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利用者:モハニ4253/sandbox

サルミエント線用車両の製造・番号表
番号 製造 主な電気機器の製造 製造年 特徴
M.U.
2000 - 2039
川崎車輌 東芝 1956年 トイレ設置車両
M.U.
2500 - 2514
近畿車輛 荷物室設置車両
M.U.
2070 - 2072
2075
2076
2079
2080
川崎車輌 1959年 トイレ設置車両
M.U.
2073
2074
2077
2078
近畿車輛
M.U.
2100 - 2150
1961年
M.U.
2200 - 2213
東急車輌
M.U.
2600 - 2624
日本車輌 荷物室設置車両
M.U.
2151 - 2199
近畿車輛 1962年 トイレ設置車両
M.U.
2214 - 2219
東急車輌
M.U.
2625 - 2629
荷物室設置車両
M.U.
2300 - 2323
近畿車輛
M.U.
2324 - 2326
東急車輌
M.U.
2700 - 2702
荷物室設置車両
M.U.
2816
川崎車輌 1966年
車両としては1956年
全室荷物車両
1956年製のM.U.2016を改造
M.U.
2350 - 2357
軍事製造サン・マルティン将軍工場
(Fabricaciones Militares General San Martin)
東芝
SIAM(Siam Di Tella)(主電動機・制動装置のみ)
1971年 - 1973年
M.U.
2358 - 2365
1976年
M.U.
2220
2221
東芝
SIAM?
不明
M.U.
2901 - 2914
EMFER(元軍事製造サン・マルティン将軍工場) 付随車
計画上はABB
2010年 - 2012年 "PUMA V.4"用二階建て車両
M.U.
2915 - 2918?
2012年 -
改造および製造中止により未完成
S.D.
2628
東急車輌 付随車 2015年
車両としては1962年
救援車
1962年製のM.U.2628を改造

出典は[1]および[2][3]より。これらの中にはのちにミトレ線用の車両と番号を交換した車両が1、2両存在する。


ミトレ線用車両の製造・番号表
番号 製造 主な電気機器の製造 製造年 特徴
M.U.
1000 - 1028
近畿車輛 東芝 1962年
M.U.
1029 - 1053
日本車輌
M.U.
1054 - 1079
東急車輌
M.U.
1500 - 1524
日本車輌 荷物室設置車両
M.U.
1750 - 1796
近畿車輛 トイレ設置車両
M.U.
1797 - 1814
東急車輌 トイレ準備工事車両
M.U.
1525 - 1527
近畿車輛 不明
車両としては1961年
1962年近畿車輛製の
M.U.1785
M.U.1794
M.U.1796
を事故復旧時に改番

出典はparte2.pagina11[2][3]より。 のちに車番が交換・変更された車両を以下に示す。

車番が交換・変更された車両
改番後の番号 改番前の番号 特徴 備考
M.U.
2005
M.U.2015 三代目
M.U.
2005
M.U.1046 二階建て付随車
(試作車)
元ミトレ線用
二代目
M.U.
2007
M.U.1018 元ミトレ線用 二代目
ミトレ線用・サルミエント線用の番号交換
M.U.
2021
M.U.2360
または
M.U.2362
二代目
M.U.
2024
M.U.2150 二代目
M.U.
2032
M.U.2033 二代目
M.U.
2033
M.U.2032? 二代目
M.U.2032の火災による番号交換?
M.U.
2150
不明 二代目
M.U.
2163
不明 二代目
M.U.
2201
M.U.2027? 二代目
M.U.
2211
不明 二代目
M.U.
2214
M.U.2211 二代目
M.U.
2316
M.U.2608 二代目
M.U.
2318
M.U.2355 二代目
M.U.
2355
不明 二代目
M.U.
2360
不明 二代目
M.U.
2361
M.U.2163 二代目
M.U.
2362
不明 二代目
M.U.
2364
M.U.1071 元ミトレ線用 二代目
ミトレ線用・サルミエント線用の番号交換
M.U.
2603
M.U.1507 元ミトレ線用 二代目
ミトレ線用・サルミエント線用の番号交換
M.U.
2606
不明 二代目
M.U.
1004
M.U.1788 二代目
M.U.
1018
M.U.2007 元サルミエント線用 二代目
ミトレ線用・サルミエント線用の番号交換
M.U.
1031
M.U.1036 二代目
M.U.
1036
M.U.1031 二代目
M.U.
1056
不明 二代目
M.U.
1057
M.U.1059 二代目
M.U.
1059
M.U.1057 二代目
M.U.
1068
不明 二代目
M.U.
1071
M.U.2364 元サルミエント線用 二代目
ミトレ線用・サルミエント線用の番号交換
M.U.
1507
M.U.2603 元サルミエント線用 二代目
ミトレ線用・サルミエント線用の番号交換
M.U.
1766
M.U.1770 二代目
M.U.
1770
M.U.1766 二代目
M.U.
1788
不明 二代目


以下に全車両の製造・番号を示す[4][5][6]

車両の製造・番号表(上段 - M車、下段 - M'車)
番号 製造 主な機器の製造 制動機器一式の製造 製造年 特徴
M.U.3800 - 3809 近畿車輛 東芝
三菱
NABCO 1973年
M.U.3810 - 3819 日本車輌
M.U.3820 - 3828 東急車輌
M.U.3829 - 3836 川崎重工
M.U.3837 - 3845 日立製作所
M.U.3846 - 3863 Fiat-Materfer
軍事製造サン・マルティン将軍工場
東芝
三菱
SIAM(Siam Di Tella)
SIAM 1976年 - 1978年
番号 製造 主な機器の製造 制動装置一式の製造 製造年 特徴
M.U.3864 - 3867 近畿車輛 東芝
三菱
NABCO 1973年
M.U.3868 - 3871 日本車輌
M.U.3872 - 3880 東急車輌
M.U.3881 - 3888 川崎重工
M.U.3889 - 3897 日立製作所
M.U.3898 - 3915 Fiat-Materfer
軍事製造サン・マルティン工場
東芝
三菱
SIAM(Siam Di Tella)
SIAM 1976年 - 1978年
M.F.U.3000 - 3005 近畿車輛 東芝
三菱
NABCO 1973年 荷物室付き車両
M.F.U.3006 - 3011

サルヴァドール近郊鉄道

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サルヴァドール近郊鉄道(ポルトガル語 : )とは、南アメリカブラジル北東部バイーア州の州都サルヴァドールで運行されている近郊鉄道である。

サルヴァドール近郊鉄道
基本情報
ブラジル
所在地 バイーア州サルヴァドール
種類 鉄道
開業 1860年6月28日(鉄道路線)
詳細情報
総延長距離 13,5 km(近郊鉄道運行区間)
路線数 1
駅数 10
保有車両数 36両(3両×12編成)
軌間 1000 mm軌間
電化方式 架空電車線電化方式
直流3000 V
最高速度 70 km/h
テンプレートを表示

Emepa Alerce

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Emepa Alerce(えめぱ・あれるせ)は、アルゼンチンで設計・開発・製造されている気動車である。 気動車向け

Emepa Alerce
基本情報
運用者 新アルゼンチン国鉄
製造所 Emepaチャスコムス工場
製造年 2013年 -
製造数 60両
3両20編成
運用開始 2015年
テンプレートを表示

概要

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Emepa Alerceはグルーポ・エメパにより設計・製造されている。

グルーポ・エメパはイタリア系アルゼンチン人が創立した多角的企業であり、1960年代より鉄道車両の修理事業で成功を重ね、現在は修理事業はもとより、ペルーの首都リマ初の近代的な都市鉄道であるメトロ・デ・リマ1号線の運営から和牛の飼育まで幅広い事業を展開。

2013年のある日、その創業の地・アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの南に位置するチャスコムスの車両修理工場を特徴的な車体の鉄道車両が出場した。その車体は水色を基調としており、2両の流線形の先頭車両の間に非常に長さの短く、窓はおろかドアが一つも設置されておらず、それがあるべき場所には巨大な通風口が設置されている車両が連結されている。

この車両こそがEmepa Alerceであり、

注釈

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ Alejandro D. Moscaro 2015, p. 11.
  2. ^ a b Lista de Coches - pagina1 - forotransportes.com
  3. ^ a b Lista de Coches - pagina2 - forotransportes.com
  4. ^ Los eléctricos Japoneses del Urquiza - portal de trenes.com.ar
  5. ^ REVISTA LA FRATERNIDAD 第1173号 1974年1月発行 - 第31頁
  6. ^ Características técnicas del Material Rodante Metrovías 2017 - 第61 - 65頁 - Metrovias

