利用者:DalaiX/sandbox
熊本市議会 熊本市議会 くまもとしぎかい Kumamoto City Council | |
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会期年4回 3月、6月、9月、12月 | |
種類 | |
種類 | |
役職 | |
議長 | 澤田昌作(自由民主党)、 2016年3月24日より現職 |
副議長 | 藤岡照代(公明党)、 2015年5月13日より現職 |
構成 | |
定数 | 48 |
院内勢力 | 自由民主党熊本市議団(17) 市民連合(9) 公明党熊本市議団(7) くまもと未来(4) 日本共産党熊本市議団(3) くまもと創生(2) 市政クラブ(1) 日本の教育を考える会(1) 自由クラブ(1) 善進会(1) 地域創生(1) 和の会くまもと(1) |
委員会 | 議会運営委員会 常任委員会 総務委員会 教育市民委員会 厚生委員会 環境水道委員会 経済委員会 都市整備委員会 予算決算委員会 |
委員会 | 特別委員会 公共施設マネジメント調査特別委員会 人口減少社会に関する調査特別委員会 |
選挙 | |
中選挙区制 | |
前回選挙 | 2015年4月12日 |
議事堂 | |
日本、熊本県熊本市中央区手取本町1番1号 写真左が議会棟。中央は市役所本庁舎 | |
ウェブサイト | |
熊本市議会 | |
脚注 | |
熊本市議会(くまもとしぎかい)は、熊本県の県庁所在地である熊本市の議会。議事堂は熊本市役所議会棟。本項では、熊本市議会と前身である熊本区会と熊本市会についても合わせて述べる。
概要
[編集]熊本市議会は、選挙権をもつ熊本市在住の主権者により選挙で選出された議決機関を担う議員と執行機関を担う市長で構成される市の行政機関のことである。官選制度のもと1889年(明治22年)4月18日と19日の二日をかけて市議会議員30人が選出され、同年4月26日、第一回熊本市会が開かれる[1]。 第二次世界大戦後、1947年(昭和22年)、地方自治法が施行され、同年4月民選制度による市議会議員選挙が執行され、熊本市議会が開催された。
2016年4月現在、議員の任期は4年。議会を運営する市議会議員は、2015年4月12日に行われた選挙により選ばれ、任期満了を2019年4月30日までと定められ、次回執行選挙月を2019年4月と予定されている[2]。 議会の定数は、選挙区を市内五地域に6人から13人を割り当てた総数48人の議員を定数とした議会議員選挙を行うことが定められている[3]。
議員は、3月、6月、9月、12月の一年に4度開催される定例会と必要に応じて開催される臨時会の二週類の本会議に出席し執行する。熊本市長は、定例会を招集し、議長または議員定数の4分の1以上の数にあたる議員から求められた場合は臨時会を開催しなければならない[4]。議会を代表し、議会秩序の保全、順序などの本会議運営、議会事務の処理などの務めを果たす役割として議長が、その役割を補佐ないし代理する勤めを副議長が担うことを定められている[5]。2016年4月現在、第54代議長と第58代副議長は、澤田昌作と藤岡照代である。
- 定数:48人
- 欠員:なし
- 任期:4年(2015年4月29日から2019年4月30日まで)
- 選挙区:市全体を5選挙区とする中選挙区制(単記非移譲式)
- 議長:(第54代)澤田昌作(自由民主党)
- 副議長:(第58代)藤岡照代(公明党)
歴史
[編集]議会成立
[編集]熊本市議会の成立前、つまり、熊本市の発足にあたり熊本区は、区と周辺自治体(託麻郡大江村などの4カ村、飽田郡坪井村などの8カ村)を合併させた上での市制施行をおこなうように県から指示を受けていたが、関係自治体との協議難航から、従来の区域での市制執行の運びとなる[6]。1889年3月3日、県知事富岡敬明より熊本区が廃止され、書記の杉村大八をはじめとする52人は休職ないし解雇を言い渡された。しかし、内務省令第4号第1条に基づき区長、戸長、書記、役場筆生などの事務機能は、新任の市長に引き継ぐまでのあいだの期間、区役所にて実務を執りおこなう[7]。同年3月14日、県知事からの任命を受けた持永美方区長は、岡崎唯雄はじめとする実業家などからなる147人の地元有力者から選挙区分割の提案を受け、大越亭臨時取調委員長に市内を3つに分けた選挙の区割り提案し、同年4月1日に有権者名簿の縦覧所を各選挙区一か所計3か所[注 1]に設置し、4月5日に第一回の市会議員選挙公告を執行した[8]。有権者は、熊本市在住の満25歳以上の戸主で地租または直接国税を2円以上納めている ものを公民とした制限つきの選挙権が与えられた。