利用者:McYata/教皇勅書の一覧
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教皇勅書の一覧では、1059年から現在に至るまでにローマ教皇が発した教皇勅書を列挙する。
教皇勅書の内容は当時の情勢に応じた限定的な内容の者も多く、状況の変化に応じて修正されたり効力を弱められたり、場合によっては廃止されることもあった[1]。
一覧
[編集]11世紀
[編集]年 | 名称 | 発令者 | 内容 |
---|---|---|---|
1059年 | イン・ノミネ・ドミニ ( In nomine Domini ) |
ニコラウス2世 | 教皇選挙権を司教枢機卿のみに限定[2]。 |
1079年 | リベルタアス・エクレシアエ ( Libertas ecclesiae ) |
グレゴリウス7世 | 教会の、神聖ローマ皇帝の権威や権力からの独立を主張。 |
1079年 | アンティクア・サンクトルム・パトルム (Antiqua sanctorum patrum) |
グレゴリウス7世 | リヨン教会にガリア諸教会に対する優越を与える。 |
1095年 (3月16日) |
クム・ウニヴェルシス・サンクテ (Cum universis sancte) |
ウルバヌス2世 | アラゴン王およびアラゴン王妃は教皇自らの命令なしに破門されないことを規定[3]。 |
12世紀
[編集]年 | 名称 | 発令者 | 内容 |
---|---|---|---|
1113年 (2月15日) |
ピエ・ポストゥラティオ・ヴォルンタティス (Pie Postulatio Voluntatis) |
パスカリス2世 | 聖ヨハネ騎士団の設立と独立を承認し、教皇の保護下に置く。 |
1120年ごろ | シクト・ユダエイス (Sicut Judaeis) |
カリストゥス2世 | 第1回十字軍の参加者に危害を加えられたユダヤ人に保護を与える[4]。 |
1136年 (7月7日) |
エクス・コミッソ・ノビス (Ex commisso nobis) |
インノケンティウス2世 | マグデブルク大司教をポーランドの教会から分離。 |
1139年 (3月29日)[5] |
オムネ・ダトゥム・オプティムム (Omne Datum Optimum) |
インノケンティウス2世 | テンプル騎士団を商人[6]。 |
1144年 | ミリテス・テンプリ (Milites Templi) |
ケレスティヌス2世 | 聖職者がテンプル騎士団に保護を与え、その行動に協力することを規定[7]。 |
1145 | ミリティア・デイ (Militia Dei) |
エウゲニウス3世 | テンプル騎士団に十分の一税や埋葬税の徴収と、死亡した団員を騎士団の墓地に埋葬することを許可[8]。 |
1145年 (12月1日) |
クァントゥム・プラエデケッソレス (Quantum praedecessores) |
エウゲニウス3世 | 第2回十字軍の招集[9]。 |
1155 | ラウダビリテル (Laudabiliter) |
ハドリアヌス4世 | イングランド王ヘンリー2世にアイルランドの支配権を与える[10]。 |
1179年 (5月23日) |
マニフェスティス・プロバトゥム (Manifestis Probatum) |
アレクサンデル3世 | ポルトガル王国の成立と初代ポルトガル王アフォンソ1世を承認[11]。 |
1184年 (11月4日)[12] |
アド・アボレンダム | ルキウス3世 | 異端の断罪と処罰方法の提示[13]。 |
1187年 (10月29日) |
アウディタ・トレメンディ (Audita tremendi) |
グレゴリウス8世 | 第3回十字軍の招集[14]。 |
1191年 | クレメンス3世 | シクト・ユダエイスの内容を再確認。 | |
1192年 | クム・ウニヴェルスィ (Cum universi) |
ケレスティヌス3世 | スコットランドの教会を教皇の直轄下にあるものと規定[15]。 |
1198年 | ポスト・ミセラビレ (Post Miserabile) |
インノケンティウス3世 | 第4回十字軍の招集[16]。 |
1199年 (3月25日) |
ヴェルゲンティス・イン・セニウム (Vergentis in senium) |
インノケンティウス3世 | ヴィテルボ市に宛てる体裁で、神罰を受ける意味では異端は反逆罪と同等であると主張[17]。 |
1199年 (9月15日) |
インノケンティウス3世 | シクト・ユダエイスの内容を再確認。 |
13世紀
[編集]年 | 名称 | 発令者 | 内容 |
---|---|---|---|
1205年 | エスティ・ユダエオス (Esti Judaeos) |
インノケンティウス3世 | ユダヤ人がシナゴーグを持つことを認め、彼らが改宗を強制されないことを規定。またユダヤ人が自身の奴隷を含むキリスト教徒と食卓を共にすることを禁ずる[18]。 |
1207年 | インノケンティウス3世 | スペインの、キリスト教徒が禁じられた職に就いているユダヤ人に対し、十分の一税の支払いを要求。Golden bull | |
1213年 (5月) |
ブッラ・アウレア (Bulla Aurea) |
インノケンティウス3世 | イングランド王ジョンに対する破門を、教皇に忠誠を誓うことと引き換えに解除[19]。 |
1213年 | クイア・マイオル (Quia maior) |
インノケンティウス3世 | 第5回十字軍の招集[20]。 |
1216年 (11月6日) |
ホノリウス3世 | クレメンス3世のシクト・ユダエイスの内容を再確認し、ドイツのユダヤ人を支持。 | |
1216年 (12月) |
レリギオサム・ヴィタム (Religiosam vitam) |
ホノリウス3世 | ドミニコ会の設立[21]。 |
1218年 | イン・ゲネラリ・コンキリオ (In generali concilio) |
ホノリウス3世 | 第4ラテラン公会議における、ユダヤ人に対する識別可能な服装の強制と地元の教会への十分の一税納入の規定の履行を要求[22]。 |
1219年 | ホノリウス3世 | カスティーリャ王フェルナンド3世による、ユダヤ人のバッジ着用義務の停止命令を承認。 | |
1219 | スペル・スペクラム (Super speculam) |
ホノリウス3世 | パリの法学校を閉鎖し、民法の研究を禁ずる[23]。 |
1223年 (11月29日) |
ソレト・アンヌエレ (Solet annuere) |
ホノリウス3世 | フランシスコ戒律の承認[24]。 |
1228年 (10月21日) |
グレゴリウス9世 | 十字軍がユダヤ人に対して負っている借金の利子軽減と返済猶予を規定。 | |
1228年 | ミラ・キルカ・ノス (Mira Circa Nos) |
グレゴリウス9世 | アッシジのフランチェスコを列聖[25]。 |
1230年 | クオ・エロンガティ (Quo elongati) |
グレゴリウス9世 | アッシジのフランチェスコの遺言をめぐる問題を解決[26]。 |
1231年 (4月13日) |
パレンス・スキエンティアルム (Parens scientiarum) |
グレゴリウス9世 | パリ大学の独立性を規定。 |
1232年 (2月8日) |
イッレ・フマニ・ゲネリス (Ille humani generis) |
グレゴリウス9世 | レーゲンスブルクのドミニコ会修道院長に異端審問法廷の設置を指示[27]。 |
1233年 (4月6日) |
エトシ・ユダエオルム (Etsi Judaeorum) |
グレゴリウス9世 | キリスト教国に住むユダヤ人に対して、キリスト教徒が異教の地で望めるような人権を与えるよう要求[28]。 |
1233年 (June) |
ヴォクス・イン・ラマ (Vox in Rama) |
グレゴリウス9世 | 有神論的悪魔崇拝の一派ルシフェリアニズムへの対応を求める。 |
1233年 | リケト・アド・カピエンドス(Licet ad capiendos) | グレゴリウス9世 | 教会による異端審問の開始。 |
1233年 | スッフィケレ・デブエラト(Sufficere debuerat) | グレゴリウス9世 | キリスト教徒に対し、信仰をめぐってユダヤ人と争うことを禁止[29]。 |
1234 | ピエタティ・プロクシムム(Pietati proximum) | グレゴリウス9世 | ドイツ騎士団のクルメアラント領有を承認[30]。 |
1234 | レクス・パキフィクス(Rex pacificus) | グレゴリウス9世 | 教会法の法典リベル・エクストラ(グレゴリウス9世教皇令集)の公布。 |
1234年 (6月5日) |
グレゴリウス9世 | テオバルド1世のナバラ王位継承を承認 | |
1234年 (7月3日) |
Fons Sapientiae(Vox in Rama) | グレゴリウス9世 | ドミニコ会の創設者ドミニコ(1221年没)を列聖。 |
1235年 | グレゴリウス9世 | クレメンス3世のシクト・ユダエイスの内容を再確認。 | |
1235年 | クム・ホラ・ウンデキマ (Cum hora undecima) |
グレゴリウス9世 | 托鉢修道士が異教の地で説教を行うことを初めて認可[31]。 |
1239年 (6月20日) |
スィ・ヴェラ・スント (Si vera sunt) |
グレゴリウス9世 | キリストや教会への冒涜と見なされた、タルムードなどのユダヤ教書物の没収と調査を命令[32]。 |
1240年 | グレゴリウス9世 | カスティーリャ王国において、四旬節の最初の土曜日に、シナゴーグにいるユダヤ人の書物すべてを没収するよう命令。 | |
1243年 | クイ・ユスティス・カウシス (Qui iustis causis) |
インノケンティウス4世 | バルト海方面への十字軍を発令。1256年および1257年にも再発令された[33]。 |
1244年 | インピア・ユダエオルム・ペルフィディア (Impia judeorum perfidia) |
インノケンティウス4世 | ユダヤ人がキリスト教徒の看護婦を雇うことを禁止[34]。 |
1244年 (3月9日) |
インピア・ゲンス (Impia gens) |
インノケンティウス4世 | タルムードの焚書を命令。 |
1245年 (3月5日) |
デイ・パトリス・インメンサ (Dei patris immensa) |
インノケンティウス4世 | キリスト教の教理を解説し、東方から侵攻してきたモンゴル人に洗礼を受けるよう勧める[35]。 |
1245年 (3月13日) |
クム・ノン・ソルム (Cum non solum) |
インノケンティウス4世 | モンゴル人に対し、キリスト教徒・諸国への攻撃を止めるよう求めるとともに、彼らの今後の行動予定を尋ねる[35]。インノケンティウス4世はモンゴルとの講和を望んだが、モンゴル側にとって「講和」は「服従」と同義であることに気づいていなかった[36]。 |
1245年 (3月20日) |
インテル・アリア・デシデラビリア (Inter alia desiderabilia) |
