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十七条憲法

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十七条の憲法から転送)

十七条憲法(じゅうしちじょうのけんぽう、憲法十七条十七条の憲法じゅうしちじょうのいつくしきのりとも)とは、推古天皇12年4月3日西暦604年5月6日)に聖徳太子が制定した全17条からなる日本最初の成文法。『日本書紀』、『先代旧事本紀』に、「皇太子みずかはじめて憲法十七条憲法を作りたもう」と、太子自らが起草したことが記述されている[注釈 1]

概要

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憲法の名を冠しているが、政府と国民の関係を規律する後年の近代憲法とは異なり、その内容は官僚貴族に対する道徳的な規範が示されており、行政法としての性格が強い。思想的には儒教[注釈 2]を中心とし、仏教[注釈 3]法家[注釈 4]の要素も織り交ぜられている。

また、冒頭(第一条)と末尾(第十七条)で、「独断の排除」と「議論の重要性」について、繰り返し説かれているのも大きな特徴で、その「議論重視」の精神が、五箇条の御誓文の第一条「広く会議を興し、万機公論に決すべし」にも(ひいては近代日本の議会制民主政治にも)受け継がれているとする意見が、保守層の間で出ている[1]

成立

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『日本書紀』、『先代旧事本紀』の記述によれば、推古天皇12年(ユリウス暦604年)に成立したとされる(『上宮聖徳法王帝説』によれば、少治田天皇御世乙丑年(推古天皇13年(605年)。『一心戒文』によれば、推古天皇10年(602年)。養老4年(720年)に成立した『日本書紀』に全文が引用されているものが初出であり、これを遡る原本、写本は現存しない。成立時期や作者について議論がある。第1回遣隋使での文帝の政治が未開だと改革を訓令されたものに応えた、603年(推古11年)小墾田宮新造、604年冠位十二階制定と同期の、政治改革の一環だとの指摘がある[2][3]

創作説と反論

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後世の創作とする説が古くからあり、真偽については現在でも問題となっている。

創作説は江戸末期の狩谷棭斎に始まるもの[要出典]とされる。狩谷は、「憲法を聖徳太子の筆なりとおもへるはたがへり、是は日本紀(『日本書紀』)作者の潤色なるべし、日本紀の内、文章作家の全文を載たるものなければ、十七条も面目ならぬを知るべし、もし憲法を太子の面目とせば、神武天皇の詔をも、当時の作とせんか」と、『文教温故批考』巻一に於いて『日本書紀』作者の創作と推定した。

また、津田左右吉は、1930年昭和5年)の『日本上代史研究』において、十七条憲法に登場する「国司国造」という言葉や書かれている内容は、推古朝当時の国制と合わず、後世、すなわち『日本書紀』編纂頃に作成されたものであろうとした。

この津田説に対し、坂本太郎は、1979年(昭和54年)の『聖徳太子』において、「国司」は推古朝当時に存在したと見てもよく、律令制以前であっても官制的なものはある程度存在したから、『日本書紀』の記述を肯定できるとした。

さらに森博達は、1999年平成11年)の『日本書紀の謎を解く』において、「十七条憲法の漢文の日本的特徴(和習)から7世紀とは考えられず、『日本書紀』編纂とともに創作されたもの」とした。森は、『日本書紀』推古紀の文章に見られる誤字・誤記が十七条憲法中に共通して見られる(例えば「少事是輕」は「小事是輕」が正しい表記だが、小の字を少に誤る癖が推古紀に共通してある)と述べ、『日本書紀』編纂時に少なくとも文章の潤色は為されたものと考え、聖徳太子の書いた原本・十七条憲法は存在したかもしれないが、それは立証できないので、原状では後世の作とするよりないと推定する。

吉川真司の2011年『シリーズ日本古代史3 飛鳥の都』によると、十七条憲法は君主制・官僚制にとって当たり前のことばかりであり、また十七条の冒頭部で仏教(二条)と礼(四条)を重んじているのは推古朝の政治方針と適合的であり、地方官に国造の称号が現れるのも律令体制下の文章とする創作説には違和感を覚えるとした上で、後世の潤色が入ってる可能性はあるものの基本的には推古朝当時のものと認めてよい、とした。

書き下し文・現代語訳・原文

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書き下し文・現代語訳

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四月丙寅戊辰の日に、皇太子、親ら肇めて憲法十七條(いつくしきのりとをあまりななをち)を作る。

一に曰く、(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

[現代語訳]
おたがいの心が和らいで協力することが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。それが根本的態度でなければならぬ。ところが人にはそれぞれ党派心があり、大局をみとおしているものは少ない。だから主君や父に従わず、あるいは近隣の人びとと争いを起こすようになる。しかしながら、人びとが上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらは道理にかない、何ごとも成しとげられないことはない。


二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは(ほとけ)・(のり)・(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の極宗なり。何れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか枉(ま)がるを直さん。

