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合浦 | |
---|---|
北緯40度49分42.704秒 東経140度46分44.203秒 / 北緯40.82852889度 東経140.77894528度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 青森市 |
人口 | |
• 合計 | 1,420人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
030-0902 |
市外局番 | 017[2] |
ナンバープレート | 青森 |
緯度・経度は合浦公園入口にある公園名碑の位置。 |
合浦(がっぽ)は青森県青森市の地名。現行行政地名は合浦一丁目及び合浦二丁目。郵便番号030-0902。
地理
[編集]青森市中心部からみて東に位置し、北は青森湾に面する。東で造道、南で浪打、南の道路上の一点で花園、南西で栄町、西で茶屋町・港町と接する。
一丁目西端の道路[3]その道路沿いには商店や事務所等がみられる。それらの裏にあたる一丁目の中部は戦前以来の住宅地であるが、タクシー会社等の事業所もみられる。さらにその道路を南下すると、国道4号と交わる栄町交差点に出て、通称「東青森駅通り」と呼ばれる道路につながる。
二丁目の大半は合浦公園が占めるが、北西端には造船所があり、西に隣接する港町とともに、準工業地域の一角を形成する。[4]南端の国道沿いは、商店が事務所等が多い。それ以外の場所では一般の住宅が多い。
河川
[編集]- 根子堰 - 町の東端を流れる。
海洋
[編集]- 青森湾 - 陸奥湾の支湾
通学区域
[編集]町名 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
合浦一丁目 | 一部 | 青森市立合浦小学校 | - |
合浦一丁目 | 一部 | 青森市立浪打小学校 | - |
合浦一丁目 | 全部 | - | 青森市立浪打中学校 |
合浦二丁目 | 全部 | 青森市立浪打小学校 | 青森市立浪打中学校 |
交通
[編集]現在、地域内に鉄道駅はないが、下記のバス停留所は存在する。
バス停留所
[編集]※ なお、上記の反対方向に向かう停留所は、国道4号をはさんで向かい側にあるが、その所在地は浪打である。
- 青森市市民バス - 合浦小学校通り、合浦公園西口、スポーツ会館前、合浦町(県立中央病院方面行き)
道路
[編集]- 国道4号 - 町の南端を通過
そのほかの道路
[編集]おもな道路は、合浦地区から西・南・東の各方向につながっている。 西に向かう主要な道路は、いずれも合浦公園西口から堤川をわたり、おおむね青森市旧市街に向かう道である。それらは、石森橋をわたって旧浜町通りに通じる道、青柳橋あるいは旭橋を渡って中心部に向かう道の2つがある。また、青森市立浪打中学校の前からうとう橋に向かう道につながる道もある。 南に向かう主要な道路は3つある。まずひとつは、合浦公園正門から国道4号につながる道で、南に進むと、通称「明の星通り」につながる。もうひとつは、スポーツ会館前を南北に通る通りで、南の「浪打銀座通り」につながる。最も西にある道路は通称「東青森駅通り」
- 青森市都市計画道路3・3・1石森橋通り線 - 合浦公園西口から西に向かっている。
- 青森市都市計画道路3・3・2青森駅通り合浦線 - 町の西端付近から青森駅前広場につながる。途中から、本町通り、新町通りと呼ばれるようになる。
歴史
[編集]元々は水田の多い場所であったが、明治に入って合浦公園が建設され、明治の末から地域内に学校が移転し、また、青森市の人口が増加したことから住宅地として発展し、交通も整備され始めた。区画整理が行われ、「合浦町」・「西門町」と呼ばれるようになる。戦後は競輪場・野球場が作られ、学校・公園の存在も相まって、大いににぎわった。その後、浪打駅が廃止され、学校も他の地域に移転して数を減らしていったが、体育館、室内プールなど、スポーツ施設は徐々に充実していった。
地名の由来
[編集]合浦とは戦国期から見える地名である。かつて、現在の津軽地方の北部海岸を外浜(そとがはま)と呼んだ。その外浜を北部を上磯、東部を下磯と2つに区分したときの接合点が合浦と呼ばれたのだという。[6]
沿革
[編集]- 1894年(明治27年)- 合浦公園が完成。
- 1911年 (明治44年) - 青森商業学校(現在の青森県立青森商業高等学校)が造道字浪打に移転(後の青森市民体育館の場所)。【盛衰記】
