利用者:Ow00wo/八戸水力電気
八戸水力電気集合写真(大正3年) | |
本社所在地 |
靑森縣三戶郡八戸町大字八日町二十八番地[1] 北緯40度30分38.120秒 東経141度29分30.619秒 / 北緯40.51058889度 東経141.49183861度座標: 北緯40度30分38.120秒 東経141度29分30.619秒 / 北緯40.51058889度 東経141.49183861度 |
---|---|
設立 | 1910年7月10日[1] |
業種 | 電気業 |
事業内容 | 水力電氣ヲ利用シ電燈點火及電力供給電線電具販賣及賃貸ノ營業ヲナシ併セテ化學製品ヲ製造販賣[1] |
代表者 | 橋本八右衛門(設立時),北村益(県譲渡時) |
資本金 | 10万円[1] |
発行済株式総数 | 1000 |
決算期 | 5月,11月[2] |
会計監査人 | 瀧澤治兵衛,横澤慎太郎[1] |
関係する人物 | 創業時の取締役:木内俊朗,鈴木吉十郎,北村益,泉山太三郎[1] |
特記事項:八戸水力電気→青森県電気局→東北配電→東北電力 |
是川水力発電所 | |
---|---|
国 | 日本 |
所在地 | 青森県八戸市是川白蛇久保 |
座標 | 北緯40度26分04.128秒 東経141度30分58.223秒 / 北緯40.43448000度 東経141.51617306度 |
現況 | 廃止済 |
運転開始 | 1911年6月 |
運転終了 | 不明 |
事業主体 | 八戸水力電気 |
発電所 | |
主要動力源 | 水力 |
発電機数 | 1基 |
発電量 | |
定格出力 | 総出力:200kW |
島守水力発電所 | |
---|---|
国 | 日本 |
所在地 | 青森県八戸市南郷大字島守持金沢3 |
座標 | 北緯40度23分48.877秒 東経141度28分47.885秒 / 北緯40.39691028度 東経141.47996806度 |
現況 | 廃止済 |
運転開始 | 1914年9月 |
運転終了 | 1999年8月 |
事業主体 | 八戸水力電気 |
発電所 | |
主要動力源 | 水力 |
発電機数 | 1基 |
発電量 | |
定格出力 | 総出力:250kW |
小中島水力発電所 | |
---|---|
第三小中島発電所水槽及発電所建物、区分開閉器、(八戸水力電気株式会社)1922年 | |
国 | 日本 |
所在地 | 青森県三戸郡留崎村梅内(現在の三戸郡三戸町梅内川原38) |
座標 | 北緯40度22分04.616秒 東経141度17分21.789秒 / 北緯40.36794889度 東経141.28938583度 |
現況 | 稼働中 |
運転開始 | 1922年1月 |
事業主体 | 八戸水力電気 |
発電所 | |
主要動力源 | 水力 |
発電機数 | 2基 |
発電量 | |
定格出力 | 総出力:600kW1961年(昭和36年)8月より東北電力小中島水力発電所が稼働、2024年の発電出力2200kw |
福岡水力発電所 | |
---|---|
国 | 日本 |
所在地 | 岩手県二戸市石切所荒瀬54 |
座標 | 北緯40度15分01.444秒 東経141度17分03.719秒 / 北緯40.25040111度 東経141.28436639度 |
現況 | 稼働中 |
運転開始 | 1919年6月 |
事業主体 | 八戸水力電気 |
発電所 | |
主要動力源 | 水力 |
発電機数 | 2基 |
発電量 | |
定格出力 | 総出力:560kW(八戸水電当時)現在は東北電力福岡水力発電所 出力1200kwが稼働中 |
吹上火力発電所 | |
---|---|
吹上火力発電所
(昭和初期に撮影) | |
国 | 日本 |
所在地 | 青森県八戸市大字中居林字吹上30番(現在の吹上4丁目付近) |
座標 | 北緯40度29分54.228秒 東経141度29分45.098秒 / 北緯40.49839667度 東経141.49586056度 |
現況 | 廃止済 |
運転開始 | 1929年 |
運転終了 | 不明 |
事業主体 | 八戸水力電気 |
発電所 | |
主要動力源 | 火力 |
発電機数 | 1基 |
発電量 | |
定格出力 | 総出力:750kW |
八戸水力電気株式会社(はちのへすいりょくでんき)は、1910年(明治43年)から1934年(昭和9年)まで、存在した電力会社。[3]
概要
[編集]八戸水力電気は、明治末期から昭和9年の電力県営化までの間に存在した民間の電力会社で、青森県八戸市と周辺16町村に電気を供給していた。[3]
同社は、明治末期から昭和初期にかけて、新井田川と馬淵川に水力発電所合計3ヶ所と、旧八戸町に火力発電所1ヶ所を建設し電力を供給した。[4][5]また、岩手県の電力会社を1社買収、県内の1社と合併して南部地方への電気供給を行なった。[5]特に、余剰電力を産業用電力として廉価に供給したことが[4]、大正期の八戸地域への電気化学工業(カーバイド工場、セメント工場)の立地を促し、産業の近代化や昭和期の八戸臨海工業地帯誕生につながった。[6]
