劉国運
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劉国運 | |
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生誕 |
1907年6月18日 清、湖南省衡陽市 |
死没 |
1967年7月12日(60歳没) 中華民国台湾台北市中正区 |
所属組織 | 中華民国空軍 |
最終階級 | 空軍二級上将 |
墓所 | 碧潭空軍公墓 |
劉 国運(りゅう こくうん / リュウ・クォユン、劉國運、刘国运)は、中華民国空軍の軍人。字は泰初。子に22代目行政院長・劉兆玄。
経歴
[編集]衡陽県金蘭鎮香花村出身[1]。父は劉景亨、母は鄒氏。衝陽県道南初級中学[2]卒業後、17歳の時に村を離れ、1928年4月、中央陸軍軍官学校第6期歩兵科入学。歩兵第3大隊第12中隊配属[3]。1929年5月、卒業。
1931年3月19日、中央航空学校第1期卒業。航空第2隊(長:張廷孟)飛行員[2]。1933年11月、中国陸軍大学正則班第12期入学。
1936年12月、中国陸軍大学卒業。
漢口航空站站長を経て1938年3月、広州・天河飛行場の空軍第2路司令部(司令官代理:楊鶴霄)参謀長[6]。10月21日に広州が陥落すると、衝陽への撤退業務に携わったのち柳州航空総站(柳州移転後の空軍第2路司令部の事か)参謀長。1940年、空軍参謀学校教務処副処長。航空委員会参謀処長、空軍第3路司令部(長:王叔銘)副司令官、1944年ごろ(45年とも)、空軍第4路司令官を歴任。
1946年、西安の第3軍区司令官[7]。
1949年11月、空軍総司令部参謀長[9]。
台湾に退避後は国防部参謀次長、総統府戦略顧問など歴任。1966年1月より肝臓を患い、米国にて治療に専念[10]。帰国後、1967年に台北市の台湾大学附属病院にて病死[10]。碧潭空軍公墓に葬られる。 後、官舎跡は「國運新城」と呼ばれる軍人向けのマンションになる。
親族
[編集]- 長男:劉兆寧(台大學士、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校コンピュータ博士、教授)
- 次男:劉兆華(台大學士、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校博士)
- 三男:劉兆漢(ブラウン大学電機博士、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校電機・計算機工学系教授、国立中央大学校長)
- 四男:劉兆藜(台大地質系学士、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校博士、教授。
- 五男:劉兆玄(国立清華大学学長、22代目行政院長)
- 六男:劉兆凱(台大電機系学士、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校電機・計算機工学博士、現東元電機董事長)
栄典
[編集]- 三等空軍復興栄誉勲章 1944年8月13日[11]
- 忠勤勲章 1945年10月10日[12]
- 四等宝鼎勲章 1946年8月14日[13]
- 二等空軍復興栄誉勲章 1947年8月14日[14]
- 乾元勲章 1948年8月14日[15]
- 三等雲麾勲章 1949年8月14日[16]
- 二等雲麾勲章 1950年8月14日[17]
出典
[編集]- ^ “湖南衡陽百萬鄉親自發修繕劉兆玄先生祖居” (中国語). 人民網. (2009年4月17日) 2019年5月12日閲覧。
- ^ a b 陳 2018, p. 157.
- ^ 中国黄埔軍校網. “黄埔本校和南京本校第六期步兵第三大队第十二中队学员姓名籍贯表” (中国語). 2018年1月2日閲覧。
- ^ “国民政府広報第1840号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2018年1月2日閲覧。
- ^ “国民政府令第2452号” (PDF) (中国語). 中華民国政府官職資料庫. 2018年1月2日閲覧。
- ^ 盧 1974, p. 204.
- ^ 盧 1974, p. 288.
- ^ “国民政府広報第2699号(民国35年12月13日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2017年10月12日閲覧。
- ^ a b 盧 1974, p. 299.
- ^ a b 陳 2018, p. 158.
- ^ “国民政府広報渝字第701号(民国33年8月16日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2018年1月2日閲覧。
- ^ “国民政府広報 渝字第929号(民国34年12月11日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2018年1月2日閲覧。
- ^ “国民政府広報第2598号(民国35年8月14日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2021年3月11日閲覧。
- ^ “国民政府広報第2903号(民国36年8月14日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2021年3月11日閲覧。
- ^ “総統府広報第75号(民国37年8月14日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2018年1月2日閲覧。
- ^ “総統府広報第238号(民国38年8月22日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2018年1月2日閲覧。
- ^ “総統府広報第257号(民国39年8月15日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2018年1月2日閲覧。
参考文献
[編集]- 盧克彰編著『空軍建軍史話』空軍總部政治作戰部、1974年。
- 陳予歡『激流勇進: 黄埔軍校第六期生研究(上冊)』獵海人、2018年。ISBN 978-9869622738。
軍職 | ||
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先代 羅機 |
航空委員会参謀処処長 第2代:1943.10 - 1944 |
次代 |
先代 羅機 |
空軍第4路司令官 第4代:1944 - 1945.9 |
次代 沈延世 |
先代 劉牧群 |
空軍総司令部参謀長 第3代:1949.11 - 1952 |
次代 徐煥昇 |