公民に適用された熊本の有権者は、当時(1889年)の市内住民数42,725人の7.7%にあたる3,291人である。一方、被選挙権は公民全員に与えられ、立候補制ではなく、全有権者を候補者と定められていた。選挙の投票方法は、完全連記制のため、獲得投票数1票などの散在が見られた。同年4月18日と19日の二日間かけて投票がおこなわれ、初日午前8時から正午12時までを三級議員選挙、二日目午前8時から午前11時までを二級議員選挙、同日午後2時から午後4時までを一級選挙が実施され、30人の議員が選出された[9]。選挙から一週間後の4月26日19時30分、忘吾会舎と名付けられた集会場で、議員28人が出席する中、仮議長美作宗吾のもと第一回熊本市会が開催され、20時10分に抽選による席順を決定し審議に入る。一番最初の議題は、市会議長、議長代理者[注 2]、市長候補者それぞれを議員による連記投票で推薦をおこなうことであった[1]。結果は、議長職に有馬源内が26票、副議長職に下田一直19票をそれぞれ獲得し当選した。市長は、第一候補杉村大八(27票)、第二候補辛島格(19票)、第三候補倉岡又三(18票)に決まり、議長有馬源内が内務大臣松方正義へ申請した。明治政府のもと市長は、市議会内で三人の候補を内務大臣に建言し、大臣の採決許可を得て市長が選ばれ就任し、任期は6年有給吏員として勤めることが市制に定められていた[10]。市会第一歩は、市長と議長そして、代理者の推薦を終え、同日午後10時25分閉会した[11]。その後5月18日までに市政を担う市参事会を構成する市長、助役、名誉職参事会員の三役を決定し、6月1日に熊本市役所開庁式が執り行われ、市の行政機能は大きく動き始めた[12]。
明治時代
[編集]1889年5月6日付で松方正義内務大臣より任命された初代市長杉村大八のもと熊本市会は、熊本地震と豪雨の二つの大きな災害に見舞われる中、熊本市の基礎を築いていく。 熊本市の発足したその年の梅雨は、6月16日から7月23日までの間で雨の降らなかったのは一週間にも満たない五日であり、熊本県内各地で被害を出していた。7月23日16時、京町本丁38番地北側の瀬戸坂が20間にわたり崩落し、死者8人負傷者9人を出す大事故が発生し、杉村大八市長と市議会は被害者に対し、325円81銭8厘の義捐金を拠出した[13]。土砂崩落から五日後の7月28日23時49分頃、金峰山付近を震源とするマグニチュード6強の地震が発生する。ただちに市長、助役、名誉参事会会員が市役所に集結し、市民の鎮定に尽力を尽くしたことが、明治22年第1回「熊本市役所事務報告」に記載されている。具体的には、米の在庫調査実施による食糧確保や警官や消防などと協力し震災の混乱に乗じた放火や盗難防止のため市内を巡回したことにより、被害を出さずに済んだことが報告されている。杉村大八市長のもと市議会では、災害で被害を受けた橋や道路の復旧とともに、熊本高等小学校、硯台小学校、一新小学校、壷川小学校などの各教育施設の建設を推し進めた。
1893年7月9日、杉村大八の病気による急逝のため、市議会は、井上馨内務大臣の命を受けて、8月28日に市長候補推薦の市会を開き、第一候補松崎為己(24票)、第二候補安田退三(15票)、第三候補財津志満記(17票)を建言することを決まり、9月15日に裁可された松崎為己を第二代市長として出迎えた[14]。松崎為己は3年11か月の在任中に主な五つの事業[注 3]に尽力し、次代の辛島格熊本市長に託し引退した[15]。
初代と二代の市長の跡を引き継いだ辛島格は三期15年4か月の任期中、自身の都市論[注 4]に基づき熊本を成長させるべく、熊本市周辺11カ町村との合併や上下水道、市電、二三聯隊移転などの大事業を成し遂げた。当時の辛島市政熊本は、日清戦争、日露戦争の戦時を経て大きく人口が増加し、九州地方の中枢都市として発展期を迎え、市議会でも都市機能の強化に力が注がれた[16]。
大正時代
[編集]略歴
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 熊本区に市制が施行される。
- 4月18日 - 熊本市会選挙が施行される。
- 4月26日 - 第一回熊本市会が開催される。初代議長に有馬源内。初代副議長に下田一直。
- 5月6日 - 杉村大八初代熊本市長が就任する。
- 1916年(大正5年)12月9日 - 熊本支部発会式
- 1917年(大正6年)11月16日 - 熊本公民会発会式
- 2016年(平成28年)4月16日 - 熊本地震本震の発生。市議会議場天井部が損壊。
- 5月9日 - 地震のため閉鎖していた議会図書室一部が再開。
代数 | 議長 | 所属党派 | 就任日 | 退任日 | 副議長 | 所属党派 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