[現代語訳]
まごころをこめて三宝をうやまえ。三宝とはさとれる仏と、理法と、人びとのつどいとのことである。それは生きとし生けるものの最後のよりどころであり、あらゆる国々が仰ぎ尊ぶ究極の規範である。いずれの時代でも、いかなる人でも、この理法を尊重しないことがあろうか。人間には極悪のものはまれである。教えられたらば、道理に従うものである。それゆえに、三宝にたよるのでなければ、よこしまな心や行いを何によって正しくすることができようか。


三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。ここをもって君言えば臣承(うけたま)わり、上行けば下靡(なび)く。故に詔を承りては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。

[現代語訳]
天皇の詔を承ったときには、かならずそれを謹んで受けよ。君は天のようなものであり、臣民たちは地のようなものである。天は覆い、地は載せる。そのように分の守りがあるから、春・夏・秋・冬の四季が順調に移り行き、万物がそれぞれに発展するのである。もしも地が天を覆うようなことがあれば、破壊が起こるだけである。こういうわけだから、君が命ずれば臣民はそれを承って実行し、上の人が行うことに下の人びとが追随するのである。だから天皇の詔を承ったならば、かならず謹んで奉ぜよ。もしも謹んで奉じないならば、おのずから事は失敗してしまうであろう。


四に曰く、群臣百寮(まえつきみたちつかさつかさ)、を以て本とせよ。其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉(ととのは)ず。下礼無きときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家自(おのず)から治まる。

[現代語訳]
もろもろの官吏は礼法を根本とせよ。そもそも人民を治める根本は、かならず礼法にあるからである。上の人びとに礼法がなければ、下の民衆は秩序が保たれないで乱れることになる。また下の民衆のあいだで礼法が保たれていなければ、かならず罪を犯すようなことが起きる。したがってもろもろの官吏が礼を保っていれば、社会秩序は乱れないことになるし、またもろもろの人民が礼を保っていれば、国家はおのずからも治まるものである。


五に曰く、饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁(さだ)めよ。それ百姓の訟(うったえ)は、一日に千事あり。一日すらなお爾(しか)るを、いわんや歳(とし)を累(かさ)ねてをや。このごろ訟を治むる者、利を得るを常とし、賄(まいない)を見てはことわりもうすを聴く。すなわち財のあるものの訟は、石をもって水に投ぐるがごとし。乏しきのものの訟は、水をもって石に投ぐるに似たり。ここをもって、貧しき民は所由(せんすべ)を知らず。臣道またここにかく。

[現代語訳]
役人たちは飲み食いの貪りをやめ、物質的な欲をすてて、人民の訴訟を明白に裁かなければならない。人民のなす訴えは、一日に千軒にも及ぶほど多くあるものである。一日でさえそうであるのに、まして一年なり二年なりと、年を重ねてゆくならば、その数は測り知れないほど多くなる。このごろのありさまを見ると、訴訟を取り扱う役人たちは私利私欲を図るのがあたりまえとなって、賄賂を取って当事者の言い分をきいて、裁きをつけてしまう。だから財産のある人の訴えは、石を水の中に入れるようにたやすく目的を達成し、反対に貧乏な人の訴えは、水を石に投げかけるように、とても聴き入れられない。こういうわけであるから、貧乏人は何をたよりにしてよいのか、さっぱりわからなくなってしまう。こんなことでは、君に使える官たる者の道が欠けてくるのである。


六に曰く、悪しきを懲らし善(ほまれ)を勧むるは、古の良き典(のり)なり。ここをもって、人の善を匿(かく)すことなく、悪を見てはかならず匡(ただ)せ。それ諂(へつら)い許(あざむく)者は、国家を覆(くつがえ)す利器なり。人民を絶つ鋒剣(ほうけん)なり。また佞(かだ)み媚(こ)ぶる者は、上に対しては好みて下の過(あやまち)と説き、下に逢いては上の失(あやまち)を誹謗(そし)る。それ、これらの人は、みな君に忠なく、民に仁なし。これ大乱の本なり。

[現代語訳]
悪を懲らし善を勧めるということは、昔からのよいしきたりである。だから他人のなした善は、これをかくさないで顕し、また他人が悪をなしたのを見れば、かならずそれをやめさせて、正しくしてやれ。諂ったり詐ったりする者は、国家を覆し滅ぼす鋭利な武器であり、人民を絶ち切る鋭い刃のある剣である。また、おもねり媚びる者は、上の人びとに対しては好んで目下の人びとの過失を告げ口し、また部下の人びとに出会うと上役の過失をそしるのが常である。このような人は、みな君主に対しては忠心なく、人民に対しては仁徳がない。これは世の中が大いに乱れる根本なのである。


