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利用者:RB20P/sandbox


『平家物語』で英雄伝説として語られた源頼政の鵺退治が最も有名だが、歴史書や貴族の日記にはそれ以外にも鵺の出現が記録されている。京都市埋蔵文化財研究所の丸川義広によると、鵺は世情が不安定だった平安末期から鎌倉時代、南北朝の動乱期に多く現われると分析している[1][2]

以上のリストは藤沢衛彦『図説日本民俗学全集』にまとめられた日本怪奇妖怪年表から抜粋したもので、年表で鵼と表記されているものは鵺に改めた。


概要

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敗戦により燃料事情が極度に悪化した1949年(昭和24年)、京都大学の地質研究者を中心にした大阪府地下資源調査委員会が天然ガスの資源調査として大阪府内各所でボーリングを行った[11]。この調査はまず千里丘陵から始まり、丘陵を構成する砂礫や粘土の地層群が大阪層群と命名された[12]。続いて行われた調査で共通した地層が広い範囲に分布していることが判明した。肝心の天然ガスは寝屋川市内や堺筋でわずかに出たのみで、ガス調査は2~3年で終った。ところが学術上は大きな発見があったため、その後も大阪市立大学や京都大学の研究者が中心になって地質調査が続けられた。大阪層群の調査結果は、後に大阪市内の地盤沈下対策にも役立ち、工業用水として地下水を組み上げる際にアズキ火山灰層(後述)が基準となった[11]

大阪層群が露頭となった東山洪積世植物遺体包含層

大阪層群の構成

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大阪層群は砂礫層と粘土層が何層も重なった形で構成され、中・上部は10層の海成粘土層、下部は湖成粘土層から成っている。また、第三海成粘土層中にピンク色の火山灰から成る「アズキ火山灰層」を含んでいる。1949年のボーリング調査は千里丘陵に続いて大阪周辺の丘陵地や平野部でも行われ、アズキ火山灰層の存在から、これが同一時間(同一層準)を示す鍵層として活用された。大阪港東大阪市八戸ノ里ではアズキ火山灰層は地下400メートルの深さにあり、大阪層群は地下約700メートルまで存在する[12]

また、ボーリング調査の結果、大阪層群の下に存在する基盤の花崗岩が大きくたわんでいることが分かり、京都大学教授の槙山次郎生駒山基盤褶曲説を発表した。大阪層群は生駒山や千里丘陵、六甲山[13]が平野であった頃から堆積を始め、地質変動によって丘陵と山脈が形成された[11]

脚注

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注釈

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  1. ^ 丸川 1996.
  2. ^ ラノベ好き書店員大賞:「マグダラで眠れ」が首位 ファンタジー系が台頭”. MANTANWEB. MANTAN (2013年3月20日). 2023年11月26日閲覧。
  3. ^ 藤沢 1971, p. 328.
  4. ^ a b 藤沢 1971, p. 332.
  5. ^ a b 藤沢 1971, p. 333.
  6. ^ 藤沢 1971, p. 335.
  7. ^ a b 藤沢 1971, p. 336.
  8. ^ 藤沢 1971, p. 337.
  9. ^ a b 藤沢 1971, p. 339.
  10. ^ 藤沢 1971, p. 351.
  11. ^ a b c 国境物語 1975, pp. 235–236.
  12. ^ a b 市原 1975, p. 26.
  13. ^ 觜本,前田 1989.

出典

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  • 市原実 (03 1975). アーバンクボタ編集室. ed. 資料・第四紀の日本列島―4 大阪層群と大阪平野. 11. クボタ. p. 4. NDLJP:8427583/10. 
  • 読売新聞大阪本社 編「自然は語る 大阪層群」『国境物語 : 大和の歴史と旅』広済堂出版、1975年、234-237頁。NDLJP:9573485/121 
  • 藤沢衛彦「一六 日本怪奇妖怪年表」『図説日本民俗学全集』高橋書店、1971年、317-360頁。NDLJP:12171947/178 
  • 丸川義広「「鵺塚」古墳の検出と岡崎御幸の道筋」『京都市埋蔵文化財研究所研究紀要』第3号、京都市埋蔵文化財研究所、1996年11月、37-54頁。 

関連項目

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外部リンク

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