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1 | 有馬源内 | 民権派 | 1889年(明治22年)4月26日 | 1891年(明治24年)1月21日 | 下田一直 | 1889年(明治22年)4月26日 | 1891年(明治24年)1月21日 | ||
2 | 興津景章 | 1891年(明治24年)1月22日 | 1895年(明治28年)5月13日 | 下田耕造 | 1891年(明治24年)1月21日 | 1898年(明治31年)5月22日 | |||
3 | 河原惟親 | 1895年(明治28年)5月14日 | 1898年(明治31年)5月22日 | 片山甚十郎 | 1898年(明治31年)5月23日 | 1899年(明治32年)2月7日 | |||
4 | 吉永為己 | 1898年(明治31年)5月22日 | 1903年(明治36年)2月5日 | 林定男 | 1899年(明治32年)2月8日 | 1903年(明治36年)2月5日 | |||
5 | 山田珠一 | 帝国党 | 1903年(明治36年)2月6日 | 1904年(明治37年)4月30日 | 出田彦太郎 | 1903年(明治36年)2月6日 | 1903年(明治36年)2月11日 | ||
6 | 吉永為己 | 1904年(明治37年)5月27日 | 1913年(大正2年)4月30日 | 園部交雅 | 1903年(明治36年)2月12日 | 1903年(明治36年)5月11日 | |||
7 | 林千八 | 1913年(大正2年)5月10日 | 1917年(大正6年)4月30日 | 板垣正軌 | 1903年(明治36年)5月12日 | 1904年(明治37年)2月12日 | |||
8 | 山隈康 | 1917年(大正6年)5月15日 | 1921年(大正10年)9月30日 | 有働格四郎 | 1904年(明治37年)2月13日 | 1907年(明治40年)11月4日 | |||
9 | 迫源次郎 | 政友会 | 1921年(大正10年)10月14日 | 1925年(大正14年)9月30日 | 板垣正軌 | 1907年(明治40年)11月14日 | 1909年(明治42年)1月27日 | ||
10 | 山隈康 | 憲政会 | 1925年(大正14年)9月30日 | 1934年(昭和9年)5月7日 | 河田巖 | 1909年(明治42年)1月27日 | 1913年(大正2年)4月30日 | 普通選挙法実施後初の議長 | |
11 | 平野龍起 | 公友会 | 1934年(昭和9年)5月7日 | 1942年(昭和17年)6月14日 | 井場熊喜 | 1913年(大正2年)5月10日 | 1917年(大正6年)4月30日 | ||
12 | 佐藤真佐男 | 1942年(昭和17年)7月23日 | 1947年(昭和22年)4月29日 | 峡謙斎 | 1917年(大正6年)5月15日 | 1918年(大正7年)3月10日 | |||
13 | 佐藤真佐男 | 民主党 | 1947年(昭和22年)6月9日 | 1948年(昭和23年)4月7日 | 藤野乱 | 1918年(大正7年)3月10日 | 1921年(大正10年)9月30日 | 完全普通選挙後初の議長 | |
14 | 大塚勇次郎 | 民主党 | 1948年(昭和23年)6月5日 | 1951年(昭和26年)4月29日 | 水上誠規 | 中立 | 1921年(大正10年)10月14日 | 1925年(大正14年)9月30日 | 普通選挙法実施後初の副議長 |
15 | 大塚勇次郎 | 1951年(昭和26年)5月15日 | 1955年(昭和30年)4月30日 | 河田巖 | 憲政会 | 1925年(大正14年)10月12日 | 1929年(昭和4年)9月30日 | ||
16 | 兼坂安次 | 無所属 市政クラブ |
1955年(昭和30年)5月21日 | 1959年(昭和34年)4月8日 | 平野龍起 | 1929年(昭和4年)9月30日 | 1934年(昭和9年)5月7日 | ||
17 | 打出信行 | 無所属 市政刷新クラブ |
1959年(昭和34年)6月12日 | 1961年(昭和36年)3月24日 | 橋本寿七 | 1934年(昭和9年)5月8日 | 1942年(昭和17年)5月20日 | ||
18 | 寸坂幸夫 | 無所属 市政刷新クラブ |
1961年(昭和36年)3月26日 | 1963年(昭和38年)4月30日 | 西郷一恵 | 1942年(昭和17年)6月11日 | 1947年(昭和22年)4月29日 | ||
