加納久恒
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 弘化3年(1846年) |
死没 | 慶応3年7月29日(1867年8月28日) |
改名 | 黒田官一郎(幼名)、加納久恒 |
戒名 | 志篤院純実日悟 |
墓所 |
東京都台東区の谷中墓地 東京都新宿区須賀町の戒行寺 |
官位 | 従五位下、大和守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 上総国一宮藩主 |
氏族 | 譜代黒田氏→加納氏 |
父母 | 父:黒田直静、養父:加納久徴 |
妻 | 加納久徴の養女(加納久儔の娘) |
子 | 養子:久宜 |
加納 久恒(かのう ひさつね)は、上総一宮藩の第3代藩主。一宮藩加納家7代。
弘化3年(1846年)、上総久留里藩主・黒田直静の四男として生まれる。一宮藩の第2代藩主・加納久徴の養子であった加納久成が早世したため、久徴の養子として迎えられた。文久3年(1863年)11月25日、将軍徳川家茂に拝謁する。同年12月26日、従五位下・大和守に叙任する。元治元年(1864年)5月22日、久徴の死去により家督を継いだ。そして6月から8月まで江戸市中取締役を務めた。
慶応3年(1867年)7月29日に死去した。享年22。跡を養子の久宜が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
養子