利用者:Mpsuzuki/sandbox2
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「どきょう」[1] 「どくきょう」[2] 「どっきょう」[3]などと読み慣わしている。 多くの僧侶が声をそろえて読経する場合は「諷経(ふうぎん)」とも言う。 「読経」は、経文を見ながら読む「読」と、暗唱(暗誦)する「誦」に大別される[4]。この二つを合わせて「読誦」[5]ともいう。
概要
[編集]本来の読経の目的は経典を学び理解するためであったが、後に読むことが修行の一つとされるようになった[4]。『十誦律』の記述[6]から、釈迦の時代に既に読経に宗教的意義を認めていたと考えられる[7]。
読誦する経文は宗派により異なり、 天台宗・日蓮宗では法華三部経、 浄土宗・浄土真宗では浄土三部経、 真言宗は理趣経が重視される。 多くの宗派で用いられるものには般若心経、遺教経、阿弥陀経、観音経がある。 経文ではない論文(ろんもん)を読誦することもあり、 法相宗が成唯識論を読誦する例が知られる[8]。経文そのものが読誦修行を薦めている例としては以下のようなものが知られる。
また注釈が読誦修行を薦めている例としては以下のようなものが知られる。
- 智顗『法華玄義』
- 巻5上に「唯内に理観を修し、外に即ち大乗経典を受持読誦することを得ば、聞に観を助くるの力あり、内外相籍りて円信転た明に、十信堅固ならん」[11]とあり、大乗経典の読誦を観行五品(ごほん)の修行の一つに数えている。
- 善導『観無量寿経疏(観経疏)』
- 巻2(觀經序分義卷第二)に「読誦大乗と言ふは、此れ経教は之を喩ふるに鏡の如く、数読み数尋ぬれば智慧を開発す。若し智慧の眼開かば、即ち能く苦を厭ひ涅槃を欣楽することを明すなり」[12]とし、
- 巻4(觀經正宗分散善義卷第四)に「第一に読誦正行とは、専ら観経等を読誦す。即ち文に、一心に専ら此観経・弥陀経・無量寿経等を読誦すと云へる、是れなり」[13]とあり、浄土三部経の読誦を、念仏などとともに浄土へ往生するための正行の一つに数えている。
宗教的意義を認められた読経は、音韻を研究する悉曇学や声明へと発展し、読経を専らとする読経僧のうち秀でた僧は能読と呼ばれ僧俗ともに尊敬を集めた[14]。
祈願の一環としての読経
[編集]初期の仏教は呪術に否定的であったと考えられるが [15]、早くから毒蛇除けの偈文が持ち込まれており[16]、 孔雀王呪経類などに発展した[17]。時とともにさまざまな災厄を避けるための経文が追加され、 『金光明経』、『仁王経』のように王の信仰が国の繁栄につながるとするような経文も加わっていった [18]。
これらが伝わった日本でも、旅の安全・鎮護国家・五穀豊穣・請雨・止雨・病気平癒-祈療・怨霊退散・鎮魂供養などを目的とする読経が行われるようになった[19]。 仏僧が関わる祈願の記録は飛鳥時代から見え、625年に渡来僧の慧灌による請雨 [20]や、 656年に藤原鎌足の病を百済の尼・法明が維摩経の問疾品の読誦によって治癒したとするもの [21] などがあり、 660年には護国三部経の一つ『仁王般若経』を読誦する仁王般若会を勅令によって開いた記録が残る [22]。 平安時代に入ると、宮中で大規模な読誦を行うことで、請雨や災害、疫病を避けようとした記録が増加する[23]。
しかし、 玄智の『考信録』では 「有説に云く梵土の法は僧衆もし請に応じ斎を受くるときは、呪願のみにて読経はなし、此方には必ず読経するは爾らず」 [24] とあることなどから、このような場合には古くは咒願・讃文のみを読んでおり、経文を読むのは本来の姿でないと位置づける立場もある[25]。