七に曰く、人各(おのおの)任(よさし)有り。掌ること宜しく濫れざるべし。それ賢哲、官に任ずるときは、頌(ほ)むる音(こえ)すなわち起こり、奸者(かんじゃ)、官を有(たも)つときは、禍乱すなわち繁(しげ)し。世に、生まれながら知るひと少なし。よく念(おも)いて聖(せい)となる。事、大少となく、人を得て必ず治まる。時、急緩となく、賢に遇(あ)いておのずから寛(ゆたか)なり。これによりて、国家永久にして、社稷(しゃしょく)危うからず、故に、古の聖王、官のために人を求む。人のために官を求めず。

[現代語訳]
人には、おのおのその任務がある。職務に関して乱脈にならないようにせよ。賢明な人格者が官にあるときには、ほめる声が起こり、よこしまな者が官にあるときには、災禍や乱れがしばしば起こるものである。世の中には、生まれながらに聡明な者は少ない。よく道理に心がけるならば、聖者のようになる。およそ、ことがらの大小にかかわらず、適任者を得たならば、世の中はおのずからゆたかにのびのびとなってくる。これによって国家は永久に栄え、危うくなることはない。ゆえに、いにしえの聖王は官職のために人を求めたのであり、人のために官職を設けることはしなかったのである。


八に曰く、群卿百寮、早朝晏(おそく)退でよ。公事いとまなし。終日(ひねもす)にも尽くしがたし。ここをもって、遅く朝(まい)るときは急なることに逮(およ)ばず。早く退(まか)るときはかならず事尽くさず。

[現代語訳] もろもろの官吏は、朝は早く役所に出勤し、夕はおそく退出せよ。公の仕事は、うっかりしている暇がない。終日つとめてもなし終えがたいものである。したがって、遅く出仕したのでは緊急の事に間に合わないし、また早く退出したのでは、かならず仕事を十分になしとげないことになるのである。


九に曰く、信は是義の本なり。それ善悪成敗はかならず信にあり。群臣とも信あるときは、何事か成らざらん。群臣信なきときは、万事ことごとくに敗れん。

[現代語訳] まこと〈信〉は人の道〈義〉の根本である。何ごとをなすにあたっても、まごころをもってすべきである。善いことも悪いことも、成功するのも失敗するのも、かならずこのまごころがあるかどうかにかかっているのである。人びとがたがいにまごころをもって事にあたったならば、どんなことでも成しとげられないことはない。これに反して人びとにまごころがなければ、あらゆることがらがみな失敗してしまうであろう。


十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。是非の理、たれかよく定むべけんや。あいともに賢愚なること、鐶(みみがね)の端(はし)なきごとし。ここをもって、かの人は瞋(いか)るといえども、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われひとり得たりといえども、衆に従いて同じく挙(おこな)え。

[現代語訳] 心の中で恨みに思うな。目に角を立てて怒るな。他人が自分にさからったからとて激怒せぬようにせよ。 人にはそれぞれ思うところがあり、その心は自分のことを正しいと考える執着がある。他人が正しいと考えることを自分はまちがっていると考え、自分が正しいと考えることを他人はまちがっていると考える。しかし自分がかならずしも聖者なのではなく、また他人がかならずしも愚者なのでもない。両方ともに凡夫にすぎないのである。正しいとか、まちがっているとかいう道理を、どうして定められようか。おたがいに賢者であったり愚者であったりすることは、ちょうどみみがね〈鐶〉のどこが初めでどこが終わりだか、端のないようなものである。それゆえに、他人が自分に対して怒ることがあっても、むしろ自分に過失がなかったかどうかを反省せよ。また自分の考えが道理にあっていると思っても、多くの人びとの意見を尊重して同じように行動せよ。


十一に曰く、功と過(あやまち)を明らかに察(み)て、賞罰を必ず当てよ。このごろ賞は功においてせず、罰は罪においてせず。事を執る群卿、賞罰を明らかにすべし。

[現代語訳] 下役の者に功績があったか、過失があったかを明らかに観察して、賞も罰もかならず正当であるようにせよ。ところが、このごろでは、功績のある者に賞を与えず、罪のない者を罰することがある。国の政務をつかさどるもろもろの官吏は、賞罰を明らかにして、まちがいのないようにしなければならない。


十二に曰く、国司(くにのみこともち)・国造(くにのみやつこ)、百姓(おおみたから)に収斂することなかれ。国に二君非(な)く、民に両主無し、率土(くにのうち)の兆民(おおみたから)、王(きみ)を以て主と為す。所任の官司はみなこれ王臣なり。何ぞあえて公と、百姓に賦斂(おさめと)らん。

[現代語訳] もろもろの地方長官は多くの人民から勝手に税を取り立ててはならない。国に二君はなく、民に二人の君主はいない。全国土の無数に多い人民たちは、天皇を主君とするのである。官職に任命されたもろもろの官吏はみな天皇の臣下なのである。公の徴税といっしょにみずからの私利のために人民たちから税を取り立てるというようなことをしてよいということがあろうか。


十三に曰く、諸の官に任せる者は、同じく職掌を知れ。あるいは病(やまい)し、あるいは使して、事を闕(おこた)ることあらん。しかれども知ることを得る日には、和(あまな)うことむかしより<曽>識(し)かれるがごとくせよ。それ与(あずか)り聞かずということをもって、公務をな妨げそ。