インノケンティウス4世 | ポルトガル王サンシュ2世を非難。 |
1245年 (late March) |
クム・シムス・スペル (Cum simus super) |
インノケンティウス4世 | 複数の高位聖職者と「東方のキリスト教徒」に対し、ローマ・カトリックの優位性を主張するとともに教会の統一を提唱[37] |
1245年 (7月17日) |
アド・アポストリカエ・ディグニタティス・アピケム (Ad Apostolicae Dignitatis Apicem) |
インノケンティウス4世 | 第1リヨン公会議において、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世を弾劾。 |
1245年 (7月24日) |
Grandi non immerito (With good reason) |
インノケンティウス4世 | ポルトガル王サンシュ2世の退位と、王弟のブローニュ伯アフォンソへの譲位を要求。 |
1246 | インノケンティウス4世 | シクト・ユダイエスの内容を再確認。 | |
1247年 (5月8日) |
ディヴィナ・ユスティティア・ネクァンクァム (Divina justitia nequaquam) |
インノケンティウス4世 | ユダヤ教徒の血の中傷について。 |
1247年 (7月5日) |
ラクフリュマビレム・ユダエオルム (Lachrymabilem Judaeorum) |
インノケンティウス4世 | 血の中傷を理由とするユダヤ教徒迫害を非難。[32] |
1247年 (10月1日) |
クァエ・ホノレム・コンディトリス・オムニウム (Quae honorem conditoris omnium) |
インノケンティウス4世 | カルメル会の会則について。[38] |
1248年 (11月22日) |
ヴィアム・アグノスケレ・ヴェリタティス (Viam agnoscere veritatis) |
インノケンティウス4世 | モンゴルの将軍バイジュへの返信[39]。 |
1249年 | デ・インドゥルゲンキア・クシ・ディエルム (De indulgencia xi dierum) |
インノケンティウス4世 | スコットランドのマーガレット・オブ・スコットランドの聖堂を巡礼する信者に免罪を与える。 |
1250年 (4月15日) |
インノケンティウス4世 | コルドバのユダヤ人からの、新たなシナゴーグを建てる許可申請を却下。 | |
1252年 (5月15日) |
アド・エクスティルパンダ (Ad exstirpanda) |
インノケンティウス4世 | 異端審問において自白を引き出すための拷問と、異端者の火刑による処刑を許可。[40] |
1253年 (7月23日) |
インノケンティウス4世 | ヴィエンヌからユダヤ人を追放。 | |
1253年 (9月25日) |
インノケンティウス4世 | シクト・ユダイエスの内容を再確認。 | |
1254年 (10月6日) |
クエレンテス・イン・アグロ (Querentes in agro) |
インノケンティウス4世 | オックスフォード大学を承認[41]。 |
1255 | Clara claris praeclara (Clare outstandingly clear) |
アレクサンデル4世 | On the canonization of St. Clare of Assisi[42] |
1263/1264 | Exultavit cor nostrum (Our heart has rejoiced) |
ウルバヌス4世 | Letter from ウルバヌス to Hulagu, discussing the arrival of Hulagu's (uncredentialed) envoy ヨハネスthe Hungarian, cautiously welcoming, and announcing that William II of Agen, Latin Patriarch of Jerusalem, would be investigating further.[43] |
1264 | ? | ウルバヌス4世 | Discussion of the Egyptian threat (no mention of Mongols).[43] |
1260s (undated) | Audi filia et (Hear, O daughter, and) |
ウルバヌス4世 or クレメンス4世 | Caution to Queen Plaisance of Cyprus to cease her unchaste ways, and marry[44] |
1260s (undated) | De sinu patris (The bosom of the Father) |
ウルバヌス4世 or クレメンス4世 | Admonishment to an unnamed nobleman to cease his adultery and return to his wife[44] |
1265 | Licet Ecclesiarum | クレメンス4世 | Stated that appointments to all benefices were a papal prerogative.[45] |
1267年 (7月26日) |
Turbato corde | クレメンス4世 | Legally barred Christians from converting to Judaism.[46] |
1272 | グレゴリウス10世 | Confirms the Sicut Judæis | |
1272年 (7月7日) |
Letter on Jews | グレゴリウス10世 | Against the Blood Libel [47] |
1274 | Ubi Periculum (Where there is danger) |
グレゴリウス10世 | Established the papal conclave as the method of selection for a pope, imposing progressively stricter restrictions on cardinals the longer a conclave lasted to encourage a quick selection. |
1274 | グレゴリウス10世 | confirms Sicut Judæis | |
1278年 (8月4日) |
Vineam sorce | ニコラウス3世 | Ordering conversion sermons to Jews |
1279 | Exiit qui seminat | ニコラウス3世 | Confirming the rules of the Friar Minor[48] |
1281 | Ad fructus uberes | マルティヌス4世 | Gave Franciscan priests the right to preach and hear confession.[49] |
1283 | Exultantes | マルティヌス4世 | Relaxed the restrictions on poverty for Franciscans.[49] |
1286年 (11月30日) |
ホノリウス4世 | To Archbishop of York and of Canterbury, against Talmud | |
1288 | Habet carissima filia | ニコラウス4世 | Letter sent to Christian women at the court of the Mongol Ilkhan[50] |
1289 | Supra Motem | ニコラウス4世 | On the Rule of the Third Order of St. Francis[51] |
1291年 (1月30日) |
Orat mater ecclesia | ニコラウス4世 | To protect the Roman Jews from oppression |
1291年 (March) |
Prae cunctis | ニコラウス4世 | Authorized the Franciscans to start the inquisition in Bosnia.[52] |
1291 | Gaudemus in Domino | ニコラウス4世 | Letter sent to Arghun's third wife, Uruk Khatun, the mother of ニコラウス (Oljeitu), Arghun's successor.[50] |
1291 | Pastoralis officii | ニコラウス4世 | Letter sent to two young Mongol princes, Saron and Cassian, urging their conversion to Christianity.[50] |
1296年 (1月20日) |
Redemptor mundi (Redeemer of the world) |
ボニファティウス8世 | Named James II of Aragon as standardbearer, captain-general, and admiral of the Roman Church. |
1296年 (2月25日) |
Clericis Laicos (Lay clerics) |
ボニファティウス8世 | Excommunicates all members of the clergy who, without authorization from the Holy See, pay to laymen any part of their income or the revenue of the Church, and all rulers who receive such payments.[53] |
1297 | Super rege et regina (About king and queen) |
ボニファティウス8世 | Bestowed on James II of Aragon the Kingdom of Sardinia and Corsica. |
1297 | Excelso throno | ボニファティウス8世 | Jacopo Colonna and Pietro Colonna, both cardinals, were excommunicated by Pope Boniface VIII for refusing to surrender their relative Stefano Colonna (who had seized and robbed the pope's nephew) and refusing to give the pope Palestrina along with two fortresses, which threatened the pope. This excommunication was extended in the same year to Jacopo's nephews and their heirs, after the two Colonna cardinals denounced the pope's election as invalid and appealed to a general council.[54] |