1911年(大正3年)に建設された同社2号機の島守水力発電所は、現存する水力発電所として青森県で最も古く、東北で二番目に古い近代水力発電施設であり、登録有形文化財に指定されている。[6]
歴史
[編集]青森県の電力事情は、明治30年3月5日に青森電灯が、明治34年6月10日に弘前電灯が開業したが、八戸町には電気がなく八戸町三日町の若松旅館店頭に灯されたガス燈が珍しがられていた。[3][7]
明治41年、地域紙「奥南新報」41年2月13日の社説に
”電力を利用せよ”がかかげられ”八戸前途の発展策として工業是を取るべしとは、万口の已に一致する所、吾人数年前、極力馬淵川川上水論を提唱し、一は水田開発と他の灌漑に資すべく、一は水力電気を利用し工業振興の動機とすべしと痛論し、(中略)電燈並びに各種工業の動力に供する目的を持って、市株式会社を創設すべしと云える説も、或る一方の銘柄に上りつつありと伝ふ、(中略)大いに電力を利用せよ、大いに時期を利用せよ”
と論じている。[7]
明治42年、新聞に八戸と電力事業の関連の話題が取り上げられ、[7]八戸の有力者である酒造老舗「河内屋」の当主橋本八右衛門、北村益ら他6名が発起人となり、1910年(明治43年)6月17日に八戸町他3ヶ村への電力供給を目的とした、八戸水力電気株式会社を資本金10万円[1][8](現在換算約3億5000万円[9])で設立した。開業は同年6月26日。[7]創業時の社長は橋本八右衛門が務め、主任技術者を二宮中輔が担当した。[4]
八戸にとって「電気」はあまり馴染みがなく、八戸商工会議所の元副会頭の工藤好一氏は、ある座談会で「八戸の場合、電気がきたといっても、動力は精米所ぐらいのものでないか」と語っていた。[7]
1911年(明治44年)、同社は新井田川に是川水力発電所を建設した。[10]供給エリアは八戸町、小中野町、湊村、鮫村だった。
その後、供給エリア拡大と旺盛な需要により電力不足の懸念が生じたため、1914年(大正3年)是川水力発電所のさらに上流に、同社2号機となる島守水力発電所を建設した。[4] 大正時代に入ると電球の技術革新により従来よりも省エネタイプのタングステン電球が普及し、同社の電力供給に余剰電力が生じたため、1916年(大正5年)その電力を利用した電気化学工業のカーバイド工場を現在の八戸市吹上地区に誘致し、1kWH6厘という廉価な料金で電力を供給した。[5]これが八戸地方の臨海工業地帯誕生のきっかけとなった。[6]
つづく1919年、エリア内の日の出セメント(現在の八戸セメント)立地は「近代工場の設立は1919年の日の出セメントを以つて嚆矢とする。」[11]とされている。
その後、馬淵川水系では1922年(大正11年)青森県三戸郡留崎村に小中島水力発電所が建設された。[12]工期は624日、建設費93万3000円、545メートルの給水トンネル建設と最新式の発電機を用いた。[13]
1925年(大正15年)隣接事業者の岩手県二戸郡福岡町の福岡水力発電所(1918年(大正8年)建設)を買収した。[5]
1924年(大正13年)八戸水力発電の路面電車計画である八戸水力電気会社軌道が内務省に申請した。計画路線は八戸町荒町から小中野町湊橋までだった。1929年(昭和4年)八戸市荒町から尻内駅までの延伸計画を内務省に追加で申請するも、同年の世界恐慌の影響で免許取り下げ実現しなかった。
1928年(昭和3年)7月、五戸水電合併[5]。
1933年(昭和8年)8月21日 電気県営買収仮契約締結 265万円[14] 1934年(昭和9年)3月、青森県営電気局発足に伴い解散した。[6][4]
その後、八戸地域の電力事業主体はは県営電気局、東北電力と変化する中で電気化学工業が進出し、1962年(昭和37年)までに、中外鉱業(フェロアロイ)、日東化学工業(硫安)、日本高周波鋼業八戸(電気銑)、東北砂鉄鋼業(電気銑)、山永製鉄(電気銑)、八戸鉱業(電気銑)、日曹製鋼(電気銑)が立地した。[15]
沿革
[編集]発電所
[編集]- 1910年(明治43年) 八戸町八日町に資本金10万円で設立[8]
- 1911年(明治44年)是川水力発電所が竣工(出力200kW)[10]
- 工業用102馬力、電燈数5773。開業1ヶ年にして既に不足を感じ、新規申込を中止[16]
- 1913年(大正2年)資本金を30万円(3000株)に増資[16]
- 1914年(大正3年)島守水力発電所が竣工(出力300kW)[6]
- 1916年(大正5年)八戸水力電気利用の点燈1万燈に達する[17]
- 1919年(大正8年)6月、福岡水力発電所が竣工[18](出力560kW、発電機2機)[19]
