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利用者‐会話:Tam0031/過去ログ4

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陸中折居駅新駅舎画像追加

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題記実施をご報告いたします。ご確認いただき適宜、編集ください。 なお画像は2013春のものです。--かなかなかなたん会話2013年5月27日 (月) 02:44 (UTC)

ご提供ありがとうございました。確かに確認しました。--Tam0031会話2013年5月27日 (月) 14:12 (UTC)

良質な記事の選考について

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お世話になっております。最近票が集まらずに落選してしまったブルーインパルスゴリオ爺さんを再度選考にかけています。記事内容は変わっていませんので、考えにお変わりがなければ再度投票していただけませんでしょうか。よろしくお願いします。--頭痛会話2013年8月2日 (金) 21:58 (UTC)

お礼

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GA選考の処理間違えましてすみませんでした。フォローありがとうございました。--ぱたごん会話2013年9月25日 (水) 14:16 (UTC)

たくさんの処理を一度にやると勘違いしてしまいがちですよね。あまり気になさらないでください。--Tam0031会話2013年9月25日 (水) 14:25 (UTC)

四国の鉄道におけるCTC・PRC設置個所の件

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こんにちは。首記、土佐くろしお鉄道宿毛線差分)につきまして、出典を付与していただきありがとうございます。

一点質問なのですが、当該出典(『京三サーキュラー』)には、CTC設置個所の説明として部署名(「○○駅CTCセンター」)まで細かく記されていますか? あるいは、中村駅にCTCが設置されているという記述にとどまるのでしょうか?

他の記事においても、同一利用者による記述に関して出典要求をしている案件があり、念のために確認させていただきたい次第です。まことにお手数ですが、ご返答のほどよろしくお願いいたします。--Si-take.会話2013年11月9日 (土) 08:01 (UTC)

『京三サーキュラー』48巻6号15ページの記述は、「本装置は、宿毛線(宿毛-中村間)開業に伴い、CTCセンタを中村に新設し、既線の中村線(窪川-中村間)を含めCTC・PRC化による運転保安の確保と業務効率の向上を目的に納入しました」となっています。これ以上のことは記載されていません。使用開始の日付は17ページにあります。中村線のCTCが、これ以前にどう制御されていたかには触れられていません。--Tam0031会話2013年11月9日 (土) 08:14 (UTC)
  • コメント ご返答ありがとうございます。部署名として明確に「中村駅CTCセンター」とは書かれておらず、単に「CTCセンタ」とあるのみということですね。了解いたしました。(記事本文には、上記の旨をもって対応しておきます。)--Si-take.会話2013年11月9日 (土) 08:55 (UTC)

ノートに議論を提起し、コメント依頼を出しました。ある程度意見が出揃うまではコメントアウトのままにしておいください。--126.108.180.41 2014年1月20日 (月) 17:03 (UTC)

コメントのお礼

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はじめまして、にょきにょきと申します。今さらで申し訳ないのですが、良質な記事の選考でのコメントありがとうございました。実は選考というものが何かよく分かっておらず、今になってコメントされていたことに気づきました。2度もコメント頂いていたのにお礼も言わず申し訳ありません。マニアックな、明らかにコメントしづらい記事であったにも関わらずコメントして頂き本当にありがとうございます。今後の執筆に役立てていきたいと思います。--にょきにょき会話2014年3月28日 (金) 16:10 (UTC)

良い記事を書いていただきありがとうございます。選考でのコメントが少しでもお役にたてれば嬉しいです。--Tam0031会話2014年3月28日 (金) 16:18 (UTC)

つまらないことですが

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宇津野駅を表から外したことについては理由が二つあります。一つ目ですが、表に開業・廃止年月日を入れるのは情報過多だと思いました。これは先述の歴史項にも記述があり繰り返しになってしまっています。二つ目ですが、宇津野駅を表に入れることに問題があるように思われます。一目見て、廃止時にどんな状態だったのかがわからず、岩手大川駅の駅間距離が曖昧であり、また宇津野駅の廃止理由を説明するため備考欄を作るとまた表が大きくなってしまい、欄外記述のほうが適切ではないかと思いました。 --ftfvhbhbced 会話2014年4月6日 (日) 13:41 (UTC)

その考えは分からないではないです。ただ、歴史項は全体の流れを読んでもらい、表は一目で必要な情報を得られるようにする、という異なる役割があると考えているので、重複は問題ではないと考えました。また廃止時点を表現した表にこだわる必要はないと考えています。もし必要であれば、プロジェクトで議論した方がよいかもしれません。--Tam0031会話2014年4月6日 (日) 14:03 (UTC)
このような記述もありました。(→プロジェクト‐ノート:鉄道/路線#駅一覧の在り方(ご存じかとも思いますが))ただ、ぱっと見て宇津野駅だけが先に廃止されたことは、欄外に持っていったのがわかりやすい気がしなくもないです。 北海道拓殖鉄道など、区間廃止がある路線で表を作る場合は、廃止日を入れた表が最適だと思います。なので一概には言えませんが。。 --ftfvhbhbced 会話2014年4月6日 (日) 16:02 (UTC)

