劔神社 (防府市)
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劔神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 山口県防府市高井1154-1 |
位置 | 北緯34度4分33.2秒 東経131度33分13.8秒 / 北緯34.075889度 東経131.553833度座標: 北緯34度4分33.2秒 東経131度33分13.8秒 / 北緯34.075889度 東経131.553833度 |
主祭神 | 素戔嗚尊 |
社格等 |
式内社(小) 旧郷社 |
創建 | 不詳 |
例祭 | 9月27日-28日 |
地図 |
劔神社(つるぎじんじゃ)は、山口県防府市高井にある神社。式内社で、旧社格は郷社。
祭神
[編集]現在の祭神は次の1柱[1]。
歴史
[編集]概史
[編集]創建は不詳。社伝では、第14代仲哀天皇の筑紫行幸の際に、夷狄降伏を祈願して八握剣を神体として祀ったという[2]。また、かつては劔川上流の勝坂に鎮座したともいう[2](文禄4年(1595年)に現在地に再興か[3])。
国史では、貞観9年(867年)に周防国の「剣神」の神階を従五位上から正五位下に昇叙する旨が記載されている[2]。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、周防国佐波郡に「剣神社」と記載され、式内社に列している。
室町時代には大内氏から武勇の神として崇敬され、社領も多く持ったという[2]。また、豊臣秀吉は九州下向の際に祈願し、帰途には唐太鼓を奉納したという[2]。
江戸時代の『防長風土注進案』によれば、本社三間造茅葺、拝殿茅葺三間三間半であり、他に釣屋・御供所・宝蔵などの社殿があった[2]。また勝坂鎮座時には本社五間四面、中殿三間半三間、幣殿五間四面、釣屋一間半二間のそり橋、拝殿七間二間半であり、社前には能舞台があったが、山火事で焼失したという[2]。
明治維新後、明治6年(1873年)に近代社格制度において準郷社に列し、明治8年(1875年)に郷社に昇格している[4]。
2009年7月に起きた豪雨災害の際は、土石流により被害を受けた。
神階
[編集]境内
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社殿
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本殿
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境内鳥居
主な祭事
[編集]脚注
[編集]- ^ 境内説明板。
- ^ a b c d e f g 剣神社(平凡社) 1980.
- ^ 劔神社(式内社) 1980.
- ^ 明治神社誌料 1912.
参考文献
[編集]- 境内説明板
- 明治神社誌料編纂所編 編「劔神社」『府県郷社明治神社誌料』明治神社誌料編纂所、1912年。
- 『明治神社誌料 府県郷社 下』(国立国会図書館デジタルコレクション)160-161コマ参照。
- 恵良宏 著「劔神社」、式内社研究会編 編『式内社調査報告 第22巻』皇學館大学出版部、1980年。
- 「剣神社」『日本歴史地名大系 36 山口県の地名』平凡社、1980年。ISBN 4582490360。
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、劔神社 (防府市)に関するカテゴリがあります。