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利用者‐会話:汲平/2006年3月まで

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過去ログ

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2005年10月までの会話は 利用者‐会話:汲平/2005年10月までに移動 --汲平 2005年11月1日 (火) 14:18 (UTC)[返信]

トゥーランドットについて

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どちらかというとプッチーニよりヒンデミットが好きな私ですが(笑)、とりあえずノート:トゥーランドットに書いてみましたのでお読みいただければ幸いです。竹麦魚(ほうぼう) 2005年11月25日 (金) 03:32 (UTC)[返信]

ありがとうございます

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ありがとうございます。交響曲第4番 (ブルックナー)の稿に関しての訂正感謝いたします。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。今後とも宜しくお願い致します。 --kazooou 2005年12月4日 (日) 06:19 (UTC)[返信]

無言歌集

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お久しぶりですね。こちらは10ヶ月かかって、やっと交響曲第7番 (ブルックナー)を書き上げました。汲平さんから見て、こちらはいかがですか? 第4番には私も楽曲解説でいくらか加筆しています。きのうは第1楽章でIPユーザ氏も参加してくださいましたよ。無言歌集については、提案通り無言歌集 (メンデルスゾーン)に移動しました。時間を取ってマルティヌーの記事も読みたいです。-Hhst 2005年12月9日 (金) 07:41 (UTC)[返信]

早速移動させていただきありがとうございます。ボフスラフ・マルティヌーの記事、作品リストの一言メモを少しでも追加してくださるとうれしいです。それからWikipedia:秀逸な記事の選考/トゥーランドットにも投票・コメントいただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします。--汲平 2005年12月9日 (金) 07:57 (UTC)[返信]
トゥーランドットですが、残念ながら私はオペラを全く聴かないので、何とも意見のつけようがありません。ブルックナー以外の音楽分野では、無言歌集のようなピアノの“Character Pieces”が一番好きで、手元にいろいろ集めています。マルティヌーはピアノ作品全集(3枚組)を持っているけど、ちょっと聴いてみたところで、汲平さんのレベルに届くか…。(ヤナーチェクの時もそうだった)今度はグリーグの『抒情小曲集』を書いてみたいです。-Hhst 2005年12月9日 (金) 08:31 (UTC)[返信]
それと、以前にUbkaifさんがここで提案された[[Category:クラシック音楽執筆者]]のカテゴリ、使ってみてはいかがですか。みっちさんにはもろに断られたけど、私は「自分はテニスだけではない」ことを示す(?)ために使っています。-Hhst 2005年12月9日 (金) 08:31 (UTC)[返信]
ブル7は、すばらしい記事だと思います。ブルックナーの交響曲では一番好きな作品です。第1楽章の第1主題が2オクターブにも及ぶ広い音域で構成されていて伸びやかさを表現することに成功していると思います、ってことをどこかに埋め込めるとうれしいなと思います(中立の観点から難しいですね)。トゥーランドットは、推薦の辞でも書いたのですが、単にオペラ記事と言うだけでなく、楽曲記事のお手本とすべき記事だと思います。楽曲記事として、構成とか内容の過不足とかの観点からでもコメントいただけるとありがたいです。(一文字も加筆していないのに、なぜかこの記事に入れ込んでいます)よろしくお願いします。--汲平 2005年12月9日 (金) 08:45 (UTC)[返信]

メッセージ拝読いたしました

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お知らせいただきありがとうございます。汲平さんが新着をいつも投票されていることを拝見しています。わたしの記事も推薦していただいたことも何度か拝見しています。ありがとうございます。グリーンランドの歴史については再度推薦させていただきます。記事が力作であればあるほど感動しますね。Siyajkak 2005年12月11日 (日) 03:44 (UTC)[返信]

ボノ・マンソも推薦いただきありがとうございました。ボーナスを当て込んでKevin Shillington (ed.)Encyclopedia of African Historyを注文しました。ボノ・マンソをはじめアフリカのサハラ交易関係の都市の記事を埋めたいなと思っています。気まぐれな私のことなのでいつ飽きるかわかりませんが(苦笑)Siyajkak 2005年12月11日 (日) 03:51 (UTC)[返信]

