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藤原惟孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原 惟孝
時代 平安時代中期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上駿河守[1]
主君 円融天皇
氏族 藤原北家勧修寺流
父母 父:藤原為輔、母:藤原守義の娘
兄弟 惟孝説孝宣孝藤原佐理
伴清廉または藤原善理の娘、紀文実の娘
惟憲、惟光、泰通、致義、相序、鎮禅
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藤原 惟孝(ふじわら の これたか)は、平安時代中期の貴族藤原北家勧修寺流権中納言藤原為輔の子。官位従五位上駿河守

経歴

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円融朝末の天元6年(983年)正月に玄蕃頭から駿河守に転任する。

弟・宣孝[1]紫式部の夫であるため[2]、惟孝は紫式部の義理の兄にあたる。

官歴

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系譜

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  • 父:藤原為輔
  • 母:藤原守義の娘
  • 妻:伴清廉の娘(または藤原善理の娘)
  • 妻:紀文実の娘
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原致義
    • 男子:藤原相序
    • 男子:鎮禅[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 父である藤原為輔の項の補足として惟孝の官位について触れられている[3]

出典

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  1. ^ a b c 『尊卑分脈 第二篇』pp.121-122
  2. ^ 野毛 甲斐、駒田 英代「パトグラフィー紫式部 〜解読「源氏物語」〜」古典総合研究所
  3. ^ 『公卿補任 第一篇』p.221。

出典

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  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年、pp.121-122
  • 宮崎康充編『国司補任 第三』続群書類従完成会、1990年