加東市立三草小学校
加東市立三草小学校 | |
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正門 | |
北緯34度56分11.4秒 東経134度59分23.3秒 / 北緯34.936500度 東経134.989806度座標: 北緯34度56分11.4秒 東経134度59分23.3秒 / 北緯34.936500度 東経134.989806度 | |
過去の名称 |
翠渓校、嘶風校、枕流校 三草小学校 上福田村立三草小学校 三草尋常高等小学校 三草国民学校 社町立三草小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 加東市 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B128210004807 |
所在地 | 〒673-1472 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
加東市立三草小学校(かとうしりつ みくさしょうがっこう)は、兵庫県加東市上三草にある公立小学校。
概要
[編集]1872年(明治5年)に三草陣屋内三草藩主丹羽候の旧居殿を校舎として開校する(現やしろ国際学習塾の東隣)。 その後、1978年(昭和53年)に旧三草中学校校舎へ移転する。2006年(平成18年)3月の加東郡社町、滝野町、東条町の合併により加東市が発足、加東市立三草小学校に改称する。兵庫県道144号西脇口吉川神戸線やヤシロカントリークラブに隣接した田畑の残る田園地帯にある。令和4年度の児童数は72名。
社地域小中一貫校の開校(社学園小学校、社学園中学校)に伴い、2025年(令和7年)3月末に閉校予定[1]。
地理
[編集]加東市中心部から西に約4キロメートルにある。南面で兵庫県道144号西脇口吉川神戸線に接し、西は板波橋東詰で国道175号、加古川に接続し、南は上三草で国道372号に接続する。昔ながらの集落が点在する田畑の残る田園地帯である。
三草藩と陣屋
[編集]越後国高柳藩主丹羽薫氏は延享3年(1746年)、河内国の所領から播磨国内に移され上三草に陣屋を構える。「お小屋(こや)」と称する武家屋敷をはじめ、徒士(かち)長屋、足軽(あしがる)長屋などを周辺に配置し、三草藩が成立する。明治4年(1871年)、廃藩置県により三草県となり、その後、姫路県・飾磨県を経て兵庫県に編入される。この陣屋内に前身となる翠渓校を1872年に開校する[2]。
ふれあい茶摘み
[編集]小学校の南面には茶畑があり、そこで栽培したお茶は「三草茶」と呼ばれている。毎年5月には地域住民との交流を兼ねて「ふれあい茶摘み」として実施されている[3][4]。また、三草茶うどん、三草茶まんじゅうなど加東市の特産品として商品化されている[5]。
沿革
[編集]- 1872年(明治5年)12月 - 三草町字陣屋内三草藩主丹羽候の旧居殿を校舎として開校、学区は上三草、下三草、三草町
- 1876年(明治9年)1月 - 翠渓校、嘶風校(吉馬)、枕流校(木梨)、が合併し、三草小学校に改称
- 1885年(明治18年) - 鴨川、平木、永富が分校となる
- 1887年(明治20年) - 三草尋常小学校、三草簡易小学校に改称、鴨川、平木分校を分離、永富分校は廃止
- 1891年(明治24年) - 三草簡易小学校を休校
- 1893年(明治26年)4月 - 上福田村一円を通学区域とし、上福田村立三草小学校に改称
- 1903年(明治36年)7月 - 校舎増築、新校舎に移転
- 1907年(明治40年)5月 - 三草尋常高等小学校に改称
- 1930年(昭和5年)1月17日 - 新校舎完成
- 1935年(昭和10年) - 校歌制定(作詞:山本正夫、作曲:中川安一)
- 1940年(昭和15年) - 校章、校旗制定
- 1941年(昭和16年)4月 - 三草国民学校に改称
- 1944年(昭和19年) - 学童の疎開
- 1947年(昭和22年)4月 - 学校教育法の制定に伴い、上福田村立三草小学校に改称
- 1955年(昭和30年)3月 - 町村合併(福田村、米田村、上福田村、鴨川村)により社町が発足、社町立三草小学校に改称
- 1963年(昭和38年) - 校歌制定(作詞:河島正男、作曲:井深文太郎)
- 1969年(昭和44年)8月 - プール完成
- 1972年(昭和47年)12月20日 - 学校創立100周年記念式典
- 1974年(昭和49年)3月 - 校歌制定
- 1978年(昭和53年)8月 - 旧三草中学校校舎へ移転(現在地)
- 1983年(昭和58年)8月 - プール完成
- 1985年(昭和60年)3月 - 校舎改築完成
- 2006年(平成18年)3月 - 加東郡社町、滝野町、東条町の合併により加東市が発足、加東市立三草小学校に改称
出典[6]
学校行事
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通学区域
[編集]- 加東市[8]
- 上三草、下三草、木梨、藤田、山口、馬瀬、牧野、吉馬、やしろ台
進学先中学校
[編集]校区内の主な施設
[編集]脚注
[編集]- ^ “社地域小中一貫校の正式名称が決定しました”. 加東市 (2024年6月7日). 2024年6月16日閲覧。
- ^ “加東郡誌 第五篇 教育”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 加東郡教育会 (1923年). doi:10.11501/978702. 2022年11月7日閲覧。
- ^ “三草小学校ふれあい茶摘み”. 三草ふれあい広場 (2015年5月17日). 2022年11月7日閲覧。
- ^ “特産品「三草茶」を収穫 鮮やかな茶葉を丁寧に 地元小学校の畑で児童、保護者ら 加東”. 神戸新聞NEXT. 神戸新聞 (2022年5月22日). 2022年11月7日閲覧。
- ^ “加東市の名物『三草茶』を使ったグルメスタンプラリー”. ラジオ関西 (2017年12月26日). 2022年11月7日閲覧。
- ^ “学校の沿革”. 加東市. 2022年10月23日閲覧。
- ^ “特産品「三草茶」を収穫 鮮やかな茶葉を丁寧に 地元小学校の畑で児童、保護者ら 加東”. 神戸新聞NEXT. 2022年10月24日閲覧。
- ^ a b “加東市児童生徒の入学すべき学校区を指定する規則”. 加東市. 2022年10月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 『百年のあゆみ 加東郡社町立三草小学校』 三草小学校創立百年記念事業記念誌発行委員、1973年
- 加東郡教育会 編『加東郡誌』加東郡教育会、1923年、957頁。doi:10.11501/978702。