前田治
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名前 | ||||||
カタカナ | マエダ オサム | |||||
ラテン文字 | MAEDA Osamu | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1965年9月5日(59歳) | |||||
出身地 | 福岡県福岡市 | |||||
身長 | 176cm[1] | |||||
体重 | 74kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1981-1983 | 帝京高校 | |||||
1984-1987 | 東海大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1988-1996 | 全日空/横浜フリューゲルス | 164 | (45) | |||
通算 | 164 | (45) | ||||
代表歴 | ||||||
1987-1989[2] | 日本 | 14 | (6) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
前田 治(まえだ おさむ、1965年9月5日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW(センターフォワード)。福岡県福岡市出身。
来歴
[編集]現役時代はスピード豊かな突破とボールの落下点に絶妙に合わせるポジショニングの良さが特徴のストライカーであった。高校サッカーの強豪帝京高校へ進学すると1983年度の高校選手権決勝の清水東高校戦では決勝点となるボレーシュートを決め同校を4度目の選手権制覇に導く原動力となった[3]。
卒業後の1984年に東海大学に進学。東海大は当時、関東大学リーグ2部に在籍していたが、2年間で1部に昇格させ、昇格初年度の1986年に関東大学リーグ1部優勝に導く原動力となった。また2部時代を含め4年連続得点王を獲得した。これらの活躍によって在学中の1987年に日本代表に選出され、1989年のワールドカップ・イタリア大会アジア1次予選を含め14試合に出場し6得点を挙げた。なお、1988年2月2日、オマーンとの親善試合(マスカット)での得点は自身にとっては日本代表初得点であったが、日本代表にとっては昭和最後の得点だった。また1989年1月20日、イランとの親善試合(テヘラン)で2得点を記録し、このうち1点目は日本代表にとって平成初の得点であった。
1988年に日本サッカーリーグ1部の全日空クラブ(後の横浜フリューゲルス)に入団すると、その年のリーグ新人王を受賞する[4]。Jリーグ創設に伴い横浜フリューゲルスと改称した後も中心選手として活躍。1993年のJリーグサントリーシリーズ(1stステージ)では清水エスパルスとの開幕戦から4試合連続ゴールをあげる等の活躍で、Jリーグオールスターサッカーにも出場した[5]。同年の天皇杯、準決勝のサンフレッチェ広島戦では先制点を挙げると[6]、決勝の鹿島アントラーズ戦ではゴールこそ奪えなかったが、先制点となるPKを獲得するなど[7]、優勝に貢献した。その後、1996年はベンチ、あるいはメンバー外となるなど、出場機会が激減し、この年を最後に現役引退した。
引退後は横浜フリューゲルス/横浜F・マリノスのジュニアユースを指導。2003年に特定非営利活動法人Fスポーツアカデミーを立ち上げ、現在は前田治Fサッカースクールにて子供たちの指導にあたっている。
東京都調布市の小学校に通学していた縁から、現在その調布市をホームタウンとするJリーグクラブ・FC東京の、TOKYO MX制作によるホーム試合中継のレギュラー解説者を務め、東京中日スポーツではFC東京の試合を分析するコラムを担当している。
所属クラブ
[編集]個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1988-89 | 全日空 | 22 | JSL1部 | 22 | 10 | 2 | 0 | ||||
1989-90 | 11 | 16 | 3 | 3 | 1 | ||||||
1990-91 | 16 | 3 | 4 | 1 | |||||||
1991-92 | 7 | 0 | 1 | 0 | |||||||
1992 | 横浜F | - | J | - | 9 | 3 | |||||
1993 | 32 | 10 | 6 | 1 | 5 | 4 | 43 | 15 | |||
1994 | 39 | 11 | 2 | 0 | 2 | 0 | 43 | 11 | |||
1995 | 29 | 8 | - | 2 | 0 | 31 | 8 | ||||
1996 | 3 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | |||
通算 | 日本 | J | 103 | 29 | 21 | 4 | |||||
日本 | JSL1部 | 61 | 16 | 10 | 2 | ||||||
総通算 | 164 | 45 |
その他の公式戦
- 1990年
- コニカカップ 6試合3得点
出場歴
[編集]代表歴
[編集]出場大会など
[編集]- ユース日本代表
- ユニバーシアード日本代表
- ワールドカップ・イタリア大会予選
試合数
[編集]- 国際Aマッチ 14試合 6得点(1988-1989)[2]
- 日本代表初出場(国際Aマッチ):1988年1月27日 対アラブ首長国連邦戦(ドバイ)
- 日本代表初出場:1987年1月8日 対上海市(中国)戦(上海)
- 日本代表初得点:1988年2月2日 対オマーン戦(マスカット)
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1987 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 |
1988 | 5 | 1 | 14 | 4 | 19 | 5 |
1989 | 9 | 5 | 9 | 2 | 18 | 7 |
通算 | 14 | 6 | 26 | 6 | 40 | 12 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1988年01月27日 | ドバイ | アラブ首長国連邦 | △1-1 | 横山謙三 | 国際親善試合 | |
2. | 1988年01月30日 | アブダビ | アラブ首長国連邦 | ●0-2 | 国際親善試合 | ||
3. | 1988年02月02日 | マスカット | オマーン | △1-1 | 国際親善試合 | ||