- 1922年(大正11年)小中島水力発電所が竣工[12](出力600kW、発電機2機)[19]
- 1924年(大正13年)同社が八戸水力電気会社軌道(路面電車敷設計画)
- 1926年(大正15年)岩手県の福岡電力を買収[3]
- 1926年(大正15年)島守水力発電所の出力変更 (出力250kW)
- 1928年(昭和3年)7月五戸水電と合併[3]
- 1929年(昭和4年)吹上火力発電所が竣工。(出力750kW)[10][19]
- 1934年(昭和9年)青森県営電気局に事業譲渡
電力供給による産業の発展
[編集]
供給エリア
[編集]1910年(明治43年)
[編集]三戸郡八戸町、小中野村、湊村、鮫村大字鮫(計画では、館村大字売市・沢里も含まれていた)[23]
1916年(大正5年)
[編集]三戸郡八戸町、小中野村、湊村、鮫村、館村、上長苗代村、下長苗代村、是川村、五戸村、大館村[24]
1934年(昭和9年)県譲渡時
[編集]八戸市、三戸郡五戸町、是川村、川内村、倉石村、橋上村、館村、豊崎村、中澤村、上長苗代村、市川村、野澤村、島守村、大館村、下長苗代村、浅田村、戸来村。[25]
設立当初の電力と料金
[編集]是川発電所出力200kw、1643戸、4883灯、電力料金一電灯10燭光55銭、1KWH15銭、電力1馬力5円(昼間)
発電施設
[編集]是川水力発電所
[編集]- 1911年発電開始。青森県三戸郡是川村白蛇久保[10]出力200kw。
- 原動機 水車 [26]
- 横置背流双輪、マッコーミック型タービン、水圧5ポンド、落差28尺、馬力235、発電原動用、芝浦製作所製
- 発電機[26]
- 星形三相式、電圧3500V、1100kW、一台、電燈電力用、芝浦製作所製
- 電動機[26]
- 星形三相式、一三台、馬力各五〇、精米、製材、製肥、製粉用、シーメンス及明電舎製
- 1914年(大正3年)発電開始。青森県三戸郡島守村。出力300kw[6]
- 原動機 水車
- フランシススパイラル、馬力450、独フォイト社製[27]
- 発電機
- 星形三相式、電圧3500V、周波数60、一台、独シーメンス製、発電所出力260kW(大正5)[27]
- 1926年(大正15年)出力250kwに変更[6]
- 1999年(平成11年)廃止[6]
- ドイツ製発電機が現在も保存されており、本館・水槽・水圧鉄管路・余水路は登録有形文化財に登録されている。
- 現存する青森県最古の水力発電所である[6]
- 1922年(大正11年)1月19日竣工。[12]青森県三戸郡留崎村梅内、出力600kw(発電機2機)[19]
- 1961年(昭和36年)8月より東北電力小中島水力発電所が稼働 2024年の発電出力2200kw[18]
吹上火力発電所
[編集]- 1929年発電開始。[10]出力750kw[19] -青森県八戸市大字中居林字吹上30番[19](現在の吹上4丁目1番 東北電力ネットワーク(株) 吹上変電所付近)
- 発電機
- 横軸界磁回転型三相50〜750kW、動機発電機、力率80%、3300V、215rpm、星型結線、1台、磁富士電機製
- 直流分巻発電機
- 24kW、1台、215rpm、110V、発電機と共に直結
- 同期進相機
- 第一項の発電機を進相機とし、750kVA、3300V、50〜24kW、起動用補償器電圧一次3300V、二次1320V
- 創業時よりも流域の森林伐採や新田開発による農業用取水の為に水量が減少し、渇水期の水力発電を補完する目的で建設された。[19]
株主数、社員数の推移
[編集]株主人数
[編集]明治44年 52人[28]
大正元年 54人[28]
大正3年 54人[29]
大正3年 138人[30]
大正4年 128人[31]
大正5年 133人[24]
役員及び使用人
[編集]大正3年 28人[29]
大正3年 37人[30]
大正4年 36人[31]
人物
[編集]橋本八右衛門
[編集]八戸水力電気株式会社取締役社長、青森県八戸町大字八日町[32]大株主[33]646株(大正3)[30]、発起人[16]
株式会社八戸商業銀行取締役、八戸自動車株式会社取締役(代表)[34]
木内俊朗
[編集]八戸水力電気株式会社常務取締役、青森県八戸町大字番町[35]発起人[16]
八戸肥料株式会社取締役、株式会社八戸商業銀行支配人[36]
鈴木吉十郎
[編集]八戸水力電気株式会社取締役、青森県八戸町大字番町[37]大株主[33]240株(大正3)[30]、発起人[16]
株式会社八戸商業銀行頭取[38]
北村益
[編集]八戸水力電気株式会社取締役、青森県八戸町大字長横町 [39]大株主[33]209株(大正3)[30]、発起人[16]
株式会社八戸商業銀行取締役、八戸自動車株式会社取締役[40]
泉山太三郎
[編集]八戸水力電気株式会社取締役[41]、青森県八戸町大字十三日町[42]大株主[33]150株(大正3)[30]、発起人[16]
