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利用者‐会話:ひら室長

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法蓮寺 (塩釜市)について

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はじめまして、こんにちは。ひら室長が新規投稿なさった法蓮寺 (塩釜市)ですが、資料の語句を少し変えた程度の文章が見られます。注で出典が示されていても、表現が不必要に似ているものは著作権侵害とされ、ウィキペディアでは削除の対象になります。ウィキペディアの記事は営利利用OKという条件で配布しますので、著作権については厳しすぎるくらいの意識をしてほしいのです。

そこで、私から削除依頼を出したいのですが、書籍転載は確認に手間がかかってしまいます。確認をする人の手間でもありますし、宙ぶらりんの状態で審議が長引くのは、ひら室長さんにとっても愉快ではないと思います。

そのかわりに、唯一の投稿者(この場合ひら室長さん)が即時削除依頼を出すこともできます。法蓮寺 (塩釜市)に、「{{SD|投稿者本人の依頼}}」と書き入れるだけです。そうしますと、管理者が黙って削除します。その後に文面を練り直して再投稿する、という方法をとっていただけないでしょうか。

私はふだん仙台・宮城あたりのについて執筆しておりますので、力量のある方が塩竃神社や法蓮寺について書いてくださったのは嬉しいのです。どうかこのことでお気を悪くなさらず、今後もご活躍ください。--Kinori 2008年11月21日 (金) 02:57 (UTC)[返信]

ありがとうございました。これから何かとお世話になることがあろうかと思いますが、そのときは宜しくお願いします。--Kinori 2008年11月22日 (土) 13:12 (UTC)[返信]


泉ヶ岳の画像

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泉ヶ岳の画像を別なものに置き換えようかと思い立ちました。 現在使われている画像を指定なさったのはひら室長さんのようですので、あらかじめ相談申し上げたく存じます。 ノート:泉ヶ岳に事情を詳しく書いておきましたので、ご参照の上、ご意見くださいませ。

--Wkatsuhiro 2009年3月28日 (土) 22:31 (UTC)[返信]

鳥海修験の件

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初めまして、胡亂堂と申します。いつも神社関係のご投稿・ご編輯にご尽力いただきありがとうございます。さて、今般鳥海山大物忌神社から鳥海修験を分割して新規立ち上げとのご提案を拝見致しましたが、Wikipedia:分割提案での掲載がなされておりませんでしたので、勝手ながら当方でさせていただきました。ご了承願います。就きましては、本件を原案通り施行の暁には、該分割提案への報告をしていただきたく、不躾なお願いかとは存じますが何卒よろしくお願い申し上げます。--胡亂堂 2009年12月31日 (木) 02:58 (UTC)[返信]

鼻節神社について

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こんばんは、胡亂堂です。鼻節神社において『神名帳考証』で「節」は「泥(うき)」とある点に疑義を挟ませていただきましたが、『日本庶民生活史料集成』版には訓がついておらず、「うき」よりは「ひぢ」の方が音が近いかなと思った次第なのです。『神祇全書』版や『大辞泉』は確認しておりませんので、「うき」と訓が振ってあるのであればそれでいいのですが、どうなっているのか取り急ぎで失礼乍らご教示賜りたくお信りさせていただきます。--胡亂堂 2010年1月27日 (水) 13:20 (UTC)追記--胡亂堂 2010年1月27日 (水) 13:27 (UTC)[返信]

  • ご回答ありがとうございます。手許の『岩波古語辞典』で「泥」に「うき」の訓があることを確認いたしました、すみませんです。でも、「うき」であって「ふき」ではないので、やはり「ひぢ」の方が近いように感じます。が、仰有るように延経特有の牽強付会っぽいので余り気にしない方がいいかもですね。社格に就きましは、まず近代社格制度は明治に公式に採用され、戦後公式に廃止されたものであるのに対し、式内社、二十二社にはそれがございません(と申しますか、二十二社はともかく式内社や国史見在社などの呼称は後世の通称であって、公式な制度でさえありません)。そしてそれと関連して、当方が参照する(現代の)文献では、近代の社格を「旧○社」とか「○社であった」とか過去形で記すのに対し、式内社、二十二社等はそのまんまです。そういう訳で敢えて「旧」を付けている次第であります。なお、私もしょっちゅう行って他人から指摘されるのですが、議論の流れを第三者にも追いやすくさせるために、お互いの会話頁に返答するよりも、当初の発言にくっつけていく方がいいみたいです。--胡亂堂 2010年1月27日 (水) 15:47 (UTC)[返信]
コメント 『神名帳考証』では「泥」の音に通じ、と書いてありましたので発音が似ている方との解釈をしています。近代社格制度の件は、私の個人的な意見なので余り気になさらないでください。ただ、「○社であった」と言うことであれば、名神大社延喜式と言う国家制度に基づいた社格であった点はかわらないのではないか、と考えているだけです。もっと言えば、別表神社以外は廃止された制度に基づく社格であるので、全て「旧○社」とか「○社であった」とか過去形で記さないと本当はおかしいのではないだろうか、と言うことです。この考えは、おそらく一般的ではないでしょうし、他人に押し付けるつもりも無いので戯言と流して頂ければ幸いです。「当初の発言にくっつけていく」件は了解致しました。--ひら室長 2010年1月28日 (木) 13:46 (UTC)[返信]

