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利用者‐会話:Happy B./履歴関連

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MediaWiki:Revhistory案について

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MediaWikiメッセージを編集して履歴ページにリンクを生成する案がボツになった理由はWikipedia‐ノート:履歴での過去の議論だと思いますが、そこでの見解に従うなら履歴を別ページに置くこと自体が否定されてしまうので、今検討しているように履歴を別ページに置くことが前提なら再検討の余地は十分にあるものと思われます。--emk 2008年1月21日 (月) 21:38 (UTC)[返信]

ご指摘の件、Wikipedia:削除依頼/ルイス・ブランダイスにおけるGhazさんのコメントの印象が強かったため、経緯を誤解していました。次の版で修正します。ありがとうございました。--Happy B. 2008年1月23日 (水) 03:39 (UTC)[返信]

名前空間と要約欄を利用した履歴からのリンクの組合せ

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名前空間と要約欄を利用した履歴からのリンクの組合せが Wikipedia 間翻訳の整合性からも、また記事空間にとっての前史という位置づけからも良いと思いますが、それを好ましくないとお考えの省略されている理由は何でしょう。尚、名前空間は単純に History (か、履歴) が良いと思います。また、最初の版は持込元のデッドコピーと理解していますが、それで正しいでしょうか。--Jms 2008年1月22日 (火) 23:55 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。「変更履歴補遺:」の名称については、現時点でのWikipedia:著作権との整合性を図っただけなので、著作権ページの変更を前提とするならHistory:でもいいと思います。「補遺」の語がないと補遺ページ側の方が主たる履歴ページと誤解されるのではないかという危惧は少しありますが。初版(といいますか持ち込み版)は持ち込み元のコピーを想定していますが、外部サイトの文を修正した文を投稿するときも、翻訳のときみたいに「持ち込み+修正」を一度に行ったと解釈すれば、同じ方法が使えそうな気もします。
さて、新規名前空間と要約欄との組み合わせを「使わないほうがいいと思っています」と書いたのはちょっと誤解を招く書き方だったと思います。ご想像の通り、もし履歴を記載するページの存在が認められるならば、そのページ名はHistory:{{FULLPAGENAME}}だろうが、{{TALKPAGENAME}}/履歴だろうが、本質的な差はないと思います。私が真に意図したところを、少し長くなりますが、説明させてください。
過去の議論でも、履歴を補ったページに改名の必要性が生じたときにどうすべきかは悩みの種となっていました。
外部から持ち込まれたページ名を仮にAとします。[[History:A]]の履歴は、要約欄からリンクを貼ることではじめて履歴として認められるとします。要約欄には、「履歴の詳細は[[History:A]]参照」(一例です)といった記載が残ります。
さて、このページがBに改名されたとしましょう。要約欄は修正できませんので、Bという記事の初版には「履歴の詳細は[[History:A]]参照」の文面が残っています。これをどうすべきかという問題が出てきます。
History:AはAの履歴補遺を示すというふうに、1対1対応を常に守るとするならば、History:AはHistory:Bに移動すべきということになります。しかしながら初版要約欄の参照先はHistory:Aです。History:Aを#REDIRECT [[History:B]]とすればすむ話でしょうか。では空き地のAにさらに外部から持ち込みがなされたときには?
History:Aが必ずしもAの履歴を表さないと定義すれば、この問題は解消されます。しかしながら、「1対1対応を維持しつつ、履歴ページであることが明らかに判別できる」という新規名前空間案のメリットを放棄する必要が生じます。
履歴補遺ページへのリンクを必須とした場合、その補遺ページの名称は基本的にはただの符丁ですから、持ち込まれたAが他の記事名に移動した後に、再度Aの記事名に外部からの持ち込みがあったとしても、そのときの補遺ページに[[Wikipedia:履歴/A 20080123]]といった名前をつけることにはあまり抵抗はありません。ただ、この用途で[[History:A 20080123]]という名称をつけるのは、新規名前空間の使い方としてはもったいないなと考えたわけです。
もしもHistory:Aページが、ただ存在するだけでAの履歴を補うものとして機能するならば、AをBに改名したときにHistory:AをHistory:Bに移動するだけで解決します。私としてはこれが理想なので、History:名前空間は、「履歴補遺ページが存在するだけで履歴を補うものとして認められる」ようになるまでは使わずにとっておきたいなと考えた次第です。--Happy B. 2008年1月23日 (水) 03:39 (UTC)[返信]