19 | 阿部次郎 | 自民党 | 1963年(昭和38年)5月18日 | 1965年(昭和40年)3月18日 | 大塚勇次郎 | 民主党 | 1947年(昭和22年)6月9日 | 1948年(昭和23年)6月5日 | 完全普通選挙後初の副議長 |
20 | 井上常八 | 無所属 愛市クラブ |
1965年(昭和40年)3月18日 | 1965年(昭和40年)12月7日 | 加川恒次 | 民主党 | 1948年(昭和23年)6月5日 | 1951年(昭和26年)4月29日 | |
21 | 石井辰雄 | 無所属 愛市クラブ |
1966年(昭和41年)7月4日 | 1967年(昭和42年)4月30日 | 北利民 | 民主党 | 1951年(昭和26年)5月15日 | 1953年(昭和28年)9月5日 | |
22 | 阿部次郎 | 1967年(昭和42年)5月20日 | 1968年(昭和43年)7月3日 | 上野勉 | 民主党 | 1953年(昭和28年)9月25日 | 1955年(昭和30年)4月30日 | ||
23 | 坂梨日露 | 1968年(昭和43年)7月13日 | 1970年(昭和45年)12月4日 | 森光吉 | 無所属 市政クラブ |
1955年(昭和30年)5月21日 | 1957年(昭和32年)12月28日 | ||
24 | 黒田弥一郎 | 1970年(昭和45年)12月4日 | 1971年(昭和46年)4月30日 | 吉村貞次 | 無所属 市政刷新クラブ |
1959年(昭和34年)6月12日 | 1960年(昭和35年)3月21日 | ||
25 | 落水清 | 1971年(昭和46年)5月20日 | 1973年(昭和48年)6月6日 | 坂梨日露 | 無所属 市政刷新クラブ |
1960年(昭和35年)3月21日 | 1962年(昭和37年)7月9日 | ||
26 | 古川国雄 | 1973年(昭和48年)6月6日 | 1975年(昭和50年)4月30日 | 吉村貞次 | 無所属 市政刷新クラブ |
1962年(昭和37年)7月9日 | 1963年(昭和38年)4月30日 | ||
27 | 紫垣正良 | 1975年(昭和50年)5月16日 | 1977年(昭和52年)6月4日 | 石井辰雄 | 無所属 愛市クラブ |
1963年(昭和38年)5月18日 | 1966年(昭和41年)7月4日 | ||
28 | 上田堅太 | 1977年(昭和52年)6月4日 | 1979年(昭和54年)4月30日 | 吉村貞次 | 無所属 市政刷新クラブ |
1966年(昭和41年)7月4日 | 1967年(昭和42年)4月30日 | ||
29 | 島永慶孝 | 1979年(昭和54年)5月14日 | 1981年(昭和56年)12月8日 | 佐藤寿子 | 1967年(昭和42年)5月20日 | 1969年(昭和44年)3月24日 | 熊本市議会初の女性副議長 | ||
30 | 藤山増美 | 1981年(昭和56年)12月8日 | 1983年(昭和58年)4月30日 | 古川国雄 | 1969年(昭和44年)3月25日 | 1969年(昭和44年)6月28日 | |||
31 | 宮原光男 | 1983年(昭和58年)5月18日 | 1985年(昭和60年)9月6日 | 岩尾恵 | 1969年(昭和44年)9月13日 | 1971年(昭和46年)4月30日 | |||
32 | 大石文夫 | 1985年(昭和60年)9月6日 | 1986年(昭和61年)12月15日 | 阪本富 | 1971年(昭和46年)5月20日 | 1973年(昭和48年)6月6日 | |||
33 | 内田幸吉 | 1986年(昭和61年)12月15日 | 1987年(昭和62年)4月3日 | 荒木昇 | 1973年(昭和48年)6月6日 | 1975年(昭和50年)4月30日 | |||
34 | 西村建治 | 1987年(昭和62年)5月22日 | 1988年(昭和63年)12月16日 | 藤山増美 | 1975年(昭和50年)5月16日 | 1977年(昭和52年)6月4日 | |||
35 | 村上春生 | 1988年(昭和63年)12月16日 | 1990年(平成2年)3月26日 | 矢野昭三 | 1977年(昭和52年)6月4日 | 1979年(昭和54年)4月30日 | |||
36 | 矢野昭三 | 1990年(平成2年)3月26日 | 1991年(平成3年)4月30日 | 上妻重蔵 | 1979年(昭和54年)5月14日 | 1981年(昭和56年)12月8日 | |||
37 | 嶋田幾雄 | 1991年(平成3年)5月17日 | 1993年(平成5年)12月3日 | 田尻武男 | 1981年(昭和56年)12月8日 | 1983年(昭和58年)4月30日 | |||