東京駅

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「既に存在しない」ではなく、「元から存在しない」が正しいと思いますが?私は自己主張をしているのではありません。ニュース番組の特集で放送されたことを書いているのです。ニュース番組がウソを報道するとは考えられません(誤報なら話は別ですが)。報道では「11番線は開業以来、番線が表示されたことが無い」とハッキリ放送していたし、「回送車輌専用線路で一般客の乗降が無いからプラットホームを設ける必要が無く、必然的に番線を表示する必要が無い」旨をハッキリ放送していました。いずれにせよ、東京駅は11番線が欠番であることは事実だし、何故11番線が無いのかについては記述する必要があります。--114.145.197.84会話2014年5月3日 (土) 17:49 (UTC)

乗り場としての11番線は元から存在しませんが、通過線としては11番線としてかつて存在していたので、「既に存在しない」と述べました。既に存在しないのに「厳密的には「存在しない」のではなく「見えざる番線」というのが実情であり、線路自体は存在するし、利用されている」と書くのは違うでしょう。11番線については、東京駅#国鉄・JR線地上ホームの変遷を見れば、いつからいつまでどのように利用されていたのかわかるようになっています。東京駅の記事については、いずれ駅構造について大規模な加筆・修正が必要だと考えており、その際にはそういったこともきちんと文章で説明していくべきとは思いますが、あのような加筆が妥当であるとは思いません。--Tam0031会話2014年5月5日 (月) 00:18 (UTC)

鉄道自警村への訂正のお礼

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鉄道自警村の記事への訂正ありがとうございました。西暦換算についての私の単純ミスでした。今後ともよろしくお願いいたします。--二林史夫会話2014年6月8日 (日) 06:40 (UTC)

面白い記事をありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。--Tam0031会話2014年6月8日 (日) 10:23 (UTC)

ラインゴルト (列車)の件

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Tam0031様。HTTHと申します。ラインゴルト (列車)の件で参りました。 修正された2件の理由が「わざわざリダイレクト経由のリンクにする必要はないでしょう」でしたので、その理由を説明します。

  • 1. チューリヒコトバンクの項目表記を採用しました。「チューリッヒ」が間違いという主張ではありません。
  • 2. バーゼル・バーディッシャー駅:本文中「バーディシェン駅(Badischen Bahnhof)、バーディシェ駅(Badische Bahnhof)などと呼ばれることもあるが、ドイツ語の語尾変化によるもので、ドイツ南西部の地名バーデン(Baden)のことを指している。」とあります。また「Badisch」の発音記号も ドイツ語発音: [ˈbaːdɪʃ] ( Das Aussprachewörterbuch (6 ed.). Duden. p. 181. ISBN 978-3-411-04066-7 ) と長母音です。名称の由来のバーデンもカタカナでも長母音で表記するため、「バーディッシャー」表記を採用しました。それとも形容詞のみ短母音化するという鉄道分野の慣習であれば、お教えください。または「バーディシャー」の方がよろしかったでしょうか。

Tam0031様がお調べになって執筆されたものですで、HTTHがこれ以上、拘泥するつもりはありません。ただし理由が内容の間違いではなく、「わざわざリダイレクト経由のリンクにする必要はないでしょう」でしたので、その理由を上記申し上げました。

今後ともどうぞよろしくお願いします。--HTTH会話2014年8月24日 (日) 08:27 (UTC)

