拠点分区指導者
拠点分区指導者(きょてんぶんくしどうしゃ、独: Stützpunktleiter、シュトゥッツプンクトライター)は、1939年まで存在した国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の称号及び役職である。
概要
[編集]ナチ党の拠点分区(Stützpunkt)はナチ党地区支部(Ortsgruppe)の準支部に相当し、独立した特定地域の管轄を担った。また、地区指導部との特別な帰属関係が存在した[1]。
拠点分区の主な特徴は
などの点であった。
1938年の党組織再編後の1939年頃より、地区における拠点分区制は廃止された。
領域
[編集]地区における以下の活動領域は拠点分区に含まれた。
- 最低、15~50名の党員が存在する地域。
- 最低2つの街区を有する地域(拠点分区が複数の市町村で構成されている場合、各市町村に少なくとも1街区を必要とする)。
- 特別に細胞として編成された地域。
機構
[編集]拠点分区には各部門が存在し、地区指導部と同様の組織構成が適用された。
指導にあたって拠点分区指導者(Stützpunktleiter)が配置され、各部署には事務員がついた。拠点分区の活動範囲が狭い場合、街区指導者が必ずしも細胞指導者として機能するとは限らず、そのような場合、細胞の指導は拠点分区指導者が担当した。
各部局
[編集]拠点分区の各部署は、地区指導部と同様、特定の分野に対処するため以下の構造となった。
- 局(Amter)
- 本部(Hauptstellen)
- 部(Stellen)
これらの部署には、それぞれ補助員などが配置されており、人材が不足した場合には、管区指導部の組織指導者(Organisationsleiter)が管区指導者(Kreisleiter)に代わって、物資と人材を必要に応じて提供した。
指導部には、拠点分区幕僚部(Stützpunktstab)が存在し、拠点分区指導部(Stützpunktleitung)の各部署の責任者が所属した。また、拠点分区における「政治指導部」の階級も地区と同様の構造(局長、事務総長、事務長、事務員)となっていた[2]。
ギャラリー
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1930-34年までの拠点分区指導者腕章
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1933-34年までの拠点分区指導者襟章
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1934-38年までの拠点分区指導者襟章
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シャツ型制服に取り付けられた拠点分区指導者襟章
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拠点分区指導者の党員手帳
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1938年までの地区指導部の階級
参考文献
[編集]- Dr.Robert Ley (1936). Organisationsbuch der NSDAP. Franz Eher Nachf. Verlag(Zentralverlag der NSDAP)