{{デフォルトソート:えめはあれるせ

{Category:アルゼンチンの鉄道}

ブラジル連邦鉄道2000形電気機関車

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ブラジル連邦鉄道2000形電気機関車
2000形電気機関車 9030形に改番されたのちの姿 2003年
2000形電気機関車
9030形に改番されたのちの姿
2003年
基本情報
運用者 ブラジル連邦鉄道ポルトガル語版(1998年まで)
MRSロジスティカポルトガル語版(1998年より)
製造所 日立製作所
形式 2000(ブラジル連邦鉄道)
9030(ブラジル連邦鉄道末期・MRSロジスティカ)
車両番号 2001 - 2012・9041 - 9042
9031 - 9042
製造年 1972年(2001 - 2008)
1979年(2009 - 2012)
1990年(9041・9042)
製造数 14両
運用開始 1974年
運用終了 2014年
投入先 サントス・ジュンジアイ鉄道
主要諸元
軸配置 Bzz'Bzz'(ラック軸を含む)
B-B(ラック軸を含まない)
軌間 1600 mm
電気方式 架空電車線方式
自重 106 t[注釈 1]
主電動機 直流電動機
EFFZO-H60
制動装置 自動空気ブレーキ
発電ブレーキ
緊急ブレーキ(ばねブレーキを含む)
最高速度 平坦区間 - 45 km/h
ラック式上り30 km/h
ラック式下り25 km/h
定格速度 24.4 km/h
出力 2820 kW
定格出力 2500 kW(連続)
2760 kW(連続なし)
定格引張力 380 kN
諸元は[1][2][3]より
テンプレートを表示

ブラジル連邦鉄道2000形電気機関車(ぶらしるれんぽうてつどう2000かたでんききかんしゃ)とは、ブラジルの国有鉄道にあたるブラジル連邦鉄道ポルトガル語版が導入したラック式電気機関車である。

概要

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導入までの経緯

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1856年、ブラジルの発展に貢献した同国の男爵・イリネウ・エヴァンゲリスタ・ジ・ソウザポルトガル語版イギリスの鉄道技師集団の一人、スコットランド人ジェームズ・ブルンリーズ英語版に鉄道の建設を依頼した[4]。その主な理由は、当時のブラジル政府がサンパウロ州内の主にの内陸部で収穫される大量のコーヒー豆を、より効率的に輸出のための積み出し港であるサントスへ運ぶことができるようにする手段を求めていたことである[4]

しかし、コーヒー豆が収穫される内陸部と積み出し港のある海岸部の間には、同国中南部の大西洋沿いに連なるセーハ・ド・マール(Serra do Mar、海岸山脈)が聳えており、その高低差は800 mに及ぶことから、当時西ヨーロッパ各地における急こう配の鉄道建設で大きな成功を収めていたイギリスの鉄道技師集団を呼び、実地測量を実施してもらうことを計画し、1859年に政府は「より短距離で建設を行うこと」を条件としてそれを認可[4][5]。ジェームス・ブルンリー率いるイギリスの鉄道技師集団はブラジルに上陸し、海沿いのサントス側から測量を開始。その結果、建設予定線のうち、約800 mの高低差を有するハイス・ダ・セーハ駅ポルトガル語版パラナピアカバ駅の間の約8 kmの区間を4区間へ分割し、1区間あたり10.3 ‰勾配のインクラインを設置して、「セーハブレーキ」と呼ばれる車両がインクラインの中央に設置されたケーブルをひっかけて列車を押し上げ・押し下げするという仕組みが採用され、1867年2月16日に開通した[4]。このインクラインにおける動力は豊富な水力によって供給されるボイラーであり、インクライン上の「セーハブレーキ」はカウンターウエイトによって制御されていたため、一列車あたりの重量は60 tまでに制限されていた[5]

このインクラインを含めた、サントス - ジュンジアイ間の1,600 mm軌間の鉄道の運営はイギリス資本のサンパウロ鉄道ポルトガル語版(ポルトガル語の発音 : サン・パウロ・ヘイルウェイ)によって行われることとなり、同社には「(1856年から)90年間の運営独占権」が与えられ、車両も基本的にイギリスから輸入されることとなった[4]

開通後もコーヒー豆の需要が増加したため、1890年に上記のインクラインと並行して、新規のインクラインを建設することとなり、1895年に建設が開始され、1901年に開通[4]。従来のインクラインと比べ、途中経路が一部変更されたことからハイス・ダ・セーハ駅とパラナピアカバ駅の間の距離は10.5 kmに伸び、インクラインの設置区画は4箇所から5箇所へと変更されたものの、当時最新の大型のボイラーと長いケーブル、および列車を押し上げ・押し下げする車両が蒸気動力化された「ロコブレーキ」となったことから、一列車あたりの重量制限は従来の2倍の120 tへ増量された[5][6]

なお、1856年にブラジルとイギリスの間に結ばれた契約である「90年の運営独占権」が終了した1946年に、サンパウロ鉄道はイギリス資本からブラジル政府に接収され、その翌々年の1948年に国営のサントス=ジュンジアイ鉄道ポルトガル語版となり、さらに1957年には当時の同国政府が推進していた国内鉄道の国有化政策による再編で、ブラジル連邦鉄道の一部となった[4]

二つのインクラインが整備されたこの区間は、前述のコーヒー豆に代表されるブラジルからの作物の輸出だけではなく、船でサントスの港に到着した日系移民に代表される、様々な国からの移民が乗り換えのためにサンパウロの町へ向かう途中に通過した歴史も持っているが、1867年に開業した最初のインクラインは、開業から100年の節目となる1960年代に入ると老朽化が非常に目立つようになり、同時に自動車の増加による需要の低下から稼働を停止した。

しかし、ブラジル連邦鉄道が最初のインクラインの稼働を停止した大きな理由は、インクラインの設備を大幅に近代化させ、それにより一列車当たりの重量制限を800 tへ増やすための準備というものであった ref name="Cremalheira" 。


[[1]] [[2]] [[3]] [[4]]

車両の詳細

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2000形・9030形電気機関車
車両番号 製造企業 製造年 備考
2001 - 2008
9031 - 9036
セル1A 1972 2005・2007は事故廃車
2009 - 2012
9037 - 9040
セル2A 1979 セル2C
9041 - 9042 1990

注釈

[編集]
  1. ^ 一部の文献では86.5 tおよび118 tとなっている。

脚注

[編集]
  1. ^ HITACHI ELECTRIC LOCOMOTIVES - 日立製作所 - 1982年作成
  2. ^ 「ブラジル連邦鉄道納め 電気機関車完成」 - 「日立ニュース」1972年10月号・第3頁 - 日立製作所 - 1972年作成
  3. ^ José Emílio de Castro Horta Buzelin, A ferrovia de Minas, Rio e São Paulo, Memória do Trem, p.146.
  4. ^ a b c d e f g A História da Ferrovia Santos-Jundiaí que levou o progresso ao Estado de SP - VIATROLEBUS - 2019年3月19日作成・2020年6月15日閲覧
  5. ^ a b c A GATEWAY TO BRAIL - MIKE'S RAILWAY HISTORY - 2010年9月更新・2020年6月29日閲覧
  6. ^ Museu Tecnológico Ferroviário - Paranapiacaba - ブラジル鉄道保存協会 - 2001年9月作成・2020年6月29日閲覧

関連項目

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  • シュタッドラー He4/4形電気機関車 - 当車両の後継として、2012年にスイスの鉄道車両メーカー、シュタッドラー・レールにより7両が製造された電気機関車。最新の技術を採用し、当車両と比べより少ない電力でより多くの重量の列車を牽引することが可能となっている。
  • ブラジル連邦鉄道1100形ディーゼル機関車 - 当車両を基礎に、動力機関をディーゼルエンジンに変更した機関車。ラック式区間における工事列車および緊急用の車両として1979年に日立製作所で3両が製造された。



[[Category:ブラジルの鉄道車両 [[Category:日本の輸出鉄道車両 [[Category:日立製作所製の電気機関車 [[Category:ラック式の鉄道車両 [[Category:1972年製の鉄道車両

ブラジル中央鉄道100形電車

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ブラジル中央鉄道100形電車
100形電車
リオデジャネイロのバラウ・ジ・マウア(廃駅)にて
基本情報
製造所 メトロキャメル(艤装)
メトロポリタン=ヴィッカース(電気機器)
製造年 1935年 - 1948年
製造数 90両
3両30編成
運用開始 1937年
運用終了 1983年(電車)
主要諸元
編成 100形 - 1編成3両(制御車 - 中間電動車 - 制御車)
300形 - 1編成4両(制御車 - 中間電動車 - 中間電動車 - 制御車)
軌間 1600 mm
1000 mm(狭軌線用客車改造車)
電気方式 直流3000 V
架空電車線方式
最高速度 70 km/h
起動加速度 1.8 km/h/s
編成定員 208人(100形3両・着座)
412人(100形3両・立席)
車両定員 72人(制御車)
68人(中間電動車)
車両重量 34 t(制御車)
56 t(中間電動車)
車体長 20000 mm
(制御車・電動車共通)
車体幅 3000 mm
車体 炭素鋼
台車 ボギー
主電動機 直流直巻電動機 MV-155
主電動機出力 175 hp(登場当時)
225 hp(交換後)
駆動方式 釣り掛け駆動方式
制御方式 抵抗制御
制動装置 自動空気ブレーキ
備考 諸元は[1]より
テンプレートを表示