盛岡製綿株式会社取締役[43]
泉山吉兵衛
[編集]泉山岩次郎
[編集]八戸水力電気株式会社取締役(大正4)大株主120(大正4)[31]
泉山銀行
[編集]大株主200株(大正3)[30]
横澤新太郎
[編集]八戸水力電気株式会社監査役、青森県八日町堀端町[45]発起人[16]
株式会社八戸商業銀行取締役[44]八戸自動車株式会社取締役
瀧澤治兵衛
[編集]八戸水力電気株式会社監査役、青森県八戸町大字新荒町[46]発起人[16]
八戸自動車株式会社監査役[47]
南澤宇忠治
[編集]明治34年東京帝国大学卒業、工学士、日本電気協会員、電気学会正員、電気倶楽部部員、八戸水力電気株式会社技師長、八重洲商会主、東京市牛込区北町[48]
原田富次郎
[編集]八戸水力電気株式会社土木技師、青森県八戸町大字山伏小路[49]
佐藤周三
[編集]八戸水力発電技手、明治39年工手学校卒業、青森県八戸町大字番町[50]
参考文献
[編集]- 『新編八戸市史 近現代資料編2』八戸市、2008
- 『東北の電気物語』白い国の詩編、東北電力、1988
- 『八戸藩遠山家日記 11巻』
- 横尾(1995)「工業化以前の八戸における土地利用パターンの形成」季刊地理学Vol. 47(1995)pp.119-134 https://www.jstage.jst.go.jp/article/tga1992/47/2/47_2_119/_pdf/-char/ja
出典
[編集]- ^ a b c d e f g 大蔵省印刷局: “官報 1910年07月19日”. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2951474.+p. 17 (1910年7月19日). 2024年6月6日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年6月5日閲覧。
- ^ a b c d e 東北電力 (1960年). “東北地方電気事業史”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 99. 2024年5月29日閲覧。
- ^ a b c d e 東北電力 (1960年). “東北地方電気事業史”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 101. 2024年5月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g 東北電力 (1960年). “東北地方電気事業史”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 102. 2024年5月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “旧島守発電所保存公園|八戸市”. www.city.hachinohe.aomori.jp. 2024年5月29日閲覧。
- ^ a b c d e 八戸商工会議所25年史編集委員会 (1967年). “八戸商工会議所25年史”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 32. 2024年6月6日閲覧。
- ^ a b 笹沢魯羊,石橋福太郎[ほか]. “八戸便覧”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/.+2024年6月5日閲覧。
- ^ “明治時代から昭和までの物価が知りたい。明治時代の1円硬貨が現在の価値でいくら位だったのか知りたい。”. レファレンス共同データベース. 2024年6月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g “八戸の電気のルーツを探る”. 八戸工業大学 工学部 工学科 電気電子通信工学コース. 八戸工業大学. 2024年5月29日閲覧。
- ^ a b 長谷川典夫. “八戸工業地区の形成過程 ”. https://www.jstage.jst.go.jp/.+2024年6月5日閲覧。
- ^ a b c “第三小中島発電所水槽及発電所建物、区分開閉器、(八戸水力電気株式会社)”. kenshi-archives.pref.aomori.lg.jp. 青森県史デジタルアーカイブスシステム. 2024年5月29日閲覧。
- ^ 藤姓粛『雞肋前集』あかしや社、昭和3、59-60頁 。
- ^ 朗文館出版部 (1934年). “『電気事業今日の問題』第1輯,昭和9.”. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1212708.+p. 24. 2024年6月4日閲覧。