1299年 (6月13日) |
Exhibita nobis | ボニファティウス8世 | Declares Jews be included among persons who might be denounced to the Inquisition without the name of the accuser revealed[29] |
1299年 (27 June) |
Scimus, Fili (We know, my son) |
ボニファティウス8世 | Challenged Edward I's claim to Scotland, stating the Scottish kingdom belonged to the apostolic see.[55] |
1299 | De Sepulturis | ボニファティウス8世 | Prohibited Crusaders from dismembering and boiling of the bodies so that the bones, separated from the flesh, may be carried for burial in their own countries.[56] |
1299 | Fuit olim | ボニファティウス8世 | Denounces those who supply arms, ammunition, and provisions to the Saracens[57] |
1300年 (22 2月) |
Antiquorum fida relatio | ボニファティウス8世 | Reinstates the Jubilee Years, granting indulgence during those years for those who fulfill various conditions.[58] |
14世紀
[編集]年 | 名称 | 発令者 | 内容 |
---|---|---|---|
1302年 (11月18日) |
Unam Sanctam (The One Holy) |
ボニファティウス8世 | Declares that there is no salvation outside the Church (Extra Ecclesiam nulla salus), and that the Church must remain united. |
1303 | Excomminicamus et anathematazimus' | ボニファティウス8世 | Directed against those who molest persons travelling to and from Rome[57] |
1307年 (11月22日) |
Pastoralis Praeeminentiae | クレメンス5世 | Orders the arrest of the Knights Templar and the confiscation of their possessions. |
1307年 (23 July) |
Rex regnum | クレメンス5世 | Nominates seven Franciscans to act as papal suffragans in China.[59] |
1308 | Faciens misericordiam (Granting forgiveness) |
クレメンス5世 | Sets out the procedure to prosecute the Knights Templar. |
1308年 (8月12日) |
Regnans in caelis (Reigning in heaven) |
クレメンス5世 | Convenes the Council of Vienne to discuss the Knights Templar. |
1310年 (4月4日) |
Alma mater (A nurturing mother) |
クレメンス5世 | Postpones the opening of the Council of Vienne until 1 October 1311, on account of the investigation of the Templars that was not yet finished. |
1312年 (3月22日) |
Vox in excelso (A voice from on high) |
クレメンス5世 | Disbands the Knights Templar.[60] |
1312年 (5月2日) |
Ad providam | クレメンス5世 | Grants the bulk of Templar property on to the Knights Hospitallers.[61] |
1312年 (5月6日) |
Considerantes dudum | クレメンス5世 | Outlined the disposition for members of the Knights Templar.[62] |
1312年 (5月6日) |
Exivi de paradiso | クレメンス5世 | Stated the conditions of Franciscan rule.[63] |
1312年 (5月16日) |
Nuper in concilio | クレメンス5世 | Grants further Templar property to the Knights Hospitallers[64] |
1312年 (12月18日) |
Licet dudum | クレメンス5世 | Suspends privileges and confirms the disposition of property of the Knights Templar. |
1312年 (12月31日) |
Dudum in generali concilio | クレメンス5世 | Further considerations as to the question of the Templars' property. |
1313年 (1月13日) |
Licet pridem | クレメンス5世 | Further considerations as to the question of the Templars' property. |
1317 | Sane Considerante | ヨハネス22世 | Elevated the Diocese of Toulouse to Archbishop and created six new bishoprics. |
1317 | ヨハネス22世 | orders Jews to wear badge on breast, and issues bull against ex-Jews | |
1317 Oct | Quorundam exigit | ヨハネス22世 | Reiterated クレメンス V's bull, Exivi de paradiso, while stating that friars that disagreed with their superiors would not accuse them of violating Franciscan rule.[65][66] |
1318年 (1月23日) |
Gloriosam ecclesiam | ヨハネス22世 | The Franciscan Spirituals of Tuscany are declared heretics and excommunicated. |
1318年 (4月1日) |
Redemptor noster (Our redeemer) |
ヨハネス22世 | Withdrew the Mongol Ilkhan's dominions and 'India' from the archdiocese of Khanbaligh, transferring to a Dominican province |
1319 | Ad ea ex quibus | ヨハネス22世 | Created Portuguese Order of Christ.[67] |
1320年 (6月28日) |
ヨハネス22世 | Orders that converts from Judaism shall retain their property | |
1320年 (9月4日) |
ヨハネス22世 | to French bishops bull against Talmud | |
1322 | Quia nonnunquam | ヨハネス22世 | Freedom of discussion in poverty controversy |
1322 | Ad conditorem canonum | ヨハネス22世 | Continuation of poverty controversy |
1323 | Cum inter nonnullos | ヨハネス22世 | Defines the belief in the poverty of Christ and the Apostles as heretical.[68] |
1324 | Quia quorundam | ヨハネス22世 | Condemned those that disagreed with Cum inter nonnullos[69] |
1329 | Quia vir reprobus | ヨハネス22世 | |
1329 | In agro dominico | ヨハネス22世 | |
1333年 (12月2日) |
Summa providit altitudo consilii | ヨハネス22世 | |
1336 | Benedictus Deus (On the beatific vision of God) |
ベネディクトゥス12世 | Declared that the saved see Heaven (and thus, God) before Judgement Day.[70] |
1337年 (8月29日) |
Ex zelo fidei | ベネディクトゥス12世 | Promising inquiry into host-tragedy of Pulka |
1338 | Exultanti precepimus | ベネディクトゥス12世 | Letter to Mongol ruler Ozbeg and his family, thanking them for having granted land to Franciscans to build a church[50] |