ブラジル中央鉄道100形電車(ぶらじるれんちゅうおうてつどう100がたでんしゃ)は、ブラジルにかつて存在した鉄道事業者、ブラジル中央鉄道ポルトガル語版電車[1]。ブラジル初の通勤形電車であり、導入当時同国の首都であったリオデジャネイロの近郊鉄道の電化に伴い登場した[2]ここでは、100形に中間電動車1両を増結した4両固定編成の300形についても記述する[3]

車両の概要

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リオデジャネイロにおける運用

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1936年12月に最初の編成がリオデジャネイロ港で陸揚げされ、同月21日より試運転を開始[4]1937年7月10日より3編成が運用を開始し、翌1938年には57編成が到着、順次運用入りした。そして、10年後の1948年には合計90編成の陣営となっていた。

本形式はイギリスから輸入されたため、交換部品もイギリスより取り寄せる必要があったが、本形式を製造したメトロキャメルは第二次世界大戦による軍需拡大により戦車の製造に忙しく、輸出車両の部品を製造している手間がなかったため、部品の供給が途絶えることとなり、運用から離脱し、客車として使用される車両が拡大した。

さらに、リオデジャネイロのサバナ気候が暑さが厳しいとは言えないイギリスで設計・製造された主電動機に負荷を与え、

サンパウロにおける運用

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ベロオリゾンテにおける運用

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ポルトアレグレにおける運用

[編集]

注釈

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b Trem Metropolitan Vickers - série 100 - Centro-Oeste Brasil - 2020年7月1日閲覧
  2. ^ TUE SéRIE 100 - FERREOCLUBE - 2016年7月8日作成・2020年7月1日閲覧
  3. ^ TUE SéRIE 300 - FERREOCLUBE - 2016年8月5日作成・2020年7月1日閲覧
  4. ^ A inaguração dos trens electricos na E.F.C.B. - Correio da Manhã(アーカイブ) - 1937年7月13日作成・2020年8月30日閲覧

関連項目

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{{DEFAULTSORT:ふらしるちゆうおうてつとう100かたてんしや}]

レンフェ269形電気機関車

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レンフェ269形電気機関車(レンフェ269がたでんききかんしゃ)は、スペインの鉄道事業者・レンフェ電気機関車[1]日本三菱グループ、およびそのライセンスを受けたスペイン国内の企業によって製造され、スペインを代表する電気機関車となった。

本形式には性能および製造時期によってつけられた基本番台500番台200番台600番台からなる4つの番台区分、およびその改造によって誕生した多数の番台区分が存在しており、ここではそれぞれについてを分けて解説する。日本の三菱グループによる設計から、愛称は"Las Japonesas"

また、本形式のうちの4両はチリチリ国有鉄道へ売却され、チリ国鉄E-269形電気機関車となっている。本記事ではそれについても記述する。

TEEのカタラン・タルゴを牽引する269形電気機関車
(基本番台、269.099号機)

基本番台・500番台

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レンフェ269形電気機関車
基本番台・500番台

基本番台・269.043号機
500番台(更新後・269.516号機)
基本情報
運用者 レンフェ(スペイン国鉄)
レンフェ・オペラドーラ
製造所 艤装
CAF
電気機器
三菱電機
GEE
WESA
形式 269.0/269.5
製造年 基本番台 : 1973年 - 1978年
500番台 : 1974年 - 1979年
製造数 基本番台 : 108両
500番台 : 22両
改造年 500番台から基本番台へ編入 : 1998年 - 1999年
改造数 500番台から基本番台へ編入 : 6両
運用開始 基本番台 - 1973年
500番台 - 1974年
愛称 "Las Japonesas"
主要諸元
軸配置 B-B
電気方式 直流3000 V
架空電車線方式
長さ 16,100 mm
連結器間 : 17,270 mm
3,126 mm
高さ 4,260 mm
台車 コイルバネ式ボギー台車
固定軸距 2,280 mm
動力伝達方式 WN駆動
1台車1電動機2軸駆動方式
主電動機 三菱電機
MB-3200-B2
歯車比 基本番台
旅客列車牽引 - 3.30
貨物列車牽引 - 5.31
500番台
旅客列車牽引 - 2.91
貨物列車牽引 - 4.68
制動装置 自動空気ブレーキ
真空ブレーキ
保安装置 ASFAスペイン語版
最高運転速度 基本番台
旅客列車牽引 - 140 km/h
貨物列車牽引 - 80 km/h
500番台
旅客列車牽引 - 160 km/h
貨物列車牽引 - 90 km/h
備考 諸元は[2]より。
テンプレートを表示

[3]

269形電気機関車
基本番台
車両番号 車体製造企業 製造年 備考
269.001 - 269.016 CAF 1973
269.017 - 269.038 1974
269.039 - 269.053 1975
269.054 - 269.081 1976
269.082 - 269.096 1977
269.097 - 269.108 1978
269.109 CAF 1978 269.512より改造
269.110 269.510より改造
269.111 269.506より改造
269.112 1974 269.504より改造
269.113 1978 269.516より改造
269.114 269.515より改造
269形電気機関車
500番台
車両番号 車体製造企業 製造年 備考
269.501 - 269.504 CAF 1974 セル1C
269.505 - 269.507 1978 セル2C
269.508 1977
269.509 - 269.522 1978

200番台

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レンフェ269形電気機関車
200番台

200番台
269.212号機
前期型・タクシー塗装
200番台
269.307号機
後期型・ エストレーリャ塗装
基本情報
製造所 艤装
CAF
MACOSAスペイン語版[注釈 1]
Ateínsa[注釈 2]
電気機器
三菱電機
WESA
GEE
形式 269.200/300
車両番号 269.2
製造年 1980年 - 1985年
製造数 131両
主要諸元
動力伝達方式 1台車1電動機2軸駆動方式
(モノモーター方式)
主電動機 直流直巻電動機
三菱電機
MB-3200-B3
歯車比 旅客列車牽引 - 2.91
貨物列車牽引 - 4.68
制御方式 抵抗制御
制動装置 自動空気ブレーキ
真空ブレーキ
保安装置 ASFAスペイン語版
最高運転速度 旅客列車牽引 - 160 km/h
貨物列車牽引 - 100 km/h
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概要

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1980年代にふさわしい鉄道を模索するレンフェの「一般鉄道計画」が策定され、その一環として三菱グループおよびスペインの各鉄道車両メーカーへ発注された車両である[4]

構造

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車体
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車体は基本番台および500番台と同様の箱型車体であるが、製造途中の1982年から1983年にかけて細かな変更が行われた[5]。その主な内容は、運転室側面の窓が個別に別れた非ユニット窓から縦型のユニットへ変更されたこと、前面のパノラミックウインドウを抑える器具が黒色の水切り付きHゴムから金属製のものへ変更されたことと、車体側面に設置されている、抵抗器冷却用のルーバーの機構が一部変更されたこと、パンタグラフの設置される向きが < > から > < ヘ変更されたこと、および前面のパノラミックウインドウが通常ものから熱線入りの強化仕様へ変更され、デフロスタがなくなったことである。以下に前者を前期型'、後者を後期型として、車両と形態の対照を述べる。

  • 前期型 : 201号機 - 221号機 : 1980年 - 1982年製造
  • 後期型 : 222号機 - 331号機 : 1983年 - 1984年製造
搭載機器
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多くの主要機器は基本番台と同様であるが、補助電源を供給する機器は直流によって電圧変換を行う直流電動発電機(MG装置、形式はMG 151 AF、110 V)から、三相交流によって整流を行う160 kVAの交流電動発電機(電動オルタネーターとも、形式はMG 138 A2-F、380V・50 Hz)へ変更されるなど、より先進的な技術が採用されている。

台車
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こちらも基本番台と同様、1台車1電動機2軸駆動方式を採用したことから、各台車に三菱電機設計の大型の直流電動機・MB-3200-B3が1つずつ設置されており、3,100 kWの出力を発揮する。また、粘着特性を強化するために軸重移動をなくす必要があることから、日本国鉄ED75形電気機関車などと同様の低引張棒方式(低引っ張り棒方式、ロートラクションバー方式とも)を用いている点も基本番台に由来する。

