利用者:Me2hero/大阪府の地名/中河内郡の地名
本項中河内郡の地名では、大阪府中河内郡の町村について、その町字を中心とした地名について記述する。
概要
[編集]中河内郡は、1896年(明治29年)4月1日、郡制の施行のため、丹北郡・大県郡・高安郡・河内郡・若江郡・渋川郡および志紀郡の一部の区域をもって発足した。本項では中河内郡発足からその消滅まで、当郡所属の町村を対象とするが、その始点について1889年(明治22年)4月1日の町村制施行の時点まで遡って記述する。この間、当郡域内で成立・廃止された町村はない。中河内郡は1958年(昭和33年)10月1日、柏原町が市制施行して郡より離脱したことで同日消滅した。
目次
[編集]一覧
[編集]町村名 | よみ | 成立年月日 | 廃止年月日 |
---|---|---|---|
英田村 | あかたむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1955年(昭和30年)1月15日 |
曙川村 | あけかわむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1955年(昭和30年)4月3日 |
天美村 | あまみむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1947年(昭和22年)1月1日 |
天美町 | あまみちょう | 1947年(昭和22年)1月1日 | 1955年(昭和30年)2月1日 |
池島村 | いけしまむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1929年(昭和4年)4月1日 |
石切町 | いしきりちょう | 1950年(昭和25年)4月1日 | 1955年(昭和30年)1月11日 |
瓜破村 | うりわりむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1955年(昭和30年)4月3日 |
恵我村 | えがむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1955年(昭和30年)2月1日 |
大戸村 | おおえむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1950年(昭和25年)4月1日 |
意岐部村 | おきべむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1937年(昭和12年)4月1日 |
柏原町(第2次) | かしわらちょう | 1939年(昭和14年)7月1日 | 1956年(昭和31年)9月30日 |
柏原町(第3次) | かしわらちょう | 1956年(昭和31年)9月30日 | 1958年(昭和33年)10月1日 |
堅上村 | かたかみむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1939年(昭和14年)7月1日 |
堅下村 | かたしもむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1939年(昭和14年)7月1日 |
加美村 | かみむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1955年(昭和30年)4月3日 |
北江村 | きたえむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1931年(昭和6年)4月1日 |
北高安村 | きたたかやすむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1931年(昭和6年)4月1日 |
久宝寺村 | きゅうほうじむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1948年(昭和23年)4月1日 |
孔舎衙村 | くさかむら | 1912年(大正元年)10月1日 | 1955年(昭和30年)1月11日 |
楠根村 | くすねむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1929年(昭和4年)10月15日 |
楠根町 | くすねちょう | 1929年(昭和4年)10月15日 | 1937年(昭和12年)4月1日 |
小阪村 | こさかむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
小阪町 | こさかちょう | 1925年(大正14年)4月1日 | 1937年(昭和12年)4月1日 |
大正村 | たいしょうむら | 1913年(大正2年)7月1日 | 1948年(昭和23年)4月1日 |
高井田村 | たかいだむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1933年(昭和8年)4月1日 |
高安村 | たかやすむら | 1931年(昭和6年)4月1日 | 1955年(昭和30年)4月3日 |
巽村 | たつみむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1948年(昭和23年)1月1日 |
巽町 | たつみちょう | 1948年(昭和23年)1月1日 | 1955年(昭和30年)4月3日 |
盾津村 | たてつむら | 1931年(昭和6年)4月1日 | 1943年(昭和18年)10月1日 |
盾津町 | たてつちょう | 1943年(昭和18年)10月1日 | 1955年(昭和30年)1月15日 |
玉川村 | たまかわむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1943年(昭和18年)10月1日 |
玉川町 | たまかわちょう | 1943年(昭和18年)10月1日 | 1955年(昭和30年)1月15日 |
長瀬村 | ながせむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1937年(昭和12年)4月1日 |
中高安村 | なかたかやすむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1931年(昭和6年)4月1日 |
長吉村 | ながよしむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1955年(昭和30年)4月3日 |
縄手村 | なわてむら | 1929年(昭和4年)4月1日 | 1947年(昭和22年)10月1日 |
縄手町 | なわてちょう | 1947年(昭和22年)10月1日 | 1955年(昭和30年)1月11日 |
西郡村 | にしごおりむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1948年(昭和23年)4月1日 |