38 | 中村徳生 | 1993年(平成5年)12月3日 | 1995年(平成7年)4月30日 | 白石正 | 1983年(昭和58年)5月18日 | 1985年(昭和60年)9月6日 | |||
39 | 荒木哲美 | 1995年(平成7年)5月19日 | 1997年(平成9年)3月27日 | 北口政義 | 1985年(昭和60年)9月6日 | 1986年(昭和61年)12月15日 | |||
40 | 主海偉佐雄 | 自民党 | 1997年(平成9年)3月27日 | 1999年(平成11年)4月3日 | 吉村潔 | 1986年(昭和61年)12月15日 | 1987年(昭和62年)4月30日 | ||
41 | 江藤正行 | 自民党 | 1999年(平成11年)5月21日 | 2001年(平成13年)6月8日 | 竹本勇 | 1987年(昭和62年)5月22日 | 1988年(昭和63年)12月16日 | ||
42 | 白石正 | 2001年(平成13年)6月8日 | 2002年(平成14年)6月18日 | 村上裕人 | 1988年(昭和63年)12月16日 | 1990年(平成2年)3月26日 | |||
43 | 宮原政一 | 2002年(平成14年)6月18日 | 2003年(平成15年)4月30日 | 佐藤公平 | 1990年(平成2年)3月28日 | 1991年(平成3年)4月30日 | |||
44 | 落水清弘 | 自民党 | 2003年(平成15年)5月23日 | 2004年(平成16年)9月7日 | 西田続 | 1991年(平成3年)5月17日 | 1993年(平成5年)12月3日 | ||
45 | 古川泰三 | 自民党 | 2004年(平成16年)9月7日 | 2005年(平成17年)12月20日 | 伊形寛治 | 1993年(平成5年)12月3日 | 1995年(平成7年)4月30日 | ||
46 | 税所史熙 | 自民党 | 2005年(平成17年)12月20日 | 2007年(平成19年)4月30日 | 宮原正一 | 1995年(平成7年)5月19日 | 1997年(平成9年)3月27日 | ||
47 | 牛嶋弘 | 自民党 | 2007年(平成19年)5月24日 | 2008年(平成20年)12月22日 | 中沢誠 | 1997年(平成9年)3月27日 | 1999年(平成11年)4月30日 | ||
48 | 竹原孝昭 | 自民党 | 2008年(平成20年)12月22日 | 2010年(平成22年)3月2日 | 鈴木昌彦 | 1999年(平成11年)5月21日 | 2001年(平成13年)6月8日 | ||
49 | 坂田誠二 | 自民党 | 2010年(平成22年)3月2日 | 2011年(平成23年)4月30日 | 岡田健士 | 2001年(平成13年)6月8日 | 2002年(平成14年)6月18日 | ||
50 | 津田征士郎 | 自民党 | 2011年(平成23年)5月23日 | 2013年(平成25年)3月26日 | 奧田光弘 | 2002年(平成14年)6月18日 | 2003年(平成15年)4月30日 | ||
51 | 齊藤聰 | 自民党 | 2013年(平成25年)3月26日 | 2014年(平成26年)3月24日 | 竹原孝昭 | 自民党 | 2003年(平成15年)5月23日 | 2004年(平成16年)9月7日 | |
52 | 三島良之 | 自民党 | 2014年(平成26年)3月24日 | 2015年(平成27年)4月30日 | 家入安弘 | 市民連合 民主党 |
2004年(平成16年)9月7日 | 2005年(平成17年)12月20日 | |
53 | 満永寿博 | 自民党 | 2015年(平成27年)5月13日 | 2016年(平成28年)3月24日 | 田尻清輝 | くまもと未来 | 2005年(平成17年)12月20日 | 2007年(平成19年)4月30日 | |
54 | 澤田昌作 | 自民党 | 2016年(平成28年)3月24日 | 現職 | 磯道文徳 | 公明党 | 2007年(平成19年)5月24日 | 2009年(平成21年)3月25日 | |
55 | 田中誠一 | 無所属 | 2009年(平成21年)3月25日 | 2011年(平成23年)4月30日 | |||||
56 | 田尻将博 | 市民連合 民主党 |
2011年(平成23年)5月22日 | 2013年(平成25年)3月26日 | |||||
57 | 鈴木弘 | 公明党 | 2013年(平成25年)5月22日 | 2015年(平成27年)4月30日 | |||||
