加藤辨三郎
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かとう べんざぶろう 加藤 辨三郎 | |
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生誕 |
1899年8月10日 日本・島根県簸川郡荒茅村 (現:出雲市) |
死没 | 1983年8月15日(84歳没) |
出身校 | 京都帝国大学工学部 |
職業 | 実業家 |
子供 | 長男・加藤幹夫(協和醱酵工業社長) |
加藤 辨(弁)三郎(かとう べんざぶろう、1899年(明治32年)8月10日 - 1983年(昭和58年)8月15日)は、日本の実業家。協和醱酵工業(現:協和キリン)会長。従三位勲一等。工学博士。
経歴
[編集]島根県簸川郡荒茅村(現:出雲市荒茅町)に加藤伊三郎の長男として生まれた。生家は代々清酒醸造業を営んでいたが祖父の代に没落。父は村役場の書記をしていた。1923年京都帝国大学工学部卒業。四方合名会社(現:宝ホールディングス)に入社。1949年協和醱酵工業株式会社が発足。代表取締役社長に就任。1968年同社取締役会長に就任。
1952年在家仏教協会を設立。1961年東レ科学技術賞受賞。