こんばんは。そのように理由があるというのであれば、ラインゴルトからのリンクを先に修正するのではなく、まずチューリッヒやバーゼル・バディッシャー駅の記事の改名提案をすべきものと考えます。その後で、各記事からの参照を修正すればよいでしょう。チューリッヒやバーゼル・バディッシャー駅がそのままなのに、それ以外の記事だけで表記を修正するのは、わざわざ表記の不統一を増やしているだけだと思います。同じ対象物でも、分野によって慣例的な表記法が異なるということはありえるでしょうが、今回はそういう事例ではないと思います。
なお、バディッシャー駅は、私が翻訳をして立項しましたが、簡単な調査でこの用例が多そうということで記事名を決めています。発音的にバーディッシャーの方がよいということであれば、改名もありうると思います。ただ、ドイツ語の語尾変化をどこまで日本語の記事名に反映するべきかも悩みで、例えばRhätische Bahnではノートでの議論を経てレーティッシュ鉄道としています。あるいは語源を考えて「バーゼル・バーデン駅」という案もあり得るかと思います。--Tam0031会話2014年8月24日 (日) 10:24 (UTC)
ご意見ありがとうございました。以下2つ分けてHTTHの考えを再度述べます。
  • チューリッヒ:現記事名「チューリッヒ」が決して間違いではないため、それはそれでよいと言う考えです。例えば人名も「フリードリッヒ」「フリードリヒ」も同じくです(ただし「フリードリヒ」表記が、辞典類に採用されてます[1]。HTTHは「表記ゆれ」のみで改名提案をするのに躊躇する立場です。これはTam0031さんの考えとは違いますが、HTTHの考えの優位性を主張しているのではありません。また今回「チューリッヒ」表記がよいという考えでしたら、前述のようにHTTHはそれでかまいません。
  • バディッシャー駅:「簡単な調査でこの用例が多そう」とのことですが、発音辞典も参照にされた上で、決定された方が正確を期することができます。既に辞典、辞書などで定着している表記ならば従うべきですが(ベルリンを「ベルリーン」「ベアリーン」にはできないと思います)、しかし揺れがあるのなら、発音を踏まえたものがよいとHTTHは考えています。なおHTTHが先に挙げた発音辞典は20ユーロほどです[2]。Tam0031さんはドイツ関連の鉄道記事も多数執筆されているので、入手されて損はないと思います。
「ドイツ語の語尾変化をどこまで日本語の記事名に反映するべきかも悩み」とのご意見にHTTHも全く同感です。言及された「バーゼル・バーデン駅」もあり得る記事名だと思います。また長音化するにしても「バーディッシャー」「バーディシャー」か、こちらも悩みどころです。HTTHは現状の「バディッシャー」には前述の通り問題があると考えていますが、改名するにしては、前記にはすべて正当性がある中、1つに決めねばなりませんので選定が難しいですね。
こうしてTam0031さんとお話しするなかで、問題意識が共有できうれしく思います。今後ともよろしくお願いします。--HTTH会話) 2014年8月24日 (日) 14:23 (UTC) 一部変更--HTTH会話2014年8月24日 (日) 14:29 (UTC)
私も表記ゆれ程度でいろいろいじるのは好まないですが、それでも現行の記事で採用されている表記は守った方がよい、と考えています。チューリッヒは、現にそのように記事が立てられているので、他の記事から参照するときもチューリッヒと書くべきだろう、ということです。HTTHさんの編集は、わざわざリダイレクトになるような表記変更であったので、それは違うだろうということです。
発音は、参考にはなると思いますが、絶対ではないと思います。日本語に定着する際に、必ずしも原音に忠実になるわけではないからです。私は、日本語において定着した表記があるのであれば、いかに原音からずれていようとも、定着した表記を採用したいと考えています。バディッシャー駅は、いくつか日本語での表記を調べて多かったものを採用したということです。バディッシャー駅については、定着したと言えるほどではないかもしれないので、発音の考慮もあり得るとは思います。--Tam0031会話2014年8月24日 (日) 15:23 (UTC)

「飯盛里安」良質な記事選考へ投票のお礼

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この度は表記記事への票をいただき、ありがとうございます。人物伝を書いていると、どうしてもその人物への賛美の気持ちから大言壮語的な表現になってしまいます。指摘を受けて納得しました。そう云われればまだそのような部分があるので修正していきたいと思います。--Tatsubou会話2014年10月25日 (土) 11:21 (UTC)

綺麗な写真が揃っていて良い記事になっているものと思いました。今後ともよろしくお願いいたします。--Tam0031会話2014年10月25日 (土) 15:05 (UTC)

ロンドン地下電気鉄道について

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こんにちは。各種選考などではいつもお世話になっております。ロンドン地下鉄の、とくにいわゆるチューブの古い車両から手を広げて、ロンドン地下電気鉄道の記事に着手しているのですが、この記事を作成されるご予定はありますでしょうか。もしTam0031さんがすでに着手しておられる、または準備を進めておられるのであれば別記事を始めたいと思っています。--はひふへほ会話2015年1月9日 (金) 03:36 (UTC)

こんばんは、お世話になっております。今は別の記事に取り組んでいて、ロンドン関連はやっていません。ロンドン地下電気鉄道もいずれ手掛けたいと思ってはいましたが、もしやってくださるのなら助かります。--Tam0031会話2015年1月9日 (金) 13:56 (UTC)
お返事ありがとうございます。それでは、ロンドン地下電気鉄道と、傘下の会社の記事を作らせていただきたいと思います(時間はかかると思いますが)--はひふへほ会話2015年1月10日 (土) 00:51 (UTC)

ヘルマン・ルムシュッテル

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Hello, I'm a participant of Wikiproject:Railways(プロジェクト:鉄道) from English and Chinese Wikipedia. I'm appreciate of your work on Hermann Rumschöttel (ヘルマン・ルムシュッテル), and I found the life of this German engineer interesting to me. Now I'm trying to translate this article into English, but my Japanese reading ability is quite limited, I can't understand the article accurately. Can I ask for proper translation if needed?
Greeting. --Howard61313 2015年2月13日 (金) 05:44 (UTC)

