利用者‐会話:Soumeijintiyuuryaku
ウィキペディア日本語版へようこそ! | |||
---|---|---|---|
こんにちは、Soumeijintiyuuryakuさん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!
|
出典を提示してください
[編集]Soumeijintiyuuryakuさん、Wikipedia日本語版へようこそ。
さて、あなたが執筆された東アルバニア公国に関し、現在虚構記事の疑いにより削除依頼が出されております。投稿内容は参考文献に掲げられた資料のどの部分を根拠にされたものでしょうか?その辺りについて、依頼ページにコメントを頂ければ助かります。
ウィキペディアの内容には「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」が重視されており、「Wikipedia:検証可能性」が基本方針の一つとして定められていますので、出所不明な情報を投稿することはできません。また、「Wikipedia:独自研究は載せない」に明記されているとおり、個人的な見解に基づいた記述はウィキペディアでは歓迎されません。
なお、藤原惟憲についても生年が朝日日本歴史人物事典や日本人名大辞典と異なっている等、不審な点があります。貴方自身が執筆された藤原惟孝と矛盾する記述(母の名)もあります。これらについても出典をお示し頂ければと思います。--ろう(Law soma) 話 歴 2013年10月2日 (水) 02:44 (UTC)
ろうさん、ご連絡ありがとうございます。 東アルバニア公国ですが16世紀のバルカン方面の貴族に関する記述です。「公国」というのは便宜上の呼称であり、「ホワリッツァー朝」の方が普及しているかもしれません。ただ、「西アルバニア」も存在するため「公国」号を用いた次第です。 削除ページで指摘のあったオスマン侵攻ですが、少々紛らわしい言い方だったと存じます。オーストリアのウィーン撤収後の侵攻です。前期のものではありませんので、その点はご理解ください。失礼いたしました。 また、藤原惟憲の母親名ですが、その箇所は自分の執筆ではございません。訂正等はご自分でお願い致します。 生年については以前、別の方からご指摘を受け、協議はしておりましたが朝日日本史歴史人物辞典の生年ですと父親の年代と一致しなくなるため暫定的に現状維持している次第です。朝日、日本人名以外に根拠資料があればお知らせください。--Soumeijintiyuuryaku(会話) 2013年10月2日 (水) 08:03 (UTC)
- 藤原惟憲については了解しました。東アルバニア公国については依頼ページに書かれた方がよろしかろうと思います。--ろう(Law soma) 話 歴 2013年10月2日 (水) 08:15 (UTC)
多重アカウントについて
[編集]さて、貴方の利用者名とよく似た利用者:Soumeijinntiyuuryakuというアカウントをご存じでしょうか?現在Wikipedia日本語版にはWikipedia:多重アカウントというガイドラインがあります。もし同一人物なのでしたら、利用者ページのどこかに言及した方がよろしいかと思います。--ろう(Law soma) 話 歴 2013年10月2日 (水) 02:56 (UTC)
コメント依頼提出のお知らせ
[編集]あなたについてWikipedia:コメント依頼/Soumeijintiyuuryakuが出ています。そこで一つ伺いたいのですが、あなたの利用者ページにある「NCU」とは何を意味しているのでしょうか。よろしければお答えください。--182.169.232.60 2013年10月4日 (金) 06:19 (UTC)
対応が遅れて申し訳ございません。現在事情があり、しばらく留守にしておりました。コメント依頼の件、承知しました。対応させていただきます。東アルバニアに関しましては虚偽であることは事実ですので、今後コメントされる方にも一応、申し上げておきます。失礼いたしました。 「NCU」は気にはなさらなくて結構です。鬱陶しいようでございましたら、該当される方々もご覧になったと思いますので削除いたしますが、その場合は改めてご連絡ください。東アルバニアについて多数の方々にご迷惑をお掛けした事、重ねてお詫び申し上げます。--Soumeijintiyuuryaku(会話) 2013年10月5日 (土) 22:29 (UTC)
お返事ありがとうございます。他にも虚偽記事をお書きになったことがあるのであれば、具体的に記事名を列挙していただけると有難いのですが。どうかよろしくお願いします。--182.169.236.98 2013年10月6日 (日) 06:44 (UTC)
ご指摘のあった東アルバニア公国の他に、別アカウントでセイランド王国というのを立項しました。即時削除されたので特に影響はないと思います。あと藤原惟憲も実在人物ですが官位の箇所が資料に乏しく、部分的に藤原頼経から引用しました。父親の藤原惟孝についてもコメント依頼で指摘があったようですが、こちらは正に事実を引用しております。その点は弁明いたします。 申し訳ございませんでした。--Soumeijintiyuuryaku(会話) 2013年10月6日 (日) 08:56 (UTC)
- ご回答ありがとうございます。以下2点追加でご教授下さい。現在提出されているブロック依頼にも影響いたしますので、恐れ入りますがご丁寧な対応をいただければ幸甚です。
- --Snap55(会話) 2013年10月6日 (日) 15:25 (UTC)
ご回答させて頂きます。先文、非礼な箇所があったと存じます。併記してお詫び致します。
1.藤原頼経が正五位・右近衛権少将に任官した点から、それを正五位の対応する官位の基準として、藤原惟憲の官位に対照して土御門第炎上以降の官位の叙爵順位とした解釈で執筆しました。ですので土御門第の記述より後の執筆箇所は誤りです。それ以前の部分についても誤述があったと以前、指摘を受けました。ただ、何箇所か他のユーザー様の修正があり、どこからどこまでが自分の執筆かは正直、把握出来ておりません。誠に申し訳ございません。
2.駿河守任官についてはhttp://keizu.masa_mune「藤原北家勧修寺流」を参照いたしました。
--Soumeijintiyuuryaku(会話) 2013年10月7日 (月) 09:35 (UTC)
- ご回答内容に基づき、10/7時点の藤原惟憲・藤原惟孝の内容を維持させていただくことと致します。ありがとうございました。--Snap55(会話) 2013年10月7日 (月) 14:54 (UTC)