本吉剛
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名前 | ||||||
カタカナ | モトヨシ タケシ | |||||
ラテン文字 | MOTOYOSHI Takeshi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1967年7月26日(57歳) | |||||
出身地 | 神奈川県横浜市 | |||||
身長 | 180cm[1] | |||||
体重 | 80cm[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
1983-1985 | 鎌倉高校 | |||||
1986-1989 | 中央大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1990-1991 | フジタ | 25 | (3) | |||
1991-1994 | 三菱/浦和レッズ | 34 | (3) | |||
1995-1996 | 大塚製薬 | 44 | (4) | |||
1997-1998 | 東京ガス | 32 | (2) | |||
通算 | 135 | (12) | ||||
代表歴 | ||||||
日本B | ||||||
監督歴 | ||||||
2003-2005 | FC東京U-15深川[注 1] | |||||
2012-2013 | FC東京U-18 | |||||
2015- | 四国学院大学 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
本吉 剛(もとよし たけし、1967年7月26日 - )は、神奈川県横浜市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー(センターバック、ストッパー)。
来歴
[編集]鎌倉高等学校では、3年次に第64回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。3回戦で同大会を制する清水商高に敗れたが、優秀選手に選出された。同期には堀孝史がいる。1986年に中央大学に進学。サッカー部に入部し、センターバックとして活躍。1987年のユニバーシアードに出場。日本B代表にも選出され、AFCアジアカップ1988で2試合に出場した[2]。
1990年に日本サッカーリーグ2部・フジタ(現 湘南ベルマーレ)に入団。この年のフジタのリーグ最小失点に貢献し、ルーキーながらベストイレブンに選出された。1991年に三菱自動車(現 浦和レッドダイヤモンズ)に移籍し、三菱自動車でJSL1部16試合、浦和でJリーグ18試合に出場した。
1995年からはジャパンフットボールリーグの大塚製薬(現 徳島ヴォルティス)に加入。新加入にして主将を任され[3]、DFリーダーとして守備を統率し[2]堅守[注 2] を築いたが、同クラブがJリーグ参入に消極的だったことなどから[2]、1997年に東京ガスFC(現FC東京)へ移籍。中央大学の先輩でセンターバックとしてコンビを組んだこともある[2]大熊清監督の下で活躍した。
1998年シーズンを最後に現役を引退。ヘディングに強くハードな守備を持ち味としたセンターバックだったが、怪我がちで[4]、同年受傷した前十字靭帯断裂及び半月板損傷によってJリーグ復帰はかなわなかった[5]。
引退後は指導者の道に進み、FC東京で主に下部組織の指導に当たった。2003年にFC東京U-15監督としてクラブユース選手権に優勝。2006年はトップチームのコーチを務めた[1]。2007年からはFC東京U-18コーチを務め[6]、2010年にはFUJI XEROX SUPER CUP 2010 フレンドリーマッチ「U-18Jリーグ選抜 vs 日本高校サッカー選抜」のU-18Jリーグ選抜コーチに選出された[7]。2011年 JFA 公認S級コーチ取得。 2012年よりFC東京U-18監督就任。ボールポゼッションを高めるスタイルの確立に粘り強く取り組んだ[8]。2014年からは同クラブの普及マネジメントチーフとして統括及びコーチ育成を担当。
全日本大学選抜チーム監督に就任(2017,2018) 『アジア大学サッカートーナメント』(2017)EASTチーム優勝、MVC賞を受賞した。
所属クラブ
[編集]- 1983年-1985年 神奈川県立鎌倉高等学校
- 1986年-1989年 中央大学学友会サッカー部
- 1990年-1991年 フジタサッカークラブ
- 1991年-1994年 三菱自動車工業サッカー部 / 浦和レッドダイヤモンズ
- 1995年-1996年 大塚製薬サッカー部
- 1997年-1998年 東京ガスフットボールクラブ
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1990-91 | フジタ | 4 | JSL2部 | 25 | 3 | 1 | 0 | 2 | 0 | 28 | 3 |
1991-92 | 三菱 | 33 | JSL1部 | 16 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 19 | 1 |
1992 | 浦和 | - | J | - | 5 | 0 | 3 | 0 | 8 | 0 | |
1993 | 14 | 2 | 3 | 0 | 2 | 0 | 19 | 2 | |||
1994 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | |||
1995 | 大塚 | 6 | 旧JFL | 27 | 1 | - | 1 | 0 | 28 | 1 | |
1996 | 5 | 17 | 3 | - | 3 | 1 | 20 | 4 | |||
1997 | 東京ガス | 25 | 1 | - | 6 | 1 | 31 | 2 | |||
1998 | 7 | 1 | - | 0 | 0 | 7 | 1 | ||||
通算 | 日本 | J | 18 | 2 | 8 | 0 | 2 | 0 | 28 | 2 | |
日本 | JSL1部 | 16 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 19 | 1 | ||
日本 | JSL2部 | 25 | 3 | 1 | 0 | 2 | 0 | 28 | 3 | ||
日本 | 旧JFL | 76 | 6 | - | 10 | 2 | 86 | 8 | |||
総通算 | 135 | 12 | 9 | 0 | 17 | 2 | 161 | 14 |
- その他の公式戦
- 1991年
- コニカカップ 1試合0得点
- 出場歴
