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ノート:素盞嗚神社 (福山市新市町戸手)

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改名提案

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現項目名を「素盞嗚神社 (福山市新市町)」に改名したいと思います。同市神辺町上御領の同名神社(式内社論社)や駅家町大字万能倉の同名神社がある為です。--胡亂堂会話2012年4月30日 (月) 08:58 (UTC)[返信]
(補記) goo地図を見ますと住所表示は「新市町大字戸手」になってますので「素盞嗚神社 (福山市新市町大字戸手)」にすべきなのか・・・

  1. 素盞嗚神社 (福山市新市町)
  2. 素盞嗚神社 (福山市新市町大字戸手)
  3. 素盞嗚神社 (福山市新市町戸手)

改名の是非とともに、改名するとしたら上記のどれが最も適うかのご意見も是非お願いします。--胡亂堂会話2012年4月30日 (月) 08:58 (UTC)[返信]

  • そもそも福山市も新市町も不要なのでは? 京都の八坂神社も(京都市左京区)とはなっていません。祇園信仰発祥と言われるこの神社で必要でしょうか?
  • 本項の神社は福山市内旧新市町域であり、また区別対象である上記二社もそれぞれ旧自治体である神辺町駅家町に所在するので,新市町域の他所に同名の神社が無いのであれば1.の「新市町」まででよいと思います。もしあれば個人的には3.に投票します。--Im224会話2012年5月7日 (月) 15:53 (UTC)[返信]
    • ご意見ありがとうございます。日本郵便のサイト[1]だと「新市町戸手」になってますので2は削ります。ところで簡易に検索してみたところ旧新市町域に同名神社はなさそうでして、なので私も1でいいかな、他にあるにしてもそれが判明した段階で考えればいいかな、と思ったのですが、過去の経験から住所表示に準拠すべきなのかな?とも思ったものでして、念のためにプロジェクト:日本の町・字に照会してみます。直接には関係ないのですが プロジェクト:神道で該プロジェクトの方針を参考にしましょうで合意されてますので。--胡亂堂会話2012年5月9日 (水) 12:45 (UTC)[返信]
  • コメント曖昧さ回避の括弧内についてのみ言及させて頂きます。大まかな意見につきましてはプロジェクト‐ノート:日本の町・字#記事名の付け方5(曖昧さ回避括弧内)の方で述べさせて頂きましたのでそちらをご覧頂ければと思いますが、私としては3.の案が前述のノートにて述べましたように表記としては適切であると考えられます。--Sakoppi (会話投稿記録) 2012年6月3日 (日) 07:07 (UTC)[返信]

素盞嗚神社は一宮なのか

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備後国一宮とされてますが、果たして一宮に加えていいものか疑問です。全国一の宮会では数えられていますが、恐らく所拠は福岡県嘯吹八幡神社の湯立神楽で奉唱される「勧請神名帳」に「備後国一宮須佐男神社」とあるからかと思うのですが、これは「吉備津神社」の誤りではないかとされ(三橋健『国内神名帳の研究』)、多くの文献が備後一宮は吉備津宮で一致しています。もし疑わしさが半端でないなら一宮は外そうかと考えているのですが。--胡亂堂会話2012年4月28日 (土) 13:30 (UTC)[返信]