沿革

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発注は二回に分けて行われ、一回目が21両、二回目が110両であった[4]。一回目に発注された前期型の車両は同時期に登場した600番台と同じ、車体上部を紺色、下部を黄色で配置し、両色の境目をジグザグ状とした、マジンガー塗装と呼ばれる塗装で登場している[5][6][注釈 3]。これらの車両は、1980年から1982年にかけて201号機から210号機がCAFで、211号機から221号機がMACOSAスペイン語版において製造され、マドリードのフエンカラル機関区とバルセロナのカン・ツニス機関区に分けて配置された[3]。運用開始後は、当時マドリードおよびバルセロナを起点とする一部の急行列車で固定運用されていた、フランス国鉄より借用のコライユ客車を使用する列車や、当時もっとも位の高い列車種別タルゴ特急スペイン語版の牽引を行った[5]

二回目に発注された後期型の車両は前期型と異なる塗装で登場した。多くの車両はシアサッカー塗装と呼ばれる、黄色と紺色を交互に配置し、前面に両色のストライプ模様を持つ塗装を纏って工場を出場したが、1984年末から1985年初頭に落成した車両は、当時最新の客車であった10000系客車スペイン語版と合わせた、エストレーリャ塗装を纏って工場から出場[7][5][8]。この塗装は茶色・黄土色・白色を組み合わせたもので、名前と同様の夜行列車・エストレーリャの運行開始に合わせて誕生したものである[8]。後期型の配置は前期型と同じ機関区のほか、セビージャの機関区にも配置された点が特筆される[5]

総勢131両となり、さまざまなレンフェの広報に登場するなど、その中・長距離客車列車の顔といえる存在となった本番台は、1988年に前期型のマジンガー塗装を順次エストレーリャ塗装へ変更するなどの変化が生まれたほか、1990年からは新たにマドリードの近郊列車・セルカニアス マドリードにおいて活躍を始めることとなった[6][5][9]。これは、新しく製造された二階建ての450系客車スペイン語版プッシュプル編成を形成するというもので、日本設計の電気機関車とフランス設計の制御室付き編成客車の組み合わせという特殊な形態のものである[5][9]。このプッシュプル編成を形成するため、15両が抜擢され、客車と共通の白色と赤色のシンプルな組み合わせが印象的なセルカニアス塗装に変更された[5][9]

このプッシュプル編成の運用では、駅間距離の短い区間に適した高加速・高減速を必要とするが、本番台は勿論、本形式自体がこのような運用に対応した設計ではないため、故障が目立つようになった[3]。そのため、450系客車を電車へ改造することになり、機関車に代わる制御電動車を製造して編成に組み込み、本番台はそれに置き換えられ、プッシュプル編成としての運用は終了となった[9]

レンフェは1991年に運行をする列車をそれぞれの部門に分けて再編を行い、本番台を含むすべての本形式は「機関車部門」(スペイン語: UN de Tracción)へ割り当てられ、同時にタクシー塗装と呼ばれる、車体両端を黄色、中央を灰色で塗装したものを纏う車両が誕生、次第に増加していった[10]

翌年の1992年には、セビージャに配置の車両の一部がタクシー塗装と異なる、AVE/ラルゴ・レコリード塗装もしくはAVE/タルゴ200塗装と呼ばれる塗装へ塗り替えられた[11]。これは、車体全体を白色で塗装し、その下部を紺色、前面上部を灰色で仕上げたもので、同年に開通したスペイン初の高速鉄道路線・マドリード=セビージャ高速線で使用される各種車両に合わせたものであり、基本的に同高速線を経由してマドリードとマラガウエルバおよびカディスを結ぶタルゴ特急の在来線区間の牽引を担当する仕業を担当したが、のちに一部はマドリードに配置され、同所を拠点とする運用にも就くようになった[11]

タクシー塗装およびAVE/ラルゴ・レコリード塗装を纏う車両の誕生と同じ頃より、車体の延命を図る更新工事がすべての車両に対して始められた。この主な内容は、

  • 前面の窓を2枚のパノラミックウインドウから2枚の防曇仕様の平面強化窓へ交換
  • 前期型の車両の運転室側面の窓を個別の非ユニット窓から縦型のユニット窓へ交換
  • 前期型の車両のパンタグラフの向きを後期型と同様の < > から > < へ変更

というものである[10][12]

このパノラミックウインドウが平面窓へ交換されることとなった理由には、防雲・強化仕様のパノラミックウインドウの製造を行うことに大きな費用と手間がかかることが判明した、というものがあるが、最大の理由は、パノラミックウインドウの湾曲した部分に当たる強い日差しなどの反射が運転士の視界に少なからず影響を与えたこととされる[12]

これらの改造が行われるとともに、1994年からは旅客列車牽引を行う車両を新たに設置されたラルゴ・レコリード部門[注釈 4]へ分配し、その一部を400番台へ改造する工事が行われた[注釈 5]。この改造の内容は、ギア比を旅客列車牽引用に固定し、台車を高速走行に適したものへ履き替える、というものである[3]。この件に関してはレンフェ269形電気機関車#400番台を詳細。

また、貨物列車の牽引を行う車両はトランスポルテ・コンビナード部門スペイン語: UN de Transporte Combinado、結合輸送の意)へ分配され、その中で老朽化が目立っていた車両に対しては、1997年より貨物列車牽引用にギア比を固定する改造が行われ、それらは700番台となった。この件に関してはレンフェ269形電気機関車#700番台を詳細。

これらの部門別分配に関しては、順次それぞれの部門のロゴマークが運転室側窓下に貼られたほか、ラルゴ・レコリード部門グランデス・リネアス部門スペイン語: UN de Grandes Líneas[注釈 6]へ改名されたが、部門間の車両の大きな移動は発生していない[10][13]

2000年代に入るとさらに多くの車両がギア比を固定する改造を受け、それにより、旅客列車牽引用900番台、貨物列車牽引用の950番台がそれぞれ誕生したほか、タルゴ特急のうち、マドリード - マラガ間以外の高速線と在来線を直通する列車に対してアルタリアという名称が付けられたことから、グランデス・リネアス部門のうち、AVE/ラルゴ・レコリード塗装を纏う一部の車両の車体側面に列車名のAltariaというロゴが貼り付けられたり、トランスポルテ・コンビナード部門カルガス部門スペイン語: UN de Cargas)との合併により、同部門の車両が合併により誕生したメルカンシアス部門スペイン語: UN de Mercancías)の配置となるなどの変化が起きた。

2005年より、欧州連合の法令に基づき、レンフェは上下分離で民営化され、従来所属していた機関車を含む車両は列車運行を行うレンフェ・オペラドーラに継承された。それに伴い、車両の塗装が再度変更されることとなり、

旅客列車を牽引する269形電気機関車200番台

269形電気機関車
200番台
車両番号 車体製造企業 製造年 備考
269.201 - 269.210 CAF 1980
269.211 - 269.220 MACOSA 1981 製造番号620 - 629
269.221 1982 製造番号630
269.222 - 269.248 CAF 1983
269.249 - 269.270 1984
269.271 - 269.282 MACOSA 1983 製造番号701 - 712
269.283 - 269.302 1984 製造番号713 - 732
269.303 1983 製造番号733
269.304 - 269.308 1984 製造番号734 - 738
269.309 - 269.331 Ateínsa 1984

600番台

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レンフェ269形電気機関車
600番台

600番台
269.601号機・更新後
600番台
269.604号機(車体更新後)
基本情報
製造所 艤装
三菱重工業(三原製作所)
CAF
電気機器
三菱電機
形式 269.600
製造年 1980年 - 1981年
製造数 4両
改造年 1988年(高速化対応工事)
運用開始 1981年
運用終了 2007年(定期)
愛称 Las Japonesas
Coralinas
Gato Montés(604号機)
主要諸元
軸配置 Bo-Bo
軌間 1,668 mm
広軌
電気方式 直流3000 V
架空電車線方式
長さ 16,100 mm
連結器間 : 17,270 mm
3,126 mm
車体更新後の604号機 : 3,046 mm
主電動機 三菱電機
MB-3200-B2/B3
主電動機出力 1,550 kW
制御方式 電機子チョッパ制御
制動装置 自動空気ブレーキ
真空ブレーキ
最高運転速度 新製時
旅客列車牽引 : 160 km/h
貨物列車牽引時 : 100 km/h
高速化改造後
旅客列車牽引時 : 200 km/h
出力 3,100 kW
定格出力 3,100 kW
定格引張力 旅客列車牽引時 : 14,600 kg
貨物列車牽引時 : 2,360 kg
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概要

