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宮戸座
Miyatoza
1914年(大正3年)宮戸座興行チラシ。
早稲田大学所蔵)
情報
正式名称 宮戸座
旧名称 吾妻座
開館 1896年
閉館 1937年
所在地 東京市浅草区千束2丁目
(現在の東京都台東区浅草3丁目22番23号)
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宮戸座(みやとざ、1896年 開業 - 1937年 閉館)は、かつて存在した日本の劇場である。東京・浅草にあった劇場で、1887年(明治20年)開館の吾妻座を改称した。歌舞伎新劇双方の演目を興行した。

概要

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略歴

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1896年(明治29年)興行主が山川金太郎に交替したのをきっかけに改称。小芝居の劇場のなかでも格式があり、1900年(明治33年)当時の入場料は桟敷(枡席)60銭、大入場6銭。これは歌舞伎座の次に高額だった。[1]
永井荷風「すみだ川」のなかでは、主人公の目を通して、明治末期の幕の内の様子が描かれている。[2]
1923年(大正12年)の関東大震災により、宮戸座を含む浅草一帯は壊滅的な被害を受けたが、1928年(昭和3年)11月再建。平屋建て、884名収容、指定席15席が別にあった。1923年(大正12年)の関東大震災により、宮戸座を含む浅草一帯は壊滅的な被害を受けたが、1928年(昭和3年)11月再建。平屋建て、884名収容、指定席15席が別にあった。[3]
その後の経営不振により、1937年(昭和12年)5月取壊し。[4]


歌舞伎の主な演目・出演者

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1897年(明治30年)から1899年(明治32年)頃中村歌右衛門_(5代目)(5代目中村芝翫)、市村羽左衛門_(15代目)(6代目市村家橘)、澤村宗十郎_(7代目)(3代目澤村訥升)が出演。[5]
1903年(明治36年)尾上松助_(4代目)が「関東名物男達鑑」に出演。[6]
1912年(明治45年)「女団七」(夏祭浪花鑑の書替狂言)[7]
尾上多賀之丞_(3代目)(5代目市川鬼丸)
片岡松燕
澤村源之助_(4代目)
澤村訥子_(7代目)
澤村訥子_(8代目)(澤村傳次郎)
・坂東又三郎(通称、二銭団洲。二銭の木戸銭で市川團十郎_(9代目)(俳号、団洲)を似せた芝居が見られると、好評を得た。)(『明治劇談 ランプの下にて』、『浅草っ子』など多くの参考文献あり。)
1928年(昭和3年)の新築落成特別興行では帝国劇場専属俳優、澤村宗十郎_(7代目)が舞台開き口上を述べ、助高屋高助_(5代目)澤村田之助_(5代目)兄弟がが出演。[8]

新劇の主な演目・出演者

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1891年(明治24年)依田学海作「政党美談淑女操」に、伊井蓉峰市川九女八(守住月華)が出演。[9]
1912年(明治45年)「友」[10]
1931年(昭和6年)「清水次郎長裸道中」に、伊井蓉峰藤井六輔大矢市次郎が出演。[11]

現在

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宮戸座跡之碑が1978年(昭和53年)に建立された。
父や兄が劇場の関係者だった沢村貞子原作の、NHK連続テレビ小説」『おていちゃん』が、同年放映された。

出典

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  1. ^ 渋沢青花『浅草っ子』毎日新聞社、1966年、195頁。 
  2. ^ 永井荷風『すみだ川』籾山書店、1912年、71-91頁。 
  3. ^ 『時事年鑑 昭和5年版』時事新報社、1929年、494頁。 
  4. ^ 『時事年鑑 昭和13年版』時事新報社、1937年、514頁。 
  5. ^ 岡本綺堂『明治劇談 ランプの下にて』岡倉書房、1935年、236頁。 
  6. ^ 邦枝完二『舞台八十年 松助芸談』大森書房、1928年、164頁。 
  7. ^ 久保田万太郎『駒形より』平和出版社、1916年、301-303頁。 
  8. ^ 「帝劇彙報 専属俳優の宮戸座出演」『帝劇』1928年12月号、帝国劇場、80頁。 
  9. ^ 岡本綺堂『明治劇談 ランプの下にて』岡倉書房、1935年、161頁。 
  10. ^ 久保田万太郎『駒形より』平和出版社、1916年、290-301頁。 
  11. ^ 野間口満也. “月刊浅草ウェブ|公園うら宮戸座物語 第1回”. 2024年4月7日閲覧。

参考文献

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関連項目

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