セルマーについて

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お世話になります。あぼん隊長です。私が寄稿させていただいたセルマーUSAの件ですが、アメセルとフラセルを別々に新規で書こうかと思っています。なんだかもう本文は何が言いたいのか訳がわからなくなってきているので・・・賛同していただけるのでしたらご面倒ですがご協力をお願いしたい次第です。

Wikipedia:執筆コンテスト

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こんにちは、リーメスではお世話になりました。ところで、ほぼ1年前に行われた、Wikipedia:執筆コンテスト第弐回目を開催しようと思います。協力者(運営委員と審査員)の募集やルール決め等で、ご意見を伺いたく思います。(このメッセージは、前回の執筆コンテストでお名前のあった方に差し上げています)。よろしくお願いします。Yosemite 2006年1月28日 (土) 04:48 (UTC)[返信]

Wikipedia:秀逸な記事の選考

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こんにちは。さて、運命の力を標記選考に出させていただきました。ご意見等いただければ幸いです。竹麦魚(ほうぼう) 2006年2月14日 (火) 04:42 (UTC)[返信]

執筆コンテストのご紹介について

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ご紹介有難うございました。無謀にも立候補してみることにしました。他の立候補者の方々が錚々たる面々なので、当選しても安心して気軽にマイ視点重視で行こうと思います。Elthy 2006年2月14日 (火) 04:45 (UTC)[返信]

昨年のコンテスト(Wikipedia:執筆コンテスト/第壱回執筆コンテスト)を見てもおわかりの通り、かなりハイレベルな記事が集まると思いますので、審査をする方は楽しくも苦しいコンテストになるかも知れません。でもコンテストの成否は審査員の方にかかっているといっても過言ではないと思っています。私は、今回も投稿する方に回りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。--汲平 2006年2月14日 (火) 23:36 (UTC)[返信]

ベルクシュトラーセ

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ドイツ観光局のサイトをくまなく調べてみましたが、このコースの紹介もこのコースの中にある町の紹介にもベルクシュトラーセの邦訳は、見当たりません。観光ツアー会社などの案内では出てくるのかもしれませんが、訳しにくいですね。ヨーゼフⅡ世が、この地方のことを「ここからイタリアが始まる」といったとか、地形の関係で北からの寒い風が遮断されて、果実やブドウの栽培が盛んでなど、ドイツの関連サイトにはでてきます。ライン川沿いの町や村の連なりと平行した山の斜面の高みの町のようです。イタリア中部のペルージア、アシジのあたり、平地の中を列車が走っていくとき、向こうの山の連なりの上に町がポツポツと出てくるのに印象が近いかもしれません。日本では似たようなケースがないんですけど。

決して高い山の上ではないので、山岳ではありませんし、見た目は「葡萄山」なんでしょうねえ。山腹、山の辺、山並みなど、登山や高山を印象づけないような表現をしないと誤解を招くかもしれません。ライン川沿いの産業都市で働く人たちにとっては、近場で軽く息抜きのできる奥座敷のような村や小都市という捉え方もされるかもしれません。特にオーデンヴァルトは、そういうハイデルベルクの名士たちの師弟が送られたオーデンヴァルト・シューレという私立有名学校があります。マックス・ウェーバーの子どもたちなど、そこで学んだとか。雑な印象でごめんなさい。Mishika 2006年2月18日 (土) 23:49 (UTC)[返信]

汲平さん、ドイツ観光街道の記事は素晴らしいですね。観光街道の中、ベルクシュトラーセは最も難しいだと思っています。歴史が深いですから。実は観光街道であるかどうかわかりません。ドイツ語以外のヴィキペディアにはベルクシュトラーセの記事がまだないと思っています。頑張ってください。ところで、汲平さんのバベルには何故ドイツ語が載っていませんか。--ペーター 2006年2月27日 (月) 16:11 (UTC)[返信]