経の読み方
[編集]清水眞澄は経文テキストと音声の関係に注目して直読・訓読・転読の3種に分類する[26]。
- 直読
- 経文の漢字を漢字音により読むこと。大多数は呉音で読まれるが[27]、天台宗の阿弥陀経や、真言宗の理趣経のように漢音で読まれるものや、黄檗宗は唐音で読まれるなど例外もある。節回しについては、「雨滴曲」と呼ばれるように最初から最後まで同じリズムで読み通すものと、天台宗の「眠り節」のように「曲節」と呼ばれる節を付けた読み方がある。清水は直読と真読を同じものと扱う。
- 訓読
- 経文を訓読み(漢文訓読)で読誦する。遅くとも鎌倉期には訓読で書き下した経文(延書(のべがき))も作られていた。しかし、鎌倉期以降は称名念仏や唱題といった行法が盛んとなったことや[28]、『壒嚢鈔』のように、本来多義を含む経文が訓読では一義のみ伝えることになるので、訓読は劣るとする批判もあり[29]、講義・説法などには有用であっても、読誦において訓読を直読に勝るとすることは稀である。
- 転読
- 経題と中間の数行と巻末を読み上げることで一巻を読み終わったとする略読の一種。読み終えた折り本をアーチ状に繰るなど儀礼の場で用いられ、所作やどの部分を読むかは宗派によって異なる。修験道や密教の七五三読み[30]も転読の一種と言える。ただし、本来は経巻を手にとってくりながら全文を読む意であった。[31]
これらの他に、外に声を発さず内に響かせ読誦する「無音」や、読誦しながら道場を巡る「行道」、羽黒修験道で行われる経典を後ろから読む「逆さ経」などがある。木魚や太鼓などの打ち物で拍子を取る場合もある[32]。この他に宗派によって認められていない民俗的な読経も存在すると考えられる[26]。
行法としての読経に関しては、 望月仏教大辞典、総合仏教大辞典などと同様に清水も 真読[33]・ 転読・ 心読[34]・ 身読[35]の4種を挙げる[4]。
脚注
[編集]- ^ 仏教用語事典, pp. 292–293
- ^ 望月仏教大辞典, pp. 3932–3933
- ^ 仏教大辞彙, pp. 3492–3493は「ドクキョウ」項目に「ドッキョウ」の読みも記載する。
- ^ a b c 清水 2001, pp. 53–55, 「読経とは何か」.
- ^ 総合仏教大辞典は「読経」を語として採録せず、「読誦」のみである。
- ^ 『十誦律』巻三十七 (大正蔵T1435_.23.0269c15) に「有比丘名跋提。於唄中第一。是比丘聲好。白佛言。世尊。願聽我作聲唄。佛言。聽汝作聲唄。唄有五利益。身體不疲不忘。所憶。心不疲勞。聲音不壞。語言易解。復有五利。身不疲極。不忘所憶。心不懈惓。聲音不壞。諸天聞唄聲心則歡喜」と見える。
- ^ 清水 2001, pp. 57–58, 「声明の始まり」.
- ^ 仏教大辞彙, p. 3493。
- ^ 大正蔵T0360_.12.0279、 訓読は望月仏教大辞典, p. 3932によった。
- ^ 大正蔵T0262_.09.0058、 訓読は望月仏教大辞典, p. 3932によった。
- ^ 大正蔵T1716_.33.0733、 訓読は望月仏教大辞典, p. 3932によった。
- ^ 大正蔵T1753_.37.0260、 訓読は望月仏教大辞典, p. 3932によった。
- ^ 大正蔵T1753_.37.0272、 訓読は『日本古典全集 法然上人集』上巻 p.83 (国会図書館デジタルコレクション)によった。
- ^ 清水 2001, pp. 60–62, 「経師から能読へ」.