西六郷村 | にしろくごうむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1931年(昭和6年)4月1日 |
布忍村 | ぬのせむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1955年(昭和30年)2月1日 |
東六郷村 | ひがしろくごうむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1931年(昭和6年)4月1日 |
日根市村 | ひねいちむら | 1896年(明治22年)4月1日 | 1912年(大正元年)10月1日 |
枚岡村 | ひらおかむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1939年(昭和14年)7月15日 |
枚岡町 | ひらおかちょう | 1939年(昭和14年)7月15日 | 1955年(昭和30年)1月11日 |
枚岡南村 | ひらおかみなみむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1929年(昭和4年)4月1日 |
布施村 | ふせむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)4月1日 |
布施町(第1次) | ふせちょう | 1925年(大正14年)4月1日 | 1933年(昭和8年)4月1日 |
布施町(第2次) | ふせちょう | 1933年(昭和8年)4月1日 | 1937年(昭和12年)4月1日 |
松原村 | まつばらむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1942年(昭和17年)7月1日 |
松原町 | まつばらちょう | 1942年(昭和17年)7月1日 | 1955年(昭和30年)2月1日 |
三木本村 | みきもとむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1913年(大正2年)7月1日 |
弥刀村 | みとむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1937年(昭和12年)4月1日 |
南高安村 | みなみたかやすむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1953年(昭和28年)4月1日 |
南高安町 | みなみたかやすちょう | 1953年(昭和28年)4月1日 | 1955年(昭和30年)4月3日 |
三野郷村 | みのごうむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1955年(昭和30年)1月15日 |
三宅村 | みやけむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1955年(昭和30年)2月1日 |
八尾村 | やおむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1903年(明治36年)8月31日 |
八尾町 | やおちょう | 1903年(明治36年)8月31日 | 1948年(昭和23年)4月1日 |
矢田村 | やたむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1955年(昭和30年)4月3日 |
龍華村 | りゅうげむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1927年(昭和2年)6月1日 |
龍華町 | りゅうげちょう | 1927年(昭和2年)6月1日 | 1948年(昭和23年)4月1日 |
若江村 | わかえむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1955年(昭和30年)1月15日 |
変遷表
[編集]旧郡 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 明治45年 | 大正元年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和63年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
渋川郡 | 長瀬村 | 長瀬村 | 長瀬村 | 昭和12年4月1日 布施市 |
布施市 | 布施市 | 昭和42年2月1日 東大阪市 |
東大阪市 | 東大阪市 |
布施村 | 布施村 | 大正14年4月1日 布施町 | |||||||
若江郡 | 高井田村 | 高井田村 | 昭和8年4月1日 布施町に編入 | ||||||
小阪村 | 小阪村 | 大正14年4月1日 小阪町 | |||||||
楠根村 | 楠根村 | 昭和4年10月15日 楠根町 | |||||||
弥刀村 | 弥刀村 | 弥刀村 | |||||||
意岐部村 | 意岐部村 | 意岐部村 | |||||||
河内郡 | 枚岡村 | 枚岡村 | 昭和14年7月1日 枚岡町 |
枚岡町 | 昭和30年1月11日 枚岡市 | ||||
枚岡南村 | 枚岡南村 | 昭和4年4月1日 縄手村 |
昭和22年10月1日 縄手町 | ||||||
池島村 | 池島村 | ||||||||
大戸村 | 大戸村 | 大戸村 | 昭和25年4月1日 石切町 | ||||||
日根市村 | 日根市村 | 大正元年10月1日 改称 孔舎衙村 |
孔舎衙村 | ||||||
若江郡 | 玉川村 | 玉川村 | 昭和18年10月1日 玉川町 |
玉川町 | 昭和30年1月15日 河内市 | ||||
若江村 | 若江村 | 若江村 | 若江村 | ||||||
北江村 | 北江村 | 昭和6年4月1日 盾津村 |
昭和18年10月1日 盾津町 |
盾津町 | |||||
西六郷村 | 西六郷村 | ||||||||
河内郡 | 東六郷村 | 東六郷村 | 昭和24年1月1日 一部を北河内郡 住道町に編入[1] | ||||||
英田村 | 英田村 | 英田村 | 英田村 | ||||||
三野郷村 | 三野郷村 | 三野郷村 | 三野郷村 | ||||||
昭和30年2月1日 旧三野郷村域南部を 八尾市に編入[2] |
八尾市 | 八尾市 | |||||||
渋川郡 | 龍華村 | 龍華村 | 昭和2年6月1日 龍華町 |
昭和23年4月1日 八尾市 |
八尾市 | ||||
久宝寺村 | 久宝寺村 | 久宝寺村 | |||||||
志紀郡 | 三木本村 | 三木本村 | 大正2年7月1日 改称 大正村 | ||||||
若江郡 | 八尾村 | 明治36年8月1日 八尾町 |
八尾町 | ||||||
西郡村 | 西郡村 | 西郡村 | |||||||
曙川村 | 曙川村 | 曙川村 | 曙川村 | 昭和30年4月3日 八尾市に編入 | |||||
高安郡 | 北高安村 | 北高安村 | 昭和6年4月1日 高安村 |
高安村 | |||||
中高安村 | 中高安村 | ||||||||