[現代語訳] もろもろの官職に任ぜられた者は、同じくたがいの職掌を知れ。あるいは病にかかっていたり、あるいは出張していて、仕事をなしえないことがあるであろう。しかしながら仕事をつかさどることができた日には、人と和してその職務につき、あたかもずっとおたがいに協力していたかのごとくにせよ。自分には関係のなかったことだといって公務を拒んではならない。


十四に曰く、群臣百寮、嫉み妬むこと有ること無かれ。われすでに人を嫉(うらや)むときは、人またわれを嫉む。嫉妬の患(うれ)え、その極(きわまり)を知らず。このゆえに、智おのれに勝るときは悦ばず。才おのれに優るときは嫉妬(ねた)む。ここをもって、五百歳にしていまし今賢に遇(あ)うとも、千載にしてひとりの聖を持つことに難(かた)し。それ賢聖を得ずば、何をもってか国を治めん。

[現代語訳] もろもろの官吏は、他人を嫉妬してはならない。自分が他人を嫉めば、他人もまた自分を嫉む。そうして嫉妬の憂いは際限のないものである。だから、他人の智識が自分よりもすぐれているとそれを悦ばないし、また他人の才能が自分よりも優っていると、それを嫉み妬むものである。このゆえに、五百年をへだてて賢人が世に出ても、また千年たってから聖人が世に現れても、それを斥けるならば、ついに賢人・聖人を得ることはむずかしいであろう。もしも賢人・聖人を得ることができないならば、どうして国を治めることができようか。


十五に曰く、私を背きて公に向くは、是臣が道なり。およそ人、私あるときはかならず恨みあり。憾(うら)みあるときはかならず同(ととのお)らず。同らざるときは私をもって公を防ぐ。憾みおこるときは制に違い、法を害(やぶ)る。ゆえに初めの章に云う。上下和諧せよ、と。それまたこの情(こころ)か。

[現代語訳] 私の利益に背いて公のために向かって進むのは、臣下たる者の道である。およそ人に私の心があるならば、かならず他人のほうに怨恨の気持ちが起こる。怨恨の気持ちがあると、かならず心を同じゅうして行動することができない。心を同じゅうして行動するのでなければ、私情のために公の政務を妨げることになる。怨恨の心が起これば、制度に違反し、法を害うことになる。だからはじめの第一条にも「上下ともに和らいで協力せよ」といっておいたのであるが、それもこの趣意を述べたのである。


十六に曰く、民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。ゆえに、冬の月に間(いとま)あらば、もって民を使うべし。春より秋に至るまでは、農桑(のうそう)の節なり。民を使うべからず。それ農(なりわい)せずば、何をか食らわん。桑(くわと)らずば何をか服(き)ん。

[現代語訳] 人民を使役するには時期を選べというのは、古来の良いしきたりである。ゆえに冬の月には閑暇があるから、人民を公務に使うべきである。しかし春から秋にいたる間は農繁期であるから、人民を公務に使ってはならない。農耕しなければ食することができないし、養蚕しなければ衣服を着ることができないではないか。


十七に曰く、夫れ事独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし。少事はこれ軽(かろ)し。かならずしも衆とすべからず。ただ大事を論うに逮(およ)びては、もしは失(あやまち)あらんことを疑う。ゆえに衆と相弁(あいわきま)うるときは、辞(こと)すなわち理を得ん。

[現代語訳] 重大なことがらはひとりで決定してはならない。かならず多くの人びととともに論議すべきである。小さなことがらは大したことはないから、かならずしも多くの人びとに相談する要はない。ただ重大なことがらを論議するにあたっては、あるいはもしか過失がありはしないかという疑いがある。だから多くの人びととともに論じ是非を弁えてゆくならば、そのことがらが道理にかなうようになるのである。

現代語訳

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四月丙寅戊辰の日に、皇太子自らの肇の作、憲法十七條。(厳しき祝詞を七緒道)

一曰く、和をもって尊しとし、逆らわないのを教義とせよ。人は皆、群れるし、また頭の達者な者は少ない。 それゆえ、あるいは父たる天皇に従わず、背くにおいて隣の里。しかれども、上が和らぎ下と睦まじく、戯れにおいて事を論じれば、すなわち事の道理は自ら通じる。何事においても成し遂げられないことがあろうか[注釈 5]

二曰く、篤く三宝を敬え。それは仏、法、僧である。すなわち総ての生物の終わり帰るところであり、すべての国の頂点の教義である。どういう世であれ、どのような人であれ、この法を尊ばざるを得ない。高くがなく低姿勢が良いとする法。この鮮やかに優れる悪の働き。教えると従うに至る。この三宝で二度と帰ってこない。無駄に真っ直ぐ。