1338 | Dundum ad notitiam | ベネディクトゥス12世 | Letter to Mongol ruler Ozbeg recommending ambassadors, and thanking Ozbeg for prior favors shown to missionaries[50] |
1342 | Gratiam Agimus | クレメンス6世 | Declared the Franciscan Order as the official Custodian of the Holy Land in the name of the Church. |
1343 January 27 | Unigenitus Dei filius | クレメンス6世 | Justified papal power to issue indulgences |
1345年 (7月5日) |
クレメンス6世 | Against forcible baptism | |
1348年 (7月4日) |
クレメンス6世 | Confirms Sicut Judäis | |
1348 September 26 | Quamvis Perfidiam | クレメンス6世 | An attempt to dispel the rumor that the Jews caused the Black Death by poisoning wells. |
1350 | cum natura humana | クレメンス6世 | |
1363 | Apostolatus Officium(sometimes known as In Coena Domini)[57] | ウルバヌス5世 | Against pirates, those who supply arms to Saracens, and those who intercept supplies intended for Rome |
1365年 (7月7日) |
ウルバヌス5世 | Confirms Sicut Judæis | |
1372 | Excomminicamus et anathematazimus' | グレゴリウス11世 | Excommunicating forgers of Letters Apostolic |
1383 | Quia sicut | ウルバヌス6世 | Regarding ecclesiastical immunities |
ボニファティウス9世 | Raises the see of Lisbon to Metropolitan status | ||
1389年 (7月2日) |
ボニファティウス9世 | Confirms Sicut Judæis | |
1397年 (4月6日) |
ボニファティウス9世 | Confirms grant of Roman citizenship to Jewish physician Manuele and son Angelo |
15世紀
[編集]年 | 名称 | 発令者 | 内容 |
---|---|---|---|
1402年 (4月15日) |
ボニファティウス9世 | Grants privileges to Roman Jews—reducing their taxes, ordering their Sabbath to be protected, placing them under the jurisdiction of the Curia, protecting them from oppression by officials; all Jews dwelling in the city to be regarded and treated as Roman citizens | |
1409年 (12月20日) |
[[ | アレクサンデル5世 (対立教皇) |
order to suppress all the books of ヨハネスWycliffe in Bohemia.[71] |
1415年 (5月11日) |
Etsi doctoribus gentium | ベネディクトゥス13世 (対立教皇) |
Against Talmud or any other Jewish book attacking Christianity |
1417 | Bull against Talmud | ||
1418 | Quod Antidota | マルティヌス5世 | Exempt jurisdiction of Ecclesiastical courts |
1418年 (1月31日) |
マルティヌス5世 | Forbidding the forcible baptism of Jews or the distウルバヌスce of their synagogues | |
1418年 (4月4日) |
Sane charissimus | マルティヌス5世 | After the seizure of Ceuta called on all to support ヨハネスI of Portugal in his war against the Moors[72] |
1420年 (3月1日) |
Omnium Plasmatoris Domini | マルティヌス5世 | Calls for a crusade against followers of Jan Hus, ヨハネスWycliffe, and other heretics. It initiates the Hussite Wars. |
1420年 (11月25日) |
Concessum Judaæis | マルティヌス5世 | To German Jews confirming their privileges |
1420年 (12月23日) |
Licet Judæorum omnium | マルティヌス5世 | In favor of Austrian Jews[29] |
1421 | マルティヌス5世 | To the Benedictine Abbey of St. Bertin at St. Omer, granting permission for the monks to elect their own confessors.[73] | |
1421年 (2月23日) |
マルティヌス5世 | In favor of Jews and against anti-Jewish sermons; permits Jewish physicians to practice | |
1422年 (2月20日) |
マルティヌス5世 | Confirms Sicut Judæis | |
1423年 (6月3日) |
Sedes apostolica | マルティヌス5世 | Renews law requiring Jews to wear badge |
1425 | Sapientie immarcessibilis | マルティヌス5世 | Foundation of the Old University of Leuven[74] |
1425 | Mare Anglicanum | マルティヌス5世 | Confirmed the bull Mare Magnum and gave Syon independence from Vadstena and the general order chapter house.[75] |
1426年 (2月14日) |
マルティヌス5世 | Against Jews | |
1428 | Ad Repremendas | マルティヌス5世 | Supreme jurisdiction of the Roman court |
1429年 (2月15日) |
Quamquam Judæi | マルティヌス5世 | Places Roman Jews under the general civic law, protects them from forcible baptism, and permits them to teach in the school |
Etsi cunctis fidei | エウゲニウス4世 | Prohibited imposition of inordinately high dues on converted Canary islanders[72] | |
1432年 (2月8日) |
エウゲニウス4世 | Protection for Jews, renewing ordinances against forcible baptism and distウルバヌスce of synagogues and graveyards | |
1434年 (2月20日) |
エウゲニウス4世 | Prohibiting anti-Jewish sermons | |
1434年 (12月17日) |
Creator Omnium | エウゲニウス4世 | On slave raiding in the Canaries |
1435 | Sicut Dudum | エウゲニウス4世 | Forbidding the slavery of local natives in the Canary Islands by Spanish slave traders.[76] |
1437年 (9月18日) |
Doctoris gentium | エウゲニウス4世 | Transfers the Council of Basel to Ferrara[77] |
1437 | Praeclaris tuae | エウゲニウス4世 | |
1439年 (January) |
エウゲニウス4世 | Transfers the Council of Ferrara to Florence because of the plague[78] | |
1439年 (7月6日) |
Laetentur Caeli (Rejoicing of the Heavens) |
エウゲニウス4世 | Officially re-united the Roman Catholic Church with the Eastern Orthodox Churches. This agreement was quickly repudiated by most eastern bishops.[79] |
1441 | Cantate Domino[80] | エウゲニウス4世 | |
1442年 (2月4日) |
Bull of Union with the Copts | エウゲニウス4世 | Part of an attempt by the Catholic Church to reunite with other Christian groups including the Coptic Church of Egypt. |
1442年 (8月8日) |
Dundum ad nostram audientiam | エウゲニウス4世 | Complete separation of Jews and Christians (ghetto). |