4. | 1988年06月02日 | 愛知県 | 名古屋市瑞穂公園陸上競技場 | 中華人民共和国 | ●0-3 | キリンカップ | |
5. | 1988年10月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ●0-1 | 日韓定期戦 | |
6. | 1989年01月20日 | テヘラン | イラン | △2-2 | 国際親善試合 | ||
7. | 1989年05月05日 | ソウル | 韓国 | ●0-1 | 日韓定期戦 | ||
8. | 1989年05月10日 | 東京都 | 国立西が丘サッカー場 | 中華人民共和国 | △2-2 | 国際親善試合 | |
9. | 1989年05月13日 | 岡山県 | 岡山県総合グラウンド陸上競技場 | 中華人民共和国 | ○2-0 | 国際親善試合 | |
10. | 1989年05月22日 | 香港 | 香港 | △0-0 | ワールドカップ予選 | ||
11. | 1989年05月28日 | インドネシア | インドネシア | △0-0 | ワールドカップ予選 | ||
12. | 1989年06月04日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 北朝鮮 | ○2-1 | ワールドカップ予選 | |
13. | 1989年06月11日 | 東京都 | 国立西が丘サッカー場 | インドネシア | ○5-0 | ワールドカップ予選 | |
14. | 1989年06月18日 | 愛知県 | 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 | 香港 | △0-0 | ワールドカップ予選 |
得点数
[編集]# | 年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
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1 | 1988年2月22日 | オマーン、マスカット | オマーン | 1-1 | 引分 | 親善試合 |
2 | 1989年1月20日 | イラン、テヘラン | イラン | 2-2 | 引分 | 親善試合(サッカー日本代表にとって平成初の得点) |
3 | 1989年1月20日 | イラン、テヘラン | イラン | 2-2 | 引分 | 親善試合 |
4 | 1989年5月10日 | 日本、東京 | 中国 | 2-2 | 引分 | 親善試合 |
5 | 1989年5月13日 | 日本、岡山市 | 中国 | 2-0 | 勝利 | 親善試合 |
6 | 1989年6月11日 | 日本、東京 | インドネシア | 5-0 | 勝利 | 1990 FIFAワールドカップ予選 |
指導歴
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 『Jリーグオフィシャルガイド1996』p61
- ^ a b “前田 治”. サッカー日本代表データベース
- ^ 前田治 帝京高校/高校サッカー/MXテレビ/FC東京ホットライン
- ^ “1988年JSL最終成績”. japan football results. 2013年9月6日閲覧。
- ^ “Jリーグオールスターサッカー1993”. Jリーグデータサイト. 2024年4月12日閲覧。
- ^ 週刊サッカーダイジェスト 1994/1/19日 p11-15
- ^ Jサッカーグランプリ 1994年2月号 p.4-p.9
参考文献
[編集]- 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990 ISBN 4-523-31032-7
- 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
- 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992 ISBN 4-09-102301-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102303-7
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102305-3
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102310-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102314-2
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・サントリーシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102318-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・NICOSシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102321-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102324-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1997』、小学館、1997 ISBN 4-09-102329-0
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館、1994 ISBN 4-09-102309-6
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』、小学館、1995 ISBN 4-09-102317-7
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102323-1
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-099-9
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 前田治 - National-Football-Teams.com
- 前田治 - FootballDatabase.eu
- 前田治 - WorldFootball.net
- 前田治 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 前田治 - J.League Data Siteによる選手データ
- F-SPORTS! 前田治公式サイト+F-Sports-Academy