- 1912年(明治45年) - 青森県立青森中学校(現在の青森県立青森高等学校)が造道字浪打の合浦公園南側に移転。現在の青森市営球場の場所。【盛衰記】
- 1924年(大正13年) - 附近に東北本線浪打駅が開業する。
- 同年 - 篠原喜次郎がここから青森駅前までの路線バスの運行を始める。この事業は、翌々年、青森市に買収され、青森市営バスの基礎となる。
- 1931年(昭和6年)9月 - 青森市浪打第一区画整理組合が設立された。組合長は大坂金助。【盛衰記】
- 1932~1934年 (昭和7~9年) - 浪打第一地区区画整理が行われた。(https://www.city.aomori.aomori.jp/jutaku-machizukuri/shiseijouhou/matidukuri/toshidukuri/kakutiku-seibi/toshiseibi.html )
青森市 「土地区画整理事業による面的な都市整備」 2019年5月8日閲覧)その後、その地区は「造道字合浦町」となった。現在の合浦一丁目付近である。
- 1935年(昭和10年) - 青森市立第一中学校(現在の青森県立青森北高等学校)が造道字合浦町に設置された。
- 1945年(昭和20年)7月 - 青森空襲により、青森中学校・青森商業学校の校舎が焼失した。
- 1950年(昭和25年)6月 - 合浦公園内のグラウンドに青森競輪場が建設されたため、その代替として、現在の青森市スポーツ会館、浪打公園附近に青森市営陸上競技場が建設された。なお、ここはもともと忠魂塔建設予定地であった。同年、青森市営球場が青森中学校跡地に建設された。【盛衰記】
- 1966年(昭和41年)6月1日 - 青森市東部地区住居表示実施により、造道字浪打および造道字合浦町の各一部が、合浦一丁目、同二丁目となる。
- 1968年(昭和43年)- 国鉄東北本線の南方移転に伴い、浪打駅が廃止。
- 1971年(昭和46年) - 青森県立青森商業高等学校が同市造道字磯野(のちの東造道)に移転。
- 1977年(昭和52年) - 青森商業高等学校跡地に青森市民体育館が設置。同年開催の第32回国民体育大会(あすなろ国体)の会場として使われた。
- 1982年(昭和57年) - 合浦公園内の青森競輪場が青森市新城に移転。跡地は多目的広場となる。
- 1984年(昭和59年) - 青森県立青森北高等学校が同市羽白に移転。(校舎は青森市立浪打中学校に転用された後に解体。敷地は同中学校に取り込まれた。)
- 2002年(平成14年) - 青森市スポーツ会館が完成する。
- 2024年(令和6年)6月30日 - 青森市民体育館が閉館[7]。
施設
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 青森市 (2017年5月25日). “人口・世帯数等(住民基本台帳)”. 青森市. 2017年5月29日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 青森市都市計画道路3・3・5 漁港通り幸畑線。
- ^ 『角川日本地名辞典 2 青森県』 1002頁 「合浦1~2丁目」の項目
- ^ “青森市立小学校及び中学校の就学に関する規則”. 青森市. 2024年10月4日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大事典 2 青森県』のうち、「合浦」の項目。
- ^ “ありがとう青森市民体育館/寄せ書き数百件”. 東奥日報 (2024年6月25日). 2024年7月4日閲覧。
外部リンク
[編集]港町 | 青森湾 | |||
茶屋町 | 造道 | |||
合浦 | ||||
栄町 | 浪打・花園※ |
※花園とは道路上の一点で接する。
バス路線
[編集]東口
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2022年9月現在(一部除く)。
のりば | 運行事業者 | 系統・行先 |
---|---|---|
1 | JRバス東北 | 横内線:モヤヒルズ |
2 | 青森市営バス[1] | |
八洲交通 (青森市市バス) |
||
3 | 青森市営バス[1] | |
4 | ||
5 | (降車専用) | |
6 | ||
青森観光バス (青森市市民バス) |
高田線:高田中学校 | |
弘南バス (青森市市バス) |