Hello. I appreciate your translation of the article. Please feel free to ask me anything. Thank you.--Tam0031会話2015年2月13日 (金) 14:11 (UTC)
Thanks a lot! I have some roughly understandings for the following sentenses, please correct me if there's any mistake:
  • 「この頃に九州鉄道の事業開始のために日本の外務大臣とドイツ公使が鉄道技師を斡旋し、ドイツ政府による人選を経て1887年にルムシュッテルが3年間の予定で日本に派遣された。」→When the operating activity of Kyushu Railway began, German rail engineers were introduced(?) by Japanese Foreign Ministers and German Minister in Japan, and Rumschöttel was assigned to Japan for a three-year period by the schedule of German Government.
    • I think "Rumschöttel was selected by the German Government, and appointed to Japan for a three-year period" is better for the latter sentence.
  • 「また、来日に先立って二重橋や大阪の三大橋のドイツでの鋳造に際して製造監督などを任されている。」→I'm not sure how to translate this correctly. Was Rumschöttel in charge of the construction for these bridges?
    • Rumschöttel was asked to be a product superintendent for the metal casting of Nijubashi bridge and three major bridges of Osaka in a German foundry before he went to Japan.
  • 「ルムシュッテルは、それまでイギリス流の鉄道技術が主流であった日本においてドイツ流の技術を持ち込み、以降の日本の鉄道発展に大きな影響を与えることになった。」→Rumschöttel brought German rail technology into Japan, where technology for railways mainly followed the British way. By doing so, he had a great impact on the development of Japanese railway afterward.
    • Yes, the translated sentence is good.
  • 「1891年に門司港駅や熊本駅まで路線が開通して来日時に予定していた工事は完了し[8]、日本側の技術者が育ってきたこともあり、1892年(明治25年)に九州鉄道を退職して東京の駐日ドイツ大使館付き技術顧問となった。」→Not sure how to translate this accurately.
    • In 1891 Kyushu Railway inaugurated the line to Mojiko station and Kumamoto station, completing all the routes planned at the time he came to Japan. As Japanese engineers grew up, he resigned Kyushu Railway in 1892 and became a technical advisor to the German Embassy in Japan.
  • 「またルムシュッテルはベルリン市街線において高架鉄道を建設した実績で知られていたこともあり、この頃東京の中心部を貫通する高架鉄道を計画していた日本鉄道に依頼されて、東京市街高架鉄道の建設構想を練っている。。」→Rumschöttel, known by his effort in constructing the Berliner Stadtbahn, was commisioned by Nippon Railway to plan for a elevated railway running across downtown Tokyo.
    • Yes, the translated sentence is good.
  • 「そのためこの間をつなぐ縦貫路線が課題となっており、市街地を通り抜けることから高架鉄道とすることは避けられないとも考えられていた。」→Not sure how to translate this accurately.
    • Thus the authority had a task to build the through route connecting these two stations, and because the route ran through urbanised area, elevated railway was inevitable.
  • 「構想では煉瓦積みの高架橋や東京を1周する環状鉄道(山手線)が挙げられていたが、より具体的な設計はルムシュッテル以後に着任したフランツ・バルツァー(Franz Baltzer)によるものを待つことになった。」→Did Rumschöttel come up with the idea to build a circular elevated rail, made by red brick, to operate around Tokyo? What happened to this idea after Franz Baltzer took over Rumschöttel's position?
    • The elevated railway built by red bricks and a loop line was planned by Rumschöttel, but he never designed them in detail. The actually constructed viaducts were designed by Baltzer and his Japanese assistant engineers. Baltzer also made the master plan for railway network in Tokyo, and Yamanote loop line was included in the plan. Indeed, Yamanote line was already in operation during Rumschöttel's stay in Japan, but only serving western part of the loop, lacking complete circular operation. The constructed elevated railway filled the gap, and circular operation began in 1925. So only eastern part of Yamanote line is elevated.
  • 「また、1905年には鉄道局の資材購入顧問となり、第一次世界大戦が勃発した1914年までその職にあったが、大戦勃発に伴いこれは解消された。1918年にベルリンにおいて亡くなった。」→Was Rumschöttel an advisor for material procurement in the Railway Division from 1905 to 1914?
    • Yes. He mainly supervised Japan's import of German products.