南高安村 | 南高安村 | 南高安村 | 昭和28年4月1日 南高安町 | ||||||
大県郡 | 堅上村 | 堅上村 | 昭和14年7月1日 柏原町[3] |
柏原町 | 昭和33年10月1日 柏原市 |
柏原市 | 柏原市 | ||
堅下村 | 堅下村 | ||||||||
丹北郡 | 松原村 | 松原村 | 昭和17年7月1日 松原町 |
松原町 | 昭和30年2月1日 松原市 |
松原市 | 松原市 | ||
天美村 | 天美村 | 天美村 | 昭和22年1月1日 天美町 | ||||||
恵我村 | 恵我村 | 恵我村 | 恵我村 | ||||||
三宅村 | 三宅村 | 三宅村 | 三宅村 | ||||||
布忍村 | 布忍村 | 布忍村 | 布忍村 | ||||||
矢田村 | 矢田村 | 矢田村 | 矢田村 | 昭和30年4月3日 大阪市東住吉区に編入 |
大阪市東住吉区 | 大阪市 | |||
長吉村 | 長吉村 | 長吉村 | 長吉村 | 昭和30年4月3日 大阪市 東住吉区に編入 |
昭和49年7月22日 分区 平野区 |
大阪市平野区 | |||
瓜破村 | 瓜破村 | 瓜破村 | 瓜破村 | ||||||
渋川郡 | 加美村 | 加美村 | 加美村 | 加美村 | |||||
巽村 | 巽村 | 巽村 | 昭和23年1月1日 巽町 |
昭和30年4月3日 大阪市生野区に編入 |
大阪市生野区 |
英田村
[編集]英田村は1889年(明治22年)、河内郡吉田村・松原村・水走村が合併することにより成立。旧村名を継承した3大字を編成[4]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]大字の設置
[編集]- 1951年(昭和26年)
- 吉田春日(吉田の一部より、1955年河内市に継承。)
- 吉田北池ノ端(吉田の一部より、1955年河内市に継承。)
- 吉田島之内(吉田の一部より、1955年河内市に継承。)
- 吉田船場(吉田の一部より、1955年河内市に継承。)
- 吉田札場(吉田の一部より、1955年河内市に継承。)
- 吉田南池之端(吉田の一部より、1955年河内市に継承。)
1955年(昭和30年)、盾津町・玉川町・三野郷村・若江村と合併し、英田村廃止。新設の河内市の一部となる。
曙川村
[編集]曙川村は1889年(明治22年)、若江郡八尾木村・東弓削村・都塚村・柏村新田・刑部村・中田村が合併することにより成立。旧村名を継承した6大字を編成[5]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]- 刑部(1955年八尾市に継承。)
- 柏村新田(1910年柏村と改称。)
- 中田(1955年八尾市に継承。)
- 東弓削(1955年八尾市に継承。)
- 都塚(1955年八尾市に継承。)
- 八尾木(1955年八尾市に継承。)
大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
- 柏村(柏村新田より、1955年八尾市に継承。)
1955年(昭和30年)、八尾市に編入され、曙川村廃止。
天美村 → 天美町
[編集]天美村は1889年(明治22年)、丹北郡池内村・城連寺村・油上村・芝村・我堂村・堀村が合併することにより成立。旧村名を継承した6大字を編成[6]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
- 池内(1947年天美町に継承。1955年松原市池内町となる。)
- 我堂(1947年天美町に継承。1955年松原市我堂町となる。)
- 芝(1947年天美町に継承。1955年松原市芝町となる。)
- 城連寺(1947年天美町に継承。1955年松原市城連寺町となる。)
- 堀(1947年天美町に継承。1955年松原市堀町となる。)
- 油上(1947年天美町に継承。1955年松原市油上町となる。)
1947年(昭和22年)、町制施行して天美町となる。
1955年(昭和30年)、松原町・布忍村・恵我村・三宅村と合併し、天美町廃止。新設の松原市の一部となる。
池島村
[編集]河内郡池島村は1889年(明治22年)、単独で自治体を形成。大字を編成せず[7]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
1929年(昭和4年)、枚岡南村と合併して、池島村廃止。新設の縄手村の大字となる。
大戸村 → 石切町
[編集]大戸村は1889年(明治22年)、河内郡植附村・芝村・芝神並村・神並村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[8]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]大字の設置
[編集]- 1920年(大正9年)
1950年(昭和25年)、町制施行・改称して石切町となる。
1955年(昭和30年)、孔舎衙村・枚岡町・縄手町と合併し、石切町廃止。新設の枚岡市の一部となる。
瓜破村
[編集]瓜破村は1889年(明治22年)、丹北郡東瓜破村・西瓜破村・万屋新田が合併することにより成立。旧村名を継承した3大字を編成[9]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]町字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
- 万屋(万屋新田より、1955年大阪市東住吉区に継承。)
- 1949年(昭和24年)
- 東佃町(東瓜破の一部より、1955年大阪市東住吉区瓜破東佃町となる。)
- 西佃町(東瓜破・西瓜破の各一部より、1955年大阪市東住吉区瓜破西佃町となる。)
- 国塚町(東瓜破の一部より、1955年大阪市東住吉区瓜破国塚町となる。)
- 牛屋町(東瓜破の一部より、1955年大阪市東住吉区瓜破牛屋町となる。)
- 広狭町(東瓜破・西瓜破の各一部より、1955年大阪市東住吉区瓜破広狭町となる。)
- 弁天町(東瓜破・西瓜破の各一部より、1955年大阪市東住吉区瓜破弁天町となる。)
- 狭川町(東瓜破・西瓜破の各一部より、1955年大阪市東住吉区瓜破狭川町となる。)
1955年(昭和30年)、大阪市に編入され、瓜破村廃止。大阪市東住吉区の一部となる。
恵我村
[編集]恵我村は1889年(明治22年)、丹北郡大堀村・別所村・一津屋村・小川村・若林村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[10]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
- 一津屋(1955年松原市一津屋町となる。)
- 大堀(1955年松原市大堀町となる。)
- 小川(1955年松原市小川町となる。)
- 別所(1955年松原市別所町となる。)
- 若林(1955年松原市若林町となる。)
1955年(昭和30年)、松原町・天美町・布忍村・三宅村と合併し、恵我村廃止。新設の松原市の一部となる。
意岐部村