浪岡線:浪岡駅前 / 道の駅なみおか | |
7 | 青森観光バス | シャトルバス:青森競輪場 |
8 | JRバス東北 | ドリーム青森/盛岡・東京号[2]:東京駅(日本橋口) / 東京ディズニーランド(R) |
ブルーシティ号:仙台駅前 | ||
9 | 弘南バス | |
|
あすなろ号:盛岡駅西口 | |
10 | 十和田観光電鉄 | 十和田市線:十和田市(三本木営業所)・新青森駅 |
下北交通 | 青森線:野辺地駅前・むつバスターミナル | |
岩手県北自動車南部支社 (南部バス) |
MICHINORI EXPRESS:バスタ新宿・東京ディズニーシー | |
ジャムジャムエクスプレス | JAMJAMライナー:大宮駅・バスタ新宿・東京テレポート駅 | |
桜交通 | キラキラ号:バスタ新宿・桜木町駅 | |
オー・ティー・ビー | オリオンバス:東京駅(バスターミナル東京八重洲) | |
11 | JRバス東北 |
- 備考
- 2010年12月4日に新バスプールが完成、運用開始。従来事業所ごとに分散していたのりばが集約された。集約前の状況は以下のとおり。
- 弘南バス・下北交通停留所は駅前交番付近に設置していたが、駅前広場工事に伴い、市営バス降車場と下北交通停留所は駅前交番付近、市営バス八甲田丸行乗り場と弘南バス停留所はラビナ前へとそれぞれ配置換えされていた。
- 十和田観光電鉄バス停留所は小田島ビル前(旧・十鉄青森総合案内所前)に設置していた。
西口
[編集]- 青森市営バス
- 野木和団地線:野木和団地
- 青森観光バス
- あおもりシャトルdeルートバス「ねぶたん号」[青森市 1]:三内丸山遺跡 / 棟方志功記念館
- 青森観光バス(青森市市バス)
テスト
[編集]方面別路線一覧
[編集]A 国道・古川線
[編集]- A1 - 本線 古川経由青森駅行き
B 新町線
[編集]- B1 - 本線 新町経由青森駅行き
C 造道・八重田線
[編集]E 東バイパス線
[編集]- 東バイパス線 - 東部営業所行き
F 小柳線
[編集]- 小柳線 - 県立中央病院行き・東部営業所行き
G 明の星通り線
[編集]H 松森・浜館線
[編集]J 中筒井線
[編集]- 桑原線 - 桑原行き
- 田茂木野線 - 田茂木野行き
- 幸畑団地線 - 幸畑団地行き
- 青森公立大学線 - (筒井経由)青森公立大学前行き
- 流通団地線(中筒井経由)- 流通団地行き
- 横内環状線(中筒井先回り) - 青森駅行き
K 観光通り線
[編集]- 市民病院線 - 市民病院前
- 荒川線 - (八甲田大橋経由)青森朝日放送前行き
- 県土整備事務所線 - 学校教育センター前行き
- 問屋町線 - 問屋町行き[6]
- モヤヒルズ線 - モヤヒルズ
- 青森公立大学線 - (八甲田大橋経由)青森公立大学前行き
- 流通団地線(八甲田大橋経由) - (八甲田大橋経由)流通団地行き
- 浜田循環線 - (八甲田大橋先回り)青森駅行き
L 中央大橋線
[編集]- 戸山団地線 - (戸山団地中央線) 戸山団地行き
- 青森公立大学線 - (中央大橋経由)青森公立大学前行き
- 南高校線
- 荒川線(中央大橋経由) - (中央大橋経由)青森朝日放送前行き
- 浪館・中央循環線 - (中央大橋先回り)青森駅行き
M 旭町通り線
[編集]- 荒川線(南旭町経由) - (南旭町経由)青森朝日放送前行き
- 南高校線 - 南高校前行き
- サンドーム線 - サンドーム前行き
- 野木線 - 野木行き
- 流通団地線(南旭町経由) - (南旭町経由)流通団地行き
- 八甲田霊園線 - 八甲田霊園行き(臨時系統)
P 浪館通り線
[編集]R 滝内・三内線
[編集]S 県立美術館線
[編集]T 石江・新城線
[編集]- 新城線 - 西部営業所行き
U 西バイパス線
[編集]- 西バイパス線 - 西部営業所行き
W 沖館・新田線
[編集]
脚注
[編集]- ^ a b “青森市営バス路線図”. 青森市企業局交通部. 2020年3月24日閲覧。
- ^ 「東京ディズニーランド®」・東京→青森(ドリーム青森・東京号)
- ^ 実際の終点は上築木館
- ^ 実際の終点は戸山団地北蛍沢市民館前
- ^ 実際の終点は戸山団地北赤坂市民館前
- ^ 実際の終点は第二問屋町
- ^ 実際の終点は青森変電所前
- ^ 実際の終点は運転免許センター前
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