汲平様、最近Saintwithin[1]さんは、ドイツ語のウィキペディアのベルクシュトラーセの記事を英語に訳しました。こちら[2]に見てください。--ペーター 2006年3月29日 (水) 03:37 (UTC)[返信]

ジアゼパムの考証の件

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随分お待たせしてしまいましたがGABA受容体について少し見てみました。現行のバージョンでどうやら問題なさそうですが、おそらくBDZ受容体の役割を強調した総説もあるのでしょうね。ノートをご高読いただければ幸いです。Eekagen 2006年3月8日 (水) 03:58 (UTC)[返信]

ありがとうございます。拝読いたしました。ノートに愚見を記載いたしました。ご高閲下さいますようお願いいたします。--汲平 2006年3月8日 (水) 04:24 (UTC)[返信]

おすすめ記事について

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ご指摘ありがとうございます。しょうもないミスをしてしまいました。--S kitahashi(Plé)2006年3月9日 (木) 13:19 (UTC)[返信]

こんばんは

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こんばんは! ついに交響曲第8番 (ブルックナー)を送り出すことができました。ご検討をよろしくお願いしますね。第4楽章、結局ハース版のCDを聴きながら自分で小節数を数えました。これで次の目標は第9番です。-Hhst 2006年3月9日 (木) 14:14 (UTC)-追記:汲平さんに話したいと思っていたけど、完成直後に言い忘れたことがあります。レナード・バーンスタインがニューヨーク・フィル常任指揮者だった頃、彼の「補助指揮者」を務めた人のひとりに、ズデニェク・コシュラーがいたんだけど“あれ、赤リンクだ”と驚きました。これは汲平さんの得意分野だな、と思いましたよ。記事が書けるなら、よろしくお願いいたしますね。(スメターチェクが苦手だと聞いた時はちょっと驚いたな)-Hhst 2006年3月9日 (木) 21:09 (UTC)[返信]

いえ、スメターチェクは苦手じゃなくて、よく知らないんです。コシュラーはスメターチェクよりは聴きましたが、記事書けるほどには・・・。なんだか、チェコ・ハンガリー関連の音楽記事ばっかり書いている印象がありますが、これは偶々でして、もちろん好きではあるのですが特に詳しいというわけでもありません。他には私なんかよりも詳しい方がいらっしゃると言うことです。ニッチ狙いで結局私は東欧に住み着いているというわけです。--汲平 2006年3月9日 (木) 23:35 (UTC)[返信]

(続きをここに)交響曲第8番、早速何人かのIPユーザ氏が微調整に来られましたよ。私が楽譜で読み切れなかったワグナーチューバの持ち替えとか、皆さんも細かいところまでよく知っていらっしゃる!! アントン・ブルックナーの「版問題について」のセクションも、私が何ヶ月も見に行けないでいた間に、いつの間にか多くのIPユーザ氏たちがまとめてくださいました。(新着投票所、私にとってはこれが最後のチャンスだと思う。28,783バイトの初版記事なんて、私はもう2度と書けないような気がするから)-Hhst 2006年3月11日 (土) 12:39 (UTC)-ご苦労さま!! コシュラーの記事、出ましたね。私もテニス選手の記事(これ)を書いたから「新しいページ」で分かりましたよ。-Hhst 2006年3月12日 (日) 03:48 (UTC)[返信]

新着投票所のお詫びとお礼

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こんにちは、Kanjyです。 2006年3月9日 (木) 23:53 (UTC) に私の会話ページでご連絡くださった件です。 0.5日経過を1.5日経過と見間違えた私のミスです。申し訳ありません。 タイムゾーンを切り替えたせいで自分を混乱させたのかもしれません。 大変お手数をおかけしたことについて、お詫びとお礼を申し上げます。 以後、十分注意致します。--Kanjy 2006年3月10日 (金) 03:47 (UTC)[返信]

