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利用者:Alt winmaerik/横浜新貨物線

1966年(昭和41年)春にルート計画が発表された同線は、国鉄第3次長期計画(後の再建10ヵ年計画)に基づく湘南新貨物線計画(東京 - 小田原間)の一部、極限に近づいた東海道・横須賀線のラッシュの緩和と貨物輸送の合理化をねらいとしており、具体的には横浜市内で東海道本線上を走っているスカ線電車を現在の貨物線に移し、代わりに新貨物線(横浜市鶴見区 - 戸塚区間約13.7km)を新設するというものである[1]

昭和30年代の急激な経済成長により、大規模工業開発やこれに伴う公共事業が増加するにつれて、産業公害・騒音・振動公害に対する住民運動が各地に盛り上がってきて、鉄道建設事業も例外ではなかった。沿線住民との対話、自治体である横浜市その他関係機関との協議、公害に対する鉄道施設の研究・開発、用地取得のため神奈川県収用委員会への申請等、あるいは一部反対住民との対話等は、今までの建設の歴史では経験し得なかった経緯を持っており、現代の都市における鉄道工事のむずかしさをまざまざと物語るものである。

僅か13.7kmの着工から開業までに12年もの工期を要した線路は、当時としては初めてであった[2]

概要

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建設の経緯

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地域住民との折衝

騒音・振動などの公害や生活環境破壊を心配する沿線住民は、公共性と法をタテに住民側との積極的な話し合いをせずに計画を運ぼうとした国鉄に反発、1967年(昭和42)年には反対同盟が結成され、以来今日までの数々の曲折を経てきたが、昨年秋、反対派の最後のトリデの団結小屋が強制撤去され、また工事のネックとなっていた未買収用地に土地収用法の強制収用が適用されからは事態は一転、未着工部分約500mの工事が一気に軌道に乗り、1978年(昭和53年)2月15日、全区間のレールが1本にドッキングする「レール締結式」を迎えることができた。

線路増設

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東海道本線・横須賀線の通勤通学の激しい混雑を緩和するため、東京 - 小田原間約84kmに複線の線増を次の手順により行うこととした。

  1. 東京 - 品川間は地下ルートにより旅客線を新設する。(総武快速線として営業中)
  2. 品川 - 新鶴見(操)間は品鶴線(貨物線)を旅客線として使用する。
  3. 新鶴見(操) - 鶴見間の旅客線は在来貨物線を、貨物線は在来の高島線(貨物線)をそれぞれ使用し、新鶴見(操)構内は旅客線を新設して品鶴線に取付ける。この区間に新鹿島田駅(仮称)を新設(現:新川崎駅)。
  4. 鶴見 - 戸塚間は別線(貨物線)を新設し、現在の貨物線を旅客線に転用する。この区間に東戸塚駅(仮称)を新設。
  5. 平塚 - 小田原間は現在線に貨物線を併設する。
  6. 別線の開業後1年間に保土ヶ谷駅の改良、東戸塚(仮称)駅の新設、貨物線を旅客線に転用するための軌道の強化、品濃トンネルの改良等を行なって、昭和55年秋に開業の予定。
  7. 大船 - 戸塚間は別線と同時に営業開始。
  8. 大船 - 平塚間は今後着工。



脚注

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  1. ^ 『電気車の科学』1979年5月号「電気車界展望」、電気車研究会
  2. ^ 『電気車の科学』1979年5月号「横浜新貨物線の概要」、電気車研究会