[編集]意岐部村は1889年(明治22年)、若江郡御厨村・新家村・荒本村・菱屋東新田と菱屋中新田の一部が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[11]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
1937年(昭和12年)、布施町・長瀬村・小阪町・楠根町・弥刀村と合併し、意岐部村廃止。新設の布施市の一部となる。
柏原町
[編集]中河内郡柏原町は1939年(昭和14年)、南河内郡柏原町と中河内郡堅上村・堅下村が合併することにより成立。合併各町村の大字を継承した12大字を編成[12]。
成立当初の大字名
[編集]- 旧柏原町
- 旧堅上村
- 旧堅下村
- 安堂(1958年柏原市に継承。)
- 大県(1958年柏原市に継承。)
- 太平寺(1958年柏原市に継承。)
- 高井田(1958年柏原市に継承。)
- 平野(1958年柏原市に継承。)
- 法善寺(1958年柏原市に継承。)
大字の設置
[編集]1956年(昭和31年)、南河内郡国分町と合併し、改めて柏原町が発足。
- 旧国分町
1958年(昭和33年)、市制施行して柏原市となり、郡より離脱。中河内郡消滅。
堅上村
[編集]堅上村は1889年(明治22年)、大県郡雁多尾畑村・青谷村・峠村・本堂村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[13]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
1939年(昭和14年)、堅下村、南河内郡柏原町と合併し、堅上村廃止。改めて発足した中河内郡柏原町の一部となる。
堅下村
[編集]堅下村は1889年(明治22年)、大県郡大県村・高井田村・安堂村・大平寺村・平野村・法善寺村が合併することにより成立。旧村名を継承した6大字を編成[13]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
- 安堂(1939年柏原町に継承。)
- 大県(1939年柏原町に継承。)
- 太平寺(1939年柏原町に継承。)
- 高井田(1939年柏原町に継承。)
- 平野(1939年柏原町に継承。)
- 法善寺(1939年柏原町に継承。)
1939年(昭和14年)、堅上村、南河内郡柏原町と合併し、堅下村廃止。改めて発足した中河内郡柏原町の一部となる。
加美村
[編集]加美村は1889年(明治22年)、渋川郡鞍作村・鞍作新家村・南鞍作村・正覚寺村・乾村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[14]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]町字の設置
[編集]- 1937年(昭和12年)
- 大蓮(鞍作の一部より、1939年布施市大蓮となる。)
- 大芝町4 - 9丁目(正覚寺、布施市衣摺・南蛇草、巽村四条・伊賀の各一部より、1955年大阪市東住吉区加美大芝町4 - 9丁目となる。)
- 末次町4 - 9丁目(正覚寺・乾、布施市衣摺、巽村四条の各一部より、1955年大阪市東住吉区加美末次町4 - 9丁目となる。)
- 長沢町4 - 9丁目(正覚寺・乾、布施市衣摺、巽村四条の各一部より、1955年大阪市東住吉区加美長沢町4 - 9丁目となる。)
- 柿花町3 - 8丁目(鞍作・正覚寺の各一部より、1955年大阪市東住吉区加美柿花町3 - 8丁目となる。)
- 乾町(乾・正覚寺、巽村四条の各一部より、1955年大阪市東住吉区加美乾町となる。)
- 正覚寺町(正覚寺の一部より、1955年大阪市東住吉区加美正覚寺町となる。)
- 諏訪山町1 - 5丁目(鞍作・正覚寺の各一部より、1955年大阪市東住吉区加美諏訪山町1 - 5丁目となる。)
- 神明町1 - 5丁目(鞍作・正覚寺の各一部より、1955年大阪市東住吉区加美神明町1 - 5丁目となる。)
- 細田町1 - 6丁目(鞍作・鞍作新家・正覚寺の各一部より、1955年大阪市東住吉区加美細田町1 - 6丁目となる。)
- 絹木町1 - 5丁目(鞍作新家・鞍作・正覚寺の各一部より、1955年大阪市東住吉区加美絹木町1 - 5丁目となる。)
- 橘町(正覚寺の一部より、1955年大阪市東住吉区加美橘町となる。)
- 旭町(正覚寺の一部より、1955年大阪市東住吉区加美旭町となる。)
- 鞍作町(鞍作・南鞍作・正覚寺の各一部より、1955年大阪市東住吉区加美鞍作町となる。)
- 春日町(南鞍作・正覚寺の各一部より、1955年大阪市東住吉区加美春日町となる。)
- 南陽町(正覚寺・南鞍作の各一部より、1955年大阪市東住吉区加美南陽町となる。)
- 南鞍作町(南鞍作・正覚寺の各一部より、1955年大阪市東住吉区加美南鞍作町となる。)
- 神武町1 - 4丁目(鞍作・南鞍作・鞍作新家の各一部より、1955年大阪市東住吉区加美神武町1 - 4丁目となる。)
- 松山町1 - 3丁目(鞍作新家・鞍作・南鞍作の各一部より、1955年大阪市東住吉区加美松山町1 - 3丁目となる。)
- 福井戸町1 - 3丁目(鞍作新家・鞍作・南鞍作の各一部より、1955年大阪市東住吉区加美福井戸町1 - 3丁目となる。)
- 新家町(鞍作新家・南鞍作の各一部より、1955年大阪市東住吉区加美新家町となる。)
1955年(昭和30年)に大阪市に編入され、加美村廃止。大阪市東住吉区の一部となる。
北江村
[編集]成立当初の大字名
[編集]北江村は1889年(明治22年)、若江郡新庄村・鴻池新田・三島新田が合併することにより成立。旧村名を継承した3大字を編成[15]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
1931年(昭和6年)、西六郷村・東六郷村と合併し、北江村廃止。新設の盾津村の一部となる。
北高安村
[編集]北高安村は1889年(明治22年)、高安郡大竹村・楽音寺村・神立村・水越村・千塚村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[16]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
1931年(昭和6年)、中高安村と合併し、北高安村廃止。新設の高安村の一部となる。
久宝寺村
[編集]久宝寺村は1889年(明治22年)、渋川郡久宝寺村・顕証寺新田・三津村新田が合併することにより成立。旧村名を継承した3大字を編成[17]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
1948年(昭和23年)、八尾町・龍華町・大正村・西郡村と合併し、久宝寺村廃止。新設の八尾市の一部となる。
日根市村 → 孔舎衙村
[編集]日根市村は1889年(明治22年)、河内郡日下村・善根寺村・布市村・河内屋南新田が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[18]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]- 河内屋南新田(1910年河内屋南と改称。)
