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利用者‐会話:Eraharisi

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主要競走記事への各回結果等の加筆について

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Eraharisiさんこんにちは。

ノート:天皇賞#歴史節への優勝馬の詳述についてで表明させていただいたのですが、下記の件でお願いといいますが、ご一考いただきたく参りました。

Eraharisiさんはいわゆる八大競走(十大競走かな?)の記事で、主に歴史節へ毎年各回の結果等について加筆を頂いているかと思います。優勝馬については「歴代優勝馬」節がありますので、内容が重複しています。また優勝馬ほか、主要な出走馬についても言及・加筆を頂いていますが、

  • 各馬の個別記事へのリンクを設定していただきたい
  • 個別記事があるかどうかをご確認いただき、各馬の個別記事内にて記述されているようなことであれば、競走の歴史節では省略してもいいのではないか
  • 回次によっては、競走単体の記事がある場合もあり、そちらへの加筆が望ましいのではないか。
  • 具体例をあげると、天皇賞の#天皇賞(秋)#歴史#1970年代#1972年(66回)に色々と加筆を頂いたのですが、そもそも第66回天皇賞ヤマニンウエーブがあり、そちらに加筆するほうがベターではないか。たとえば父ラバンダンとありますが正確にはラヴァンダンですし、そうした情報はヤマニンウエーブで事足りると思います。

これは程度問題であり、線引は難しいだろうと思いますので、あくまでも私の個人的な感想という前提です。私個人としては、各競走記事の歴史節へ、各回の情報を細かく書き込むことは「過剰」かなあと思っています。トータルとしてボリュームが大きくなり、「天皇賞そのものの歴史」の見通しが悪くなっていると思います。たとえば歴史節で<1965年(52回)の7着馬がウメノチカラで、ウメノチカラは4歳時に菊花賞で2着し、シンザンのライバルだった>ことを記述しても、<天皇賞の歴史>を理解する上ではあまり効果がないように思います。

各回のディテールは「歴代優勝馬」節へ記述するか、各回次の記事へ書き込むかが望ましいかなと思います。ただし、各回の記事はない年次のほうが多いですし、多くの記事では歴代優勝馬節には「そういうことを書く欄がない」状況です。たとえばダリュー賞の歴代勝ち馬節には備考欄を設けてあり、こうした情報が記入できるようになっています。こうした形へ修正するのも一つの方法かなと思います。ただ、ダリュー賞と違うのは既に歴代優勝馬節は調教師とか馬主とかの情報で「埋まって」おり、備考欄を設けることで大きく見かけが変わるでしょう(たとえば改行が発生したり1ページに収まらなくなったり)。それをよく思わない方もいるかもしれません。天皇賞だけでなく、他の重要な競走記事にも波及するという点に鑑みると、プロジェクト‐ノート:競馬で他の方の意見を募るなどをしたほうがいいかなあとも思います。個人的な一つの案としては、1991年の日本競馬のような記事へ集約するという方法もあるかなあと思います。

加筆内容そのものがウソであるとかそういうことではありません。私がPJ競馬の総意を代弁しているということでもなく、単に私一人の個人的な見解ですから、PJで他の編集者さんから、「いいんじゃない?もっとやろうよ」という総意があれば、それはそれでいいと思います。ただ(これは一般論ですが)この手の情報は、近年のことになればなるほど瑣末な情報が大量に書き込まれる傾向にあり、「百科事典」としてはそうしたものは抑制的であるべきかなあと思っています。特段の緊急性を要する話題ではないので、お時間のあるときにでもご一考いただければと思います。--零細系統保護協会会話2014年3月31日 (月) 08:55 (UTC)[返信]


ご意見ありがとうございます。大変困惑されているのではと感じています。申し訳ありません。実は昨年12月頃に加筆し始めてから何時かは異論が出るのではと思っていました。まず勝手ながら経過から述べさせて下さい。菊花賞の項を見ていた時に、その歴史のところが余りにも簡単すぎて加筆したのが始まりです。菊花賞は余り字数が多くならないように注意したのでそれほど多くはないのですが、有馬記念の項に加筆してから少し思うことがありました。それはレースは優勝馬だけが記録されるのでは歴史を語ったことにはならないのでは、ということです。