--Howard61313 2015年2月14日 (土) 08:26 (UTC) --Tam0031会話2015年2月14日 (土) 14:05 (UTC)

  • Hello again, I have a question on the sentense「日本滞在中、1889年にプロイセン鉄道の参事官、1891年には鉄道部長に昇任している。」 because I'm not sure what kind of unit 鉄道部 is, and this may make it a bit difficult to decide the proper translation. I've known that ベルリン鉄道局(an agency Rumschöttel once served) is originally called Eisenbahndirektion Berlin (Railway Division Berlin), but I can't find the corresponding name for 「プロイセン鉄道部」 in both English and German. Any suggestion on how can this unit be called?--Howard61313 2015年2月15日 (日) 17:29 (UTC)
Sorry, but I also don't know proper translation for the terms. These were from documents written in Japanese and no information about original German terms. I think 「参事官」 and 「鉄道部長」 are translation for corporate ranks in Prussian state railways. 「参事官」 may be "Counselor" and 「鉄道部長」 may be "General manager of railways", but it is needed to survey German documents for proper terms.--Tam0031会話2015年2月16日 (月) 14:49 (UTC)
I've found 「鉄道部」 in the article 王立バイエルン邦有鉄道, and the corresponding paragraph on German Wiki uses Eisenbahnbetriebsdirektion (literally Railway Operational Division). Strangely, the word Eisenbahndirektion is also translated as 「鉄道局」 or 「鉄道管理局」 on other pages in Japanese Wikipedia. Seeing the difference between Japanese translators, I think "General manager" may be an acceptable choise because it doesn't show the name of units like 局/庁/部, avoiding controversy.--Howard61313 2015年2月16日 (一) 16:12 (UTC)
王立バイエルン邦有鉄道 is my translation work (from German wikipedia). And I hadn't paid much attention on consistency of translation terms between articles, because there is no official translation for these words.--Tam0031会話2015年2月18日 (水) 12:39 (UTC)

中山トンネル (上越新幹線)に関するSVGデータ掲載の可否について

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突然失礼いたします。Kkairri[talk][post record]と申します。さて、本題ですが、ノート:中山トンネル (上越新幹線)で私が作成した画像の質について意見を求めております。意見や改善点がありましたらご教示下さいますよう宜しくお願い申上げます。この投稿は過去5年以内に中山トンネル (上越新幹線)を編集し、かつ過去6ヶ月以内に編集されているすべての利用者様にしています。--Kkairri[talk][post record] 2015年6月5日 (金) 08:10 (UTC)

列車記事のガイドライン見直しについて

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突然失礼いたします。現在、プロジェクト‐ノート:鉄道/列車#列車記事名に接辞を用いないとするガイドラインの見直しについてにて議論を行っておりますが、鉄道分野に造詣が深く、ガイドラインの改訂などにも精力的にご活躍いただいている貴殿に是非ともご意見を賜りたいと思いご連絡差し上げました。ご多忙のところ恐縮ではございますが、よろしくお願い申し上げます。--野田オリックス会話2015年6月11日 (木) 10:58 (UTC)

ご意見ありがとうございます!--野田オリックス会話2015年6月11日 (木) 21:06 (UTC)

制動手の記述の差し戻しについて

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はじめまして Licsak と申します。制動手のこの版を、あなたは記述済みだとして差し戻しを行いました。私はこれを不適切な差し戻しだと思っています。

前パラグラフの「必要に応じて車掌が車掌室に設けられたブレーキ弁を操作するに留められた。」という記述は当然に貫通ブレーキのことを指すのに対し、次のパラグラフでは「だが、幹線に当たる1級線でさえ安全性の高い貫通ブレーキの導入が第二次世界大戦後まで遅れた」というのでは逆に意味が通りません。幹線に当たる1級線 が森林鉄道を指すものだというのは次の文、「多くの森林鉄道においては、…(後略)…」と記述してあるため不要だという認識でしょうが、前節は列車一般においての記述、後節とも森林鉄道に限らない、貨物列車のブレーキ役としての記述が書かれているため、あらかじめ森林鉄道であることを冒頭で断るのが適切です。そもそも1級線という表記は森林鉄道だけに限った用語では無いはずです。--Licsak会話2015年6月14日 (日) 15:45 (UTC)

それならばそのようにきちんと編集するべきでしょう。あなたの編集した文章では、「だが森林鉄道においては、幹線に当たる1級線でさえ安全性の高い貫通ブレーキの導入が第二次世界大戦後まで遅れた、多くの森林鉄道においては」と、同一文章に2回「森林鉄道においては」が入っています。これが不適切な文章でなくて何なのでしょうか。次の文ではなく同じ文ですよ。途中に脚注が入っているから同じ文であることを見落としたのでしょうか。--Tam0031会話2015年6月14日 (日) 15:52 (UTC)
Tam0031さん、ご指摘ありがとうございました。うっかり脚注の次の文字を句点だと読んでしまったため、さらにおかしな文章にしてしまいました。過去の版に遡ると該当の記述が森林鉄道に限定したものであることが明快に書かれていたため、元の文意を変えないよう、文を分けました。--Licsak会話2015年6月15日 (月) 07:50 (UTC)
わかりました。今の文章でいいと思います。この記事も、英語版からの翻訳がベースであるため、後半の制動手の現在の仕事のあたりは、完全にアメリカの鉄道の話になってしまっていて、どうしたものかとは思っているのですが、今のところ打つ手がないです。--Tam0031会話2015年6月15日 (月) 13:43 (UTC)
改変部分を読んで頂きありがとうございます。初版からの翻訳版に起因する記述の偏り(アメリカ鉄道中心の問題)がある中、日本の森林鉄道の記述が出たのが喜ばしかっただけに、書いた方の会話ページにありましたがリタイアされたのが残念な限りです。ラックレール時代の碓氷峠では手ブレーキ装備の歯車車の存在もあり、操車場での連結役も制動手の役目ですが、もともと筆を入れた経緯が文章校正のためだったので私も加筆材料の持ち合わせがありません。お力になれなくて申し訳ありません。--Licsak会話2015年6月16日 (火) 12:56 (UTC)