- 日下(1912年孔舎衙村に継承。1955年枚岡市日下町となる。)
- 善根寺(1912年孔舎衙村に継承。1955年枚岡市善根寺町となる。)
- 布市(1912年孔舎衙村に継承。1955年枚岡市布市町となる。)
大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
1912年(大正元年)、改称して孔舎衙村となる。
1955年(昭和30年)、枚岡町・縄手町・石切町と合併し、孔舎衙村廃止。新設の枚岡市の一部となる。
楠根村 → 楠根町
[編集]楠根村は1889年(明治22年)、若江郡稲田村、長田村、西堤村、川俣村、橋本新田と菱屋中新田の一部が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[19]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]- 稲田(1929年楠根町、1937年布施市に継承。)
- 川俣(1929年楠根町、1937年布施市に継承。)
- 長田(1929年楠根町、1937年布施市に継承。)
- 西堤(1929年楠根町、1937年布施市に継承。)
- 橋本新田(1910年橋本と改称。)
大字の設置
[編集]- 1908年(明治41年)
- 菱屋中新田(稲田字菱沼・式ノ割・大根島より、1917年藤戸新田となる。)
- 1910年(明治43年)
- 1917年(大正6年)
1929年(昭和4年)、町制施行して楠根町となる。
1937年(昭和12年)布施町・長瀬村・小阪町・意岐部村・弥刀村と合併し、楠根町廃止。新設の布施市の一部となる。
小阪村 → 小阪町
[編集]小阪村は1889年(明治22年)、若江郡中小阪村・上小阪村・宝持村・下小阪村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[20]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
- 上小阪(1925年小阪町、1937年布施市に継承。)
- 下小阪(1925年小阪町、1937年布施市に継承。)
- 中小阪(1925年小阪町、1937年布施市に継承。)
- 宝持(1925年小阪町、1937年布施市に継承。)
1925年(大正14年)、町制施行して小阪町となる。
1937年(昭和12年)、布施町・長瀬村・楠根町・意岐部村・弥刀村と合併し、小阪町廃止。新設の布施市の一部となる。
三木本村 → 大正村
[編集]三木本村は1889年(明治22年)、志紀郡南木本村・北木本村、丹北郡木本村が合併することにより成立。旧村名を継承した3大字を編成[21]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]大字の設置
[編集]- 1913年(大正2年)
南河内郡太田村を編入。
- 旧太田村
同年、改称して大正村となる。
1948年(年)、八尾町・龍華町・久宝寺村・西郡村と合併し、大正村廃止。新設の八尾市の一部となる。
高井田村
[編集]高井田村は1889年(明治22年)、若江郡高井田村・新喜多新田・森河内村が合併することにより成立。旧村名を継承した3大字を編成[22]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
- 新喜多(新喜多新田より、1933年布施町に継承。)
1933年(昭和8年)、布施町と合併し、高井田村廃止。改めて発足した布施町の一部となる。
高安村
[編集]高安村は1931年(昭和6年)、中河内郡北高安村・中高安村が合併することにより成立。合併各村の大字を継承した10大字を編成[23]。
- 旧北高安村
- 旧中高安村
1955年(昭和30年)、八尾市に編入され、高安村廃止。
巽村 → 巽町
[編集]巽村は1889年(明治22年)、渋川郡大地村・四条村・伊賀村・矢柄村・西足代村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[24]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]- 大地(1948年巽町に継承、1955年大阪市生野区巽大地町となる。)
- 四条(1948年巽町に継承、1955年大阪市生野区巽四条町となる。)
- 伊賀(1948年巽町に継承、1955年大阪市生野区巽伊賀ケ町となる。)
- 矢柄(1948年巽町に継承、1955年大阪市生野区巽矢柄町となる。)
- 西足代(1948年巽町に継承、1955年大阪市生野区巽西足代町となる。)
大字の設置
[編集]- 1933年(昭和8年)
大阪市東成区・布施町の各一部を編入。
- 大阪市東成区
- 布施町
- 岸田堂(1938年矢柄となる。)
1948年(昭和23年)、町制施行し巽町となる。
1955年(昭和30年)、大阪市に編入され、巽町廃止。大阪市生野区の一部となる。
盾津村 → 盾津町
[編集]盾津村は1931年(昭和6年)、中河内郡西六郷村・北江村・東六郷村が合併することにより成立。合併各村の大字を継承した12大字を編成[25]。
- 旧西六郷村
- 中野(1943年盾津町、1955年河内市に継承。)
- 本庄(1943年盾津町、1955年河内市に継承。)
- 箕輪(1943年盾津町、1955年河内市に継承。)
- 横枕(1943年盾津町、1955年河内市に継承。)
- 旧北江村
- 旧東六郷村
- 今米(1943年盾津町、1955年河内市に継承。)
- 加納(1943年盾津町、1955年河内市に継承。)
- 川中(1943年盾津町、1955年河内市に継承。)
- 中新開(1943年盾津町、1955年河内市に継承。)
- 吉原(1943年盾津町、1955年河内市に継承。)
1943年(昭和18年)、町制施行して盾津町となる。
1955年(昭和30年)、玉川町・英田村・三野郷村・若江村と合併し、盾津町廃止。新設の河内市の一部となる。
玉川村 → 玉川町
[編集]玉川村は1889年(明治22年)、若江郡岩田村・瓜生堂村・西岩田村・稲葉村・菱江村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[26]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
- 稲葉(1943年玉川町、1955年河内市に継承。)
- 岩田(1943年玉川町、1955年河内市に継承。)
- 瓜生堂(1943年玉川町、1955年河内市に継承。)
- 西岩田(1943年玉川町、1955年河内市に継承。)
- 菱江(1943年玉川町、1955年河内市に継承。)
1943年(昭和18年)、町制施行して玉川町となる。
1955年(昭和30年)、盾津町・英田村・三野郷村・若江村と合併し、玉川町廃止。新設の河内市の一部となる。
長瀬村
[編集]長瀬村は1889年(明治22年)、渋川郡柏田村・金岡新田・大蓮村・衣摺村・吉松新田・北蛇草村・南蛇草村が合併することにより成立。旧村名を継承した7大字を編成[27]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]- 大蓮(1937年布施市に継承。)