早期終了ふたたび

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こんにちは。Wikipedia‐ノート:秀逸な記事の選考#選考ルールの見直し:早期終了でルール見直しの話し合いをしております。特殊な(?)ケースについて前倒しして終了させる提案です。ちょっと急いだほうがいいかな(と勝手に私が思っている)案件なので、コメントがあればいただきたいと思って参上しました。よろしければご一読ください。--S kitahashi(Plé)2006年3月11日 (土) 03:05 (UTC)[返信]

執筆のお誘い

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こんにちは/今晩は。匿名の者ですが、お願いがあって参りました。様々な記事を書かれておられるようですが、Category:出身別の人名一覧を辿りますと、~人の一覧、ポーランド人の一覧ユダヤ人の一覧ハンガリー人の一覧ウクライナ人の一覧イタリア人の一覧といった一覧があることがわかります。汲平 さんに、赤リンク部分を埋めていただきたいと思い、依頼にあがりました。執筆依頼翻訳依頼にも多様な依頼事項がありますので、ぜひご覧ください。

よろしければWikipedia:ウィキポータル/ユダヤ教/執筆依頼の執筆・翻訳にもご参加ください(Wikipedia:ウィキプロジェクト/ユダヤ教にサインしてください)。

それでは、体に気をつけて、執筆なさってください。 2006年3月12日 (日) 04:12 (UTC)

チェコの音楽に刺激されたわけではないのですが

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一人書いてみました。(ヴァーツラフ・ネリベル)記事の分量は少ないのですが、お読みください。一部用語があいまいでごまかしている部分もあったり。^^;竹麦魚(ほうぼう) 2006年3月13日 (月) 12:04 (UTC)[返信]

汲平さん、こんにちは。ご丁寧に有難うございます。わたくしはチェコの音楽に「刺戟され」(笑)、チェコの作曲家について大幅に記事を増やしてみることにしました。もちろん、赤リンク状態になっているものは減らすという目的もありますが、国際的な影響力のあったアントワーヌ・レイハヴォジーシェクなどについても言及することで、もう少し記事にふくらみをもたらすことができようかと思います。これから明日までにリバやロセッティ、レイハについて書き、チェコ人作曲家以外でも赤リンクになっているもののいくつか(フィリップ・デ・モンテやルニャール、ミンネゼンガーなど)については、今月中に青くする予定です。
なお、マンハイム楽派のあたりについて提案があります。「国外への頭脳流出」「チェコ楽壇にとっての損失」といったくだりが散見されましたが、あの辺は消極的に評価するのでなく、後出の「ヨーロッパ音楽のコンセルトヴァール」といった表現とつなげる形で、もっと積極的に評価するほうが(たとえば、「古典派音楽の準備と発展は、ほとんどチェコ人音楽家とそのネットワークで持っていたようなもの」に変えるとかが)、好ましいかもしれません。(18世紀にチェコという国や、チェコ人民族主義が苛烈だったわけではないので。)

では取り急ぎ。生意気申し上げて申し訳ありません。---間久部緑郎 2006年3月13日 (月) 13:40 (UTC)[返信]

フデチェク

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失礼しました。見間違えたようです。代わりというわけではないのですが、ヴァーツラフ・フデチェクが2人いるらしいと読める記述がありました。cs:Seznam českých osobností 20. století H-Jご参考になりますでしょうか。竹麦魚(ほうぼう) 2006年3月17日 (金) 22:17 (UTC)[返信]

チェコ音楽に

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ズデニェク・ネィエドリーに触れた個所がありましたので、「フィビヒの弟子の一人で、」の一句を付け足させて頂きました。フィビヒの名を貶めるようであんまり好きじゃないのですが、事実なんでしょうがないですね(苦笑)。

それにしても今回も大変な力作で、汲平さんの知識の深さにはただただ感心するほかない、という感想です。

・・・「進歩派」「保守派」の対立において、必ずしも作曲家同士が対立していたわけではないこととか、フランツ・シューベルトが実はモラヴィア人の家系であるとか、そんなことに触れてみるのも良いかも知れませんね。

纏まった事柄が思い浮かんだときには、また何かコメントさせて頂きます。

Kz 2006年3月19日 (日) 16:48 (UTC)[返信]