1442年 (8月10日) |
Super Gregem Dominicum | エウゲニウス4世 | Revokes the privileges of the Castilian Jews and imposes severe restrictions on them. Forbids Castilian Christians to eat, drink, live or bathe with Jews or Muslims and declaring invalid the testimony of Jews or Muslims against Christians.[81] |
1442年 (12月19日) |
Illius qui se pro divini | エウゲニウス4世 | On Henry of Portugal's crusade against the Saracens[82] |
1443年 (1月5日) |
Rex regum | エウゲニウス4世 | Takes neutral position on territorial disputes between Portugal and Castile regarding rights claimed in Africa.[83] |
1447年 (6月23日) |
Super Gregem Dominicum | ニコラウス5世 | Re-issues エウゲニウス IV's bull against Castilian Jews to Italy.[84][85] |
1447年 (11月2日) |
ニコラウス5世 | Confirms Sicut Judæis | |
1451年 (1月7日) |
ニコラウス5世 | Foundation of the University of Glasgow.[86] | |
1451年 (2月25日) |
ニコラウス5世 | Prohibiting social intercourse with Jews and Saracens | |
1451年 (3月1日) |
Super Gregem Dominicum | ニコラウス5世 | Third issuance of Eugenius IV's bull. Confirms the earlier revocation of privileges and restrictions against Spanish and Italian Jews.[87][88] |
1451年 (5月8日) |
ニコラウス5世 | ||
1451年 (9月21日) |
Romanus pontifex | ニコラウス5世 | Relieving the dukes of Austria from ecclesiastical censure for permitting Jews to dwell there |
1452年 (6月18日) |
Dum diversas | ニコラウス5世 | Authorizes Afonso V of Portugal to reduce any Muslims, pagans and other unbelievers to perpetual slavery.[89] |
1454年 (1月8日) |
ニコラウス5世 | Concedes to Afonso V all conquests in Africa from Cape Non to Guinea, with authorization to build churches[90] | |
1454年 (1月8日) |
ニコラウス5世 | Extended Portuguese dominion over all the seas from Africa to India.[90] | |
1455年 (1月8日) |
Romanus Pontifex (The Roman pontiff) |
ニコラウス5世 | Granting the Portuguese a perpetual monopoly in trade with Africa and allows the enslavement of natives.[91] |
1455 | Exivi de paradiso | クレメンス5世 | On the rules of the Friar Minor[92] |
1456年 (3月13日) |
Inter Caetera | カリストゥス3世 | Confirmed the Bull Romanus Pontifex and gave the Portuguese Order of Christ the spiritualities of all lands acquired and to be acquired.[93] |
1456年 (6月20日) |
Cum hiis superioribus annis and is titled Bulla Turcorum | カリストゥス3世 | Announces the Fall of Constantinople and seeks funding for another crusade against the Turks. |
1460年 (1月18日) |
Execrabilis (Execrable) |
ピウス2世 | Prohibits appealing a papal judgment to a future general council.[94] |
1470年 (4月19日) |
Ineffabilis providentia (Ineffable Providence) |
パウルス2世 | Declared that a Jubilee would take place every 25 years. |
1472年 (2月21日) |
シクストゥス4世 | Orders taxation of Roman Jews at a tithe during the Turkish war, and a carnival tax of 1,100 gulden | |
1476 | Regimini Gregis | シクストゥス4世 | Threatens to excommunicate all captains or pirates who enslave Christians |
1478年 (11月1日) |
Exigit sinceræ devotionis | シクストゥス4世 | Authorized Ferdinand and Isabella to appoint inquisitors which created the Spanish Inquisition.[95] |
1481年 (4月3日) |
シクストゥス4世 | Orders all Christian princes to restore all fugitives to Inquisition of Spain | |
1481年 (6月21日) |
Aeterni regis | シクストゥス4世 | Confirms the Treaty of Alcáçovas.[96] |
1481年 (10月18日) |
シクストゥス4世 | Appointing Tomás de Torquemada inquisitor-general of Avignon, Valencia, and Catalonia | |
1482年 (4月14日) |
Superna caelestis | シクストゥス4世 | By which Bl. Bonaventure, Is registered in the Canon of the Saints |
1482年 (8月2日) |
Ad Perpetuam Rei memoriam | シクストゥス4世 | Ordered humanitarian reforms to the Spanish Inquisition.[97][98] |
1484年 (12月5日) |
Summis desiderantes | インノケンティウス8世 | Condemns an alleged outbreak of witchcraft and heresy in the region of the Rhine River valley, and deputizes Heinrich Kramer and Jacob Sprenger as inquisitors to root out alleged witchcraft in Germany. |
1491 | Officii nostri | インノケンティウス8世 | (This may be a confusion with the decretal of インノケンティウス III of the same name.) |
1493年 (5月3日) |
Eximiae devotionis | アレクサンデル6世 | Accords to Spain recognition of the same rights and privileges regarding lands discovered in the west as had been previously confirmed to Portugal in the east. |
1493年 (5月4日) |
Inter caetera (Among the other) |
アレクサンデル6世 | On the division of the undiscovered world between Spain and Portugal |
1493年 (6月25日) |
Piis Fidelium | アレクサンデル6世 | Grants Spain vicarial power to appoint missionaries to the Indies. |
1493年 (Sept 26日) |
Dudum siquidem | アレクサンデル6世 | Territorial grants supplemental to Inter caetera |
1497年 (10月15日) |
Ad sacram ordinis | アレクサンデル6世 | The ancient custom of selecting the Prefect of the Apostolic Chapel from the Augustinian Order was given legal foundation.[99] |
1500年 (6月1日) |
アレクサンデル6世 | 対トルコ戦争の財源として、ユダヤ人から数年間、全財産の12分の1を徴収 |
16世紀
[編集]年 | 名称 | 発令者 | 内容 |
---|---|---|---|
1503年 (12月26日) |
ユリウス2世 | Matrimonial dispensation for Henry VIII of England to marry Catherine of Aragon, his brother's widow. | |
1509 | Suspecti Regiminis | ユリウス2世 | Prohibiting appeals to future councils |