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スペイン国鉄においては、1970年代以降もエネルギー効率改善計画という名目のもとに幹線電化が次々と進められていた。それらの幹線には勾配区間と曲線区間の多い山地の路線が多く、高出力、高粘着特性、強力な発電ブレーキ、高速で曲線走行可能な電気機関車が求められたことから、前述の基本, 500番台において実績のある三菱グループがその機関車の開発を担うこととなった。そこで1980年に誕生したのがこの600番台である[14]

なお、この番台は日本製で初めてチョッパ制御を採用した幹線用電気機関車である。

構造

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車体
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車体は基本番台、500番台および製造時期が同じ200番台前期型と同様の箱形であるが、チョッパ装置箱設置影響で屋根上形状がやや異なる。

搭載機器
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多くの主要機器は基本番台と同様であるが、補助電源を供給する機器は直流によって電圧変換を行う直流電動発電機(MG装置、形式はMG 151 AF、110 V)から、三相交流によって整流を行う160 kVAの交流電動発電機(電動オルタネーターとも、形式はMG 138 A2-F、380V・50 Hz)へ変更されるなど、より先進的な技術が採用されている。

269形電気機関車
600番台
車両番号 車体製造企業 製造年 備考
269.601 - 269.602 三菱重工業
三原製作所
1980
269.603 - 269.604 CAF 1981 269.604は1988年に車体乗せ換え

改造によって誕生した番台

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350番台

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貨物列車の牽引に特化した車両で、2両を1組とした2両1ユニットの「タンデム」とよばれる形態が特徴[3]

2008年に200番台からの改造および900番台からの再改造によって誕生した[3]。改造の内容は、

  • 貨物列車の牽引に特化するため、ギア比を貨物列車牽引用に固定
  • 2両で1ユニットを形成することから、両車両の連結面側の運転台の使用を停止

といったもので、塗装は、269.351号機と269.355号機および269.356号機が改造時に車体中央を濃い灰色、両端全体を白色、両端側面の窓下を紫色の線で仕上げたパントーネ・メルカンシアス(貨物)塗装に変更されて出場[3]。ほかの3ユニットは種車時代の車体中央を濃い灰色、両端を黄色で塗装したタクシー塗装のまま改造されて出場したものの、これら3ユニットものちに順次新しい塗装へ変更されている[3]

この350番台はそれぞれマドリードのフエンカラル機関区、セビージャのサンタ・フスタ機関区、バルセロナのカン・ツニス機関区およびミランダ・デ・エブロの機関区に配置され、運用されていたが、2010年代の後半に269.354号機を除いたすべての車両が民間の鉄道会社・Continental Rail(Raxell Rail)スペイン語版とGo Transportへ売却された[3]

269形電気機関車
350番台
車両番号 改造種車番号 改造年 備考
269.351 269.234+269.245 2008
269.352 269.903+269.904 2008
269.353 269.901+269.918 2008
269.354 269.906+269.907 2008
269.355 269.908+269.910 2008
269.356 269.912+269.913 2008

400番台

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高速で走行する旅客列車の牽引に特化した車両。1992年に開通したマドリード=セビージャ高速線を部分的に経由し、首都と同国南部の主要都市を結ぶ速達の特急列車・タルゴ200の在来線区間における牽引の役割を果たすことが主な役目であり、主にマラガセビージャの機関区に配置されたが、一部の車両はマドリードのフエンカラル機関区および同国北部のサンタンデールに配置され、それぞれ同地を発着する急行列車(ディウルノ)・特急列車の牽引を行うこととなった[3]

1995年から1997年にかけて、200番台より計20両が改造された。その内容は、

  • 旅客列車の牽引に特化するため、ギア比を旅客列車牽引用に固定
  • 台車を高速走行に適したものへ交換

というものであり、多くの車両は上記の改造と同時に前面窓の平面・強化ガラス化と運転室改良の内容の更新工事を受けている。

塗装は、マラガとセビージャに配置の車両は車体全体を白色で塗り、その下部に牽引する客車に合わせた高さに青色・黄色の帯を入れたタルゴ200塗装を、マドリードおよびサンタンデールに配置された車両は改造当時の標準である車体両端を黄色、車体中央を灰色としたタクシー塗装を纏い、それぞれの活躍を始めたが、のちに一部の車両が車体全体を白色で塗装し、その下部に薄い青色の線を入れたグランデス・リネアス塗装に変更、さらに2005年の上下分離・民営化後には一部の車両が車体全体を白色で塗装し、そこに紫色の線を2本入れたパントーネ塗装、および紫色の線のうち、1本を銀色としたパントーネ・タルゴ200塗装へ変更されている[3]

上記のように、旅客列車の牽引に特化してきた400番台であるが、2000年代後半より高速線の新規開業が相次ぎ、それに伴って平行する在来線の優等列車が大幅に削減されたため、余剰となる車両が続出。2010年代前半にはほぼすべての車両が休車となり、全体の半数を超える14両は2017年の3月までに解体されたものの、残りの6両のうち、4両は休車状態のまま同国各地の機関区で疎開し、もう2両は2020年に民間鉄道会社のALSA Railスペイン語版へ売却され、再び運用へ復帰している[3]

269形電気機関車
400番台
車両番号 改造種車番号 改造年 備考
269.401 269.324 1995
269.402 269.229
269.403 269.319
269.404 269.311
269.405 269.274 1996
269.406 269.304
269.407 269.327
269.408 269.330
269.409 269.237
269.410 269.233
269.411 269.258
269.412 269.256
269.413 269.284
269.414 269.283
269.415 269.241
269.416 269.279
269.417 269.282
269.418 269.288
269.419 269.223 1997
269.420 269.240

700番台

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ギア比の固定で最高速度を120 km/hに抑えた貨物列車牽引用の車両[3]。200番台のうち、長時間の高速運転による機器の老朽化が目立つようになった17両を種車として1999年から2000年にかけて誕生したが、2002年に269.717号機を除いてすべて750番台(初代)へ再改造された[3]

その後しばらくは再改造されずに残った269.717号機のみの存在であったが、2005年に750番台(初代)に改造されていた車両が再び本形式に編入されたことと、900番台から750番台へ改造された2両が新たに加わったこと、および750番台からの再改造時に269.702号機となる車両がギア比の固定を解除され、200番台の原番号へ復帰したことから18両の陣営となった[3]

しかし、2009年より、再び750番台への改造が行われることとなり、2002年の時と異なる車両同士の組み合わせで同番台へ改造。それに伴い、本番台は2010年までに消滅[3]

塗装は基本的にタクシー塗装と呼ばれる、車体両端を黄色、中央を灰色で仕上げたものを採用していたが、2005年に750番台(初代)より復元された車両の一部は、復元と同時にパントーネ・メルカンシアス塗装と呼ばれる、車体全体を白色、車体中央を灰色、両端側面の窓下に紫色の帯を入れた塗装へ変更されている[3]

750番台

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貨物列車牽引用の車両で、前述の700番台を2両1ユニットとしたもの[3]。初代と二代目があるが、どちらも700番台からの改造で誕生した[3]

初代

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2002年に上記の700番台および後述の900番台から改造された車両。主な改造の内容は、

  • 16両から2両1ユニットの合計8ユニットを作成
  • 1ユニットを形成する2両のうち、連結面の運転台を使用停止

というものであった。700番台の項で述べた通り、改造から約3年後の2005年に700番台へ復元(900番台から改造された車両は700番台へ再改造)されて消滅[3]

塗装はタクシー塗装であった。

二代目

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2009年に初代から復元された700番台を再び改造した車両。主な改造の内容は初代と同様であるが、1ユニットを形成する2両の組み合わせが異なっている[3]

塗装はタクシー塗装であったが、順次パントーネ・メルカンシア塗装へ変更された[3]

2011年より運用から離脱しており、269.753号機と269.757号機は解体されている[3]

800番台

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基本番台のギア比を貨物列車牽引用に固定した車両で、2000年から2003年にかけて14両が改造された[3]。なお、改造種車の基本番台の貨物列車牽引時の最高速度は90 km/hであったが、改造に合わせて100 km/hに引き上げられている[3]

塗装は全ての車両がタクシー塗装であった[3]

バルセロナとサラゴサに配置されたが、2003年から翌2004年にすべての車両が後述の850番台へ改造されて消滅[3]

850番台

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800番台を2両1ユニットとして結合させた車両[3]2003年から翌2004年にかけて改造が行われた[3]。 改造の内容は

  • 種車14両から2両1ユニット7組を構成
  • 連結面側の運転台を使用停止

というものであった。

改造時はすべての車両が改造前と同様のタクシー塗装であったが、2005年に行われたレンフェの上下分離・民営化後より順序パントーネ・メルカンシアス塗装へ変更された[3]