ノート:信玄公旗掛松事件での議論について

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ノート:信玄公旗掛松事件につき、 一、遅くなりましたが、追記しておきましたので宜しければご覧ください。甚だ不十分ではありますが、時間的余裕が無いので今はこれが精一杯です。

二、(1)それから、「時代背景について」の項目における「戻ってきてみたらこのようなことになっているとは…。ただでさえ、記事の問題点を指摘することは微妙な感情の問題を生むことがあるのに、「病巣」などという言葉を使うのはあまりに不用意ではないですか。そんなことでは記事の修正に同意など得られませんよ」とのご発言、及び、(2)「修正案の作り方について」という項目において、「問題があると主張していた本人が、案文の提示もしないようなので、この件はもうクローズということで良いかと思います」とのご発言について、まことに申し訳ありませんが削除の検討をお願い申し上げます。

すでに散々案文の提示もしていたはずですし、他の一部ユーザーにおけるものと同じく、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#印象操作に抵触するおそれがあります。「記事の修正に同意」は本来必要ではないはずなのに、私が加筆修正するときだけいちいち合意が必要であり、したがって少しでも合意なくして加筆修正すれば理由らしい理由も示すことなくリバートを掛けてやれるのだ、という口実にされかねません。常習犯がいるのはおそらくご存知のはずです。

なるほど、感情論だけで反発される口実にされてしまったのでは不用意といわれても仕方はありません。しかしながら、T6n8さんが、「利用者について議論する意味はありませんので、内容についての議論をするべきとして節名は変更しておきます」と指摘されているとおり、私自身の言葉尻をいくら非難しても記事は良くなりません。「意見」が「事実」として書かれているというWikipedia:中立的な観点違反もそうですし、「しかしながら「権利濫用」の概念は当時の明治民法では触れられておらず、当然ながら現実の裁判において「権利濫用」が援用される事例は信玄公旗掛松事件以前にはなかった」という出典の無い独自研究が書かれていることについてもそうですし、川井文献を読んでみてわかりましたが、原文はそれほどびっくりするようなことは書いていなかったのですが、「今ならAだろうが当時は不明だ」、と書かれているようなのが、記事では「当時はAだ」、という情報に勝手にすり替えられているような状況というのは、議題提案者がそれ以上何か言っても言わなくても、それが修正されない限り永遠にクローズするなどということはありえないはずです。現状ですと他の利用者が内容について疑問を持ったとして、ノートページでクローズだと断言されているからその件については修正してはいけないのだ、という誤解を与えかねません。また、ノートページでの自分の発言は原則として禁止されていません(Help:ノートページ#自分のコメント)。Tam0031さんが今後本件にどの程度関与するかどうかについてはもとより強制できるものではありませんが、少なくともそれだけは何とかお願いしたいと思います。--Phenomenology会話2015年7月12日 (日) 23:26 (UTC)