1509 | Pontifex Romanis Pacis | ユリウス2世 | Against plunderers of shipwrecks |
1511 | Pax Romana | ユリウス2世 | To stop the feuding between the Orsini and Colonna families[100] |
1511 | Consueverunt | ユリウス2世 | |
1513年 (12月19日) |
Apostolici Regiminis | レオ10世 | Concerning immortality of the soul.[101] |
1514 | Supernæ dispositionis arbitrio | レオ10世 | Calls for reform of the curia and declares that cardinals should come immediately after the pope in the ecclesiastical hierarchy. |
1515年 (5月4日) |
Regimini Universalis | レオ10世 | Requires that metropolitan bishops hold a provincial synod every three years. |
1515年 (7月19日) |
Salvatoris Nostri | レオ10世 | Roman hospitals, S. Maria del Popolo and S. Giacomo.[102] |
1516 | Illius qui in altis habitat | レオ10世 | Roman hospitals. |
1519 | Supremo | レオ10世 | |
1520年 (6月15日) |
Exsurge Domine (Arise, O Lord) |
レオ10世 | Demands that マルティヌス Luther retract 41 of his 95 theses, as well as other specified errors, within sixty days of its publication in neighbouring regions to Saxony. |
1521年 (1月3日) |
Decet Romanum Pontificem ([It] befits [the] Roman Pontiff) |
レオ10世 | Excommunicates マルティヌス Luther.[103] |
1529年 (5月8日) |
Intra Arcana | クレメンス7世 | Grant of permissions and privileges to Emperor Charles5世 and the Spanish Empire, which included patronage power over their lands in the Americas.[104] |
1524年 (4月7日) |
クレメンス7世 | In favor of Maranos | |
1531年 (12月17日) |
Cum ad nihil magis | クレメンス7世 | Introduces Inquisition into Portugal at Evora, Coimbra, and Lisbon |
1533年 (4月7日) |
Sempiterno regi | クレメンス7世 | Partial condemnation of the forced baptism of Portuguese Jews, and general pardon to New Christians.[105] |
1533 | Romanus Pontifex | クレメンス7世 | |
1537年 (5月29日) |
Sublimis Deus | パウルス3世 | Forbids the enslavement of the indigenous peoples of the Americas. |
1538年 (10月28日) |
In apostolatus culmine | パウルス3世 | |
1540 | パウルス3世 | Granting Neo-Christians family property except that gained by usury, also municipal rights, but must not marry among themselves or be buried among Jews | |
1540年 (5月12日) |
Licet Judæi | パウルス3世 | against blood libel |
1540年 (9月27日) |
Regimini militantis ecclesiae (To the Government of the Church Militant) |
パウルス3世 | Approves the formation of the Society of Jesus.[106] |
1543年 (3月14日) |
Injunctum nobis | パウルス3世 | Repealed a clause in the previous Bull which had only allowed the Society of Jesus sixty members.[107] |
1550年 (7月21日) |
Exposcit debitum (The Duty demands) |
ユリウス3世 | Second and final approval of the Society of Jesus |
1551年 (2月25日) |
Super specula militantis Ecclesiae (Upon the watchtower of the Church Militant) |
ユリウス3世 | Ended the status of Funchal as the largest diocese in the world, creating new bishoprics throughout the Portuguese Empire at Salvador &c. |
1553年 (4月28日) |
Divina disponente クレメンスia (So predisposed by the divine clemency) |
ユリウス3世 | Create Shimun VIII Yohannan Sulaqa the first patriarch of the Chaldean Catholic Church. |
1554年 (8月31日) |
Pastoris æterni vices | ユリウス3世 | Imposes tax of ten gold ducats on two out of the 115 synagogues in the Papal States |
1555年 (6月20日) |
Praeclara Carissimi | パウルス4世 | Consisted of two parts. Confirmed the sale of church lands under Henry VIII of England and imposed the reordination of all clerics consecrated during Henry VIII and Edward VI of England.[108] |
1555年 (7月14日) |
Cum nimis absurdum (Since it is absurd) |
パウルス4世 | Places religious and economic restrictions on Jews in the Papal States.[109] |
1555年 (8月8日) |
パウルス4世 | Ameliorates some of the restrictions imposed by Cum nimis absurdum | |
1559年 (2月15日) |
Cum ex apostolatus officio (By virtue of the apostolic office) |
パウルス4世 | Confirms that only Catholics can be elected Popes. |
1560年 (1月19日) |
Ad caritatis et misericordiae opera | ピウス4世 | Roman hospital of San Giacomo degli Incurabili. |
1564 | Dominici Gregis Custodiae | ピウス4世 | Containing the rules for forbidding books[1] |
1564年 (1月26日) |
Benedictus Deus (Blessed God) |
ピウス4世 | Ratified all decrees and definitions of the Council of Trent.[110] |
1565年 (1月17日) |
Æquum reputamus (We consider it equal) |
ピウス5世 | |
1566 | Cum nobis ex parte | ピウス5世 | Reiterates condemnation of those who plunder shipwrecks |
1567 | Ex omnibus afflictionibus | ピウス5世 | Condemns 79 statements made by Michael Baius[111] |
1567年 (1月19日) |
Cum nos nuper | ピウス5世 | Orders Jews to sell all property in Papal States |
1568年 (6月7日) |
Quod a nobis | ピウス5世 | Modified the Roman Breviary |
1569年 (2月) |
Hebraeorum gens sola |
ピウス5世 | Restricted Jews in the Papal States to Rome and Ancona.[112] |
1569年 (9月17日) |
Consueverunt Romani Pontifices | ピウス5世 | On the power of the Rosary |
1570年 (2月25日) |
Regnans in excelsis (Ruling from on high) |
ピウス5世 | Declares Elizabeth I of England a heretic and releases her subjects from any allegiance to her.[113] |
1570年 (7月14日) |
Quo primum (From the first) |