焼火神社の画像提供御礼

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お世話になります、胡亂堂です。この度は焼火神社の画像のご提供ありがとうございました。感激一入でございますし、実は参拝を未だ果たせておりませんので、羨ましい限りでもあります。今後もお世話になるかと思いますが、何卒よろしくお願いいたします。--胡亂堂 2010年5月22日 (土) 11:52 (UTC)[返信]

コメント 拙い画像ですがお役に立てて幸いです。レイアウトなどは胡亂堂様の方で適当に調整して頂ければと思います。--ひら室長 2010年5月22日 (土) 11:57 (UTC)[返信]

戸手祇園社(素盞嗚神社)について

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こんばんは。標記の件に就きましてご意見をお寄せいただきありがとうございます。この度記事名を改めた為に議論先が「ノート:素盞嗚神社 (福山市新市町戸手)」へと変更となりましたのでご連絡申し上げます。なお、懸案に関して暇を見て調べておりますが未だに根拠が見つからず、もうなかば一宮部分は隠し表示(コメントアウト)にしてお茶を濁そうかなとか企んでまして、コメントは最後になされるとの事でしたがもしも更なるご意見をお寄せ願えるようでしたら上記までお越し願います。--胡亂堂会話) 2012年6月18日 (月) 10:55 (UTC) - 一部改めます。--胡亂堂会話2012年6月21日 (木) 17:23 (UTC)[返信]

西暦と和暦の併記

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Wikipedia:表記ガイド#年月日・時間により、「原則として西暦を先に表記します。」とあります。これはあくまでガイドラインですので和暦を先に表記する形式は必要最小限にとどめてください。和暦(西暦)月日に統一するだけの編集[1]は記事の可読性を損ねるだけです。--60.39.159.43 2012年8月15日 (水) 23:59 (UTC)[返信]

条件付賛成 上記了解しました。ただ、そうであれば記事中の全ての年月日・時間表記を訂正すべきではないでしょうか。同一記事中に天保12年(1841年)1940年(昭和15年)の表記が混在する方が可読性を損ねていると思えますが、それは私だけでしょうか。--ひら室長会話2012年8月17日 (金) 10:59 (UTC)[返信]
上記のIPユーザーと同一人物です。上記に挙げたWikipedia:表記ガイドはあくまでガイドラインです。可読性といったのは統一性のことではなく、Wikipedia:日本中心にならないようにによるものです。ほとんどの場合、和暦は西暦の補足的説明でしかありません。しかし、国府祭のような歴史のあるものは史料・文献等を用いているでしょうし、和暦から西暦に変換できないものもあると思いますので、西暦(和暦)に表記するのは容易ではないでしょう。Wikipedia:表記ガイドでは「旧暦を採用している時期などで、出典から正確な西暦の日付を特定できない場合などには、それ以外の暦を先に表記することができ」るとありますし、また、他の記事では和暦を先に表記しなければならないものもあるそうです。一方で、「昭和53年(1978年)6月23日に神奈川県指定の無形民俗文化財に指定された。」などの記述は和暦を先に優先する必要はないと思いましたので、西暦(和暦)に表記を直したということです。
何度も言いますが、私の発言はガイドラインに基づいたものです。正しいか正しくないかではなく、ケースバイケースで考えていただきたいと思います--60.37.169.216 2012年8月18日 (土) 02:20 (UTC)[返信]
質問 最初におことわりしておきますが、ガイドラインがある以上、私はそれに従います。しかしながら疑問があります。Wikipedia:表記ガイド#年月日・時間では併記の例に 622年(推古天皇30年) と7世紀中の年号記述例をあげています。この例に従うなら 天保12年(1841年) は 1841年(天保12年) と訂正すべきではないでしょうか。Wikipedia:表記ガイド#年月日・時間には「原則として西暦を先に表記します。しかし旧暦を採用している時期などで、出典から正確な西暦の日付を特定できない場合などには、それ以外の暦を先に表記することができます」となっていますが、国府祭#解説の記述は「天保12年(1841年)成立の『新編相模国風土記稿 巻之40』には、」と出典の成立年についての表記になっており「出典から正確な西暦の日付を特定できない場合」ではないと思われます。ケースバイケースと仰っていますが、ガイドラインの原則から外れて和暦(西暦)表記にしたのは、どのような判断なのでしょうか。国府祭#解説には他にも和暦(西暦)表記の部分があります。国府祭#解説は私が編集した記事なので、今後の編集のためにも判断基準をお教え願います。--ひら室長会話2012年8月19日 (日) 09:59 (UTC)[返信]