過去の発言については一切削除しません。まず、ある文献について「問題がある」と指摘するくらいならまだ穏当ですが、それを「病巣」と指摘するのは明らかに行きすぎです。あなたのこのような発言が受け入れられないのは今でもまったく変わっていませんのでこの点については撤回できません。また、修正案の作り方についてでも、一般にWikipedia:合意形成#合意形成で1週間待って返答が無いのであれば合意形成とみなしてよいということになっていますので、その程度の期間待ってそれ以上の応答が無いのであればクローズを宣言することになります。したがってこれについても撤回はできません。必要があれば新たに議論を起こしてください。
それから、修正したいところを端的にまとめて欲しい、と依頼したはずで、例文まで書いたはずなのですが、今回あなたがノートページに投稿したのは18,631バイトに及ぶ長文であり、しかもこれまでと言っていることは大差が無く、修正内容も相変わらずきちんとまとまっていないようです。これで「散々案文の提示もしていたはず」と言われても、自分の意見を的確にまとめる力が無いのだな、と判断せざるを得ません。もう少し要領よく、端的な指摘ができるように考慮された方が良いかと思います。--Tam0031会話2015年7月13日 (月) 14:10 (UTC)
まず、本件につき、多大な手間暇ご迷惑をお掛けしたことをお詫び申し上げます。
そのうえで、そのように仰ることは大変残念なことです。他の文献には違うことが書いてある、中立性に問題があるのではないかということと、川井文献を見たが記事とは違う、独自研究ではないかということとは違うレベルのはずです。川井文献には、本当に「当時」無過失責任に相当する救済がされていたと書いてありましたか?
端的な改善案を示せ、とのことですが、一番良いのは記事を実際に修正したうえで、その差分を示して評価を仰ぐことですが、少しでも記事に手を付けたら荒らし扱いしてリバートするぞ、みたいな空気の中でそれをするのはなかなか困難です。Tam0031さんの側から、そういう具体的提案があれば助かりましたが、今それを言っても仕方ないことですね。さしあたり本件からは手を引きましたので、後々気が向いたら加筆修正するなりしていただければと思います。
国家賠償法との関連については、該当ページを加筆修正しておきましたので、そこの国家賠償法#国家無答責の法理の項目と、国家賠償法#脚注5の冒頭部分、「憲法17条の歴史的意義」を見れば問題状況はわかるはずです。記事からリンクを貼れば足りると思っていましたが、明治31年の時点で克服済みだとすると再考が必要かもしれません。以上、幕切れは大変残念ではありますが、ともかくも長々お付き合いいただきありがとうございました。今後のご活躍をお祈り申し上げます。--Phenomenology会話) 2015年7月17日 (金) 13:20 (UTC)--Phenomenology会話2015年7月17日 (金) 13:38 (UTC)
それは、今更気にしなければならないことなのですか。詫びる相手が違うのではないのですか。--Tam0031会話2015年7月17日 (金) 14:41 (UTC)

コメント依頼ご協力のお願い

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こんばんは。Wikipedia:コメント依頼/ikedat76 Infinite0694 MaximusM4 20150722を提出させていただいた者です。関連するページにて有意義な議論をされていたため、お声掛けしました。当コメント依頼におきましても、引き続きご意見をお寄せいただければと思っております。よろしくお願いします。--nyaku会話2015年7月22日 (水) 12:24 (UTC)

蒲生殖産興業における編集について

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お邪魔させて頂きます。首記について、当該記事における当方の編集でご気分を害されたのであればすみません。しかし、「必要性が無いことが理解できないらしい」とまで言われたら黙っているわけには参りません。さて、Template:参照方法をご覧頂いたうえでリバートされたでしょうか。このページにおいて示されている例と当該ページの状況は何が違うのでしょうか。必要性がないのはなぜなのでしょうか。理解できませんのでお答え頂けませんか。--円周率3パーセント会話2015年7月30日 (木) 16:11 (UTC)

現時点において脚注による出典の明記は、推奨ではあっても義務ではありません。Wikipedia:出典を明記する#出典の示し方にあるように、末尾に参考文献を明記するだけでも執筆者の義務は果たしています。そして当該記事においては、わずか6400バイトほどの短い記事であって、文献も多数並列されているわけではない、誰でもその文献をちょっと読めば参考文献になっていることが理解できる程度の内容です。たくさんの文献が提示されていて、どの記述がどれに由来するかわからなくて困るというほどの内容ではないのです。この記事において、脚注を使って出典を明記することにどこまで意味がありますか? 私の知る限り、この企業の特徴は戦前の士族結社に由来するところにあって、戦後の歴史だけだと特筆性の基準に達するかも怪しい程度の存在でしかなく、これから大きく加筆されることも期待できません。それなのに、わざわざ手間をかけて脚注に直すだけの意味があるとは私には到底思えません。そんな時間があれば他の記事を作ったり直したりしたいのです。テンプレートを貼るということが、他人に時間を費やさせる行為で、その分他の記事を改良する時間が減るのだ、ということを理解した上で、本当に貼る意味があるかを考えて実行して欲しいと私は思います。--Tam0031会話2015年7月30日 (木) 16:28 (UTC)

北越急行ほくほく線の画像について

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こんにちは、ぱたごんです。本日、メインページ掲載になっている北越急行ほくほく線で「北越北線と北越南線の計画ルートと実際のほくほく線」画像を見てふと気が付いたのです。世の中には赤と緑の区別が付かない色覚異常の方がいます。男性の5%は(程度の差はあれど)そうだといいます。世の中には便利なツールがありまして、色覚異常の方にはどんな風に見えるのかをシュミレーションしてくれるツールがあります。http://www.color-blindness.com/coblis-color-blindness-simulator/ このツールで見てみますと「北越北線と北越南線の計画ルートと実際のほくほく線」画像では緑の線と紫の線が赤緑色覚異常の方には区別が付かないかもしれません。よろしければ緑を黄緑に変更しても良いですか?ぱたごんの版にしたくないのであればTam0031さんにしてもらっても良いのですが、ご手数をおかけするのも心苦しい。wikimediaの画像のすべてをチェックや訂正することも出来ませんが、FA記事くらいは赤緑色覚異常の方にも配慮したいと考えました。--ぱたごん会話2015年9月3日 (木) 14:53 (UTC)