三曰く、天皇の勅語を承ったなら、必ず謹んで従う。民を支配する者の規則は天までいたる。すなわち臣下は地に行くゆく。天を覆し奴隷を載せる。そうして四季がめぐり、総ての気で神通力を得る。地の欲で天を覆し、他人の胸の内を卑屈に気にするようになる。これゆえに、君主の言葉を臣下は謹んで受ける。上が行なえば、下は真似をする。それゆえ、承る勅語は必ず慎み従う。慎まずは自敗する。

四曰く、天皇の側近の位の高い役人と多くの役人に、用いるための礼の本。この民を治めるこの本、要がある。礼儀、嗚呼、上では礼儀正しくなく、しかし下々には道理に反し揃えさせる。それ故に、下の者の無礼は必ず有罪。それゆえ、多くの臣下に礼があれば、地位の序列に乱はない。民に礼が有れば、国家は自治する。

五曰く、絶対に接待への欲を棄て、訴訟はハッキリと物の道理をわきまえろ。その民の訴えは、一百と千件。そのうえ貴様、このあり様は何年にも渡る。このごろ訴訟を治める者が、私利を得るためが常になり、見る、賄賂政庁の裁き。この厄介な訴えは都合が良い、右手で水に投げるごとし。訴える貧民、水に投げる石のようだ。これをもって貧民は、規則の理由が分からない。臣下としての道もまた欠ける。

六曰く、悪を懲らしめ善を励ますのは、古来からの良典である。これを用いては善の人を隠せ無い、見たら必ず悪は正される。すなわち媚び欺く者は、二国家の利器であり、人民を絶つための鋭い剣である。また媚びへつらう者は、もっとも良い謀に応じ話しやすい。下に向かっては上の失敗を誹謗する。このような人はみな、王に対する忠心がなく、民における思いやりも無い。これで大乱のもとになる。

七曰く、人には各々の任務があり、それは濫りにしてはならない。賢人や哲人を官に任じれば、手本とし称賛の声が起こる。偽りの心をもつ者を官職に雇う、世の災い乱れがそく繁栄する。世に生き知る人は少ない。厳しく念を作り、これ聖人とする。事の大小にかかわらず、人を得て必ず治める。時の緩急はない、出会う賢者は自ずと寛大だ。それゆえ国家は永久、社禝[注釈 6]を危くしてはならぬ。それゆえ古来の聖王、官のために求人を行う、人の為に官を求めることはない。

八曰く、位の高い役人たちは、早朝寝坊で退出する。回りもなびいて公務が止まる。仕事時間に難ありにつきる。これをもって、遅い朝から焦ってやっては行き届かない。必ずやの仕事が早退で終わらない。

九曰く、義(人として守るべき正しい道)を信じる本。ことごとく信ずる。この善悪での成敗の要はここ、信じるにある。群れも臣下もともに信じる、何事も成し遂げられない。(我々は)群れや臣下の信用がまるでなく、総ての事がことごとく失敗した。

十曰く、憤怒をたち怒り恨み捨て、人に逆らい怒らない。人にはみな心があり、各々には執着がある。彼が正しい、つまり私が悪い。私が正しい、だから彼が悪い。私は聖人ではない、彼は愚かではない。共にこれは凡夫の耳だ。是と非の道理、どうして定めることが出来ようか?賢人も愚者とともに鐶の端だ。だから、彼は怒っていても我を失う恐れで戻る。我は独り占めしたが、衆は従いこぞって持ち上げる。

十一曰く、明確に功労と過失を見ぬき、賞と罰を必ず当てる。近頃、功に賞をしておらず、罪への罰をしていない。天皇皇后の直属の役人と公卿は、賞と罰を明らかに宣言する。

十二曰く、國司と國造、民から税を取り立てるな。国に二人の君主はなく、民に両方の主人はない。地の続く限りの多くの民は、天皇を主人とする。官庁のところに任命する者すべてが、天皇の臣下で皆、正しい。なぜあえて公に与えた、民への租税の取り立ての割り当て。

十三曰く、多くの官職に任じられた者、同じく知識省。拷問する者、あるいは使者、ある門においての出来事。しかるに知を得た日。すなわち、和らぎのごとしを知る。それは過ち、これを与え聞かせる。防衛と公務でしてはならぬ。

十四曰く、多くの臣下と多くの役人、あることないことで嫉妬。我すでに嫉妬の人。またまた妬みの我。嫉妬の患い無知の極み。ゆえに、智が勝においてそく己が不愉快。才が優れているにおいて、そく嫉妬。それで、五百もの賢人に今遭遇しても、千年に一人の聖人を待つのは難しい。何によって国を治めればよいのか。

十五曰く、私心に背を向け政務が、臣下の正しい道である。凡人は私心が有り、必ず恨みがある。怨みが有れば必ず同じではない、同じでなければ、すなわち私をもって政務をさまたげる。怨みが起き、害法の定めに従わない。ゆえに最初の章で述べた、上下の調和、そのわきに正しいと定めた情の安らかな気。

十六曰く、民の使用は時期を選べというのは古の良典である。ゆえに冬と月のある夜間は、民を使用して良い。(我々が)従うのは春から秋は農耕と養蚕の季節であり、民を使ってはならない。農作をせず(我々は)何を食べる?養蚕しなければ何を着る?