アントン・ライヒャ

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こんにちは。みっちさんの会話ページで、アントニーン・レイハの名前を見つけましたよ。「あれ、私はピアノ曲のCDを持っている」思い出したので、戸棚から取り出して加筆を試みました。ところが、去年の夏からみっちさんとのすれ違いが大きくなって、とうとう“決裂”(?)しちゃったよ…。ライヒャのCDは、もう少しゆっくり時間を取って、さらに加筆できるか考えてみたいです。(実は私、ポーランドにめろめろになっちゃった)-Hhst 2006年3月20日 (月) 06:00 (UTC)[返信]

あのぉ、老婆心からの忠告ですが、あなたと別のユーザーさんとの関係云々について第三者の会話ページで知らせて回る必要はないと思いますよ。よけいに心証を悪くするばかりですよ。あなたが関係を回復したいと思ってらっしゃるのであれば、まずはご本人にお詫びするべきだと思います。--汲平 2006年3月20日 (月) 14:47 (UTC)[返信]

ごめんなさい。ところでモーツァルトの楽曲一覧を見たら、交響曲第36番『リンツ』が赤リンクなのに気づきました。急ごしらえの原稿をローカルで書き始めたところです。モーツァルトのスコアは全く持っていないので、どなたかお持ちの方をご存じですか? (私の今までの1年4ヶ月のウィキペディアン生活を通じて思ったことの1つ、記事は「嫌なことがあった時、それをバネにして生まれる」ものが多い)よろしくお願いします。(それこそ田舎暮らしなので、スコアを買いに行こうと思っても街に出かけられない)-Hhst 2006年3月21日 (火) 00:59 (UTC)[返信]

御礼

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ご推薦ならびに、ウィキを賜り、ありがとうございます。励みになります。今後もWikipediaに貢献できたらと思います。また、汲平さんの音楽に関する造詣の深さとご活躍には、おおいに刺激されるところです。まずは御礼まで。--S kitahashi(Plé)2006年3月24日 (金) 15:31 (UTC)[返信]

御礼とご挨拶と質問

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月間感謝賞の投票と2ウィキを頂戴し、有難うございます。というか恐縮です。良い執筆者になりたくて勉強のため、秀逸選考や新着投票所をこまめに覗くようにしております。秀逸選考ではまだ見てるだけですが、いずれ選考・編集に参画できればと思います。

ご挨拶が遅れましたが、汲平さんの執筆活動、そして秀逸選考や新着投票所での継続的な活動に感謝し、ささやかですが1ウィキをお受け取りくだされば幸いです。

さて、ついでと言っては語弊がありますが、一つご教示をお願い致します。感謝賞投票の際、ウィキバンクをどう編集すれば良いでしょう? 今回、6名様に1ウィキずつお贈りしたので1ウィキの持ち出しがあります。

感謝賞の投票の仕方を読んだり、ウィキバンクの履歴を調べたりしましたが、投票の際にウィキバンクをどう編集すればよいのか良くわからず、投票所に書き込んだだけでウィキバンクの方はそのままにしております。ご多忙のところ恐れ入りますが、宜しくご教示の程お願い致します。この件、感謝賞のノートにも書くつもりです。--Kanjy 2006年3月27日 (月) 04:08 (UTC)[返信]

私の会話ページに頂いたお答えで、理解いたしました。有難うございます。Wikipedia:月間感謝賞に書かれている「投票の際に、ウィキマネーを贈呈する方は、贈呈先とご自分の口座の残高を変更して下さい。」は obsolete であって、実際にはWikipedia‐ノート:月間感謝賞/投票の議論の一部が明文化されないまま慣習化し、自分の口座は自分で書き換えることになっているのですね。Wikipedia:ウィキマネーに書かれた送金方法も同様に obsolete になっているようで、こうした点で訳がわからなくなってしまい、ご質問申し上げたしだいです。お蔭様で謎が解けました。これらの点、暇を見つけて各ノートで問題提起しようと思っております。--Kanjy 2006年3月27日 (月) 10:57 (UTC)[返信]