確かに優勝馬の項目と重複する所がありますが、書いているうちに2着以下の敗れていった馬のことも書かないと、有馬記念や日本ダービーの歴史が語れるのかという思いがして加筆していくうちに行数が多くなった次第です。例えば1990年の有馬記念のことがたった1行でオグリキャップの名前だけが書かれているだけでは、そこから何を感じますか。そこはリンクしてという発想も理解します。でもせめて3~4行でもメジロライアンやホワイトスト-ンのことを書けば読む人にイメージが広がるのではと考えました。月刊誌「優駿」3月号に「名勝負 BEST 60」が掲載されていましたが、このレースは第10位でした。第1位はやはり1977年有馬記念ですが、単に1976年優勝馬トウショウボーイ、1977年優勝馬テンポイント、と2行で並べているだけで有馬記念の歴史を書いたことにはならないと思う次第です。

確かにご指摘のように過剰かなと感じられる方も最初から予想はしていました。そこは皆さんのご意見を待ちたいと思います。ただボリュームが大きくなることはそうなんですが「天皇賞そのものの歴史の見通しが悪くなる」というご意見については、150回の歴史を重ねてきた天皇賞には、無数のエピソードや様々な展開があっての歴史であって、簡単にすれば見通しが良くなるというものではないのではと考えています。今回さまざまなデータや資料で確認したりしましたが、細部で誤りが無いという自信は正直ありません。私が加筆すると必ず誤植や誤りを訂正してくださる方がおられて、正直感謝しています。それで今回の天皇賞の(秋)をあと少し加筆して終わりにするつもりです。確かに「イベント行事」のことや「第10競走に変更」とか「内閣総理大臣が観戦」とか「厩務員がコースに乱入」とか歴史に書くようなことでもあるまいと思われることがあったので、あくまで競走馬が主役であることを基本にしたつもりです。これからじっくり考えていきたいと思います。毎回お騒がせして申し訳ありません。。--利用者:eraharisi       

お返事ありがとうございます。「優勝馬名の羅列では歴史を語ったことにならない」という主旨については概ね同意します。実は、時間が前後してしまいましたが、私が自分で加筆した凱旋門賞#歴史を思い出し、私はまったくeraharisiさんにクレームをつけられたもんあじゃないなあと反省しました。競走馬の戦績表なんかもそうなんですが、優勝馬を並べた表というのはとどのつまり「データ」でして、百科事典的な情報のあり方ではないなあという思いはあります。たとえば独立記事になっている回次なんかでも、ラップタイムの数字とか単勝売上とかの数字を並べて記事としてのボリュームを水増ししているだけで大したことを書いていないものもままあります。天皇賞の場合、現状は箇条書きのような状態ですが、ひょっとすると、むしろもっと加筆して各回にストーリーをつけることで改善されるのかもしれません。トータルのボリュームや「見通し」との兼ね合いで、ある程度分量が増えたら回次ごとの個別記事にするという選択肢もあるかもしれません。(凱旋門賞をみるにつけ、私に「見通し」を論じる資格はなさそうですけども。)個人的には、私は必ずしも1記事1項目である必要はなく、複数の事項を束ねて論じたほうが記事としてわかりやすいという場合もあると思っています。(1991年の日本競馬とか、ハイペリオン系みたいな記事がそういうもので、たとえば「1989年生まれの競走馬」みたいな記事があってもいいと思っています。1頭1頭では単独記事にするには足りなくても「そのシーズンのクラシックに乗っていた馬」みたいなものは言及するに値すると思っているので。(出典や客観性の観点で難がありますが。)いずれにせよ、私も凱旋門賞でeraharisiさんと同じようなことをやらかしているので、どうこう言える筋合いではないです。他の方々の評価を待ちたいと思います。どうもすみませんでした。--零細系統保護協会会話2014年3月31日 (月) 14:50 (UTC)[返信]


