と提携して[11]「一関ショッピングデパート千葉久」を開業[1]。
- 1978年(昭和53年)
- 1982年(昭和57年)8月 - 敷地内に「芭蕉記念碑」を建立[19]。
- 1997年(平成9年)
- 2001年(平成13年)
- 1月29日 - 「マイカル」が「株式会社ピープル(旧・千葉久友の会)」の保有する全株式をコナミ(後のコナミホールディングス)へ売却することで合意[16]。
- 6月 - 「株式会社ピープル(旧・千葉久友の会)」が「コナミスポーツ株式会社」に社名変更[10]。
- 9月 - マイカル東北からマイカル本社に譲渡され、マイカル直営店舗になる[14]。
- 9月14日 - 「マイカル」が東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請して事実上破たん[15]。
- 9月18日 - マイカル東北が東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請して事実上破たん[14]。
- 11月22日 - 「マイカル」が東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請して、破たん処理の手法を民事再生法から切り替え[21]。
- 2002年(平成14年)
- 2005年(平成17年) - 地元資本の建設会社が跡地を取得[3]。
- 2006年(平成18年)3月- 「コナミスポーツ(旧・千葉久友の会)」がコナミスポーツ&ライフに商号変更[17]。
- 2007年(平成19年) - 1階が商業施設となった地上13階建ての分譲マンションの建設計画が明らかになる[3]。
- 2011年(平成23年)3月1日 - 「一関サティ」がGMS事業の再編に伴ってイオンリテールに吸収合併され「イオン一関店」へ店名変更[22]。
- 2015年(平成27年)10月- 「コナミスポーツ&ライフ(旧・千葉久友の会)」がコナミスポーツクラブに商号変更[18]。
- 2019年(平成31年)3月 - 「コナミスポーツクラブ(旧・千葉久友の会)」がコナミスポーツに商号変更。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 矢作弘 『都市はよみがえるか 地域商業とまちづくり』 岩波書店、1997年12月19日。ISBN 978-4000233262
- ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1996年版』 東洋経済新報社、1996年。
- ^ a b c d e f g h “マンション建設へ 一関中心部の千葉久跡地”. 岩手日報 (岩手日報社). (2007年2月16日)
- ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1994年版』 東洋経済新報社、1994年。
- ^ a b c d e f g h i j “一関商圏(下)中心商店街の活性化”. 岩手日報 (岩手日報社). (2003年10月8日)
- ^ a b c 牧大門 『ニチイ トータル・ライフを売る』 朝日ソノラマ、1980年3月。
- ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 3 岩手県』 角川書店、1985年3月8日。ISBN 978-4040010304
- ^ 『日本の歴代市長 市制施行百年の歩み』 歴代知事編纂会、1983年11月。
- ^ 平岡昭利 『東北地図で読む百年』 古今書院、2000年12月。ISBN 978-4772250528
- ^ a b c d e f g 『会社年鑑 全国上場会社版 下巻 2006年版』 日本経済新聞社、2005年10月。
- ^ a b c 『岩手年鑑 昭和52年版』 岩手日報社、1975年。
- ^ “一関商圏(中)人の流れ中心部を離れる”. 岩手日報 (岩手日報社). (2003年10月7日)
- ^ a b 『流通会社年鑑 2001年版』 日本経済新聞社、2000年12月11日。
- ^ a b c d “マイカル東北が再生法を申請”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年9月24日)
- ^ a b “マイカル破綻で波紋広がる 民事再生法適用申請で再起の道探る”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年9月19日)
- ^ a b c “マイカル、ピープルをコナミに売却”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年2月2日)
- ^ a b 『第40期有価証券報告書』 コナミ、2012年6月29日。
- ^ a b 商号変更に関するお知らせ株式会社コナミスポーツ&ライフ 2015年8月18日
- ^ a b 『岩手年鑑 昭和59年版』 岩手日報社、1984年10月1日。
- ^ 『平成18年度マスターセンター補助事業 岩手県内13市(14地区)の中心市街地活性化に関する調査研究報告書』社団法人 中小企業診断協会岩手県支部. 2007年1月。
- ^ “イオン、マイカル支援で流通トップに躍進、MD改革、外資進出に先手”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2001年11月28日)
- ^ “サティ:名称「イオン」に 全国91店舗で”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2011年3月1日)