- Jリーグ初出場:1993年6月12日 対清水エスパルス戦 (浦和市駒場競技場)
- Jリーグ初得点:1993年6月16日 対名古屋グランパスエイト戦 (名古屋市瑞穂球技場)
- JSL(1部)初出場:1991年10月12日 対トヨタ自動車戦 (江戸川区陸上競技場)
- JSL(1部)初得点:1991年11月23日 対本田技研戦 (国立競技場)
- JSL(2部)初出場:1990年9月8日 対日立製作所戦 (日立柏総合グラウンド)
- JSL(2部)初得点:1990年10月7日 対コスモ石油戦 (津・海浜公園内陸上競技場)
指導歴
[編集]- 1999年-2014年:FC東京
- 1999年:強化育成部
- 2000年-2001年:普及部 クリニックマスター[9]
- 2002年:普及部 スクールマスター[9]
- 2003年-2005年:U-15 / U-15深川[注 1] 監督
- 2006年:トップチーム コーチ
- 2007年-2010年:U-18 コーチ
- 2011年:U-12育成担当 兼 普及部コーチ
- 2012年-2013年:U-18 監督
- 2014年:普及マネジメントチーフ
- 2015年 - 四国学院大学男子サッカー部 監督[9]
監督成績
[編集]年度 | クラブ | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | |||||
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順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 天皇杯 | |||
2012 | FC東京U-18 | プリンス関東1部 | 2位 | 40 | 18 | 13 | 1 | 4 | - |
2013 | 6位 | 26 | 18 | 8 | 2 | 8 | - | ||
2015 | 四国学院大学 | 四国大学 サッカーリーグ1部 | 2位 | 15 | 8 | 5 | 0 | 3 | - |
2016 | 2位 | 14 | 8 | 4 | 2 | 2 | - | ||
2017 | 2位 | 21 | 10 | 6 | 3 | 1 | |||
2018 | 1位 | 22 | 10 | 7 | 1 | 2 | |||
2019 | 3位 | 16 | 10 | 5 | 4 | 1 | 香川県予選2位 | ||
2020 | |||||||||
通算 | プリンス関東1部 | - | - | 36 | 21 | 3 | 12 | - | |
四国大学 | - | - | 8 | 5 | 0 | 3 | - | ||
総通算 | - | - | 44 | 26 | 3 | 15 | - |
タイトル
[編集]- 東京ガスフットボールクラブ
- FC東京U-15
四国学院大学
- 四国大学サッカーリーグ1部(2018)
個人
[編集]脚注
[編集]- 注釈
- 出典
- ^ a b c “トップチームスタッフ 新任のお知らせ”. 2006年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月28日閲覧。 FC東京 (2006年1月16日)
- ^ a b c d 荒川裕治 (2001). FC東京の挑戦. 小学館. pp. 91-92
- ^ 『徳島ヴォルティス 栄光への軌跡』アニバ出版、2014年、71頁。
- ^ 『サッカーマガジン』ベースボールマガジン社、1986年5月1日号 No.319、36ページ
- ^ 荒川裕治 (2001). FC東京の挑戦. 小学館. p. 120
- ^ “トップチームスタッフ 新任のお知らせ”. 2007年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月21日閲覧。 FC東京 (2007年1月14日)
- ^ 【FUJI XEROX SUPER CUP 2010】フレンドリーマッチ U-18Jリーグ選抜 対 日本高校サッカー選抜 U-18Jリーグ選抜参加選手・スタッフ決定のお知らせ Jリーグ (2010年2月5日)
- ^ 現状「50%」新生・F東京U-18は新スタイルに挑戦:東京都クラブユース(U-17)選手権 ゲキサカ (2012年2月5日)
- ^ a b c d 男子サッカー部監督にFC東京普及部・元Jリーガーの本吉剛氏が就任します 四国学院大学 (2015年01月30日)
参考文献
[編集]- 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990 ISBN 4-523-31032-7
- 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
- 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992 ISBN 4-09-102301-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102303-7
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102305-3
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102310-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102314-2
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2006』、コナミ、2006 ISBN 4-86155-811-5
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館、1994 ISBN 4-09-102309-6
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』、小学館、1995 ISBN 4-09-102317-7
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-099-9
- 『RED DIAMONDS OFFICIAL HANDBOOK 1994』、南雲堂、1994 ISBN 4-523-31036-X
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 本吉剛 - WorldFootball.net
- 本吉剛 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 本吉剛 - J.League Data Siteによる選手データ