ピウス5世 | Describes the method used to reform the Roman rite, promulgates the Missal of ピウス5世 (Tridentine rite), and abrogates any other rite which cannot demonstrate two hundred year of continuous use. |
1574 | Ad Romani Pontificis | グレゴリウス13世 | |
1581年 (2月24日) |
Inter gravissimas (Among the most important) |
グレゴリウス13世 | Establishes the Gregorian calendar. |
1581年 (3月30日) |
Multos adhuc ex Christianis | グレゴリウス13世 | Renews Church law against Jewish physicians |
1581年 (6月1日) |
Antiqua Judæorum improbitas | グレゴリウス13世 | Gives jurisdiction over Jews of Rome to Inquisition in cases of blasphemy, protection of heretics, possession of forbidden works, employment of Christian servants |
1582 | Inter gravissimas | グレゴリウス13世 | Reformed the Julian calendar |
1584年 (24 May) |
Ascendente Domino | グレゴリウス13世 | Confirms the constitution of the Society of Jesus. |
1584年 (Sept 1日) |
Sancta mater ecclesia | グレゴリウス13世 | Orders 150 Jews (100 men, 50 women) to attend weekly conversion sermons |
1586年 (1月5日) |
Coeli et terrae (The heavens and the lands) |
シクストゥス5世 | Condemned judicial astrology as superstitious. |
1586年 (October) |
Christiana pietas (Christian piety) |
シクストゥス5世 | Allowed Jews to settle in the Papal States, revoking ピウス V's 1569 bull, Hebraeorum gens sola.[114] |
1587年 (6月4日) |
シクストゥス5世 | Grants Magino di Gabriel of Venice the monopoly of silk-manufacture in Papal States for sixty years, and ordering five mulberry-trees to be planted in every rubbio of land | |
1588年 (2月11日) |
Immensa Aeterni Dei (The immense [wisdom] of Eternal God) |
シクストゥス5世 | Reorganized the Roman Curia, establishing several permanent congregations to advise the Pope.[115] |
1588年 (10月29日) |
Effraenatam [Contra procurantes, consulentes, & consentientes, quocumque modo abortum [Against Those who Procure [...] abortion] |
シクストゥス5世 | Declares that the canonical penalty of excommunication would be levied for any form of contraception and for abortion at any stage of fetal development. |
1588 | Triumphantis Hierusalem | シクストゥス5世 | Officially elevates St. Bonaventure to the status of Doctor of the Church[116] |
1592年 (2月28日) |
Cum sæpe accidere | クレメンス8世 | Forbidding Jews to deal in new commodities |
1593 | Caeca et Obdurata (The Blind and Obdurate) |
クレメンス8世 | Expelled the Jews from the Papal States. |
1593 | Pastoralis | クレメンス8世 | |
1593年 (3月8日) |
クレメンス8世 | In favor of Turkish Jews |
17世紀
[編集]年 | 名称 | 発令者 | 内容 |
---|---|---|---|
1604年 (8月23日) |
クレメンス8世 | In favor of Portuguese Maranos | |
Dominici gregis | クレメンス8世 | Marian piety as the basis of the Church.[117] | |
1610年 (8月7日) |
Exponi nobis nuper fecistis | パウルス5世 | Regulates dowries of Roman Jews |
1631 | Contra astrologos iudiciarios | ウルバヌス8世 | Condemns astrological predictions of the deaths of princes and popes.[118] |
1639年 (4月22日) |
Commissum nobis | ウルバヌス8世 | Reaffirms Sublimus Dei forbidding enslavement of indigenous people |
1641年 (6 March) |
In eminenti Ecclesiae militantis | ウルバヌス8世 | Censures Jansenist publications.[119] |
1644 | ウルバヌス8世 | Grants pilgrims to the Jesuit mission at Sainte-Marie among the Hurons a Plenary Indulgence each year and the remission of all their sins.[120] | |
1653年 (5月31日) |
Cum occasione | インノケンティウス10世 | Condemns 5 Jansenist propositions.[121] |
1658年 (11月15日) |
Ad ea per quae | アレクサンデル7世 | Orders Roman Jews to pay rent even for unoccupied houses in ghetto, because Jews would not hire houses from which Jews had been evicted |
1659 | Super cathedram Principis Apostolorum | アレクサンデル7世 | Establishing the Catholic mission in Vietnam |
1665 | Ad sacram (To the sacred) |
アレクサンデル7世 | Confirms bull Cum occasione and further condemns Jansenism[122] |
1674年 (10月3日) |
クレメンス10世 | Suspends operations of Portuguese Inquisition against Maranos | |
1676年 (11月16日) |
Inter Pastoralis Officii Curas | インノケンティウス11世 | Establishes Salvador as independent of Lisbon and as primate over Brazil, Congo, and Angola |
1679年 (5月27日) |
インノケンティウス11世 | Suspends grand inquisitor of Portugal on account of his treatment of Maranos | |
1687 | Coelestis Pastor | インノケンティウス11世 | Condemns Quietism as heresy. |
1692 | Romanum decet Pontificem (It befits the Roman Pontiff) |
インノケンティウス12世 | Abolished the office of Cardinal-Nephew[123] |
18世紀
[編集]年 | 名称 | 発令者 | 内容 |
---|---|---|---|
1713 | Unigenitus (The only-begotten) |
クレメンス11世 | Condemns Jansenism. |
1715年 (3月19日) |
Ex illa die | クレメンス11世 | Chinese customs and traditions that are not contradictory to Roman Catholicism will be allowed, while those that are clearly contradictory to it will not be tolerated. |
1737年 (12月17日) |
Inter praecipuas apostolici ministerii (Among the main attributes of the Apostolate) |
クレメンス12世 | Determines that whoever is elected Patriarch of Lisbon is to be elevated to the dignity of cardinal in the first consistory following their election. |
1738 | In eminenti apostolatus specula (In the high watchtower of the Apostolate) |
