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利用者:Alt winmaerik/武蔵野線

概要

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建設の経緯

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武蔵野線は、当初の計画では過密化した都心部をバイパスする貨物専用線とのことであったようだが、当線の通る東京西域、近接する埼玉・千葉地域が、従来比較的高速鉄道とは縁が薄いため、これら地域の便を配慮して電車による旅客輸送が行われることになったとのことである[1]

旅客営業区間

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特徴

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  • 私鉄との接続駅が全くない[1]
  • 全線CTC、全線立体交差[1]
  • 貨物主力のため中線のある駅が多い。[1]
  • 全国で2番目に長い荒川橋梁(1,293m)がある[1]
  • 駅務設備の近代化
自動券売機:全17駅、乗越精算機(10駅)、自動改札機(12駅)、定期券発行機(接続4駅)[1]
  • 平均速度が高い。[1]
  • 市街地ずい道が多い。府中・小平・東村山・浦和など。[1]
  • スラブ軌道を多く採用している。ずい道内、高架上*平均速度が高い。[1]
  • 前面の行先方向幕は、全線を通す列車は単に武蔵野線と表示されるが、途中駅までの列車は東所沢・南越谷と表示される。[1]
  • 武蔵野操車場の一日の貨車取扱両数は、4,400両。[1]
  • 平日・休日の別がないダイヤで朝夕15分~20分、日中40分の運転間隔である。[1]
  • 武蔵野線の新松戸駅ホームは、高架上に対向式ホームの3・4番線であるが、現在は3番線のみを使用している。[1]

武蔵野南線

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1976年(昭和51年)3月のダイヤ改正で、武蔵野線(鶴見 - 府中本町間)と通称鶴塩線(東海道貨物線 川崎新町 - 鶴見間)が全通した。これに伴い、山手貨物線経由の貨物列車を武蔵野線経由に移行。浜川崎方面発の武蔵野方面行と、新鶴見方面から浜川崎方面相互間列車の一部が鶴塩線経由となり、首都圏の貨物輸送体系が大幅に変更になった[2]

武蔵野操車場の本格使用開始

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  • 取り扱い規模について、1日あたり300両だったものを1200両に増強[2]
  • 着発線の使用開始に伴い、それまで越谷貨物ターミナルで行っていた直流・交直流電気機関車の交換をすべて武蔵野操車場へ移行[2]

牽引機

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  • 武蔵野南線の最急勾配は、新鶴見操車場 - 梶ヶ谷間下り線小杉トンネル入口付近の25‰だが、下り勾配でかつ0.2kmと短距離のため問題ない。
  • 10‰の連続上り勾配が、下り線で最長4.1km、上り線で最長1.1kmと長く、トンネル内で走行条件が悪い。1975年(昭和50年)9月の試験の結果、牽引定数はEF65形で1,200t、EF15・13形で1,150tと査定された[2]。山手貨物線ではEF10・12・13・15・65形いずれも1,200tであったため、EF13・15形で50t不足が生じる[2]。このため将来的にはEF65による置き換えが必要になる。またEF10・12形については出力不足のため武蔵野線内は運転しないこととした[2]
  • 武蔵野線既開業区間である馬橋 - 北府中間では、EF13・15・65形、EF80形、DD13形、DE10・11形、DD51形が使用されていたが、新規開業区間ではEF13・15・66形、DE10・11形が使用されることになった[2]


脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『鉄道ピクトリアル』1973年7月号「武蔵野線試乗記」、電気車研究会
  2. ^ a b c d e f g 『電気車の科学』1976年2月号「武蔵野線を中心とした機関車運用改正」、電気車研究会

関連

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