零細系統保護協会  様

おはようございます。ご理解していただき嬉しく思います。当然ボリュームの問題や出典・客観性の問題などがありますので、あまり決めつけたりせずにさらっと書いて、読まれる方が懐かしく思ったり、興味が増してもっと調べていきたいと思われる方があればと思っています。取りあえず天皇賞の項を完成させて、しばらく皆さんのご意見を待ちたいと考えています。取り急ぎご意見をいただきありがとうございました。--利用者:eraharisi   
コメントノートで議論が提起されている事柄の編集は、まず合意を形成してから編集してください。ノート:天皇賞にて提起されている議論へお越しいただき、そこで合意を形成してください。また、あなたの編集には出典もありません。ウィキペディアに加筆を行うに当たっては、信頼できる情報源に基く第三者が検証可能な出典の提示が求められます。出典なき加筆は、ウィキペディアの方針により差し戻されても文句は言えません。その点もご留意ください。--HOPE会話2014年4月1日 (火) 12:18 (UTC)[返信]

議論を無視した強行編集はおやめください

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記事のノートで議論中の案件は、まずノートで合意形成を図ってから編集してください。合意形成を経ないまま、独断で編集を強行することはおやめください。なお、今後も同様の行為を継続された場合は投稿ブロックの対象になる場合もありますので、よく含みおきください。--HOPE会話2014年4月1日 (火) 14:28 (UTC)[返信]

(HOPEさんへ)ちょっと時系列が前後してしまいましたが、本件については、上で私がクレームをつけたものに対し、お返事をいただき、その後私が“私も凱旋門賞の歴史節でいろいろ加筆しており、今回のeraharisiさんの加筆についてクレームをつけられる筋合いではない”と私のクレームを取り下げています。その後、eraharisiさんは加筆をする旨表明され、それに対して私はなにも言わなかったので、加筆をなさったんだと思います。私としては「(この議論の続きは)他の方の評価を待って」というのが本旨のつもりでしたが、言葉足らずでした。ですので、eraharisiさんがことさら議論を無視して編集を強行したというふうには解釈なさらないでいただければと思います。すみませんでした。
(eraharisiさんへ)本件は、ここ(eraharisiさんの会話ページ)と、ノート:天皇賞とで平行して書き込んでしまった私に主に責任があります。すみません。コメント依頼等も行って、より幅広い方々のご意見を募っているところですので、今後、本件はノート:天皇賞に議論を集約させていただきたいです。ここ(eraharisiさんの会話ページ)でのご発言と重複してしまうかもしれませんが、お手数ですが、改めてノート:天皇賞にてご意見や見解をご表明願えませんでしょうか。ほかの方々のご意見を伺う上でも、議論が1箇所にまとまっていたほうが話が早いと思いますので。よろしくお願いいたします。--零細系統保護協会会話2014年4月4日 (金) 06:48 (UTC)[返信]

 零細系統保護協会 様  大変お心のこもったコメントに感謝します。まず最初に私の方の受けとめ方が甘かったと思います。HOPEさんからのコメントが丁度私が加筆の文章を作成し編集ている時で気が付かずにいてしまったことが原因です。その後はどうコメントを出せばいいのか、解らなかったので、改めてノート:天皇賞にて述べたいと思います。心から御礼申し上げます。  eraharisi

プロジェクト競馬のお誘い

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Eraharisさんこんばんわ。

ちょっと順序が逆といいますか、今更感があるのですが、本日はお誘いにあがりました。ご存知かもしれませんが、プロジェクト:競馬というのがありまして、競馬関連の記事の編集者が集っております。プロジェクト‐ノート:競馬では、競馬記事一般に関する議論や情報交換も行っていまして、しばしばここで全体の方向性を議論したりしております。

ご参加いただくにはプロジェクト:競馬#参加者のところにご署名いただくだけなんですが、実のところ別にここに署名をしてもしなくても、プロジェクト‐ノート:競馬での議論には自由にご参加いただけます。まあ、署名をしておくと、他の編集者さんに「ああ、この人はPJの議論をみているんだろうなあ」と思ってもらえるぐらいかなと思います。過去ログも見ていただくと、過去の議論なんかも楽しめます。暇つぶしに最適です。

そのほか議論の場という感じではありませんがPortal:競馬というのもあります。新着記事の紹介や、誰かに書いてもらうのを待っている記事なんかもあります。実際どうなるかはわかりませんが、Eraharisさんが執筆依頼を出すこともできます。