ありがとうございます。編集していただければ助かります。よろしくお願いいたします。--Tam0031会話2015年9月3日 (木) 15:00 (UTC)
ありがとうございます。では、お言葉に甘えて緑を黄緑に変更いたします。--ぱたごん会話2015年9月3日 (木) 15:08 (UTC)

池上競馬場のこと

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拝啓、目黒の隠居と申します。先日は池上競馬場をご査読いただき、秀逸な記事の選考では貴重なご意見をありがとうございます。御趣旨にそって「何々になる」のような表現を、「何々した」「何々だった」という過去形に35か所ほど直したのですが、「何々だった」「何々した」があまりに多いと文章としてぶつ切り感がでます。なので、ご指摘で「何々した、だった」に変えた35か所のうち5か所だけ前後の文章との兼ね合いをみて再訂正してみました。べつに選考で賛成票が欲しいためだけで一時的に直したわけではなく、これ以上は元に戻す気ではありません。ご了解いただけましたら幸いです。--目黒の隠居会話2015年9月4日 (金) 10:06 (UTC)

そういうのはある程度自由に編集していただいて大丈夫ですよ。ご丁寧にありがとうございます。--Tam0031会話2015年9月4日 (金) 14:09 (UTC)

Wikipedia:秀逸ピックアップ/関門トンネル (山陽本線)について

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ぱたごんです。関門トンネル (山陽本線)の秀逸入りおめでとうございます。いつもながら素晴らしい記事を読ませてくださりありがとうございます。さて、Wikipedia:秀逸ピックアップ/関門トンネル (山陽本線)を作成したのですが、なにしろメインページトップを飾る文章。Tam0031さんに見直しをしていただけると幸いです。なお、1/13に日替わりしたら新FAとしてメインページに掲載する予定ですがなにかありましたら従います。--ぱたごん会話2016年1月12日 (火) 12:30 (UTC)

ありがとうございます。日本本土で最初の海底トンネルであるかどうかについても、確実に確認できたとは言えないので、そのくだりは削らせていただきました。
いずれ秀逸な記事の選考にも出そうかと考えて査読依頼にもかけていたのですが、仕事が非常に忙しくなってきてしまい、きちんと質疑に応対できないと思って後回しにしていました。よもや無風で通過してしまうとは思いませんでした。推薦してくださった方、賛成票を入れてくださった方にはお礼を申し上げます。--Tam0031会話2016年1月13日 (水) 04:11 (UTC)

扇形庫

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はじめまして、Omotecho といいます。「扇形庫」の記事でご指摘のポーランドのものはピースカ・オクロングラクと読むと思います。突然ご連絡を差し上げましたがご検討いただけたら幸いです。--Omotecho会話2016年2月21日 (日) 09:02 (UTC)

Pilska Okrąglak機関庫協会の件ですね。ありがとうございます。--Tam0031会話2016年2月21日 (日) 10:13 (UTC)

年 ウィキメディア財団事務長採用に関する コミュニティアンケート

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ウィキメディア財団の理事会は、財団の次期事務長の選出を一任するための委員会を設立しました。そして、私たち委員会の最初の任務の一つに、事務長の職務内容の記述があり、現在、ウィキメディアのコミュニティから意見を募っています。この簡単なアンケートにご協力いただくことで、私たちはコミュニティやスタッフのウィキメディア財団の事務長に対する期待をさらに理解できると考えています。 ご協力いただきましたこと、重ねてお礼申し上げます。

ウィキメディア財団事務長採用 運営委員会 via MediaWiki message delivery会話2016年6月1日 (水) 22:11 (UTC)

感謝賞受賞のお知らせ

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花束をどうぞ!
花束をどうぞ!

2016年7-9月の感謝賞において、Tam0031さんへ感謝の言葉が寄せられ、感謝賞を受賞されましたのでお知らせいたします。寄せられた推薦と感謝の言葉は次のとおりです:

  • Yapparina会話): 記事選考における投票と的確なコメントの継続に敬意を表して。今年FAになった「関門トンネル (山陽本線)」などのような高いレベルでの記事編集も平行して継続されている点も驚愕するところです。すでに2012年の月間感謝賞でも受賞されていますが、すごい人には何回でも「すげー」と言うべきでしょう。
  • ぱたごん会話):記事の選考ではいつも的確な指摘をされています。よい記事にさらに磨きをかけてくださっています。--ぱたごん会話) 2016年8月22日 (月) 11:31 (UTC)
  • Kinketu会話):記事選考における精力的・継続的活動に経緯を表して。
— Wikipedia:感謝賞/2016年7-9月期

次のテキストを利用者ページにコピーしていただければ、感謝賞受賞のユーザーボックスを置くこともできます。よろしければどうぞ。{{Wikipedia:感謝賞/受賞者用ユーザーボックス|2016|9}}

これからのますますのご活躍を祈念いたします。--Yapparina会話2016年10月1日 (土) 00:28 (UTC)