利用者:Ow00wo/新荒町
表示
新荒町 | |
---|---|
北緯40度30分22.5秒 東経141度28分58.9秒 / 北緯40.506250度 東経141.483028度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 八戸市 |
地区 | 長者地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.0166 km2 |
標高 | 21.3 m |
人口 (2024年4月30日現在) | |
• 合計 | 36人 |
• 密度 | 2,200人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
031-0056 |
市外局番 | 0178[2] |
ナンバープレート | 八戸 |
地理
[編集]八戸市の中央部に位置し、北に糠塚字下屋敷、稲荷町、東に荒町、南に上徒士町・上組町、西に根城一丁目が面している。地区の面積は16556平方メートル[4]。八戸市中心市街地の区域[5]、長者地域に属する[6]。
地名の由来
[編集]南部八戸の城下町によると、町名の由来は「荒町の新町であったことによる」とされ町人町だった。さらに昔の文久時代(1861年-1864年)の城下絵図では、同地を惣門丁といい八戸城下の西端(新荒町交差点)には八戸城下の外郭にある正門の惣門(総門)があり、門を守衛する足軽町だった[7][8]。1707年(宝永4年)12月の記録では沢里惣門と記された[7]。
歴史
[編集]沿革
[編集]- 1872年(明治5年)町村役人廃止により大区小区制による地方行政制度に改められる[9]。新荒町は九大区二小区の42村の一つに含まれた[10]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行。三戸郡八戸町に属する[11]。
- 1929年(昭和4年) 市制施行に伴い、八戸市に属する[12]。
世帯数と人口
[編集]字 | 世帯数 | 人口 |
大字新荒町 | 22世帯 | 36人 |
合計 | 22世帯 | 36人 |
脚注
[編集]- ^ “地理院地図 / GSI Maps|国土地理院”. maps.gsi.go.jp. 2024年8月11日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 『[国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2986952/1/15 青森県地名辞典]』青森放送、1963年、15頁。doi:10.11501/2986952 。2024年8月12日閲覧。
- ^ “青森県八戸市大字新荒町 (022030110)”. 国勢調査町丁・字等別境界データセット. 2024年8月17日閲覧。
- ^ “中心市街地の位置及び区域”. 八戸市. p. 74. 2024年8月12日閲覧。
- ^ “長者地域につい知ろう 住民自治推進懇談会”. 八戸市 (2013年8月22日). 2024年8月17日閲覧。
- ^ a b 『[国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9571069/1/64 南部八戸の城下町 : むかしのはちのへを偲んで]』伊吉書院、1983年10月。doi:10.11501/9571069 。2024年8月17日閲覧。
- ^ “総門/惣門(そうもん)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書”. goo辞書. 2024年8月17日閲覧。
- ^ “18_青森県史資料編近現代1 県史テキストデータベース詳細画面”. kenshi-archives.pref.aomori.lg.jp. 青森県. 2024年8月15日閲覧。
- ^ 岸俊武『新撰陸奥国誌 第5巻 (みちのく双書 ; 第19集)』青森県文化財保護協会、1966年、147頁。doi:10.11501/2986970 。2024年8月15日閲覧。
- ^ 『[国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/791068/1/105 現行警察提要 明治29年刊 下巻]』青森県警察部、明25-29、145頁。doi:10.11501/791068 。2024年8月17日閲覧。
- ^ “八戸市のあゆみ 八戸市”. www.city.hachinohe.aomori.jp. 2024年8月12日閲覧。
- ^ 『住所毎男女世帯数リスト(八戸市調査)令和6年4月30日現在』による。