加茂神社 (黒潮町)
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加茂神社 | |
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社前 | |
所在地 | 高知県幡多郡黒潮町入野 |
位置 | 北緯33度1分21.94秒 東経133度0分52.54秒 / 北緯33.0227611度 東経133.0145944度座標: 北緯33度1分21.94秒 東経133度0分52.54秒 / 北緯33.0227611度 東経133.0145944度 |
主祭神 | 別雷命 |
社格等 |
式内社(小) 旧郷社 |
創建 | 不詳 |
地図 |
加茂神社(かもじんじゃ、賀茂神社/加茂八幡宮/賀茂八幡宮)は、高知県幡多郡黒潮町入野にある神社。式内社で、旧社格は郷社。
入野松原(国の名勝)の中に鎮座する、入野地域の総鎮守である。
祭神
[編集]祭神の異説として、『神祇志料』では味耜高日子根神[1][2]、『神社覈録』では祭神不詳、[1][2]『土佐国式社考』では大鴨積命[2]、『邉海松布』では大賀茂都美命とする[2]。
歴史
[編集]創建は不詳。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳において土佐国幡多郡に「賀茂神社」と記載される式内社に比定される[3][2]。
伝承では、加茂神社は元は入野本村の賀茂屋敷(加茂屋敷)に、八幡宮は早咲の八幡原にそれぞれ鎮座したが、両社は1つになり入野松原に移ったという[3][2]。『土佐国式社考』においても賀茂・八幡両社は元は本村にあったが1つになった時は不明とし[3][2]、『西浦廻見日記』でも両社が本村にあったとする[3]。
中世期について、伝承では応仁(1467-1468年)の頃に藤原家基が再興したという[3][2]。また天正17年(1589年)の「入野大方之郷地検帳」では、社領として入野大方郷の5村3町6反余が記される[3][2]。
江戸時代に入り、宝永4年(1707年)の宝永の大地震の時には社殿が津波被害に遭っている[3][2]。『南路志』によれば浸水で社殿が浮いたが、津波が引くと社殿が元の場所に戻ったという[3]。また境内には、この時の津波の惨状を記す碑が伝世される[2]。なお、古くは臨済宗大方山長泉寺が別当寺を担っていた[2]。
明治維新後、明治5年(1872年)に近代社格制度において郷社に列している[1][2]。
境内
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本殿
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境内社
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境内社
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安政津波の碑(黒潮町指定文化財)
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参道
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鳥居
文化財
[編集]黒潮町指定文化財
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 明治神社誌料編纂所 編「賀茂神社」『府県郷社明治神社誌料』明治神社誌料編纂所、1912年。
- 『明治神社誌料 府県郷社 下』(国立国会図書館デジタルコレクション)467コマ参照。
- 「加茂神社」『日本歴史地名大系 40 高知県の地名』平凡社、1983年。ISBN 4582490409。
- 八波浩 著「賀茂神社」、式内社研究会 編『式内社調査報告 第9巻』皇學館大学出版部、1987年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 加茂八幡宮 - 黒潮町ホームページ 観光情報