一般命令第一号
表示
一般命令第一号(いっぱんめいれいだいいちごう、General Order No.1)とは、第二次世界大戦における日本の降伏に向けて、アメリカ統合参謀本部が作成し、1945年(昭和20年)8月17日にハリー・S・トルーマン大統領が認可した命令である。1945年9月2日に日本の降伏に続いて、大日本帝国の代表者に対してダグラス・マッカーサー元帥が発令し、大日本帝国の大本営が日本軍に対して発令した。連合国最高司令官指令 (SCAPIN) の1番目の指令である。
命令内容
[編集]日本軍に対し、指定された連合国の司令官に降伏、すべての現時点での部隊配置を明らかにし、後日の武装解除に向けて軍備を保存するよう命令している。軍事施設、捕虜・抑留者に関する情報提供命令も含まれていた[1]。
降伏先の連合国司令官
[編集]→「38度線」も参照
各地域の日本軍の降伏先司令官は下記の通り。第1条第ロ号、第ハ号、第ニ号、第ホ号に基づくものである[1]。朝鮮半島は、のちに生じる北緯38度線における朝鮮分割の誘因に影響を及ぼすものであった。
- 日本本土、沖縄、北緯38度線以南の朝鮮、フィリピン:アメリカ合衆国太平洋陸軍部隊最高司令官
- 日本国委任統治諸島、小笠原その他太平洋の諸島:アメリカ合衆国太平洋艦隊最高司令官
- 満州、北緯38度線以北の朝鮮、南樺太、千島列島:ソビエト連邦極東軍最高司令官
- 中国、台湾、北緯16度以北のフランス領インドシナ:蔣介石
- ボルネオ、英領ニューギニア、ビスマルク諸島、ソロモン諸島:オーストラリア陸軍最高司令官
- 上記以外の地域:東南アジア軍司令部最高司令官
文書の保管
[編集]原本は、外務省外交史料館が保管して一般公開しなかったが、戦後70年の2015年8月31日から9月12日に外交史料館の展示室で初めて公開した[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c 戦後70年企画「降伏文書」「指令第一号」原本特別展示降伏と占領開始を告げる二つの文書外務省外交史料館 2015年8月31日
関連項目
[編集]- カイロ宣言(1943年11月27日)
- ポツダム宣言(1945年7月26日)
- 光復節 (韓国)(1945年8月15日)
- 日本の降伏文書(1945年9月2日)
- 台湾光復節(1945年10月25日)
- 日本国との平和条約(1951年9月8日)