58 | 藤岡照代 | 公明党 | 2015年(平成27年)5月13日 | 現職 | 46年ぶり女性副議長[19] |
施設
[編集]熊本市議会は、1979年(昭和54年)2月に落成した熊本市役所に位置し、議会棟の2階に議会図書室が、3階に、4階になどが設けられている。 熊本市会が成立した明治時代の議事堂は、現在の熊本市中央区新町一丁目に存在した忘吾会舎と名付けられた集会場や手取本町の熊本高等小学校の講堂で審議が行われた[20]。1959年1月10日、市庁舎南別館に議事会機能が移転する[21]。
事務局
[編集]市議会の下部組織として議会事務局がある。議会活動における事務処理などの補助機関としての役割を担い、総務調査課と議事課の二つの課から構成されている。それぞれ総務調査課は、正副議長の秘書、本会議や委員会における運営の補助、市政の調査、議会広報(たかまつ市議会レポート)の発行、議会図書室などについての業務を、一方、議事課は、本議会や委員会の会議録の作成、市の行政への意見や要望に対する事務などの業務を行う。[22]職員数は19人[23]。
委員会
[編集]熊本市議会には本会議とは別に専門性や効率化を図るために地方自治法と条例(熊本市議会委員会条例)などの規範に従い、常任委員会と特別委員会および円滑な議会運営を協議する議会運営委員会[注 5]を設置している。常任委員会は、任期を一年、定数を10人に定めた予算決算常任委員会、総務常任委員会、教育市民常任委員会、厚生常任委員会、環境水道常任委員会、経済常任委員会、都市整備常任委員会など7つの常任委員会をまとめた名称であり、各議員がいずれかの委員会に必ず所属しなかればならないことを定めている。特別委員会は必要に応じて、設置、審査を行う委員会であり任期は審査終了までである。2016年11月現在においては、定数13人または14人の公共施設マネジメント調査特別委員会、人口減少社会に関する調査特別委員会、熊本地震からの復旧・復興に関する調査特別委員会などの3つの特別委員会がおこなわれている。過去には公害交通安全対策特別委員会(1969年5月設置)や第48回国民体育大会香川県準備委員会(1986年2月26日設置)、合併問題特別委員会(2013年5月15日設置)などのその時に即した特別委員会が設けらてきた。一方これらとは別に毎年9月の定例会で各決算報告を審査する決算審査特別委員会がある。常任委員会と特別委員会の両委員会所属の議員は、本会議で付託された議案の審査を行ない、最終決議を執り行うため本会議で報告することとなる。[24]
- 議会運営委員会(10人)
- 常任委員会、総務消防常任委員会(10人)、教育民生常任委員会(10人)、経済環境常任委員会(10人)、建設水道常任委員会(10人)
- 特別委員会、新病院等整備特別委員会(14人)、総合交通対策特別委員会(13人)、総合防災対策特別委員会(13人)
- 高松市議会委員会(2015年5月13日現在[25])
委員会 | 定数 | 委員長 | 副委員長 |
---|---|---|---|
議会運営委員会 | 10 | 森川輝男(自由民主党議員会) | 大山高子(公明党議員会) |
総務消防常任委員会 | 10 | 井上孝志(自由民主党議員会) | 中村伸一(公明党議員会) |
教育民生常任委員会 | 10 | 川崎政信(同志会) | 藤原正雄(自由民主党議員会) |
経済環境常任委員会 | 10 | 白石義人(自由民主党議員会) | 大西智(市民フォーラム21) |
建設水道常任委員会 | 10 | 十川信孝(自由民主党議員会) | 辻正雄(同志会) |
- 特別委員会(2016年5月1日現在[25])
委員会 | 定数 | 委員長 | 副委員長 |
---|---|---|---|
新病院等整備特別委員会 | 14 | 西岡章夫(自由民主党議員会) | 三笠輝彦(同志会) |
総合交通対策特別委員会 | 13 | 二川浩三(自由民主党議員会) | 吉峰幸夫(市民フォーラム21) |
総合防災対策特別委員会 | 13 | 竹内俊彦(公明党議員会) | 大見昌弘(自由民主党議員会) |
会派
[編集]2016年5月30日現在、議会には自由民主党熊本市議団、市民連合、公明党熊本市議団、くまもと未来、日本共産党熊本市議団、くまもと創生、市政クラブ、日本の教育を考える会、自由クラブ、善進会、地域創生、和の会くまもとの合計13の会派が存在し、市政クラブ、日本の教育を考える会、自由クラブ、善進会、地域創生、和の会くまもとの6会派は個人で活動している[注 6][26]。市議会議員4人以上で構成される会派が、定例会の代表質問をおこなうことができる[4]。