すべての車両がセビージャに配置され、同所を拠点にアンダルシア地方各地の電化路線の貨物列車を牽引したが、2016年頃にレオンへ転属[3]2019年にはすべての車両が民間の列車運行会社・Low Cost RailおよびRaxell Railへ売却されたが、Raxell Railへ売却された269.854号機は2009年に火災を起こし損傷、休車となっていた車両で、売却後は部品取り車両となったのちに解体された[3]

900番台

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200番台のギア比を旅客列車牽引用に固定した車両で、1999年から2001年にかけて20両が改造された[3]。なお、当初の計画では23両が改造される予定であった[3]

改造時はすべての車両がタクシー塗装であったが、のちに一部がグランデス・リネアス塗装へ変更された[3]

種車の200番台と同様、スペイン各地に配置され、基本的に旅客列車の牽引を行うこととなったが、269.919・920号機は暫定的に本番台へ編入されていたことから、改造まもなく750番台へ再改造されたほか、2004年に4両が運用から離脱、南米チリ国有鉄道へ売却された[3]。本番台は改造の内容が400番台と似ているが、台車は種車のものを流用した点が異なる。

高速新線の相次ぐ開業により、牽引する旅客列車の数が減少したことから、2008年に10両が350番台へ改造され、4両のみの陣営となったが、この4両は転用先が見つからず、長期間休車となったのちに解体された[3]

950番台

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200番台を改造した車両[3]。ギア比の切り替え装置の使用停止と台車の交換、および速度制御機構を追加が行われており、速度が100 km/hを超えると自動的に列車が停止する仕組みとなっている[3]

2004年初頭に299形電気機関車スペイン語版として改造された3両が同年内に再び本形式へ編入されたことで誕生し、直接本番台へ改造された19両と合わせて22両の陣営となり、スペイン各地に配置されて主に貨物列車の牽引を行った。しかし、VVVFインバーター制御を採用したドイツ製の新しい電気機関車、253形電気機関車スペイン語版の大量導入などで余剰となり、多くが運用から離脱、269.963号機は解体されたほか、269.955・956・961・962・971号機は民間の列車運行企業、Raxell Railへ売却されている[3]

改造時の塗装はタクシー塗装であったが、のちに多くの車両がパントーネ・メルカンシアス塗装へ変更された[3]

チリ国鉄E-269形電気機関車

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チリ国鉄E-269形電気機関車
E-269形電気機関車 E-269-04号機
E-269形電気機関車
E-269-04号機
基本情報
運用者 チリ国鉄
車両番号 E-269
種車 レンフェ269形電気機関車
改造年 2003年
改造数 4両
導入年 2003年 - 2004年
総数 4両
運用開始 2003年12月
主要諸元
軸配置 Bo-Bo
軌間 1,676 mm
広軌
電気方式 直流3000 V
架空電車線方式
制動装置 自動空気ブレーキ
最高速度 160 km/h
出力 3,100 kW
定格出力 3,100 kW
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概要

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チリ共和国の首都・サンティアゴ・デ・チレを起点として南北に延びるチリ縦貫鉄道のうち、同国南部の各都市の方向へ向かう区間は5フィート6インチ軌間(1,676 mm)で敷設され、首都とコンセプシオン周辺およびテムコの間は直流3000 Vで電化されている。

しかし、1970年代中盤から翌1980年代後半にかけて同国を支配したアウグスト・ピノチェトの軍事独裁政権の時代は極端な新自由主義市場経済を採用していたことで一部区間の電化延伸以外の部分への投資が行われず、軌道を中心とした状態が劣化し、安定した列車の運行が不可能な状態となっていた[15]。そのため、新幹線に代表される高度な技術や念の入った軌道および周辺設備の整備、大幅な赤字に悩まされつつも豊富な営業実績を持つことで有名であった日本国鉄を有する日本政府に設備の改修を依頼を決め、その支援で円借款を用いた需要の高い区間の設備リハビリ・更新事業が行われることとなった[15][16]。この改修事業は1992年に開始され、1999年に完了[16]

これと並行して、チリ国鉄はレンフェ(スペイン国鉄)より中古の鉄道車両各種を購入しており、従来からの老朽化した車両を中古ながらも比較的状態の良い車両をスペインで更新したうえで導入することで置き換えていた[16]。その一連の流れで、1930年代製造の半鋼製寝台車など非常に老朽化した車両で構成されていたサンティアゴ・デ・チレ=コンセプシオン/テムコ間の夜行列車をより新しい車両へ置き換えることとなり、そこで

注釈

[編集]
  1. ^ Material y Construcciones S.A. の頭文字から。同国のバルセロナおよびバレンシアを拠点とする鉄道車両メーカーで、主な業務は機関車の製造。1980年代後半にMeinfesa(Mediterranea de Industrias del Ferrocarril S.A. の頭文字から)へ改名、さらに1990年代前半にフランスの鉄道車両メーカー・GECアルストムへ買収されたが、アルストムの業績不振に伴う整理の一環としてドイツの機械メーカー・フォスロへ売却、さらにフォスロの機関車製造部門の業績不振により再度売却され、現在はスイスの鉄道車両メーカー・シュタッドラー・レールが保有している。
  2. ^ Aplicaciones Técnicas Industriales S.A. の頭文字から。同国のマドリードに所在する鉄道車両メーカーで、本番台は主に気動車とディーゼル機関車および貨車の製造を行っていた同社としては初めての電気機関車であった。マドリード=セビージャ高速線で使用する高速車両(100系)の製造を行う関係で、1980年代後半にフランスの鉄道車両メーカー・GECアルストムに買収され、現在は同社の一部として機能している。
  3. ^ 名前の由来となった日本のアニメ・マジンガーZは1970年代後半より、放送権を購入したスペイン国営放送のTVEにおいて放送が行われており、視聴率が80パーセントを記録するなど大変な人気を博していた。この塗装は二つの塗装の境目のジグザグ状の塗り分けがマジンガーZに登場するロボットを連想させたから命名された。
  4. ^ スペイン語: UN de Largo Recorrido。1990年代前半に行われたレンフェの部門別分割に伴い誕生した、長距離列車の運行を担当する部門で、ラルゴ・レコリードとは「長距離」の意味。青と白の「ダノン塗装」と呼ばれる色合いがイメージカラーで、ロゴマークは菱形の中に分岐器を映したもの。在来線高速列車・ユーロメッドの運行開始後の1997年にグランデス・リネアス部門スペイン語: UN de Grandes Líneas、同義)へ改名された。
  5. ^ 日本国有鉄道の分割民営化において、同じ形式の機関車が日本貨物鉄道とそのほかのJR各社へ分けて継承された、という関係に近い。そのため、基本的にそれぞれの部門が独自に保有する機関車を運用するが、何らかの事情で機関車が不足した場合は、別の部門から同じ形式の機関車を借用する。
  6. ^ ラルゴ・レコリードと同様、長距離という意味であるが、ロゴが「海鳥の親子」および地中海西部バレアレス海のイメージをデフォルメした橙色と青色の波型のものへ変更されている。なお、このロゴは在来線高速列車・ユーロメッドのために用意されたものであった。

脚注

[編集]
  1. ^ Locomotora eléctrica 269.0/1 - レンフェ賃貸 - 2020年11月3日閲覧
  2. ^ 平尾 1974, p. 510.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao Renfe Operadora - 269 - listadotren.es - 2020年11月6日更新・2020年11月7日閲覧
  4. ^ a b 「スペイン国鉄納め251系電気機関車」 - 「電気車の科学」37巻第10号 39頁
  5. ^ a b c d e f g h [Las tracciones térmica y eléctrica en RENFE (LXXII): El imperio de las "japonesas" 269 (y II): Las "doscientas" y las "seiscientas" (RENFE 269-201 a 331 y 269-601 a 604) - Trenes y tiempos - 2018年11月28日作成・2020年12月19日閲覧
  6. ^ a b Locomotoras eléctricas serie 269 "Mazinger" (1981) - MM&MM - 2006年6月1日作成・2020年12月20日閲覧
  7. ^ Locomotoras eléctricas serie 269 "Mil Rayas", "Paterninas", "Galletas" (1983) - MM&MM - 2006年8月7日作成・2020年12月20日閲覧
  8. ^ a b Locomotoras eléctricas serie 269 Estrella (1985) - MM&MM - 2006年8月21日作成・2020年12月20日閲覧
  9. ^ a b c d Locomotoras eléctricas serie 269 U.N. Cercanías (1990) - MM&MM - 2006年9月4日作成・2020年12月20日閲覧
  10. ^ a b c Locomotoras eléctricas serie 269 Colores de la U.N. de Tracción Renfe (1992) - MM&MM - 2014年1月10日作成・2020年12月24日閲覧
  11. ^ a b Locomotoras eléctricas serie 269 Colores AVE TALGO 200 (1993) - MM&MM - 2018年1月18日作成・2020年12月24日閲覧
  12. ^ a b Variantes de las 269. - FOROTRENES - 2009年1月作成・2020年1月1日閲覧
  13. ^ Locomotoras eléctricas serie 269 Colores de la U.N. de Grandes Líneas RENFE (junio de 2001) - MM&MM - 2018年1月14日作成・2020年1月1日閲覧
  14. ^ 「スペイン国鉄納め高出力チョッパ電気機関車」 - 「車両技術」第157号 45-頁
  15. ^ a b 国際協力事業団 (1982-04). チリ国鉄近代化計画事前調査報告書 (PDF) (Report). 国際協力事業団. p. 2,12,13,14,15,20,21,22. 2021-05-12閲覧 {{cite report}}: |date=の日付が不正です。 (説明); 不明な引数|coauthors=が空白で指定されています。 (説明)
  16. ^ a b c 国際協力事業団 (2002-10). チリ 鉄道修復事業 (PDF) (Report). 国際協力事業団. p. 1-10. 2021-05-12閲覧 {{cite report}}: |date=の日付が不正です。 (説明); 不明な引数|coauthors=が空白で指定されています。 (説明)