ご一考ください。--零細系統保護協会会話2014年4月13日 (日) 15:44 (UTC)[返信]

これです! 半角チルダ ~~~~ 
^^^^ とすごく似ていますが微妙に違います。私のキーボードの場合、右上のBackSpaceから2つ左の「~^へ」キーです。
  • 日本語変換OFFの場合、シフト押しながら「~^へ」で「~」(シフト押さないと「^」になってしまいます)
  • 日本語変換ONの場合、シフト押しながら「~^へ」キーで「~」が出て、そのまま「F8」キーで半角にすると「~」になります。--零細系統保護協会会話2014年4月14日 (月) 07:31 (UTC)[返信]

零細系統保護協会さん、ありがとう。本当にありがとうございます。

何度やってもうまくいかず、悩んでいたところです。助かりました。心から感謝してお言葉に甘えて参加させていただきます。ところでその後、バッサリ削除されたので、それならばこちらは意地でも各回の競走結果の作成に入ることにしました。何にも分からないので、とりあえず第1回東京優駿と第59回東京優駿のすでにあるサイトに出典付きで加筆しました(何か問題点があれば教えて下さい)。その後にミホノブルボンの資料は無いかと段ボール箱を探していたら、本当に昔、競馬ブックで山野浩一氏が作成していた合同フリーハンデの切り抜きページが出てきました。といっても1982年・83年・85年・86年・92年・94年のものだけなのですが、ミスターシービー・シンボリルドルフ・ダイナガリバー・ミホノブルボン・ナリタブライアンの現役時の山野浩一氏の評価や、また1970年~1994年までの各年のフリーハンデ一覧表が出てきたので、これを使ってみたいと思います。ただ今はまだミホノブルボンのところにこれはまだ加筆していません。当面は資料のある日本ダービーの各回を作成したいと思います。といっても新規作成のやり方も知らないのですが・・・。厄介なのはやはり天皇賞で、どうしても資料探しに時間がかかると思います。最後にHOPEさんに後々に「本気にさせてありがとう」と自分が言えるようになるまでは淡々と資料集めに専念します・・・。Eraharisi会話2014年4月14日 (月) 09:06 (UTC)[返信]

私も最初の頃はたくさんダメだしを受けましたー!ウィキペディアではじっくり資料集めして書かれた記事は歓迎されます。競馬なので、なんというか、「いまテレビで見たこと」一挙一動書き込むような人もいて(「桜花賞では◯◯は黄色いブリンカーをつけていた」とか)そういうのは歓迎されません。山野さんは確か、「おれの合同FHの発言はどこでどう転載してもオールオッケーだぜ」みたいなことを言っていたと思うので、出典としては申し分ないです。基本的には「断片的な情報」よりは、それらがつながって文章になっているほうがいいと、私は思っています。素人の第三者が読んで読みやすく、楽しいような記事。ただ難しいのは「出典」とか「独自研究」との兼ね合いです。私の場合、Wikipedia:秀逸な記事とかWikipedia:良質な記事にある記事をいろいろ読んで、それからWikipedia:削除依頼/ログ/2014年4月14日とかWikipedia:コメント依頼とかにあがってくるような記事を眺めて、どういう感じだと良い記事とされて、どういう感じだとダメな記事とされるか、勉強したという感じですねえ。--零細系統保護協会会話2014年4月14日 (月) 14:07 (UTC)[返信]

私の競馬歴とウィキペディア歴について

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ノート:天皇賞で書いたことの補足をしておきます。私がまだウィキペディア初心者だったころの記事です。2006年に投稿したヤエノムテキの記事2006年に投稿したサクラチヨノオーの記事、どちらも「過剰な思い入れのため酷いことになっている記事」として今では本当に恥ずかしい内容です。私は今でも、ヤエノムテキを書いたものとしては史上最高のものではないか、と密かに思っていますが、しかし百科事典の記事としては酷い。悪見本です。競馬歴についてはEraharisiさんは相当の先輩だろうと思います。そこは逆立ちしても勝てない。でも、私も「日本史上最強馬はタマモクロス」って思っていたりしますし、メジロアルダンやヤエノムテキの仔を一口持っていたこともあるし、コパのなんとか?ああ、フェブラリーハンデ勝った馬でしょ?ダート馬がいっちょまえにG1ホースづらしてんじゃねーよ、帝王賞とブリーダーズゴールドカップ勝ってから出直して来い、みたいな強い思いはありますが、それはそれとして、編集内容とは切り離さないといけないなあと思っています。