- ^ 佐野隆一 (1962年). “東北における電気化学工業”. https://www.jstage.jst.go.jp/.+2024年6月6日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 東都通信社 ( エラー: 日付が正しく記入されていません。). “大日本銀行会社沿革史”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 158. 2024年6月5日閲覧。
- ^ 倉石村史編纂委員会: “『倉石村史』下巻”. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/.+p. 1254. 2024年6月6日閲覧。
- ^ a b c d “水力発電所一覧(最大出力30,000kW未満含む)”. 東北電力. 2024年5月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『日本の発電所: 東部日本篇,中部日本篇』工業調査協会、1937年、278-283頁 。2024年5月30日閲覧。
- ^ 日経クロステック(xTECH) (2023年6月6日). “水力発電の季節変動をカーバイドで吸収、自然の歩調に合わせるデンカ青海工場”. 日経クロステック(xTECH). 2024年6月5日閲覧。
- ^ “八戸リサーチの巻 八戸キャニオン|居間 theater”. note(ノート) (2022年6月2日). 2024年6月5日閲覧。 “「八戸石灰鉱山の採掘は遠く江戸時代にさかのぼります。」八戸石灰鉱山展望台の掲示「鉱山の歴史」から転載”
- ^ “ニッポンセメント工場探訪 八戸セメント㈱ 八戸工場”. 一般社団法人日本セメント協会 https://www.jcassoc.or.jp/.+2024年6月5日閲覧。
- ^ 信省通信局 (明41-44). “電気事業要覧 明治43年”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 38. 2024年6月5日閲覧。
- ^ a b 日本産業調査会 (大正5). “日本産業叢書 第1編 (電気大観)”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 520. 2024年6月6日閲覧。
- ^ 朗文館出版部 (1934年). “『電気事業今日の問題』第1輯,昭和9.”. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1212708.+p. 77. 2024年6月4日閲覧。
- ^ a b c 工業之日本社 (明40-44). “日本工業要鑑 第5版(明治45、46年)”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 655. 2024年6月5日閲覧。
- ^ a b 逓信省電気局 ( エラー: 日付が正しく記入されていません。). “電気事業要覧 第8回”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. pp. 212-213. 2024年6月6日閲覧。
- ^ a b 青森県 ( エラー: 日付が正しく記入されていません。). “青森県統計書 明治45・大正元年”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. pp. 17. 2024年6月6日閲覧。
- ^ a b 東京興信所 ( エラー: 日付が正しく記入されていません。). “銀行会社要録 : 附・役員録 18版”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 8. 2024年6月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g 帝国興信所 ( エラー: 日付が正しく記入されていません。). “帝国銀行会社要録 : 附・職員録 大正3年(第3版)”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 5. 2024年6月6日閲覧。
- ^ a b c 帝国興信所 ( エラー: 日付が正しく記入されていません。). “帝国銀行会社要録 : 附・職員録 大正4年(第4版)”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 5. 2024年6月6日閲覧。
- ^ 日本電気協会 (明38-45). “日本電業者一覧 明治45年”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 738. 2024年6月5日閲覧。
