北村文衛
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北村 文衛(きたむら ふみえ、1892年(明治25年)7月25日[1] - 1957年(昭和32年)1月12日[2])は、日本の衆議院議員(立憲民政党)。弁護士。
経歴
[編集]宮城県桃生郡鷹来村(現在の東松島市)出身。第二高等学校を経て、1917年(大正6年)に京都帝国大学法科大学を卒業。大阪商船株式会社に入社し、上海、神戸、大阪の支店で勤務した。1923年(大正12年)、仙台市に弁護士事務所を開業し、仙台弁護士会副会長を務めた。1927年(昭和2年)からは宮城県会議員に選出された。
1939年(昭和14年)、衆議院補欠選挙で当選を果たした[3]。
1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けたが落選した。戦後、公職追放となる[4]。1951年(昭和26年)追放解除[5]。
その他に東北中学校理事、宮城県信用組合連合会顧問、東北特殊鋼株式会社顧問、仙台鉄道株式会社監査役を務めた。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『宮城県名士宝鑑』宮城県名士宝鑑発刊事務所、1940年。
- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。