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梅田 俊作 うめだ しゅんさく | |
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生誕 |
1942年 京都府竹野郡網野町浅茂川 (現・京丹後市網野町浅茂川) |
国籍 | 日本 |
教育 | 京都府立網野高等学校 |
著名な実績 | 絵本作家・画家・随筆家 |
梅田 俊作(うめだ しゅんさく、1942年〈昭和17年〉 - )は、京都府竹野郡網野町浅茂川(現・京丹後市網野町)出身の絵本作家・画家・随筆家。約50冊の絵本を出版しており[1]、妻の梅田佳子との共作も多い[2]。
経歴
[編集]1942年(昭和17年)、京都府竹野郡網野町浅茂川(現・京丹後市網野町)に生まれた[3]。幼少期に絵本を買ってもらったことはなく、学校から帰ると農作業を手伝う生活をしていた[4]。しかし、丹後半島の浦島太郎や羽衣伝説などの民話を母から聞き、丹後の海岸をスケッチして歩いたこともあった[3]。
京都府立網野高等学校卒業後[3]、デザイン専門学校を卒業してデザイン関係の会社に就職したが、すぐに会社を退職した[4]。フリーのイラストレーターとして月刊雑誌のカットや挿絵を描いていた。このころにマリー・ホール・エッツの『もりのなか』やジェームズ・ドーハーティの『アンディとらいおん』を読んで絵本作家を志すようになった[4]。
1979年(昭和54年)ころから絵本や童話を出版するようになった[1][2]。上京後には様々な家を転々としていたが、1983年(昭和58年)ころには小田急小田原線経堂駅近くにあるガスも水道も引いていない民家に住み、子どもと一緒に土まみれになって草むしりをするような生活を送っていた[4]。東京都に居住して仕事をしていたが、1992年(平成4年)には徳島県海部郡日和佐町(現・美波町)にアトリエを移した[1]。
1997年(平成9年)、ロバート・マンチ作のベストセラー『ラヴ・ユー・フォーエバー』の日本語版を手掛けた。1997年(平成9年)にポプラ社から出版した『しらんぷり』はいじめを題材としており、累計20万部のロングセラーとなった[5]。『しらんぷり』はポプラ社の編集者が入社時に「必ず読むように」と言われる本のひとつである[5]。『しらんぷり』刊行後には全国でいじめに関する講演会やワークショップを行っている[5]。
2004年(平成16年)に網野町などが合併して京丹後市が発足すると、2009年(平成21年)に制定された「京丹後市の歌」の作詞を担当した。
2020年(令和2年)10月30日に京丹後市立丹後図書室が移転開館した際には、移転を記念して梅田俊作の原画展が開催された[6]。同年12月には妻の梅田佳子が死去した。
主な作品
[編集]絵本
[編集]- 梅田俊作(作・絵)、梅田佳子(作・絵)『ばあちゃんのなつやすみ』岩崎書店、1980年。第3回絵本にっぽん賞[1][7]。
- 梅田俊作(作・絵)、梅田佳子(作・絵)、梅田海緒(作・絵)『がまんだがまんだうんちっち』岩崎書店、1981年。
- 梅田俊作(作)、梅田佳子(作)『このゆびとーまれ』講談社、1983年。第15回講談社出版文化賞[1][7]。
- 梅田俊作(作・絵)、梅田佳子(作・絵)『よーいどんけついっとうしょう』岩崎書店、1985年。
- 梅田俊作(作・絵)、梅田佳子(作・絵)『まんげつの海』佼成出版社、1991年。
- ロバート・マンチ(作)、梅田俊作(絵)、乃木りか(訳)『ラヴ・ユー・フォーエバー』岩崎書店、1997年。
- 梅田俊作(作・絵)、梅田佳子(作・絵)『しらんぷり』ポプラ社、1997年。第3回日本絵本賞大賞[1][5]。1998年度青少年読書感想文全国コンクール課題図書(小学校高学年の部)[2]。
- 梅田俊作(作・絵)、梅田佳子(作・絵)『14歳とタウタウさん』ポプラ社、1998年。第4回日本絵本賞選考委員特別賞[7]。
- 梅田俊作(作)、梅田佳子(作)、橋本とき子(原案)『にんじゃごっこ』岩崎書店、2001年。
- 梅田俊作(作・絵)、梅田佳子(作・絵)『月の学校』ポプラ社、2002年。
- 梅田俊作(作・絵)、梅田佳子(作・絵)『あめあめあれれ』童心社、2003年。
- 梅田俊作(作・絵)『漁火 海の学校』ポプラ社、2006年。
紙芝居
[編集]- あまんきみこ(原作)、水谷章三(脚本)、梅田俊作(絵)『ふうたのはなまつり』童心社、1993年
随筆
[編集]- 梅田俊作(著)『おやじオロオロ子はスクスク』文渓堂、1997年。
受賞
[編集]- 1980年(昭和55年) - 第3回絵本にっぽん賞(『ばあちゃんのなつやすみ』)[1][7]
- 1984年(昭和59年) - 第15回講談社出版文化賞(『このゆびとーまれ』)[1][7]
- 1993年(平成5年) - 第32回高橋五山賞(『ふうたのはなまつり』)[8]
- 1997年(平成9年) - 第3回日本絵本賞大賞(『しらんぷり』)[1][5]
- 1998年(平成10年) - 第4回日本絵本賞選考委員特別賞(『14歳とタウタウさん』)[7]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 「市の歌」制作状況について 京丹後市、2009年7月7日
- ^ a b c 梅田俊作 システムブレーン
- ^ a b c 亀井励『京都ふるさと往復便』京都新聞社、1987年、p.164
- ^ a b c d 「梅田俊作さん 絵本作りは家族への愛から」『こどもの本』日本児童図書出版協会、1983年2月号、pp.10-11
- ^ a b c d e いじめ、不登校…こどもの抱える問題を真正面から描き続けて~絵本作家・梅田俊作さん『あしたへのまわり道』~ ポプラ社 こどもの本編集部、2023年8月9日
- ^ 「海のみえる図書室」にリニューアル 海を眺めながら読書を楽しんで 京都新聞、2020年11月12日
- ^ a b c d e f 梅田俊作 サンマーク出版
- ^ 第32回五山賞 子どもの文化研究所
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