会派名 | 議員数 | 所属党派 | 所属議員 |
---|---|---|---|
自由民主党熊本市議団 | 17 | 自民党所属 | 津田征士郎、坂田誠二、三島良之、齊藤聰、江藤正行、竹原孝昭、満永寿博、澤田昌作、倉重徹、朽木信哉、紫垣正仁、原口亮志、原亨、寺本義勝、小佐井賀瑞宜、髙本一臣、光永邦保 |
市民連合 | 9 | 田尻将博、田辺正信、上田芳裕が民進党所属[27] 西岡誠也、田上辰也、福永洋一が社民党所属[28] |
田尻将博、家入安弘、西岡誠也、上田芳裕、田辺正信、村上博、田上辰也、福永洋一、大塚 信弥 |
公明党 | 7 | 公明党所属 | 鈴木弘、井本正広、浜田大介、藤岡照代、藤永弘、園川良二、三森至加 |
くまもと未来 | 4 | 田尻清輝、白河部貞志、藤山英美、重村和征 | |
日本共産党熊本市議団 | 3 | 日本共産党所属 | 上野美恵子、那須円、山部洋史 |
くまもと創生 | 2 | 大石浩文、田中敦朗 | |
市政クラブ | 1 | 落水清弘 | |
日本の教育を考える会 | 1 | 古川泰三 | |
自由クラブ | 1 | 北口和皇 | |
善進会 | 1 | 田尻善裕 | |
地域創生会 | 1 | 小池洋恵 | |
和の会くまもと | 1 | 緒方夕佳 | |
欠員 | 0 | ||
計 | 48 | 12会派 |
議員
[編集]高松市議会議員は公職選挙法に基づき、4年に一度、満20歳以上の高松市在住で引き続き3か月高松市に住所を有する選挙権のある有権者による投票によって選ばれる。被選挙権は満25歳以上の市議会議員の選挙権を持つ者が立候補することができる[29]。給与は、一般議員が一か月608,000円で、副議長が647,000円、議長が727,00円、期末手当は、各々6月期に1.475月分を、12月期に1.625月分が支給される[30]。2001年(平成13年)3月23日、高松市議会政務活動費の交付に関する条例が、地方自治法に則り策定、公布され、同年4月1日に施行された。政務活動費は、4月から9月までと10月から3月までの6ヶ月ごと月額10万円、合計120万円を各議員に支給される。議員は、受け取った政務活動費と使用した政務活動費を記載した報告書を毎年4月30日までに議長に報告する義務が定められている。[31]近年において年度末に政務活動費の残額を返還した議員は平成25年度が計14人4,778,178円[32]、平成26年度が計10人3,831,501円[33]と報告された。
定数
[編集]議会の定数は、地方自治法に基づいた条例(熊本市議会議員定数及び各選挙区選出議員数に関する条例)により一つの区あたり6人から13人の定員とした選挙区を市内五地域に割り当て、総数48人の議員を定数とした議会議員選挙を行うことが定められている。また、この各選挙区は、熊本市内の行政区と範囲が一致し、東区が全選挙区最大人数の13人、中央区が11人、北区が10人、南区が8人、西区が全選挙区最少人数の6人と定数が振り分けられている[3]。
選挙
[編集]熊本市議会議員選挙は、2011年場では4年に一度、熊本市全域を選挙区とする大選挙区制(単記非移譲式)で執り行われていた。2015年4月12日に実施された選挙より、市内を5区分とした中選挙区制となる。
- 選挙結果
2015年熊本市議会議員選挙 当日有権者数:人 最終投票率:%(前回比:ポイント)定数:人 立候補者数:人
2011年熊本市議会議員選挙 当日有権者数:564,316人 最終投票率:44.03%(前回比:ポイント)定数:48人 立候補者数:66人
1963年熊本市議会議員選挙 当日有権者数:226,440人 最終投票率:73.20%(前回比:-4.8ポイント)定数:48人 立候補者数:96人
1959年熊本市議会議員選挙 当日有権者数:人 最終投票率:78.00%(前回比:-0.21ポイント)定数:48人 立候補者数:79人
1955年熊本市議会議員選挙 当日有権者数:人 最終投票率:78.21%(前回比:-10.79ポイント)定数:44人 立候補者数:127人
1951年熊本市議会議員選挙 当日有権者数:142,691人 最終投票率:89.00%(前回比:+17.48ポイント)定数:44人 立候補者数:184人
1947年熊本市議会議員選挙 当日有権者数:人 最終投票率:71.52%(前回比:ポイント)定数:44人 立候補者数:168人
出身者
[編集]- 首長
- 国会議員
- 井島義雄(元衆議院議員)
- 尾越辰雄(元衆議院議員)
- 瀬野栄次郎(元衆議院議員)
- 高木第四郎(元衆議院議員、実業家)
- 北口龍徳(元参議院議員)
- 馬場成志(参議院議員)
- 本田良一(元参議院議員、元熊本県議会議員)
- 前職・元職
