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ダリュー賞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ダリュー賞(Prix Daru)はフランスで行なわれていた重賞競走。3歳馬による2100メートルの競走で、ロンシャン競馬場で4月中旬に行われていた。廃止時の格付けはG2。

ダリュー賞
Prix Daru
競馬場 ロンシャン競馬場
創設 1841年
距離 芝右回り2100メートル
格付け G2
出走条件 3歳
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概要

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ダリュー賞はフランスダービーの前哨戦の一つとして行なわれてきた。

また、ダリュー賞で好走したものの中には、イギリスのダービーへ向かうものもあった[1]

フランスダービーの前哨戦としては、プール・デ・プロデュイと呼ばれる5つの競走(後述)が設定されており、ダリュー賞はその一つだった。19世紀にはフランスの歴史的名馬グラディアトゥールの父モナルク、ボイアール(Boiard)、パース(Perth)などがダリュー賞を勝ってフランスダービーを制覇している。

20世紀に入ってからの勝馬では、プリンスシュヴァリエ(Prince Chevalier)などがフランスダービーを制しているが、1957年のアンバー(Amber)を最後に、フランスダービー優勝馬は出なかった。

日本との関連では、日本に輸入された種牡馬としてファラモンドムーティエアイリッシュボールカーホワイトがいるほか、著名馬としてリファールプリンスビオなどがいる。

ダリュー賞は1978年に廃止された。

プール・デ・プロデュイ

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ダリュー賞は創設時の競走名が「プール・デ・プロデュイ」である。これとはまた別に、「プール・デ・プロデュイ」と呼ばれる5つの競走がある。本節では後者について概説する。

長い間、ダリュー賞は「プール・デ・プロデュイ(Poules des Produits)」と呼ばれる5競走の1つだった[2]

プール・デ・プロデュイはフランス馬種改良奨励協会(Société d'Encouragement)が、フランスダービー(ジョッキークラブ賞)の前哨戦として定めたもので、ノアイユ賞、ダリュー賞、リュパン賞オカール賞グレフュール賞がこれに当たる[2]

リュパン賞を除いては、出走できる馬には父馬や母馬の産地に制限があった。ダリュー賞は「フランス国外で生産された牝馬」の産駒に限定されていて、ダリュー賞に出走するためには出走馬が生まれるより前の母馬の胎内にいる間に登録しなければならなかった[2][3]

歴史

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ダリュー賞は1841年に創設された。創設当時の名称は「プール・デ・プロデュイ(Poule des Produits)」である。

当初はシャンドマルス競馬場[注 1]で行なわれていたが、後にロンシャン競馬場に移った。当時は5月に開催されていた。

この競走は1876年まで「プール・デ・プロデュイ」として行なわれてきたが、1877年に、長年フランス競馬奨励協会の会長だった故ポール・ダリュー子爵(Viscount Paul Daru)を追悼して「ダリュー賞」に改められた[4][5]

戦争の影響

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ダリュー賞は19世紀に普仏戦争の影響で中断された。

20世紀に入ると、第1次世界大戦でフランスはドイツ軍の侵攻を受けた。多くの生産者や馬主は馬を国外に退避させてしまい、ダリュー賞も5年にわたって中断されている。

第2次世界大戦では、再びフランスはドイツ軍の侵攻を受け、占領された。しかし占領軍はロンシャン競馬場での競馬開催を許可したので、1942年まではダリュー賞は開催された。1943年になると連合軍の巻き返しによってフランス全土が連合軍による空爆の対象となった。これに備えてドイツ軍はロンシャン競馬場に高射砲を設置したのだが、そのためにアメリカ軍の爆撃を受けるようになり、とうとうガネー賞当日の爆撃で観客に死者が出る事態になった。そのため、これ以降の競馬はトランブレー競馬場で行なわれるようになり、ダリュー賞はノアイユ賞と統合されて「ダリュー・ノアイユ賞」として2150メートルで開催された[6]。パリ解放後も、ロンシャン競馬場はアメリカ軍の駐屯地として利用されたため使えず、ダリュー・ノアイユ賞は1944年と1945年はメゾンラフィット競馬場で行なわれた。1946年にロンシャン競馬場に戻った。1947年からは再び別々の競走として行なわれている。

グレード制の導入とダリュー賞の廃止

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グレード制が1971年に導入されると、ダリュー賞はG2に格付けされた。ダリュー賞は1977年まで行なわれ、最後の優勝馬はカーホワイト(Carwhite)だった。その騎手はフレディ・ヘッド、調教師はアレク・ヘッド、馬主はジャック・ウェルテミエだった。

沿革

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  • 1841年 - プール・デ・プロデュイ創設
  • 1870-71年 - 普仏戦争の影響で中断
  • 1877年 - ダリュー賞に改称
  • 1915-1919年 - 第1次世界大戦の影響で中断
  • 1939年 - 第2次世界大戦勃発
  • 1940年 - ドイツ軍がフランスへ侵攻、パリ陥落
  • 1943年 - ダリュー・ノアイユ賞がトランブレー競馬場で開催
  • 1944-45年 - ダリュー・ノアイユ賞がメゾンラフィット競馬場で開催
  • 1946年 - ダリュー・ノアイユ賞をロンシャン競馬場で開催
  • 1947年 - ダリュー賞、ノアイユ賞が分割され、従来通り施行される。
  • 1971年 - グレード制導入、G2に格付けされる
  • 1977年 - この年の開催を最後に廃止。

