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大日本主義(だいにっぽんしゅぎ、だいにほんしゅぎ)は、明治時代の対外戦争の勝利によって列強の仲間入りにした後の日本において、国の将来についての議論で大正時代に台頭した思想・外交政策である。以下のような内容。
- 日本は万世一系の皇室を中心とする大和民族の国家である。天照大神
- 列強となった日本は、海外に植民地を広げて国力の増大させるすべきである。
- 1.であるから、日本の文化を世界に宣伝し、アジアの諸国民を救済統合して進歩的組織を提供し、偉大なる包容力で諸民族の感情をある程度満足させつつ、旺盛な活力を持って、日本を世界帝国に成長させるべきである[1]。
概要
[編集]石橋湛山や三浦銕太郎は、1.には触れずに、2.を批判して小日本主義を主張した。植民地政策が国益に叶わぬという意見は、大英帝国の衰退を経済学的に分析したものであるだけでなく、汎アジア主義の概念に裏打ちされたものであり、大正時代に議論となった。三・一運動によって日本が朝鮮の独立を阻む存在であることが世界に喧伝されたことは、欧米列強に対してアジアの団結を訴えていたアジア主義者の心を揺さぶったが、アジア主義は欧化主義と国粋主義の対立によって生まれたという背景があり、一方が植民地放棄の訴えれば、逆の日本主義の立場から反発が出た。今度はそれに反発して3.のような考えを持つ者が現れ、世界帝国たる大日本の建設を主張するようになった。彼らは日本主義が大日本主義に成長したのだと言った。1920年代から30年代は世界視野で見みれば、人種差別や民族差別が蔓延した時代であり、日本民族(大和民族)の優越性を訴える主張の方が、時流を得ていた。
大日本主義の日本による世界の救済という概念は、日蓮宗の教義から生まれたもので、大正期の新宗教が右翼思想と結びついてさらに発展させた。
その他
[編集]昭和初期には全国大日本主義同盟という政治団体が存在した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 神戸正雄「国立国会図書館デジタルコレクション 大日本か小日本か」『経済論集. 第4冊 雑説』有斐閣、1912年 。
- 大谷光瑞『国立国会図書館デジタルコレクション 慨世余言』民友社、1917年 。
- 上泉徳弥『国立国会図書館デジタルコレクション 大日本主義』広文堂書店、1918年 。
- 東郷実『国立国会図書館デジタルコレクション 植民夜話』植民夜話刊行会、1923年 。
- 上泉徳弥『国立国会図書館デジタルコレクション 大日本の建設』国風会出版部、1933年 。
関連項目
[編集]外部リンク
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