利用者:まとりょーしか/sandbox
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「第二次世界大戦の年表 (1940年)」(翻訳)の下書き
この記事は英語から大ざっぱに翻訳されたものであり、場合によっては不慣れな翻訳者や機械翻訳によって翻訳されたものかもしれません。 |
第二次世界大戦の年表 (1940年)は、第二次世界大戦の1940年における経過の年表である。重要度を考慮し、国名[注 1]、重要地名、重要人物および重要事件等は初出のみ「太字」で、非常に重大な事件は「太字」かつ「大きなテキスト」で表記する。
1月
[編集]- 1月1日 - 大日本帝国、1万人の兵力により中華民国の山西省東部にて反転攻勢。ほぼ包囲された帝国陸軍第36師団を救援するため[1]。
- 1月2日 - 冬戦争におけるソビエト連邦軍の攻勢、フィンランド軍に対する数度の敗北により停止。ソ連陸軍の戦車部隊に多数の被害。
- 1月7日
- イギリスで基本食糧の配給制度が確立される[2]。
- フィンランド軍、ソビエト連邦軍にスオムッサルミの戦いで決定的勝利。
- セミョーン・チモシェンコ、冬戦争におけるソ連陸軍の指揮官になる[1]。
- 1月10日 - ナチス・ドイツの航空機、中立国ベルギーに不時着(「メヘレン事件」)。黄色作戦(フランスおよびベネルクス三国侵攻作戦)の計画書が発見され、危機的な状況に。
- 1月16日 - メヘレン事件で押収された文書により、ドイツの作戦計画が露見。すなわち、スカンディナヴィアには侵攻するが、フランスおよびベネルクス三国(低地帯諸国)への侵攻は、より適宜な天候となる春まで延期すること等。
- 1月27日
2月
[編集]- 2月5日 - イギリスおよびフランスがノルウェーへの介入を決定。ドイツが鉄鉱石を目的に占領することを見越した予防占領。フィンランド支援ルートの確保を名目に。
- 2月10日 - ソビエト連邦、ドイツへ穀物および原材料を提供する新たな通商条約に同意。
- 2月14日 - イギリス政府、フィンランド防衛の義勇兵を募集。
- 2月15日 - ソ連陸軍、フィンランドの要衝スンマを占領、マンネルハイム線を突破(参照:「スンマの戦い」)。
- 2月16日 - イギリス海軍の駆逐艦コサック、中立国ノルウェーの領海にて、ドイツ海軍の補給船アルトマルク号から、イギリス軍捕虜303名を救出(「アルトマルク号事件」)。
- 2月17日 - フィンランド軍、マンネルハイム線からの撤退を続ける。
- 2月21日 - ドイツ陸軍のニコラウス・フォン・ファルケンホルスト大将、ノルウェーおよびデンマーク侵攻作戦(「ヴェーザー演習作戦」)の司令官に。
3月
[編集]- 3月1日 - ドイツのアドルフ・ヒトラー総統、国防軍首脳部にヴェーザー演習作戦の立案を指示。
- 3月3日 - ソビエト連邦軍、当時のフィンランド第二の都市ヴィープリ(現ロシア連邦ヴィボルグ)への攻撃を開始。
- 3月5日
- 3月11日 - イギリスで肉類の配給が始まる[2]。
- 3月12日 - フィンランド、ソビエト連邦との講和条約に署名。フィンランドは講和の条件として重要な領土を割譲。
- 3月16日 - ドイツ空軍のスカパフローへの爆撃により、イギリスの一般市民に最初の死傷者。
- 3月18日 - ドイツのヒトラー総統とイタリア王国のベニート・ムッソリーニ総統、両国国境のブレンナー峠で会談[2]。ムッソリーニは「適切な時期」の参戦に同意。
- 3月21日 - フランスでポール・レノーが首相に就任。前日にダラディエが辞職したことを受けて。
- 3月28日 - イギリスおよびフランス、ドイツに対して単独講和はしない旨の正式協定を締結。
- 3月29日 - ソビエト連邦、ルーマニアにベッサラビア(現モルドバ共和国)地方を新たに要求。モロトフ外務人民委員はソ連の最高会議で「未解決の紛争」と表明。
- 3月30日
4月
[編集]- 4月8日 - ウィルフレッド作戦のためノルウェー沖を航行していたイギリス海軍の駆逐艦グローウォーム、ドイツ海軍の重巡洋艦アドミラル・ヒッパー等と遭遇し、交戦する(「トロンハイム沖海戦」)。グローウォーム、アドミラル・ヒッパーに体当りし沈没。
- 4月9日
- 4月10日
- 4月12日 - イギリス軍部隊、北大西洋のデンマーク領フェロー諸島を予防占領。
- 4月13日
- 4月14日
- 4月15日 - イギリス軍、ノルウェーのナルヴィク近郊のハーシュタに上陸。
- 4月16日 - イギリス軍、さらに多くの兵力でノルウェーに上陸。とくにトロンハイムの北方および南方に兵力を投入し、トロンハイムの争奪戦は22日まで続く。