十七曰く、人夫の事がらの独断はよくない。必ず大衆に論議を与える。些細な事柄は軽々しく認める。良くないことも必ず大衆、ただ議論大事とだけとらえる。 もし疑い出ると失う。ゆえに大衆をあい織り交ぜ、言葉で乗っ取るのが徳の理。

原文

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日本書紀に記載されているもの。

夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親肇作憲法十七條。

一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。

二曰、篤敬三寶。々々者佛法僧也。則四生之終歸、萬國之極宗。何世何人、非貴是法。人鮮尤惡。能敎従之。其不歸三寶、何以直枉。

三曰、承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆臣載。四時順行、萬気得通。地欲天覆、則至懐耳。是以、君言臣承。上行下靡。故承詔必愼。不謹自敗。

四曰、群卿百寮、以禮爲本。其治民之本、要在禮乎、上不禮、而下非齊。下無禮、以必有罪。是以、群臣禮有、位次不亂。百姓有禮、國家自治。

五曰、絶饗棄欲、明辨訴訟。其百姓之訟、一百千事。一日尚爾、況乎累歳。頃治訟者、得利爲常、見賄廳讞。便有財之訟、如右投水。乏者之訴、似水投石。是以貧民、則不知所由。臣道亦於焉闕。

六曰、懲惡勸善、古之良典。是以无匿人善、見悪必匡。其諂詐者、則爲覆二國家之利器、爲絶人民之鋒劔。亦佞媚者、對上則好説下過、逢下則誹謗上失。其如此人、皆无忠於君、无仁於民。是大亂之本也。

七曰、人各有任。掌宜不濫。其賢哲任官、頌音則起。姧者有官、禍亂則繁。世少生知。剋念作聖。事無大少、得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此國家永久、社禝勿危。故古聖王、爲官以求人、爲人不求官。

八曰、群卿百寮、早朝晏退。公事靡盬。終日難盡。是以、遲朝不逮于急。早退必事不盡。

九曰、信是義本。毎事有信。其善悪成敗、要在于信。群臣共信、何事不成。群臣无信、萬事悉敗。

十曰、絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心。々各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理、詎能可定。相共賢愚、如鐶无端。是以、彼人雖瞋、還恐我失。我獨雖得、從衆同擧。

十一曰、明察功過、賞罰必當。日者賞不在功。罰不在罪。執事群卿、宜明賞罰。

十二曰、國司國造、勿収斂百姓。國非二君。民無兩主。率土兆民、以王爲主。所任官司、皆是王臣。何敢與公、賦斂百姓。

十三曰、諸任官者、同知職掌。或病或使、有闕於事。然得知之日、和如曾識。其以非與聞。勿防公務。

十四曰、群臣百寮、無有嫉妬。我既嫉人、々亦嫉我。嫉妬之患、不知其極。所以、智勝於己則不悦。才優於己則嫉妬。是以、五百之乃今遇賢。千載以難待一聖。其不得賢聖。何以治國。

十五曰、背私向公、是臣之道矣。凡人有私必有恨。有憾必非同、非同則以私妨公。憾起則違制害法。故初章云、上下和諧、其亦是情歟。

十六曰、使民以時、古之良典。故冬月有間、以可使民。從春至秋、農桑之節。不可使民。其不農何食。不桑何服。

十七曰、夫事不可獨斷。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事、若疑有失。故與衆相辮、辭則得理。