- 柏田(1937年布施市に継承。)
- 金岡新田(1910年金岡と改称。)
- 衣摺(1937年布施市に継承。)
- 北蛇草(1937年布施市に継承。)
- 南蛇草(1937年布施市に継承。)
- 吉松新田(1910年吉松と改称。)
大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
1937年(昭和12年)、布施町・小阪町・楠根町・意岐部村・弥刀村と合併し、長瀬村廃止。新設の布施市の一部となる。
中高安村
[編集]中高安村は1889年(明治22年)、高安郡服部川村・郡川村・山畑村・大窪村・万願寺村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[28]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
1931年(昭和6年)、中高安村と合併し、中高安村廃止。新設の高安村の一部となる。
長吉村
[編集]長吉村は1889年(明治22年)、丹北郡長原村・六反村・出戸村・川辺村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[29]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
- 長原(1955年大阪市東住吉区長吉長原町となる。)
- 六反(1955年大阪市東住吉区長吉六反町となる。)
- 出戸(1955年大阪市東住吉区長吉出戸町となる。)
- 川辺(1955年大阪市東住吉区長吉川辺町となる。)
1955年(昭和30年)に大阪市に編入され、長吉村廃止。大阪市東住吉区の一部となる。
縄手村 → 縄手町
[編集]縄手村は1929年(昭和4年)、中河内郡池島村・枚岡南村が合併することにより成立。合併各村の大字を継承した5大字を編成[30]。
- 旧池島村
- 旧枚岡南村
- 河内(1947年縄手町に継承、1955年枚岡市河内町となる。)
- 四条(1947年縄手町に継承、1955年枚岡市四条町となる。)
- 横小路(1947年縄手町に継承、1955年枚岡市横小路町となる。)
- 六万寺(1947年縄手町に継承、1955年枚岡市六万寺町となる。)
1947年(昭和22年)、町制施行して縄手町となる。
1955年(昭和30年)、孔舎衙村・枚岡町・石切町と合併し、縄手町廃止。新設の枚岡市の一部となる。
西郡村
[編集]若江郡西郡村は1889年(明治22年)、単独で自治体を形成。大字を編成せず[31]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
1948年(昭和23年)、八尾町・龍華町・久宝寺村・大正村と合併し、西郡村廃止。新設の八尾市の大字なしの地域となる。
西六郷村
[編集]西六郷村は1889年(明治22年)、若江郡本庄村・中野村・横枕村・箕輪村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[32]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
1931年(昭和6年)、北江村・東六郷村と合併し、西六郷村廃止。新設の盾津村の一部となる。
布忍村
[編集]布忍村は1889年(明治22年)、丹北郡更池村・高木村・清水村・向井村・東代村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[33]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
1955年(昭和30年)、松原町・天美町・恵我村・三宅村と合併し、布忍村廃止。新設の松原市の一部となる。
東六郷村
[編集]東六郷村は1889年(明治22年)、河内郡中新開村・今米村・川中新田・吉原村、若江郡加納村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[34]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
- 川中(川中新田より、1931年盾津村に継承。)
1931年(昭和6年)、西六郷村・北江村と合併して、東六郷村廃止。新設の盾津村の一部となる。
枚岡村 → 枚岡町
[編集]枚岡村は1889年(明治22年)、河内郡豊浦村・出雲井村・額田村が合併することにより成立。旧村名を継承した3大字を編成[35]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
1939年(昭和14年)、町制施行して枚岡町となる。
1955年(昭和30年)、孔舎衙村・縄手町・石切町と合併し、枚岡町廃止。新設の枚岡市の一部となる。
枚岡南村
[編集]枚岡南村は1889年(明治22年)、河内郡六万寺村・河内村・四条村・横小路村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[36]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
1929年(昭和4年)、池島村と合併して、枚岡南村廃止。新設の縄手村の一部となる。
布施村 → 布施町
[編集]布施村は1889年(明治22年)、渋川郡荒川村・太平寺村・岸田堂村・永和村・東足代村・菱屋西新田が合併することにより成立。旧村名を継承した6大字を編成[37]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]- 荒川(1925年布施町、1937年布施市に継承。)
- 永和(1925年布施町、1937年布施市に継承。)
- 岸田堂(1925年布施町、1937年布施市に継承。)
- 太平寺(1925年布施町、1937年布施市に継承。)
- 東足代(1925年布施町、1937年布施市に継承。)
- 菱屋西新田(1910年菱屋西と改称。)
大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
1925年(大正14年)、町制施行して布施町となる。
- 1933年(昭和8年)
同年、高井田村と合併し、改めて布施町発足。
- 旧高井田村
1937年(昭和12年)、長瀬村・小阪町・楠根町・意岐部村・弥刀村と合併し、布施町廃止。新設の布施市の一部となる。
松原村 → 松原町
[編集]松原村は1889年(明治22年)、丹北郡新堂村・高見村・上田村・岡村・立部村・西大塚村・阿保村・田井城村が合併することにより成立。旧村名を継承した8大字を編成[38]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
- 阿保(1942年松原町に継承。1955年松原市阿保町となる。)
- 上田(1942年松原町に継承。1955年松原市上田町となる。)
- 岡(1942年松原町に継承。1955年松原市岡町となる。)
- 新堂(1942年松原町に継承。1955年松原市新堂町となる。)