履歴なり History なり、とりあえず H 名前空間と呼びますが、H 名前空間で使われるべき名称は、理論的には、当該記事の名称ではなく、当該記事の元になったなにものかの名称等 (DOI の様な識別子) であるべきだと思います。次善の策として、初版記事の oid でしょう。当該記事の初版の名称は適切な指示子ではありません。当該記事の元になったなにものかの一意な識別子を実装するのは容易ならざることであり、初版記事の oid は記事を投稿しなければわからないので、これまた履歴欄には指定できません。そこで、技術的解決としては、[[History:A 200801231234UTC]]などでしょう。なぜもったいないのでしょうか。単なる文字列ですが。--Jms 2008年1月23日 (水) 08:47 (UTC)[返信]

「もったいない」感じについては、結局私が「記事名Aに対して一意に定まる履歴ページ(例 History:A)があるだけでそのページが履歴を補う存在とする」という計画を捨てきれずにいるからだと思います。Jmsさんはそれは不可能だと割り切っておられるのでしょうね(違っていたらお知らせください)。なお、秒単位の投稿時刻は事前にわからないので、History:A 200801231234UTCも無理(持ち込み版履歴欄に指定できない)だと思うのですが、いかがでしょうか。あと、いかにも簡単に新規名前空間が実現しそうな書き方をしてしまっていますが、新規名前空間導入のためのコストがどの程度のものかは自分でもよく分かっていません(そこは前準備不足と言われても仕方がないかもしれません。すみません)。--Happy B. 2008年1月26日 (土) 07:50 (UTC)[返信]

さて、お二方にご意見をいただきました。ありがとうございます。今のところ、一応は再検討に値するのではないかという感触を持っていますので、もう少し考えを練った後にWikipedia‐ノート:履歴の方に話を持って行こうかと思っています。それまでに何かご意見があるようでしたら引き続きこちらにお願い致します。--Happy B. 2008年1月26日 (土) 07:50 (UTC)[返信]

不可能というよりは、不適切だと思っています。en:A を翻訳して ja:あ という記事にした場合、ja:あ が参照する履歴は en:A なわけですから、ja:あ の、外部由来の履歴は同様に外部の名前 A で呼ばれるべきだと思うのです。その意味では、外部 GFDL 文書 A の履歴日時 UTC あたりで良い気がします、翻訳のガイドラインが求めているのと同様に。文書 A に履歴があるのですから、何らかの形で日時は特定可能であり、その日時が年だけだったり日までだったりした場合でも、それが文書 A を特定するに十分であるなら十分でしょう。問題は名前が A という外部文書が複数あり得ることで、それを考えると H:あ_元文書の日時 あたりでしょうか。これなら秒指定問題も解決? H:あ_A_元文書の日時 となるときっと長すぎる事態が発生するでしょう。--Jms 2008年1月26日 (土) 08:12 (UTC)[返信]

少し考え方の相違が明らかになった気がします。Jmsさんは、追補する履歴は元文書に帰属するということを中心に考えておられるものと理解しました。一理ありますが、記事がWikipediaから外に出て再利用される時のことを考えるならば、やはり「あ」という記事に加えられた履歴は「History:あ」またはそれに類するページ名にしておくほうが散逸が少なく望ましいと考えます。元文書の記事名や履歴に関する情報は、必ずしも履歴補遺ページの題名にしなくても、「履歴補遺ページの中で必ず述べる」ぐらいでいいのではないかと思っています。

なお、私は「History:あ 20080129」には否定的ですが、History名前空間をサブページ作成可にした上で「History:あ/20080129」ならいいのではないかと考えました。あ/20080129という記事が作られることはまずないと思いますし。--Happy B. 2008年1月29日 (火) 02:38 (UTC)[返信]