— 『日本書紀』第二十二巻 豊御食炊屋姫天皇 推古天皇十二年

要旨・分類

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要旨 由来
1 を尊重し、争わないことを宗旨(主義)としろ。人は皆、党派を作るし、(物事の)熟達者は(常に)少ない。そのため君主や父親に従わなかったり、近隣と考えが相違したりもする。しかし、上の者も和やかに、下の者も睦まじく、物事を議論して内容を整えていけば、自然と物事の道理に適うようになるし、何事も成し遂げられるようになる。【和/議論】 儒教[4]
2 仏教三宝(仏・法・僧)を篤く敬え。仏法は四生(生物)が最終的に帰する処であり、万国にとっての究極の宗教である。いつの時代の誰であろうと仏法を尊べないような者はいない。世の中、極悪人は少なく、大抵は教えによって従えることができるが、三宝(仏教)に依らなければ、曲がった心を直すことはできない。【仏教(三宝)】 仏教
3 (君主の命令)は必ず謹んで承れ。君主は天、臣下は地である。万物(物事)は天に覆われ、地に載せられることで、四季が巡り、気が行き渡るようにうまくいくのであり、地が天を覆うこと(反乱謀反革命)を欲すれば、破滅に到るだけである。このように君主が言えば臣下は承り、上が行えば下が従うようにしなくてはならない。したがって、詔は必ず謹んで承なくてはならないし、そうしなければ自ら滅亡をまねくことになる。【詔/従】 儒教
4 群臣・百寮(上級・下級の諸役人)は、を基本としろ。人民を治める基本は必ず礼にある。上の者に礼がなければ下の者はまとまらないし、下の者に礼がなければ必ず犯罪者が出てくる。このように群臣たちに礼があれば秩序は乱れず、庶民に礼があれば国家は自然と治まる。【礼】 儒教
5 饗応を絶ち、財物への欲望を棄てて、公明に訴訟を処理しろ。庶民の訴えは1日に千件あり、歳月を過ぎる毎のその数の増え方は言うまでもない。近頃、訴訟管理者は賄賂を貰うことが当たり前となり、賄賂を見てから審査する。したがって財産家の訴えは石を水の中に投げ入れるように容易に聞き入れられ、貧者の訴えは水を石に投げ入れるように拒絶される。このように貧民はどうしていいか分からずにいるのであり、これは役人としての道理も欠いている。【清廉/訴訟管理】 -
6 悪を懲らしめ善を勧めること(勧善懲悪)は、古来の良い規範である。このように人の善行は匿(かく)さず、悪行は匡(ただ)せ。諂(へつら)い詐(いつわ)る者は、国家を転覆させる鋭利な武器、人民を滅ぼす尖った剣となる。また佞(おもね)り媚びる者は、好んで上の者に下の者の過失を訴えるし、下の者に逢えば上の者の過失を誹謗する。このような人間は皆、君主に対する忠誠が無く、人民に対する仁愛も無いので、大乱の原因となる。【勧善懲悪】 儒教
7 人には各々に任務があるのであり、それを適切に担い、(権限を)濫用してはいけない。賢人・哲人を官職に任じれば讃える声が起こるし、奸者(悪人)が官職を有すれば災禍・戦乱が頻繁になる。世の中には生まれながらの知者は少ないのであり、努力によって聖人となる。事柄の大小に関わらず、適切な人材を得れば必ず治まるし、時代情勢の急緩に関わらず、賢人が現れれば自ずとのびやかな環境になる。このようにすれば、国家には永久に危険が無くなる。したがって古の聖王は、官職のために人を求めたのであって、人のために官職を求めたりはしなかった。【任務遂行/適材適所】 儒教
8 群臣・百寮(上級・下級の諸役人)は、朝早く出勤し遅く退勤しろ。公事はゆるがせにできないし、終日費やしても全部終わらせるのが難しい(ほど多い)。このように、朝遅く出勤しては急用に対処できないし、早く退勤しては仕事を処理し切れない。【早出遅退】 儒教[5]
9 (誠実・信頼)はの基本である。何事にも信がなくてはならないし、物事の善悪や成否は信の有無に掛かっている。群臣の間に信があれば何事も成し遂げられるし、信が無ければ何事もことごとく失敗する。【信】 儒教
10 忿怒を絶ち、瞋恚を棄て、人と考えが違うことを怒るな。人には皆心があり、各々のこだわり(執着)があるのだから、相手はよくても自分はよくないこともあれば、自分はよくても相手はよくないこともある。自分が必ず優れているわけでも、相手が必ず愚かなわけでもない。どちらも凡夫(凡人)なのであり、是非を決定できる優越性など無い。共に賢さと愚かさを併せ持っている(一体的である)のは、)に端が無いのと同様である。このように、相手が怒ったとしても、かえって自分に過失が無かったか振り返り、また自分一人の考えがあったとしても人々の意見を聞き入れて協調して振る舞え。【不怒/相対性】 仏教
11 (官職の)功績と過失を明確に調べて、必ず賞と罰を与えなければならない。近頃は、賞が功績に基づいて、罰が罪に基づいて(適正に)与えられていない。政務を執行する群卿(高位役人)は、賞罰を適正明確に与えなければならない。【信賞必罰】 法家
12 国司国造(地方官吏)は、(独自に)庶民に徴税してはならない。国にも民にも二人の君主はいない。国内の全ての民は王(天皇)を主とするのであり、任命された官吏は皆、王(天皇)の臣下である。どうして無理に公と並んで庶民から徴税するのか。【私的徴税禁止】 -
13 諸々の官職に任じられた者たちは、任務を把握しろ。病気や使役で業務が行えないことがあっても、復帰したら全て把握して協働できるようにし、聞いていないなどと公務を妨害しないようにしろ。【任務把握】 -
14 群臣・百寮(上級・下級の諸役人)は、嫉妬心を持ってはいけない。自分が他者を嫉妬するなら、他者もまた自分に嫉妬するようになる。嫉妬の患いには限度が無いので、自分より智や才が優れた者を悦ばずに嫉妬しさえする。そのような環境下では、五百年経っても賢人は現れないし、千年経っても聖人は現れないが、そうした賢人・聖人と呼べるような優れた人材が出てこなければ、国家は治めていくことができない。【不嫉妬】 -
15 私心を棄てて公益に努めるのが、臣下の道である。私心があれば必ず怨恨が生じ、共同しなくなり、公務を妨害し、制度に違反し、法律を侵害するようになる。それ故に初章(第一条)で上下が和諧する精神(の重要性)を説いたのだ。【滅私】 -
16 時宜に沿って民に賦役を課すことは、古来の良い規範である。冬季は間暇なので、民に賦役を課してもいいが、春から秋にかけては農業養蚕の時期なので、賦役を課してはならない。そうでなければ、食料・衣服が尽きてしまう。【時宜賦役】 儒教
17 物事は独断で行ってはならない。必ず皆で適切に議論しなくてはならない。(とはいえ)些細な案件に関しては必ずしも皆で議論する必要は無いが、重大な案件については判断に過失・誤りが無いか疑い、慎重にならなくてはいけないので、皆で議論する必要があるし、そうしていれば(自ずと)道理に適った結論を得ることができる。【議論】 -