- 4月21日 - ノルウェーのナムソスの戦いにて、連合国軍とドイツ国防軍が初の本格的な地上戦。
- 4月27日 - イギリス軍、ノルウェー中部から撤退を開始。トロンハイムの獲得は断念。
5月
[編集]- 5月5日 - ノルウェー亡命政府、イギリスのロンドンで樹立される[2]。
- 5月7日 - イギリスの首相ネヴィル・チェンバレン、ノルウェーの戦いでの敗退が庶民院(下院)で責任問題に発展(ノルウェー論争)。
- 5月10日
- 5月11日
- 5月12日
- 5月13日
- 5月14日
- 5月15日 - オランダ陸軍が降伏文書に署名[2]。
- 5月16日
- 5月17日
- 5月18日
- 5月19日
- 5月20日 - ドイツのハインツ・グデーリアンの第19装甲軍団、フランス北部のアブヴィルに進軍。
- 5月21日 - アラスの戦い。イギリス軍など連合国軍から激しい反攻を受けるも、ドイツ国防軍が勝利。
- 5月23日 - イギリスのファシスト指導者オズワルド・モズレーが拘禁される。
- 5月24日
- 5月25日
- 5月26日
- 5月28日 - ベルギー、ドイツに降伏。国王レオポルド3世は投降し、抑留される。
- 5月30日 - イギリスのチャーチル内閣、戦争継続を閣議決定。外務大臣ハリファックス卿および枢密院議長チェンバレン(前首相)の強硬な反対に屈さず。
- 5月31日 - 大日本帝国、中華民国の首都重慶を猛爆撃。
6月
[編集]- 6月3日 - ドイツ空軍、フランスの首都パリを爆撃。
- 6月4日
- 6月7日 - ノルウェー政府および国王ホーコン7世、イギリスに亡命[6]。
- 6月8日
- 6月9日
- 6月10日
- 6月11日 - フランス政府、パリからフランス中部のトゥールに脱出。
- 6月13日 - フランスのパリ、ドイツ国防軍に占領される。フランス政府、トゥールから南西部ボルドーへ再び避難[2]。
- 6月14日 フランス南西部のトゥーロンを根拠地とするフランス海軍の一部、イタリア王国のリグリア沿岸の目標に対して攻勢作戦を実施。
- 6月15日
- 6月16日 - ラトビアおよびエストニアに8時間以内の降伏を求めるソビエト連邦の最後通牒。
- 6月17日
- 6月18日 - エストニア、ラトビアおよびリトアニアのバルト三国、ソビエト連邦に占領される。
- 6月20日 - フランス、イタリア王国との休戦を模索[7]。
- 6月21日
- 6月22日 - 独仏休戦協定が締結。フランス国土のおよそ北半分がドイツの占領統治下に置かれ、南半分は「フランス国」(ヴィシー政権)とされる。
- 6月23日 - フランス軍のシャルル・ド・ゴール、フランス亡命政府「自由フランス」を設立。イギリスのロンドンでフランス国民委員会を組織し、自らその代表となる。
- 6月24日 - フランス、イタリア王国との休戦協定を締結。
- 6月25日 - フランス、ナチス・ドイツに降伏(現地時間・午前1時35分)。最新の電撃戦による短期間での圧勝。
- 6月26日 - ソビエト連邦、ルーマニアにベッサラビアおよび北ブコビナを要求する最後通牒。
- 6月27日 - ルーマニア、ソビエト連邦に交渉を提案。モロトフ外務人民委員、「領土での譲歩か、さもなくば戦争だ」と返答。ルーマニアに新たな最後通牒。
- 6月28日
- 6月30日 - ドイツ、チャンネル諸島を占領。
7月
[編集]- 7月1日
- フランス国、首都を中央部のヴィシーに移転。
- ロドルフォ・グラッツィアーニ、死去したイタロ・バルボの後任としてイタリア北アフリカ軍総司令官に指名される。
- イタリア空軍(Regia Aeronautica)、イギリス委任統治領パレスチナを爆撃。
- 7月2日
- 7月3日 - イギリス、フランス海軍の艦船を攻撃し、破壊。ドイツの手に渡ることを懸念したため(「メルセルケビール海戦」)。
- 7月4日
- 7月5日 - ベルギーの政治家、Camille HuysmansおよびMarcel-Henri Jaspar、イギリスのロンドンに非公式のベルギー亡命政府を組織。
- 7月9日 - カラブリア沖海戦、イタリア王国本土沖の地中海にて発生。戦闘は引き分けに終わるが、イタリア海空軍の欠陥が露呈し、イギリス海軍はこれ以降、攻勢に出る。
- 7月10日
- バトル・オブ・ブリテン(Battle of Britain, 独: Luftschlacht um England)が開始。ドイツ空軍、イギリス海峡の船舶を襲撃。
- アメリカ合衆国大統領ルーズベルト、大幅な軍備拡張を連邦議会に要求。
- 7月11日 - イギリス空軍、オランダのドイツ側砲台およびドイツの軍需工場を爆撃。
- 7月12日 - ドイツ空軍、イギリスのウェールズ、スコットランド、および北アイルランドを攻撃。