- ^ a b c d e “帝国興信所 編『帝国銀行会社要録 : 附・職員録』大正2年(2版),帝国興信所,大正2.”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2024年6月5日閲覧。
- ^ 東京興信所 ( エラー: 日付が正しく記入されていません。). “銀行会社要録 : 附・役員録 18版”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 108. 2024年6月5日閲覧。
- ^ 日本電気協会 (明38-45). “日本電業者一覧 明治45年”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 926. 2024年6月5日閲覧。
- ^ 東京興信所 ( エラー: 日付が正しく記入されていません。). “銀行会社要録 : 附・役員録 18版”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 819. 2024年6月5日閲覧。
- ^ 日本電気協会 (明38-45). “日本電業者一覧 明治45年”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 966. 2024年6月5日閲覧。
- ^ 東京興信所 ( エラー: 日付が正しく記入されていません。). “銀行会社要録 : 附・役員録 18版”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 980. 2024年6月5日閲覧。
- ^ 日本電気協会 (明38-45). “日本電業者一覧 明治45年”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 928. 2024年6月5日閲覧。
- ^ 東京興信所 ( エラー: 日付が正しく記入されていません。). “銀行会社要録 : 附・役員録 18版”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 827. 2024年6月5日閲覧。
- ^ a b 東京興信所 ( エラー: 日付が正しく記入されていません。). “銀行会社要録 : 附・役員録 19版”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 74. 2024年6月6日閲覧。
- ^ 日本電気協会 (明38-45). “日本電業者一覧 明治45年”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 723. 2024年6月5日閲覧。
- ^ 東京興信所 ( エラー: 日付が正しく記入されていません。). “銀行会社要録 : 附・役員録 18版”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 76. 2024年6月5日閲覧。
- ^ a b “日本紳士録 19版”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 下56 ( エラー: 日付が正しく記入されていません。). 2024年6月5日閲覧。
- ^ 日本電気協会 (明38-45). “日本電業者一覧 明治45年”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 797. 2024年6月5日閲覧。
- ^ 日本電気協会 (明38-45). “日本電業者一覧 明治45年”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 820. 2024年6月5日閲覧。
- ^ 東京興信所 ( エラー: 日付が正しく記入されていません。). “銀行会社要録 : 附・役員録 18版”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 408. 2024年6月5日閲覧。
- ^ 日本電気協会 (明38-45). “日本電業者一覧 明治45年”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 937. 2024年6月5日閲覧。
- ^ 日本電気協会 (明38-45). “日本電業者一覧 明治45年”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 734. 2024年6月5日閲覧。
- ^ 日本電気協会 (明38-45). “日本電業者一覧 明治45年”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館デジタルコレクション. p. 915. 2024年6月5日閲覧。