想定している作業モデルが違うと解が異なるのかもしれません。私が想定しているのは、GFDL なウィキペディア外文書の持込なので、持込後の履歴は通常の「変更履歴」ページで管理されます。問題はそれ以前の履歴をどう保持するかであって、「やはり『あ』という記事に加えられた履歴は『History:あ』またはそれに類するページ名に」というのには該当しません。投票結果の記録は、事実の記録であれば著作権の対象とはならず、またその内容からそれ自体が改変履歴であると考えてよいという気がしないでもありません。それはさておき、提案されている方式で履歴を保持する場合であっても、過去の履歴が付加的に加わっているのであって、以降の変更は (もしあれば) 通常の「変更履歴」ページにあるべきだと考えます。「あ」の変更履歴の最初で参照する過去の履歴ページへのリンクは後からの改変は (少なくとも通常のユーザには) 不可能なので、後日「あ」を「亜」に改名したとしても、「H:あ」はそのままか、最低でもリダイレクトで残す必要があります。もしここで「H:あ」まで「H:亜」に改名したとすれば、「あ」から「亜」に至る履歴を「H:亜」に移すべきでしょう。それは現行の運用とは異なりますから、記事の改名にかかわらず、H 空間の名前は元記事作成時の記事名、とすべきでしょう。問題は「あ」の移動後に再び「あ」を作成する場合ですが、何らかの方法で区別できるページとせざるを得ず、その場合のみ識別子を付与するという形式にするのか、最初から識別子を付与しておくのか…。わたくしは「あ」という記事が同時には一つしか存在しないというのを利用して、最初から日付識別子を付与しておくのが良いと思います。その点、元文書日時という案は一意性を保証できないので取り下げます。同一日に「あ」を複数回作成した場合には、日付にさらに時刻を加える、といったあたりでしょう。日付などによるサブページというのは良い案だと思ったのですが、「History:あ」とは何か、となるのがなやましいところです。--Jms 2008年1月30日 (水) 20:45 (UTC)[返信]
『「あ」という記事に加えられた履歴は「History:あ」』は若干説明不足でした。言いたかったことは「History:A」は望ましくないという程度の話でした。ご承知のとおり要約欄に書いた「History:あ」は勝手には「History:亜」になりませんので、やむなく投稿時の記事名を基本にする、という考え方になるでしょうか。
日付によるサブページを作ったとき、「History:あ」をどうするかですが、一つの方法は空けたままにしておくことです。相変わらずの理想論ですが、将来、History:ページが存在するのみで履歴を補完しうると判断されるまで空けておくという選択です。もう一つ、補完履歴の統合ページとして扱うことも考えられます。「あ/20080123」「あ/20080210」「あ/20080318」(ここで改名)「亜/20080409」などをすべて「History:亜」で一覧できるというものです。現行ルールではこれだけではGFDLの履歴と認められないとは思いますが、ウィキペディア外部でのドキュメント再利用を試みる人にとっては便利でしょう。--Happy B. 2008年2月4日 (月) 02:23 (UTC)[返信]

あけておくよりは、一覧がよいと思います。履歴サブページへのポインタと、元文書のタイトル及び主著者五名以上を箇条書きで書いておくと良いと思います。--Jms 2008年2月4日 (月) 20:45 (UTC)[返信]

持ち込み手順を試してみました

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2008-02-04T03:13:31の版で、持ち込み作業をしたらどうなるかというモデルケースを示してみました。履歴ページに何を書けばいいのかについてはブラッシュアップできていません。--Happy B. 2008年2月4日 (月) 03:30 (UTC)[返信]

見てみましたが、イメージがわかず、よくわかりませんでした。--Jms 2008年2月4日 (月) 20:45 (UTC)[返信]

Wikipedia:削除依頼/ベリアル

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利用者:Happy B./履歴関連を参考に、ベリアルで巻き込み削除回避の試みを行いました。Wikipedia:削除依頼/ベリアルをご参照ください。--mizusumashi月間感謝賞を応援します) 2009年2月16日 (月) 16:52 (UTC)[返信]