利用者:あずきごはん/下書き3
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阿蘇ピンク石(あそぴんくいし)は熊本県宇土市網津町の馬門地区で産出する溶結凝灰岩。馬門石(まかどいし)とも言う。阿蘇山の火砕流によって形成された石で薄紅色の美しい発色が特徴。加工性に優れ、古墳時代の石棺として利用された他、近世には石橋や水道管として利用された。
成分・成因と分布
[編集]約9万年前の阿蘇山噴火(Aso-4)の火砕流が冷え固まった生まれた阿蘇石の一種である。普通は灰色から黒褐色であることが多いが、馬門石は薄紅色や黄色、褐色であることが特徴で、特に薄紅色のものを阿蘇ピンク石と呼ぶ。独特の発色はマグマに含まれる鉄分の酸化によるものと考えられるが、どのようにして酸化したのか、あるいはなぜ限られた馬門に集中しているのか分かっていない。
特徴と用途
[編集]柔らかく加工性に優れることから石塔や鳥居として利用され、江戸時代には宇土藩細川家の御用石切場となった。宇土市内の轟泉水道の石管や、石造の船場橋は2020年でも現役である。従来は江戸時代から使用されたと考えられていたが、1985年に宇土市内のヤンボシ塚古墳で古墳時代にも使用されていたことが初めて確認された。近畿地方を中心とした古墳の家形石棺が阿蘇ピンク石であることが分かり注目を浴びるようになる。昭和30年ごろまで使用されていた。
石棺として
[編集]平成10年に継体天皇今城塚古墳や平成12年に確認された推古天皇とされる植山古墳で確認されているほか、近畿を中心に愛媛、香川、岡山などの瀬戸内沿岸で確認され、〇〇箇所で確認されている。過去には二上山産とされていたピンク石が馬門産であることが確認されるようになった。 四天王寺の礼拝石、 『正倉院丹裹文書』に宇土郡に額田部君得万呂という人物がいたことが記されており、推古天皇(額田部皇女)の領地があった可能性が指摘されている。 重量6トンの石棺を800㎞離れた場所に運搬することが可能であったのか2005年には宇土で家形石棺、古代船、修羅を復元製作し、海上輸送する実証実験が行われた。