- 7月14日 - ソビエト連邦、バルト三国で不正選挙を実施。バルト三国の国会はソビエト連邦の管理下に。
- 7月16日 - ドイツのヒトラー総統、イギリス上陸計画「アシカ作戦」の実施を決定。
- 7月18日 - メルセルケビール海戦を受け、ヴィシーフランス空軍が英領ジブラルタルを爆撃(参照:第二次世界大戦におけるジブラルタルの軍事史)。
- 7月19日
- 7月21日
- 7月22日
- 7月23日 - イギリスにて、「ホーム・ガード」(郷土防衛隊)が正式に創設される。高齢者および兵役不適格者を動員。
- 7月25日 - 全ての女性および子どもに英領ジブラルタルからの退避命令。
- 7月26日 - アメリカ合衆国、アメリカ陸軍総司令部(GHQ)を立ち上げ。
- 7月30日 - エストニア大統領コンスタンティン・パッツ、ソビエト連邦当局に逮捕され、同国内へ連行される。
8月
[編集]- 8月1日
- 8月1日―8月4日 - 最初のマルタ護送船団であるHurry作戦が遂行される。
- 8月2日
- 自由フランス代表のシャルル・ド・ゴール、ヴィシーフランスの軍法会議にて、欠席裁判のまま死刑判決を受ける。
- ソビエト連邦、ルーマニアのベッサラビアおよび北ブコビナを占領。
- 8月3日
- ソビエト連邦、正式にリトアニアを併合。
- 東アフリカ戦線において、グリエルモ・ナシ指揮下のイタリア軍、英領ソマリランドに侵攻。
- 8月5日
- 航空劣勢およびイギリス海峡の悪天候により、ドイツのイギリス侵攻が延期。
- ソビエト連邦、正式にラトビアを併合。
- 8月6日 - ソビエト連邦、正式にエストニアを併合。
- 8月10日―8月15日 - 英領ソマリランドにて、アルガンの戦い。イタリア軍の勝利。
- 8月13日 - アドラーターク(鷲の日) 。ドイツ空軍、イギリスに対して本格的な航空攻勢「アドラーアングリフ作戦」(鷲の襲撃)を開始。
- 8月14日 - イギリスの科学者ヘンリー・ティザード、ティザード・ミッションのためアメリカ合衆国へ向け出発。レーダーなど最高機密の技術を供与するため。
- 8月15日
- 8月16日 - アメリカ合衆国およびイギリスの米軍駆逐艦と英軍基地の交換協定の原案が明らかになる。
- 8月17日 - ドイツのヒトラー総統、ブリテン諸島の封鎖を宣言。
- 8月19日 - イタリア王国、ソマリランドの戦いに勝利。英領ソマリランドの首都ベルベラを陥落させ、政庁は降伏。
- 8月20日
- 8月22日 - ドイツ国防軍、イギリスのドーバーおよびその付近の沿岸地域を長距離砲で砲撃。
- 8月24日 - ドイツ空軍、イギリス・ロンドンのクリップルゲートの教会を誤爆。
- 8月25日 - イギリスのチャーチル首相、昨夜の教会爆撃の報復としてベルリン空爆を命令。
- 8月26日 - ドイツの首都ベルリン、初めて空爆される。
- 8月30日 - 第二次ウィーン裁定。ドイツとイタリア王国の仲裁により、ルーマニア王国が北トランシルヴァニアをハンガリー王国に割譲。
- 8月31日 - テセルの惨事(Texel Disaster)。機雷原に入り込んだイギリス海軍の駆逐艦2隻がオランダ沖で沈没。死者300名。
9月
[編集]脚注
[編集]- ^ この項目では、一部の例外を除き、国名および軍隊名は、Wikipediaの項目名に従っている。
出典
[編集]- ^ a b ここまで. “1940 Timeline”. WW2DB. 2011年2月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i Keegan, John (1994). The Times Atlas of the Second World War. London: The Times. pp. 16–17
- ^ Lemay 2010, pp. 117–119.
- ^ a b 岡野詩子 & 2010-11, pp. 219.
- ^ ここまで. Gotovitch, José; Aron, Paul, eds (2008). Dictionnaire de la Seconde Guerre Mondiale en Belgique. Brussels: André Versaille éd.. pp. 408. ISBN 978-2-87495-001-8
- ^ a b c J.Andenæs,O.Eiste,M.skodvin『ノルウェーと第二次世界大戦』P54
- ^ Piekalkiewicz, Janusz. Sea War: 1939-1945. Blandford Press, London - New York, 1987, pg. 83, ISBN 0-7137-1665-7