- 田井城(1942年松原町に継承。1955年松原市田井城町となる。)
- 高見(1942年松原町に継承。1955年松原市高見町となる。)
- 立部(1942年松原町に継承。1955年松原市立部町となる。)
- 西大塚(1942年松原町に継承。1955年松原市西大塚町となる。)
1942年(昭和17年)、町制施行して松原町となる。
1955年(昭和30年)、天美町・布忍村・恵我村・三宅村と合併し、松原町廃止。新設の松原市の一部となる。
弥刀村
[編集]弥刀村は1889年(明治22年)、若江郡友井村・近江堂村・小若江村が合併することにより成立。旧村名を継承した3大字を編成[39]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
1937年(昭和12年)、布施町・長瀬村・小阪町・楠根町・意岐部村と合併し、弥刀村廃止。新設の布施市の一部となる。
南高安村 → 南高安町
[編集]南高安村は1889年(明治22年)、高安郡恩智村・教興寺村・垣内村・黒谷村、大県郡神宮寺村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[40]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
- 恩智(1953年南高安町、1955年八尾市に継承。)
- 垣内(1953年南高安町、1955年八尾市に継承。)
- 教興寺(1953年南高安町、1955年八尾市に継承。)
- 黒谷(1953年南高安町、1955年八尾市に継承。)
- 神宮寺(1953年南高安町、1955年八尾市に継承。)
1953年(昭和28年)、町制施行して南高安町となる。
1955年(昭和30年)、八尾市に編入され、南高安町廃止。
三野郷村
[編集]三野郷村は1889年(明治22年)、河内郡福万寺村・上之島村・市場村、若江郡玉井新田が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[41]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
- 玉井(玉井新田より、1955年河内市に継承。)
1955年(昭和30年)、盾津町・玉川町・英田村・若江村と合併し、三野郷村廃止。新設の河内市の一部となる。
三宅村
[編集]丹北郡三宅村は1889年(明治22年)、単独で自治体を形成。大字を編成せず[42]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
1955年(昭和30年)、松原町・天美町・布忍村・恵我村と合併し、三宅村廃止。松原市三宅町となる。
八尾村 → 八尾町
[編集]八尾村は1889年(明治22年)、若江郡東郷村・八尾町・大信寺新田・西郷村・木戸村・庄之内村・成法寺村・今井村・別宮村・八尾座村・穴太村・佐堂村・萱振村・八尾中野村・山本新田・小坂合村が合併することにより成立。旧村名を継承した16大字を編成[43]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]- 穴太(1903年八尾町、1948年八尾市に継承。)
- 今井(1903年八尾町、1948年八尾市に継承。)
- 萱振(1903年八尾町、1948年八尾市に継承。)
- 木戸(1903年八尾町、1948年八尾市に継承。)
- 小阪合(1903年八尾町、1948年八尾市に継承。)
- 西郷(1903年八尾町、1948年八尾市に継承。)
- 佐堂(1903年八尾町、1948年八尾市に継承。)
- 庄之内(1903年八尾町、1948年八尾市に継承。)
- 成法寺(1903年八尾町、1948年八尾市に継承。)
- 大信寺新田(1903年八尾町に継承。1910年大信寺と改称。)
- 東郷(1903年八尾町、1948年八尾市に継承。)
- 別宮(1903年八尾町、1948年八尾市に継承。)
- 八尾(1903年八尾町、1948年八尾市に継承。)
- 八尾座(1903年八尾町、1948年八尾市に継承。)
- 八尾中野(1903年八尾町、1948年八尾市に継承。)
- 山本新田(1903年八尾町に継承。1910年山本と改称。)
1903年(明治36年)、町制施行して八尾町となる。
大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
1948年(昭和23年)、龍華町・久宝寺村・大正村・西郡村と合併し、八尾町廃止。新設の八尾市の一部となる。
矢田村
[編集]矢田村は1889年(明治22年)、丹北郡住道村・矢田部村・枯木村・富田新田が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[44]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]町字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
- 富田(富田新田より、1955年大阪市東住吉区矢田富田町となる。)
- 1950年(昭和25年)
- 外沼町(住道の一部より、1955年大阪市東住吉区矢田外沼町となる。)
- 河原田町(住道の一部より、1955年大阪市東住吉区矢田河原田町となる。)
- 脇田町(住道の一部より、1955年大阪市東住吉区矢田脇田町となる。)
- 大森町(住道・天美町城蓮寺の各一部より、1955年大阪市東住吉区矢田大森町となる。)
- 平松町(住道・天美町城蓮寺の各一部より、1955年大阪市東住吉区矢田平松町となる。)
- 東浦町(住道の一部より、1955年大阪市東住吉区矢田東浦町となる。)
- 垣外町(住道の一部より、1955年大阪市東住吉区矢田垣外町となる。)
- 笠松町(住道の一部より、1955年大阪市東住吉区矢田笠松町となる。)
- 今池町(住道の一部より、1955年大阪市東住吉区矢田今池町となる。)
- 灰崎町(住道の一部より、1955年大阪市東住吉区矢田灰崎町となる。)
1955年(昭和30年)に大阪市に編入され、矢田村廃止。大阪市東住吉区の一部となる。
龍華村 → 龍華町
[編集]龍華村は1889年(明治22年)、渋川郡太子堂村・植松村・渋川村・安中村・亀井村・竹淵村が合併することにより成立。旧村名を継承した6大字を編成[45]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
- 植松(1927年龍華町、1948年八尾市に継承。)
- 亀井(1927年龍華町、1948年八尾市に継承。)
- 渋川(1927年龍華町、1948年八尾市に継承。)
- 太子堂(1927年龍華町、1948年八尾市に継承。)
- 竹渕(1927年龍華町、1948年八尾市に継承。)
- 安中(1927年龍華町、1948年八尾市に継承。)
1927年(昭和2年)、町制施行して龍華町となる。
1948年(昭和23年)、八尾町・久宝寺村・大正村・西郡村と合併し、龍華町廃止。新設の八尾市の一部となる。
若江村
