北=ヴェストファーレン大管区
- 北=ヴェストファーレン大管区
- Gau Westfalen-Nord
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←1931年1月1日 - 1945年5月8日 →
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→(国旗) (大管区章) - 国の標語: "Ein Volk, ein Reich, ein Führer."
(ドイツ語: 一つの民族、一つの国家、一人の総統) - 国歌: 世界に冠たるドイツ
Deutschlands Weltklasse
Horst-Wessel-Lied -
公用語 ドイツ語 首都 ミュンスター 通貨 ライヒスマルク(ℛℳ) - 【大管区登録番号】 第38番
北=ヴェストファーレン大管区(独:Gau Westfalen-Nord)は、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の設置した大管区の一つである。
概要
[編集]ナチ党再結党前の1924年、突撃隊指導者のフランツ・プフェッファー・フォン・ザロモンの下でヴェストファーレン大管区(Gau Westfalen)が設置された。1926年にはカール・カウフマンの下でルール大管区(Gau Ruhr)に編入され、1929年からヨーゼフ・ワーグナーが指導者となった。1931年にアドルフ・ヒトラーの指示によりルール大管区は南北に分割され、北=ヴェストファーレン大管区(Gau Westfalen-Nord)が発足し、アルフレート・マイヤーが大管区指導者に任命された。1931年からはペーター・スタンジールが副大管区指導者となった。
ヴェストファーレン北大管区は、プロイセン州のヴェストファーレン北部地域、即ちミュンスターとミンデンの旧行政地域が含まれていた。(現在のデトモルト行政区)、ヘッセン=ナッサウ州のシャウムブルク、ハノーファー県(1932年9月30日から)、及びシャウムブルク=リッペ州とリッペ州以外の地域は、南=ヴェストファーレン大管区(Gau Westfalen-Süd, )となった。
1933年にドイツ国家人民党 (DNVP) のフェルディナント・フォン・リューニンクがヴェストファーレン州上級大統領に任命され、1938年からはマイヤーが後任に就いた。1933年5月16日、マイヤーはシャウムブルク・リッペ州とリッペ州総督を兼任した。1936年2月24日、彼は州政府全権及び国家代理官に就任した(登記上は1936年2月1日付け)。州知事のカール=フリードリッヒ・コルボウはナチズムの政策の実施を確立した。
大管区本部は1932年10月1日迄、ゲルゼンキルヒェンにあり、1936年末からビスマルク・アレー5番地の建物を変えてミュンスターに移った。大管区指導者学校はノルトキルヒェン宮殿とリュベッケ(アムヴァインガルテン)に存在した。
大管区指導者であるマイヤーは多くの役職を兼任していた。
- 1939年12月17日 ― 第6軍管区及び北=ヴェストファーレン大管区全国防衛委員長官
- ミュンスター都市計画総監
- ノルウェー国家弁務官ヨーゼフ・テアボーフェン代行(1940年5月29日-1942年2月20日)
- 第6軍管区内全国防衛委員管理委託(1940年11月15日–1945年)
- ヴェストファーレン北大管区地区住宅委員(1942年1月20日 )
- ヴァンゼー会議
- 全国労働配置総監フリッツ・ザウケル全権(1942年4月6日-1945年)
- 北=ヴェストファーレン全国防衛管区指導者(1942年11月16日-1945年4月11日)
- 北=ヴェストファーレン大管区国民突撃隊司令官(1944年9月25日-1945年9月25日)
マイヤーは、地域の文化政策の面で国民の忠誠心を獲得しようと腐心した。彼は党と祖国運動の精神による『ヴェストファーレンの日』を制定し、リッペで劇作家のクリスティアン・ディートリヒ・グラッベを祝し、ヘルマン記念碑を建設した。1938年には『アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフの日』を制定した。ルール地方では、労働者階級の関心を得るために 、成功を収めたサッカークラブのシャルケ04が特別な栄誉を受けた。
備考
[編集]大管区指導者
[編集]- 大管区指導者
- アルフレート・マイヤー(1931-45年)
組織
[編集]- 大管区本部 ― ゲルゼンキルヒェン(-1932年10月1日)、ミュンスター、ビスマルク・アレー5番地(1936年-)
- 大管区指導者学校 ― ノルトキルヒェン宮殿、リュベッケ(アムヴァインガルテン)
- SA『ヴェストファーレン』管区集団本部
人事
[編集]- 大管区局長及び監督官 ― ヴィルヘルム・ローゼンバウム(1936-38年)
- 文化・宣伝局長、オランダ国家弁務官 ― フリッツ シュミット
- 大管区文化総監、大管区都の設計担当主任 ― ミュンスター・ヘルマン・バーテルズ
- 大管区経済顧問、IHK社長 ― クリスチャン フランケ
構成管区
[編集]- アーハウス
- ベックム
- ビーレフェルト方面
- ビーレフェルト市
- ボルケン=ボホルト
- ボトロップ
- ビューアー
- ビューレン
- コースフェルト
- デトモルト
- ゲルゼンキルヒェン
- グラートベック
- ハレ(ヴェストファーレン)
- ヘルフォルト
- ヘクスター
- レムゴー
- リュベッケ
- リューディンクハウゼン
- ミンデン
- ミュンスター方面
- ミュンスター市
- パーダーボルン
- レックリングハウゼン
- グラーフシャフト=シャウムブルク
- シャウムブルク=リッペ
- シュタインフルト
- テックレンブルク
- ヴァールブルク
- ヴァーレンドルフ
- ヴィーデンブリュック
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- Der Gau Westfalen-Nord, hrsg. vom Gau Westfalen-Nord. Vorw. Alfred Meyer, Detmold: Lippische Staatszeitung/NS-Verlag 1939
- Joachim Kuropka: Auf dem Weg in die Diktatur. Zu Politik und Gesellschaft in der Provinzialhauptstadt Münster 1929–1934 , in: Westfälische Zeitschrift 134, 1984, S. 157–199
- Heinz-Jürgen Priamus: Regionale Aspekte in der Politik des nordwestfälischen Gauleiters Meyer, in: Möller/Wirsching/Ziegler: Nationalsozialismus in der Region: Beiträge zur regionalen und lokalen Forschung und zum internationalen Vergleich, München 1996, S. 175–198 ISBN 3-486-64500-5
- Christoph Schmidt: Nationalsozialistische Kulturpolitik im Gau Westfalen-Nord: regionale Strukturen und lokale Milieus (1933–1945), Paderborn u. a. 2005