参考文献

[編集]

平尾 新三「スペイン国鉄納めDC3000V269系電気機関車」『三菱電機技報』第48巻第4号、三菱電機技報社、1974年4月、507-515頁、ISSN 03692302 

古杉 光史、永岡 栄、平尾 新三、金田 順一郎、西条 滋「スペイン国鉄納め高出力サイリスタチョッパ電気機関車」『三菱電機技報』第56巻第4号、三菱電機技報社、1982年4月、310-313頁、ISSN 03692302 

Justo, Arenillas (1995-01). “30 años de tracción japonesa en España”. Doble Tracción 9 (リンク): 17-34. ISSN 1133-696X. 

{{DEFAULTSORT:れんふぇ269かたてんききかんしゃ} [[Category:スペインの電気機関車|269 [[Category:チリの鉄道車両 [[Category:CAF製の鉄道車両 [[Category:三菱重工業製の電気機関車 [[Category:日本の輸出鉄道車両 [[Category:1973年製の鉄道車両

MRR/PNR/Panayの客車

[編集]

参考 : [5]

客車台帳
形式 製造企業 製造年 概要
木造各種 セル1A セル1B セル1C
Metropolitan メトロポリタン客貨車 セル2B 一部鋼体化
7A 日本車輌
帝国車輛
新潟鐵工所
1948 - 1952 1等
1両は展望車?
7A-2000導入後に一部は7Cへ編入扱い(番号は変更なし)
1948年製はプルマン製造で総数22両、1949-50年製の日本製は総数23両。そのほかは確認中
7A-100 近畿車輛
帝国車輛
東急車輛(大阪)
新潟鐵工所
アストラ・アラド
1958 - 1978 1等および3等? 一部は東芝製の冷房装置RPU-150 4WAを搭載(電源は別供給、東急(帝国)およびアストラの両方に共通)
DE LUXE
7B 日本車輌
近畿車輛
富士重工業 ほか
1949 - 荷物
7BP 日立製作所
アストラ・アラド ほか
1969 - 荷物・電源
7C プルマン・スタンダード
日立製作所
新潟鐵工所
ナニワ工機
汽車会社
1949 - 3等
一部は3等で7Aより編入
[6][7]
1958年 - 20両、1961年 - 10両
一部は7Aおよび座席交換車"Tourist"へ改造?
7C-100 アルナ工機
新潟鐵工所
1973 3等
7Aの増備
7E インテグラル・コーチ・ファクトリー
(ICFチェンナイ)
1975 - 1979 3等
総数50両
7K 日立製作所A
アストラ・アラド
1961 - 7K-1 : 全室1等食堂車
そのほか : 1等・3等合造食堂車
7S 近畿車輛
アストラ・アラド
1958 - 1978 寝台車
総数10両?
7SE インテグラル・コーチ・ファクトリー
(ICFチェンナイ)
1975 - 1979 寝台車
総数10両
7A-2000 (12) 中古導入 JR東日本12系客車
総数25両(2006 - 2030)
7A-2000 (14) 中古導入 JR東日本14系客車(座席)
総数5両(2001 - 2005)
12 (-801) 中古導入 もとJR東日本盛岡客車区カーペット車両オハ12 801
PNRでは簡易食堂車扱い
NR-00 中古導入 もとJR九州12系客車 : 改座車
総数10両(PNRの登録上では12両)
14 中古導入 もとJR東日本14系客車(寝台)
総数10両
MC/T/CMC/CTC/TA もと気動車 総数60両以上?
TAは客車・気動車兼用
TA-8およびCMC-300/CTC-100の一部は1990年代後半に屋根上キセル対策で屋根を三角へ改造
MC-333、CMC-201は事業用車扱い
203 中古導入 もとJR東日本203系電車
10両4編成を4両7編成+部品取りへ再構成
8300 インダストリ・クレタ・アピ 2020 15両

MRR/PNRの気動車

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気動車台帳
形式 製造企業 製造年 備考
RMC マニラ鉄道カローカン工場? 1929 - 1941 200両以上?
1940年以前はガソリン動車、事故により全車ディーゼル動車へ改造
JMC 300
JTC 100
東急車輛 1955 JMC - 9両
JTC - 5両
MC 300
CTC 1
東急車輛
近畿車輛
1967 - 1968 1編成2両ユニット
2両ほど踏切事故による火災で損傷
CMC 200 東急車輛 1976 2両
CMC 300
CTC 100
東急車輛
新潟鐵工所
富士重工
近畿車輛
1974 - 1980? 3両20編成60両?
MBCP 1
TA 1
東急車輛 1973 MBCP - 4両
TA - 12両
RMU 現代ロテム 2009 3両6編成18両
KiHa 52-100 中古導入 7両
もとJR東日本キハ52形気動車
キハ52 123は(ジープニーと衝突後に?)部品取り用車両に
KiHa 59
KOGANE
中古導入 3両1編成
KiHa 350 中古導入 2両1ユニット3編成6両
もと関東鉄道キハ350形気動車
HET FAAAI[1](艤装)
スンジン重工業(台車)
2015 1編成5両
8000 インダストリ・クレタ・アピ 2018 - 2019 1編成3両2編成6両
8100 インダストリ・クレタ・アピ 2019 - 2020 1編成4両4編成16両

脚注

[編集]

<reference group="注釈">

  1. ^ Fil-Asia Automotive and Industries

ポルトガル鉄道2000形電車

[編集]
ポルトガル鉄道
2000・2050・2080形
ホシオ駅に停車中の車両
基本情報
運用者 ポルトガル鉄道
製造所 艤装
SOREFAMEポルトガル語版
電気機器
ジーメンス
エリコン
ブラウン・ボベリ
製造年 2000形
1956年 - 1957年
2050形
1962年
2080形
1966年
運用開始 2000形 : 1957年
2050形 : 1962年
2080形 : 1966年
運用終了 2007年
主要諸元
軌間 1,668 mm(ポルトガル)
1,676 mm(アルゼンチン)
電気方式 交流
50 Hz 25 kV
最高速度 90 km/h
制動装置 Jourdain Monneret
テンプレートを表示

ポルトアレグレ都市鉄道公社100形電車

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電車向け

ポルト・アレグレ都市鉄道公社
100形電車
基本情報
運用者 100形電車
製造所 艤装
日本車輌製造
川崎重工業車両カンパニー
日立製作所
電気機器
日立製作所
製造年 1984年 - 1985年
製造数 1編成4両25編成
100両
主要諸元
編成 1編成4両
MA-RA-RB-MB
テンプレートを表示

インドネシアの鋼製ボギー客車

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参考:INKA 2021listfabrications[8]K2改造EksekutifINkA 2000sFabrication another file 1990s rehab k1/k2/k3K1/3 0 38K3 0 38Double Decker[https://www.facebook.com/Komunitas-Sejarah-Perkeretaapian-Indonesia-122366701154428/photos/?tab=album&album_id=435568893167539]ほか

改造や更新に伴い車両番号を変した車両とそうでない車両、また一度変更したものの再度変更・もしくは復元された車両など、データによる違いがみられ、詳細がわからない車両が多数存在する

K3 0 52は8500形、それ以外の20 m級客車各種は9000形およびその派生(K1/K3 0 38、K1 0 97およびK1/K3 0 16 - は除く)