- ^ パーリ仏典の 梵網経の第一誦品 大戒(『南伝大蔵経』巻6 pp.11-20 NDLDC)では信施の食を得るための様々な呪術を無益徒労であると戒めており、 経集第4章 第14 迅速経の第927詩に釈迦の言葉として「魔法や占夢や占相や、また占星を行ふべからず。占(鳥獣)声や懐妊術や治療を我が(弟子)は習ふべからず。」とある(『南伝大蔵経』巻24 p.354, NDLDC)。
- ^ パーリ仏典の 犍度・小品に定められた小事犍度 (『南伝大蔵経』巻4 pp.168-170, NDLDC)、 増支部の適切業品 (『南伝大蔵経』巻18 pp.124-126, NDLDC)、 小部本生経善法品の犍度本生物語 (『南伝大蔵経』巻30 pp.242-246, NDLDC)、 などに釈迦が授けたとする毒蛇除けの偈文がある(ほぼ同一のものであり、カンダ・パリッタと呼ばれる)。 漢訳仏典では、雑阿含経(求那跋陀羅訳)巻9には、毒蛇によって優波先那(ウパセーナ)が死んだことを 舎利弗から聞いた釈迦がこの偈文とともに短い陀羅尼を授ける場面が描かれる(大正蔵T0099_.02.0060c14)。 この箇所はパーリ仏典では経蔵六処相応の優波先那経(『南伝大蔵経』巻15 pp.64-66 NDLDC)に相当するが、そこでは釈迦や蛇除けの呪文は現れないことから、 雑阿含経の当該部分は優波先那経に小事犍度の偈文が持ち込まれた姿と考えられる。 律蔵側の根本説一切有部毘奈耶(義浄訳)には 逆に小事犍度の偈文を優波先那経の内容によって拡張した個所が見える(大正蔵T1442_.23.0654b29)。 山中・山下 2009および大塚 2008を参照。
- ^ 日本の密教において重視されるのは唐代の不空訳の佛母孔雀明王経(大正蔵T0982であるが、 高僧伝に西晋期の帛尸梨蜜多羅が孔雀王経を訳したことが記されることから、 梵本は3世紀には成立していたと推測されている(大塚 2005)。 前述のカンダ・パリッタは蛇王あるいは竜王に呼びかける形式で孔雀王は現れないが、 孔雀王呪経では、 毒蛇に噛まれた僧を助けるために釈迦が「大孔雀王呪」を授け、 これを他の僧が読誦して解毒するという呪文に置き換えられている (大塚 2005、山中・山下 2009を参照)。 さらに竜王が降雨を司るという考えから、孔雀王呪経には請雨の文言も含まれている。 請雨に特化した経文としては 大雲輪請雨経(大正蔵T0991(隋・那連提耶舎訳本)、T0989(唐・不空金剛訳本)) など様々なものが派生した。 これらの請雨経の展開や相関関係については大山 1961、また森口 1971を参照。
- ^ 山中・山下 2009.
- ^ 神仏習合の過程で、平安時代には神祇信仰の中で仏教の経文が読経されること(神前読経)も発生した (堀 1941, pp. 103–109, 「神佛思想の交流」)。 清水 2001, pp. 92–112, 「鎮護国家と護国経典」も参照。
- ^ 堀 1941, pp. 296–298参照(NDLDC)。 ただし、『日本書紀』・『続日本紀』による限りは、飛鳥~奈良時代の請雨儀式は神祇によるものが優勢であったと見られる(佐々木 1970)。
- ^ この祈願は法明が斉明天皇に奏上して許可を得た上で行われた個人的な病気平癒祈願であるが、 翌年から興福寺の維摩会として行われるようになった。 平岡 1959、冨樫 2005、中本 2020などを参照。
- ^ 日本書紀 巻26の斉明天皇六年に 「夏五月辛丑朔戊申。高麗使人乙相賀取文等到難波舘。是月。有司奉勅造一百高座。一百衲袈裟。設仁王般若之會。」 とある( “卷第廿六” (中国語), 日本書紀, ウィキソースより閲覧。)。
- ^ 宮中の請雨読誦で多く読まれたのは孔雀王呪経ではなく大般若経や仁王経、観音経である(佐々木 1970の表Ⅰ、Ⅱを参照)。
- ^ 『考信録』巻2、項11 国会図書館デジタルコレクション
- ^ たとえば仏教大辞彙, p. 3493, 「読経」、条(二)を参照。『考信録』著者の玄智は江戸時代の浄土真宗の僧であり、祈願としての読経を勧める必要が無かったことには注意が必要である。
- ^ a b 清水 2001, pp. 73–76, 「読経の種類」.