これは私の個人的な考えですが、百科事典が世間一般の人が見るもの、という考え方にたつことを端的に理解できる「悪い見本」と心のなかで密かに思っているのが、鉄道関係の記事です。Eraharisiさんが鉄道に強い方だったらごめんなさい。たとえば国鉄103系電車。記事の表面的なボリュームだけで言うと、天皇賞のざっくり5倍。しかし、鉄道にシロウトの私やあなたが国鉄103系電車をサラーっと見て、なにがなんだかわかりますか?私にはムリです。概要の2行目辺りから“国鉄の汎用的通勤形電車として設計されたため、比較的駅間が短く速度の低い線区を主に使用することを前提として設計されたが、週末などの臨時電車運転を考慮して主電動機の界磁を35%まで弱めて高速特性を近郊形電車の111系並に設定している。”もう意味がわかりません。その次からの文章も、通読しても支離滅裂に思えます。先へ読み進めれば進めるほどそうなります。明らかにシロウトが読んでわかるような「概要」じゃないし、例外的な事柄や瑣末な事柄を詳述しすぎて、本筋が見えなくなっている典型と思います。鉄道車両系の記事というのはおしなべてこんな感じで、どの車両がいつどう改造されたとか、窓の位置がどう修正された車両が何台あってそれがどう運用されたとか、そういうこまけーことはおいといて、大雑把に特徴や長所と短所を知りたいんだけど…というつもりで読んでもサッパリです。鉄道系の記事は執筆者さんが重厚な方々が充実している結果、ああなったのでしょう。しかし、この記事を通読して、天皇賞に関してよりも5倍以上、国鉄103系電車のことがよく分かるか、というと、どうでしょう。私はNOじゃないかなーと思っています。そもそも通読しようとする気力が何度も潰えます。鉄道系の執筆者さんには怒られるでしょうが、私個人としては、ああいう方向性にはしたくないなあと思っています。ただし、あくまでもこれは編集者の総意で決まっていきますから、私以外の多数派が、ああいう方向にしたいといえば、そうなります。--零細系統保護協会会話2014年4月21日 (月) 08:55 (UTC)[返信]

出典について

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Eraharisiさんこんにちは。日本中央競馬会での編集について、物申しに参りました。

まず、「1961年に東京競馬場にダートコース設置」なんですが、これは完全に誤りです。この件については、Eraharisiさんに先立って編集した利用者:サントラムさんにも指摘を行い、彼によって取り消しがされたところでした。

いつもそうしろとは言いませんが、サントラムさんの直後におなじ部分を編集しておなじ間違いをしていたので、前の人(サントラムさん)がなぜそこを取り消したのか、ちょっと紀にしていただければ防げた間違いと思います。

間違いの内容はこうです。

  • 東京競馬場にダートコースが設置されたのは、工事の完了(竣工)が1960年9月
  • 東京競馬場のダートコースでの競走が営業上始まったのは1961年2月

ということで、「設置」とするなら1960年が正しい。利用が開始なら1961年です。いずれにしろ、きちんと出典に基いていれば起こらないはずのミスだと思いますので、なにか記入する際は出典を付す癖をつけていただければ自然にこの手のミスはなくなると思います。

ところで「沿革」節に多くの項目を加筆いただいたのですが、これらが「誤り」ではないとしても、「日本中央競馬会の沿革」として相応しいこうもくでしょうか。ふつう、ある組織・団体の「沿革」というと、なんという組織を改組したとか、役員がどう変わったとか、どこどこに支社を出したとか、そういうレベルの情報が並ぶんじゃないかなと思います。「厩務員ストで皐月賞がずれ込む」とか「G1が増えた」とかいうのは「組織の沿革」としてどうかなと思います。--柒月例祭会話2014年8月3日 (日) 13:05 (UTC)[返信]