クレメンス12世 | Bans Catholics from becoming Freemasons. |
1741年 (2月23日) |
Apostolicae Servitutis (Apostolic Servitude) |
ベネディクトゥス14世 | 聖職者が商業などで世俗的な利を追求することを禁止。 |
1747年 (2月28日) |
Postremo mense superioris anni | ベネディクトゥス14世 | Confirms decision of Roman Curia of 10月 22, 1597, that a Jewish child, once baptized, even against canonical law, must be brought up under Christian influences and removed from its parents |
1755 | Beatus Andreas (Blessed Andreas) |
ベネディクトゥス14世 | Beatified child martyr Andreas Oxner, said in a blood libel accusation to have been murdered by Jews in 1462.[124] |
1773 | Dominus ac Redemptor noster (Our Master and Redeemer) |
クレメンス14世 | Permanently and irrevocably suppressing the Society of Jesus. |
19世紀
[編集]年 | 名称 | 発令者 | 内容 |
---|---|---|---|
1814 | Sollicitudo omnium ecclesiarum (The care of all the churches) |
ピウス7世 | Reestablishes the Society of Jesus. |
1824 | Quod divina sapientia (What divine wisdom) |
レオ12世 | Restructures education in the Papal States under ecclesiastical supervision. |
1831 | Sollicitudo ecclesiarum | グレゴリウス16世 | That in the event of a change of government, the church would negotiate with the new government for placement of bishops and vacant dioceses.[125] |
1850年 (9月29日) |
Universalis Ecclesiae (Of the Universal Church) |
ピウス9世 | Recreates the Roman Catholic hierarchy in England. |
1853年 (3月4日)[126] |
Ex qua die arcano | ピウス9世 | Reestablishment of the episcopal hierarchy in the Netherlands |
1854 | Ineffabilis Deus | ピウス9世 | Defined the dogma of the Immaculate Conception[1] |
1866年 (7月12日) |
Reversurus (To come back) |
ピウス9世 | Extends to the Armenian Catholic Church the Western provisions about appointment of bishops. |
1868年 (6月29日) |
Aeterni Patris (Of the Eternal Father) |
ピウス9世 | Summons First Vatican Council. |
1869年 (10月12日) |
Apostolicæ Sedis moderationi (To the guidance of the Apostolic See) |
ピウス9世 | Regulates the system of censures and reservations in the Catholic Church. |
1871 | Pastor aeternus (The eternal shepherd) |
ピウス9世 | Defines papal infallibility. |
1880年 (7月13日) |
Dolemus inter alia (Among other things, we lament) |
レオ13世 | Reinstates the privileges of the Society of Jesus (Jesuits), nullifying the bull Dominus ac Redemptor Noster of 21 July 1773.[127] |
1884年 (11月1日) |
Omnipotens Deus (God Almighty) |
レオ13世 | Accepted the authenticity of the relics at Compostela, Galicia, Spain. |
1896 | Apostolicae curae (Of the Apostolic care) |
レオ13世 | Declares all Anglican Holy Orders null and void. |
20世紀以降
[編集]年 | 名称 | 発令者 | 内容 |
---|---|---|---|
1910 | Quam singulari (How special) |
ピウス10世 | Allows the admittance of Communion to children who have reached the age of reason (about seven years old).[128] |
1930 | Ad Christi nomen | ピウス11世 | Created the Diocese of Vijayapuram. |
1949 | Jubilaeum Maximum
(Great jubilee) |
ピウス12世 | Announcement of 1950 as a Holy Year |
1950年 (11月1日) |
Munificentissimus Deus (The most bountiful God) |
ピウス12世 | Defines the dogma of the Assumption of Mary.[129] |
1961年 (12月25日) |
Humanae salutis (Of human salvation) |
ヨハネ23世 | Summons Second Vatican Council. |
1965年 (11月18日) |
Dei verbum (Word of God) |
パウロ6世 | Aims to promote the theological virtues of faith, hope, and love, and strongly urges Christians to study the Bible as a pure and lasting fount of the spiritual life.[130] |
1998年 (11月29日) |
Incarnationis mysterium (The mystery of the Incarnation) |
ヨハネ・パウロ2世 | Indiction of the Great Jubilee of 2000 |
2015年 (4月11日) |
Misericordiae Vultus (The Face of Mercy) |
フランシスコ | Indiction of a Holy Year: The Extraordinary Jubilee of Mercy 2015-2016 |
脚注
[編集]- ^ a b c McNamara, Edward. ピウス V's 1570 Bull, Zenit, October 31, 2006
- ^ Ehler, Sidney Z. and John B. Morrall, Church and State Through the Centuries , (Biblo-Moser, 1988), 23.
- ^ Damian J. Smith, Innocent III and the Crown of Aragon, (Ashgate Publishing Ltd., 2004), 135.
- ^ Carroll, James, Constantine's sword: the church and the Jews, (Houghton Mifflin Co, 2002), 269-270.
- ^ Malcolm Barber; A. K. Bate (2002). The Templars: selected sources. Manchester University Press. pp. 59–. ISBN 978-0-7190-5110-4 5 May 2011閲覧。
- ^ Read, Piers Paul, The Templars: The Dramatic History of the Knights Templar, the Most Powerful Military Order of the Crusades, (Da Capo Press, 1999日), 116.
- ^ Malcolm Barber, The New Knighthood: A History of the Order of the Temple, (Cambridge University Press, 1994), 58.
- ^ Burman, Edward, The Templars: Knights of God, (Traditions/Bear Company, 1986), 49.
- ^ Madden, Thomas F., The new concise history of the Crusades, (Rowman & Littlefield, 2005), 52.
- ^ Ehler, Sidney Z., Church and State Through the Centuries, (Biblo-Moser, 1988), 50.
- ^ Linehan, Peter and Janet Laughland Nelson, The Medieval World, Vol.10, (Routledge, 2001), 524.
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外部リンク
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