- ^ 経文と別に呉音を定める字書があったわけではなく、漢音導入以前の慣習的な読誦音を呉音と呼んでいるのが実情に近い。
- ^ たとえば法然は念仏専修となる以前には、日課として阿弥陀経の読誦を呉音、唐音、訓読で1回ずつ行っていたことを述べている(『法然上人行状図 解説』第44、NDLDC)。
- ^ 『壒嚢鈔』巻10 第11目「就読経音ノ間何ヲ勝タリトセンヤ」NDLDCを参照。
- ^ 経文の最初・真中・後ろの3箇所を七行・五行・三行ずつ読むもの。
- ^ 総合仏教大辞典, p. 1067
- ^ 清水 2001, pp. 69–70, 「読経のリズム」.
- ^ 経文を最初から最後まで読むこと。「信読」とも綴る。
- ^ 心の中で黙読すること(総合仏教大辞典, p. 1067)。 または、仏の世界を観想して読むこと(清水 2001, p. 53)。
- ^ 身を持って経典の教えを実行すること(清水 2001, p. 53)。「色読」とも呼ぶ(総合仏教大辞典, p. 1067)。
参考文献
[編集]- 龍谷大学『佛教大辭彙(再版)』冨山房、1936年6月28日。
- 塚本善隆『望月仏教大辞典(増訂版)』世界聖典刊行協会、1957年3月25日。
- 総合佛教大辞典編集委員会『総合佛教大辞典』法蔵館、1987年11月20日。ISBN 4-8318-7060-9。
- 須藤隆仙『仏教用語事典』新人物往来社、1993年4月25日。ISBN 4-404-01994-7。
- 堀一郎『上代日本佛教文化史(上)』大東出版社、1941年。doi:10.11501/12220839。 (臨川書店より再販あり doi:10.11501/12220839)
- 清水真澄『読経の世界:能読の誕生』吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー〉、2001年。ISBN 4642055215。
- 平岡定海「三会制度について」『印度学仏教学研究』第7巻第2号、1959年、505-510頁、doi:10.4259/ibk.7.505。
- 大山仁快「大雲(請雨)経第六十四・六十五品の一考察」『密教文化』第55巻、1961年、47-71頁、doi:10.11168/jeb1947.1961.55_47。
- 佐々木令信「古代における祈雨と仏教」『大谷学報』第50巻第2号、1970年、65-80頁。
- 森口光俊「請雨壇法の展開」『智山学報』第19巻、1971年、227-255頁、doi:10.18963/chisangakuho.19.0_227。
- 大塚伸夫「インド最初期密教の経典について」『智山学報』第54巻、2005年、61-75頁、doi:10.18963/chisangakuho.54.0_B61。
- 冨樫進「藤原仲麻呂における維摩会」『日本思想史学』第37巻、2005年、100-117頁。
- 大塚伸夫「『請観世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪経』における初期密教の特徴」『高野山大学密教文化研究所紀要』第21号、2008年、188-162頁。
- 山中行雄、山下勤「仏教文献に見られる呪術的療法の伝統について」『日本医史学雑誌』第55巻第1号、2009年、77-96頁。
- 大塚伸夫「『檀特羅麻油述経』における初期密教の特徴」『高野山大学密教文化研究所紀要』第23号、2010年、147-169頁。
- 中本和「鎌足の死因に関する一試論」『茨木市立文化財資料館館報』第7号、2020年。
関連項目
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