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 縦覧所は第一区が河原町 延寿寺、第二区が新南千反畑 熊本区役所、第三区が内坪井町 流長院。
- ^ 副議長の官選時の名称。
- ^ (1)下水工事設計のための熊本市内および隣接村落における測量事業(2)山崎練兵所の飽田郡大江村約700坪への移転事業(3)下河原公園の移転事業(4)英照皇太后賑給金収集事業(5)旧肥後藩内町村誤納金返還訴訟の件
- ^ 仰も都市なるものは僅少の地積に種々の生産を有せる多数の人口を収容し、その一国若しくは一地方に於ける政治実業学術等の中心を造るもの也。故を以て村落に比して其地に来聚せる内外人士の生産教育健康慰安等には格別の注意を払いざるべからず。然らずんば其聚積たる人口如何に夥多なりと雖も十分に都市的共同生活の精神を発揮する能はずして村落の集約せるものと択ふ所なかるべきなり(「熊本第一期改善私議」1910年)
- ^ 任期は一年
- ^ 高松市議会議員名簿に記載されている会派別順
出典
[編集]- ^ a b 新熊本市史第五巻、p.963
- ^ “市町村長・議員の任期満了日等に関する調べ(H28.4.16現在の表です)”. 熊本県庁選挙課 (2016年4月). 2016年5月1日閲覧。
- ^ a b “熊本市議会議員定数及び各選挙区選出議員数に関する条例”. 熊本市役所議会事務局 (2012年3月22日). 2016年5月5日閲覧。
- ^ a b “議会の会議・運営”. 熊本市議会 (2012年). 2016年5月1日閲覧。
- ^ “議会構成”. 熊本市議会. 2016年5月1日閲覧。
- ^ 新熊本市史第五巻、p.950
- ^ 新熊本市史第五巻、p.954
- ^ 新熊本市史第五巻、p.955
- ^ 新熊本市史第五巻、p.957
- ^ 新熊本市史第五巻、p.962
- ^ 新熊本市史第五巻、p.966
- ^ 新熊本市史第五巻、p.270
- ^ 新熊本市史第五巻、p.979
- ^ 新熊本市史第五巻、p.977
- ^ 新熊本市史第五巻、p.978
- ^ 新熊本市史第六巻、p.584
- ^ “歴代議長一覧”. 熊本市議会. 2016年5月1日閲覧。
- ^ “歴代副議長一覧”. 熊本市議会. 2016年5月1日閲覧。
- ^ “熊本市議会 46年ぶり女性副議長 戦後2人目”. 毎日新聞 (2015年5月14日). 2016年5月1日閲覧。
- ^ 熊本市議会史 戦前編、p.52
- ^ 熊本市議会史 戦後編第一巻、p.974
- ^ “議会事務局”. 高松市議会事務局総務調査課. 2016年5月1日閲覧。
- ^ “高松市の給与・定員管理等について”. 高松市 (2014年). 2016年5月1日閲覧。
- ^ “会議のあらまし”. 高松市議会事務局総務調査課. 2016年5月1日閲覧。
- ^ a b “委員会別名簿”. 高松市議会事務局総務調査課 (2016年5月1日). 2016年5月1日閲覧。
- ^ “会派別名簿”. 熊本市議会事務局. 2016年5月30日閲覧。
- ^ “検索結果 - 議員 - 民進党 熊本”. 民進党. 2016年5月1日閲覧。
- ^ “社会民主党 熊本県連合”. 社民党. 2016年5月1日閲覧。
- ^ “選挙権と被選挙権”. 高松市市役所選挙管理委員会事務局 (2014年3月10日). 2016年5月1日閲覧。
- ^ “市職員給与などの状況をお知らせします”. 高松市役所人事課 (2015年9月15日). 2016年5月1日閲覧。
- ^ “高松市議会政務活動費の交付に関する条例”. 高松市役所議会事務局 (2001年3月23日). 2016年5月1日閲覧。
- ^ “平成25年度政務活動費 議員別収支状況”. 高松市役所議会事務局 (2014年). 2016年5月1日閲覧。
- ^ “平成26年度政務活動費 議員別収支状況”. 高松市役所議会事務局 (2015年6月30日). 2016年5月1日閲覧。
参考文献
[編集]- 新熊本市史編纂委員会『新熊本市史 通史編 第五巻近代Ⅰ』熊本市、03-30。
- 新熊本市史編纂委員会『新熊本市史 通史編 第六巻近代Ⅱ』熊本市、03-30。
- 新熊本市史編纂委員会『新熊本市史 通史編 第七巻近代Ⅲ』熊本市、03-28。
- 熊本市議会史編纂委員会『熊本市議会史 戦前編』熊本市議会事務局、03-27。
- 熊本市議会史編纂委員会『熊本市議会史 戦後編第一巻』熊本市議会事務局、03-27。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 子ども部屋/熊本市のあゆみ(日本語
- 熊本市のあゆみ(日本語)