K1 "Eksekutif"
形式番号
(1984年以降)
製造年 製造所 製造数 備考
K1 0 38 1938 ベイネスオランダ語版 元寝台車
K3 0 38へ格下げ改造のうえ、一部は"IW38****"として再改造
K1 0 53 1953 ベイネス
カール・フーシェフランス語版
ブリッソノー・エ・ロッツ
ソシエテ・ロレーヌフランス語版
セル1C 真空ブレーキ対応仕様として落成
元形式ABL-9000、基本的にK3の格上げ改造(1990年代、"Dwipangga"用)[1]
K1 0 54 1954
K1 0 55 1955
K1 0 58 1958 スィメリング=グラーツ=パウカードイツ語版 元形式CL-9600
スマトラ向け3等車の格上げ更新車両
K1 0 58 01/02←501/502
IW2 58300 1958[2][3] ? 西スマトラ専用の小型客車
木造車の鋼体化?
K1 0 58 1958 日本車輌製造 西スマトラ専用の小型客車
K1 0 58 0
K3 0 58の格上げ
K1 0 64 1964 もとK3→簡易寝台(Kuset)の格上げ改造
K1 0 65 1965 エスリンゲン機械製造所ドイツ語版
K1 0 66 1966 ゲルリッツ車両製造所ドイツ語版 一部は2020年に新型重症急性呼吸器症候群患者用の仮設ベッド車両へ改造[4]
K1 0 67 1967 バウツェン車両建造ドイツ語版 もと"Bima"用の1・2等寝台を改造
K1 0 68? 1968[5] 公式の記載ミス?
実在しない形式と推定
K1 0 78 1978
K1 0 80 1980
K1 0 81 1981
K1 0 82 1982 近畿車輛 K2の格上げ改造?
K1 0 84 1984 アストラ・バゴアネ・アラドルーマニア語版 "Bima"の一等寝台置き換えとして導入
1990年代に集団見合い式の非リクライニング席から回転リクライニング席へ改造
K1 0 86 1986 インダストリ・クレタ・アピ インドネシア国産初のK1?
K2, K3からの格上げか
K1 0 91 1991 "Priority"
以前に1950年代および1964、1986年製造のK3を格上げ改造して編入した別の個体がいたという噂があるが、正確な証拠はない
K1 0 93 1993 格上げ改造?
K1 0 95 1995 "Argo Bromo"→"Bima"
JS-950[6]
K1 0 96 1996 "Argo Lawu"→"Argo Dwippanga"→"Taksaka"
(K1 0 968##)は1954年製のK1/K2(元番号ABL-9000)格下げK3車両の再改造
JSO-751[7]
K1 0 97 1997 "Argo Bromo Anggrek"
JS-852[8]
K1 0 98 1998 "Argo Lawu"
ボルスタレス台車K9形を搭載
K1 0 99 1999
K1 0 01 2001 一部は"Argo Bromo Aggrek"
K1 0 02 2002
K1 0 08 2008 1964、1966、1980、1986年製の車両を改造・更新
K1 0 09 2009
K1 0 10 2010 1966、1982、1986年製の車両を改造・更新
K1 0 13 2013 K2より改造・編入
K1 0 14 2014
K1 0 15 2015
K1 0 16 2016 インダストリ・クレタ・アピ
K1 0 17 2017
K1 0 18 2018 オールステンレス車両
K1 0 19 2019
K2 "Bisnis"
形式番号 製造年 製造所 製造数 備考
K2 0 64 1964 <日本メーカ> K3 0 64の格上げ改造
K2 0 65 1965 セル2B セル2C
K2 0 66 1966 ゲルリッツ?
バウツェン?
K2 0 78 1978 ゴーシャ機械装置製造英語版
東急車輛
近畿車輛
富士重工業
新潟鐵工所
30+両 K3のアコモ改善に伴い運用が減少、複数が2010年代にK1へ格上げ
座席はゴーシャ転クロ、日本勢幅広(普通)クロ
K2 0 80 1980 近畿車輛
東急車輛
富士重工業
新潟鐵工所
K2 0 81 1981
K2 0 82 1982
K2 0 86 1986 インダストリ・クレタ・アピ
K2 0 91 1991 1950年代製造の車両の更新・改造車
K2 0 96 1996 現状最後の新製K2
800系台車(日車設計)
K3 "Ekonomi"
車両番号 製造年 製造所 製造数 備考
K3 0 38 1938 ベイネスオランダ語版 もと1等寝台車(K1 0 38)
2両はIW-38***として復元
K3 0 52 1952 ベイネス
アラン・ロッテルダムオランダ語版
近郊用
一部は事業用車NR 85へ改造
K3 0 53 1953 ベイネス
カール・フーシェフランス語版
ブリッソノー・エ・ロッツ
ソシエテ・ロレーヌフランス語版
K3 0 54 1954 セル2C
K3 0 55 1955
K3 0 58 1958 スィメリング=グラーツ=パウカードイツ語版
日本車輌製造
西スマトラへ新製投入
西スマトラへ投入された日車製の車両は小型
K3 0 61 1961 日本車輌製造 北スマトラ(アチェ)
762 mm軌間用
K3 0 64 1964 ラーバ車両機械工場
日本車輌製造
川崎車輌
近畿車輛
日本車輌製造45?
川崎車輌5?
ラーバ不明
K3 0 65 1965 MAN AG
日本車輌製造
K3 0 66 1966 エスリンゲン
ゲルリッツ
K3 0 67 1967 バウツェン?
K3 0 68 1968 Raba改造
K3 0 76 1976 <日本車輌製造>
<日立製作所>
もとMCW301形気動車
DMH17Hの故障と部品不足で客車化
K3 0 78 1978 ゴーシャ機械装置製造英語版
K3 0 80 1980 日本車輌製造
東急車輛
富士重工業
新潟鐵工所
K3 0 81 1981
K3 0 82 1982
K3 0 82 1982 インダストリ・クレタ・アピ 1 試作車
車番 CW 9X01[9][10]
インドネシア国内で最初に「製造」された鋼製ボギー客車
K3 0 83 1983 日本車輌製造
東急車輛
富士重工業
新潟鐵工所
K3 0 78 - 84 1978 - 1984 <日本車輌製造>
<川崎重工業>
<日立製作所>
もとMCW302形気動車
DMH17Hの故障と部品不足で客車化
K3 0 85 1985 インダストリ・クレタ・アピ
日本車輌製造(台枠・一部車体)
K3 0 86 1986
K3 0 91 1991 <カール・フーシェ>
<ブリッソノー・エ・ロッツ>
<ソシエテ・ロレーヌ>
もと1/2等合造車を格下げ改造
1996年にK1 0 96へ再改造
K3 0 93 1993 <インダストリ・クレタ・アピ> 多くは1950年代製造の車両の更新
K3 0 94 1994 インダストリ・クレタ・アピ
K3 0 95 1995
K3 0 96 1996
K3 0 97 1997
K3 0 98 1998
K3 0 00 2000
K3 0 02 2002
K3 0 03 2003
K3 0 04 2004
K3 0 05 2005
K3 0 06 2006
K3 0 07 2007
K3 0 08 2008 西スマトラ向け車両は少々小ぶりな車体
K3 0 09 2009
K3 0 10 2010 冷房付き"Ekonomi Plus"
座席配置は通路を挟んで2-2へ変更
K3 0 11 2011
K3 0 12 2012
K3 0 13 2013
K3 0 14 2014
K3 0 15 2015
K3 0 16 2016 冷房付き"Ekonomi Premium"
座席配置集団見合い2-2
K3 0 17 2017
K3 0 18 2018 冷房付き"Ekonomi Premium"
座席配置集団見合い2-2
ステンレス車体
K3 0 19 2019

Indofood

[編集]
  • Supermi : 三共食品(本社=東京都杉並区、日本国内工場=埼玉県本庄市、1961年設立、第一食品工業?より独立、1990年代倒産?)+現地グループの合弁、「日本経済新聞」1969年10月3日朝刊に詳細あり
  • Indomie : "PT Sanmaru"(現地企業、名前は日本語に聞こえるが?)
  • Sarimi : 現地企業

昭和産業ほか

[編集]

1960年代に香港の子会社にて製麺協力

  1. ^ [9]
  2. ^ [10]
  3. ^ [11]
  4. ^ [12]
  5. ^ [13]
  6. ^ "50 tahun kemerdekaan Republik Indonesia, Jakarta - Surabaya 9 jam"
  7. ^ "51 tahun kemerdekaan Republik Indonesia, Jakarta - Solo 7 jam"
  8. ^ "52 tahun kemerdekaan Republik Indonesia, Jakarta - Surabaya 8 jam"
  9. ^ [14]
  10. ^ [15]