利用者:漱石の猫/sandbox12
表示
< 利用者:漱石の猫
上野 | |
---|---|
北緯35度45分09.93秒 東経135度10分02.34秒 / 北緯35.7527583度 東経135.1673167度座標: 北緯35度45分09.93秒 東経135度10分02.34秒 / 北緯35.7527583度 東経135.1673167度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 京都府 |
市町村 | 京丹後市 |
大字 | 丹後町上野 |
人口 (2015年1月31日) | |
• 合計 | 124人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
627-0241 |
上野(うえの)は、京都府京丹後市丹後町の地名。大字としての名称は丹後町上野(たんごちょううえの)。日本海に面する丹後半島の北端に位置し、宇川地域に含まれる。2015年(平成27年)1月31日時点の世帯数は55世帯、人口は124人[1]。
地理
[編集]歴史
[編集]近世以前
[編集]江戸時代初期には宮津藩領であり、享保2年(1717年)に幕府領となった[2]。当初は丹後国竹野郡宇川村の一部だったが、1669年(寛文9年)に上野村として分村独立した[2]。『延宝郷村帳』における村高は石余、『宝永村々辻高帳』における村高は石余、天保年間の『天保郷帳』や明治初期の『旧高旧領』における村高は石余である[2]。
近代
[編集]1868年(明治元年)には久美浜県の、1871年(明治4年)には豊岡県の所属となり、1876年(明治9年)に京都府の所属となった[2]。1875年(明治8年)から1882年(明治15年)にかけてまとめられた『共武政表』では戸・人・牛頭・船を有していた[2]。1889年(明治22年)4月1日には町村制の施行により、中浜村・久僧村・谷内村・上野村・上山村・尾和村・袖志村の区域をもって竹野郡下宇川村が発足し、下宇川村の大字のひとつとして上野が設置された[2]。
現代
[編集]産業
[編集]施設
[編集]- 京丹後市立宇川小学校
- 京丹後市立宇川中学校跡地 - 宇川ヘリポート
- 上野区民会館
- 宇川診療所
名所・旧跡・観光スポット
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 丹後町『丹後町史』丹後町、1976年。 NCID BN08799166 。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年
- 森本孝『舟と港のある風景』農文協、2006年
- 宮本常一『宮本常一とあるいた昭和の日本8 近畿②』農文協、2010年
外部リンク
[編集]- ふるさとわがまちわが地域 上野地区 京丹後市
- 上野 丹後の地名