[編集]若江村は1889年(明治22年)、若江郡若江南村・若江北村が合併することにより成立。旧村名を継承した2大字を編成[46]。1896年(明治29年)、中河内郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]町字の設置
[編集]- 1943年(昭和18年)
- 鏡通(若江南の一部より、1955年河内市に継承。)
- 菊水通(若江北の一部より、1955年河内市に継承。)
- 木村通(若江北・若江南の各一部より、1955年河内市に継承。)
- 巨摩橋通(若江北・若江南の各一部より、1955年河内市に継承。)
- 桜橋通(若江北の一部より、1955年河内市に継承。)
- 新町通(若江北の一部より、1955年河内市に継承。)
- 常盤通(若江北の一部より、1955年河内市に継承。)
- 宮後通(若江北の一部より、1955年河内市に継承。)
- 薬師橋通(若江北・若江南の各一部より、1955年河内市に継承。)
- 若松通(若江北の一部より、1955年河内市に継承。)
1955年(昭和30年)、盾津町・玉川町・英田村・三野郷村と合併し、若江村廃止。新設の河内市の一部となる。
関連項目
[編集]参考資料
[編集]脚注
[編集]- ^ 現在は大東市の一部
- ^ 現在の八尾市福万寺・上之島地域
- ^ 南河内郡柏原町が堅上・堅下両村を編入した上で中河内郡に所属変更
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 65.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 69.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 95.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 113.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 216.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 193.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 196.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 264.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 294.
- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 300.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 318.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 377.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 386.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 405.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1034.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 424.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 490.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1134.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 709.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 722.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 737–738.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 738.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 746.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 859.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 861.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 881–882.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 898.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 920.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 936.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 942–943.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1028.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1049.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1050.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 1076–1077.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1126.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1151.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1170.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1183.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 1187–1188.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1214.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1220.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1262.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1268.