歴代優勝馬

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  • 表中の「*」は日本輸入馬を示す。
  • 「LP」はリュパン賞(勝馬には◯)、JCは仏ダービー(ジョッケクルブ賞勝馬には●)、GPはパリ大賞典(勝馬には★)での成績を表す。
施行年 優勝馬 LP JC GP 備考
1841 Cauchemar プール・デ・プロデュイ創設
1842 Angora
1843 Governor
1844 Commodor Napier
1846 Fleet
1847 Glands
1848 Lioubliou
1850 Babiega
1851 Illustration
1852 Aguila
1853 Fontaine
1854 Lysisca
1855 Monarque
1856 Nat
1857 Florin
1858 Gouvieux
1859 Geologie
1860 Violette
1861
1862 Benjamin
1863 Pergola
1864 Bois Roussel フランス産の英国ダービー馬ボワルセルとは同名異馬。
1865 Tourmalet
1866 Marengo
1867 Cerf Volant
1868 Ouragan
1869 Peripetie
1870 普仏戦争
1871 普仏戦争
1872 Nethon
1873 Boiard
1874 Destinee
1875 Almanza
1876 Braconnier
1877 La Jonchere ダリュー賞に改称
1878 Stathouder
1879 Salteador
1880 Voilette
1881 Albion IV
1882 Mademoiselle de Senlis
1883 Rubens
1884 Archiduc
1885 Extra
1886 Jupin
1887 Le Sancy
1888 Stuart
1889 Thomery
1890 Flibustier
1891 Ermak
1892 Diarbek
1893 Fousi Yama
1894 Idle Boy
1895 Arioviste
1896 Champaubert
1897 Quilda
1898 Le Samaritain
1899 Perth
1900 Solon
1901 Saxon
1902 Arizona
1903 Caius
1904 Sam Sam
1905 Jardy
1906 Crillon
1907 Sans Souci
1908 Gigolo
1909 Oversight
1910 Or du Rhin
1911 Shetland
1912 Floraison
1913 Ecouen
1914 La Farina
1915 第一次世界大戦
1916 第一次世界大戦
1917 第一次世界大戦
1918 第一次世界大戦
1919 第一次世界大戦
1920 Boscobel
1921 Le Majordome
1922 Zariba
1923 Le Capucin
1924 Pot au Feu
1925 Lucide
1926 Soubadar
1927 Mon Talisman
1928 Mondovi
1929 Donatello イタリア産の名種牡馬ドナテロとは同名異馬。
1930 Potiphar
1931 Barneveldt
1932 Shred
1933 Vareuse
1934 Le Gosse
1935 Ipe
1936 Bel Aethel
1937 Victrix
1938 Astrologer
1939 Mon Tresor
1940 Loliondo
1941 Le Corail
1942 Tornado
1943 Norseman ダリュー・ノアイユ賞としてトランブレー競馬場で施行。
1944 Prince Bio ダリュー・ノアイユ賞としてメゾンラフィット競馬場で施行。
1945 His Eminence ダリュー・ノアイユ賞としてメゾンラフィット競馬場で施行。
1946 Prince Chevalier ダリュー・ノアイユ賞として施行。
1947 Tharsis
1948 Boby III
1949 Norval
1950 Damasco
1951 Aquino II
1952 Luzon
1953 Buisson d'Or
1954 Popof
1955 Kurun
1956 Ambiax
1957 Amber
1958 Yoggi
1959 Gric
1960 ファラモンド
1961 ムーティエ
1962 Exbury
1963 Beau Persan
1964 Papaya
1965 Jacambre
1966 Pasha
1967 Carmarthen
1968 Scherzo
1969 Budapest
1970 Gyr
1971 G2 アイリッシュボール
1972 G2 Lyphard
1973 G2 Rose Laurel
1974 G2 Dankaro
1975 G2 Easy Regent
1976 G2 Youth
1977 G2 *カーホワイト

競走名の由来

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ダリュー賞の名称は、フランス競馬奨励協会の会長、ポール・ダリュー子爵(Viscount Paul Daru)に由来する。

脚注

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注釈

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  1. ^ シャンドマルスでの競馬開催についてはパリ大賞典#フランス近代競馬の興りおよびパリ大賞典#ロンシャン競馬場の創設を参照。

出典

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  1. ^ The Argus紙 1954年5月4日付“Popofがダリュー賞を勝ち、英ダービーへ”2013年11月22日閲覧。
  2. ^ a b c オカール賞の歴史” (英語). フランスギャロ. 2013年5月20日閲覧。
  3. ^ ノアイユ賞の歴史” (英語). フランスギャロ. 2013年3月9日閲覧。
  4. ^ Le Gaulois紙 1876年5月9日版2013年11月22日閲覧。
  5. ^ Horse-Racing in FranceBlack, Robert (1886). Horse-Racing in France: A History. London: Sampson Low, Marston, Searle & Rivington, p227“Paul Daru (who died in Paris, April 18, 1877, just two months before Admiral Rous,”、p125“the Poule des Produits — now Prix Daru”、p239“the Prix Daru, as the old Poule des Produits had been renamed in memory of the lamented Count Paul Daru),”
  6. ^ ダリュー・ノアイユ賞の結果 Le Matin紙 1943年5月3日号2013年11月22日閲覧。

参考文献

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