偽書「聖徳太子五憲法」での記述

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江戸時代偽書先代旧事本紀大成経』巻70「憲法本紀」では、推古天皇12年5月に「通蒙憲法」、6月に「政家憲法」、10月に「儒士憲法」「神職憲法」「釈氏憲法」各17条(計85条)が発布されたとされており、これらを合わせて「五憲法」という。このうちの「通蒙憲法」が、『日本書紀』所載の「憲法十七条」とほぼ同文である。ただし、『日本書紀』では第2条となっている「篤敬三宝。三宝者仏法僧也。」(篤く三宝を敬え、三宝とは仏・法・僧なり)が最後の第17条に移され、内容も「篤敬三法、其三法者、儒、仏、神也」[6](篤く三法を敬え、その三法とは儒・仏・神なり)となっている[7]。『先代旧事本紀大成経』が偽書として発禁処分になったのち、天明年間(1781年 - 1788年)に『五憲法』のみが独立して板行され流布した[8]

十七条憲法を扱った作品

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書籍

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いずれも、全85条の十七条五憲法の紹介。仏法僧の三宝とは別に、三法が神・儒・仏と記される。神職、僧侶、儒者、政治家と公務員に向けた五種類の十七条憲法を逐条解説している。(ただし、上述のように「五憲法」は『先代旧事本紀大成経』の一部であり、江戸時代の偽作とするのが通説である。)

脚注

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注釈

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  1. ^ 推古天皇12年4月3日(604年5月6日)の条「十二年…夏四月丙寅朔 戊辰 皇太子親肇作憲法十七條」
  2. ^ 例えば第1条の「以和爲貴、無忤爲宗。」(和を以て貴しと為す、忤ふること無きを宗とせよ)は、孔子の『論語』第1卷 学而第12「有子曰 禮之用和爲貴」(礼を之れ用ふるには、和を貴しと為す) が典拠である。その他、第4条の、第6条の勧善懲悪、第7条の聖王、第9条の信、第16条の時宜を得た賦役など。
  3. ^ 第2条の三宝、第10条の忿・瞋など。
  4. ^ 第11条の信賞必罰。
  5. ^ 何事不成:成りの頭に不である。出来ないと言う意味。
  6. ^ 社禝:現代では神社に当たる。

出典

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  1. ^ 五箇条の御誓文に甦った十七条憲法の精神--〔聖徳〕太子憲法の説く「協心協力」の世界 - 山内健夫
  2. ^ 石井正敏他(編) 2011, p. 6、石井正敏「律令国家と東アジア 通史」
  3. ^ 石井正敏他(編) 2011, pp. 173–174、榎本淳一「比較儀礼論」
  4. ^ 論語』学而12など。
  5. ^ 「◯事靡監」という表現は『詩経』に頻出する表現。
    参照(藪敏裕「「王事靡監」解釈から見た『毛傳』の訓話態度」『岩手大学教育学部研究年報』第52巻第3号、岩手大学教育学部、1993年3月、43-52頁、CRID 1390853649825781760doi:10.15113/00011660ISSN 0367-7370 
  6. ^ 小笠原春夫校注 著、神道大系編纂会 編『続神道大系 論説編 先代旧事本紀大成経(四)』神道大系編纂会、1999年10月19日、297頁。 
  7. ^ 河野省三『神道史の研究』中央公論社、1944年7月、51-63頁。NDLJP:1040099 
  8. ^ 小笠原春夫「五憲法の板行と神職憲法」『神道宗教』第189号、神道宗教学会、1-23頁、2003年1月。国立国会図書館書誌ID:6791582 

参考文献

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関連文献

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関連項目

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  • 和の精神
  • 和を以て貴しと為す
  • 日本国憲法・・現在の憲法記念日に制定された5月3日は、最初に5月5日(通年であるため、十七条憲法が制定された年は、閏年である為、1日加算すると5月6日になる)という草案があったが、子供の日と重なるため、ずらされた経緯がある。