賛成 私は当社が備後国一宮と呼ばれている史料を知りませんが、平凡社の『広島県の地名』では触れられていないし、当社ホームページでも触れていないので、削って良いと思います。あくまで私見ですが。--Saigen Jiro会話2012年5月9日 (水) 13:18 (UTC)[返信]
コメント ですよね でも全国一宮会には入ってるんですよ。で、入るのなら入るだけの理由はあるんだろうな、と躊躇する事しきりであります。言い出しっぺのくせに、なんですけど。--胡亂堂会話2012年5月9日 (水) 13:34 (UTC)[返信]
反対 提案の主旨は分かりましたが、私は現時点で、以下の理由により「当社を一宮としない」とすることには反対です。
  1. 当社を一宮とするのが誤認である、とする文献・資料が提示されていないこと。(誤認ではないかと推測される理由は述べられていますが、誤認であるとする意見が展開されている文献・資料は明示されていない)
  2. 全国一の宮会が出版した公式ガイドブック『全国一の宮めぐり』や『全国一の宮御朱印帳』、移動教室出版事業局の『諸国一の宮』2001年 には当社が掲載されており、これを基に当社を一宮として参拝している人がいること。これは過去の歴史が如何なるものであれ、現時点では当社が一部参拝者(地元民とは限らない)から一宮として崇敬を受けていると言うことである。
本提案を議論するには、まず当社が一宮とされた理由を詳らかにし、その内容により検討する必要があると考えます。さらに付け加えれば、当社が一宮とされた理由によっては、たとえ誤認であったとしても「当社を一宮としない」と言うことには反対します。千栗八幡宮がありながら後陽成天皇肥前国一宮と書いた勅額を下したため一宮とされた與止日女神社の例がありますので、誤認により一宮となった(與止日女神社の場合は政治的作為も考えられますが)としても、このような場合に一宮であることを否定するのは如何でしょうか。また自身では一宮と名乗っていないと言うことであれば出雲大社も同様です。いずれにしろ、現時点で提示されている理由では当社が一宮であることを否定する理由としては弱すぎると考えます。--ひら室長会話2012年5月13日 (日) 13:45 (UTC)[返信]
コメント なるほど ご尤もでして、たとえ誤認であるにせよなにがしかの出典(論拠付き)に基づいて一宮とされているのなら勿論認めざるを得ません。ですが、この場合の問題は誤認か否か以前に全国一の宮会が一宮と認めた理由が不明な点なのでして、上で所拠を憶測しつつそれに否定的な文献を掲げましたが、「まず当社が一宮とされた理由を詳らかにし」得ない以上は外さざるを得ないのではないかな、と躊躇しつつも思っており、逆に申せば本提案は理由の当否を検討する以前の材料を欠いているのでそれを求めてのものでもある訳です。--胡亂堂会話2012年5月13日 (日) 15:29 (UTC)[返信]
コメント 検証可能な事実を書けば良いのでは? こんばんは、ひら室長です。私はWikipedia:検証可能性を満たす限り、確認できる事実を記載すれば良いと思っています。現時点で「当社を一宮としない」ことには反対ですが、独自研究にならなければ当社を一宮とすることに疑問を呈する方がいることや、一宮であることを否定する方がいることを書くことには反対はしません。本件の場合は「全国一の宮会などは当社を一宮として紹介しているが、三橋健は『国内神名帳の研究』の中で当社を一宮とすることに疑問を呈している」と言った感じの記事を書けば良いのではないでしょうか。(申し訳ありませんが『国内神名帳の研究』を読んでいませんので、私の例示が適切であるかは判断できませんが)--ひら室長会話2012年5月20日 (日) 13:46 (UTC)[返信]
コメント  いえ、仰る事は解るのですが話は一宮なので、公式とはいえ幾星霜の辛酸を舐めた結果不幸にも所在不明となった式内社の論社とは訳が違って、国衙はじめ地域から公認されていたという実績は史料上で確認できるでしょうから(例外として壱岐島の場合がありますが)、それら史料によって初めて「一宮一覧」に載せたり「Category:一宮」を付けたりした方がいいんじゃないかなと。つまりは本Wikipediaにおいて一宮として扱うのは全国一の宮会に参加する(該会の認める)一宮ではなく、歴史的に確認できる一宮に限るべきなんじゃないかな、と思うのです。上で「多くの文献が備後一宮は吉備津宮で一致しています」と述べましたのに対しまして「当社を一宮とするのが誤認である、とする文献・資料が提示されていない」と仰いますが、Saigen Jiroさんの挙げられた平凡社日本歴史地名大系はじめ備後一宮に関する一の宮会以外の文献は吉備津宮を掲げるのみで当神社一宮説に「疑問を呈」したり「否定」したりする以前にそもそも触れてさえいないのが殆どですので、それってどうなんだろう?と疑問に思わざるを得ないのですよ。ですから全国一の宮会以外に一宮とする(現代の)文献が見当たらない現状において、同会がどういった史料に基づいて認めたのかといった情報は必要であり、それが不明な段階では検証可能ではあるものの「Wikipedia:検証可能性」における「信頼できる情報源」を満たすとはいえなさそうだな、と危惧しているのです(該会他の当神社一宮説を承けた学術論文なりの文献はあるのでしょうか?)。そして、そうした検証作業を欠いたまま当神社を一宮とする事は、恰も本Wikipediaが同会に歴史的一宮以外の一宮をも認定するだけの権威を与えている様に受け取られるんじゃないかと不安でして、換言しますと同会が認めるからといって果たして一宮に数えていいものか、が疑問な訳なのです。
今のままですと、例えばどこかの馬の骨が「うちの神棚は○○国一宮だよ」とブログで公開した場合にそれが誰でも閲覧し得るから「検証可能」であるという理由のみで一宮の記事に載せちゃうのに等しいんじゃないかという感を抱きます(組織として存在するのでまだましでしょうが)。別の例ですと、例えば源義経チンギスハン説といったものがありまして、学説として成り立っているのかは分かりませんもののそれこそいろんな文献(?)で目にできるこれも「Wikipedia:検証可能性を満たす」説である事は確かでしょう。ですがだからといってそれを基に義経に「Category:大ハーン」を付けたり(立ち上がったとしてですが)彼を「モンゴル皇帝の一覧」とかに載せたりするには余程の勇気がいる訳で、当神社を一宮の一覧に載せたり「Category:一宮」を付けるのはそれと同様の危うさを感じている訳です。もっともそこそこ知られた会だとは思いますので、(ご案とは逆になりますが)一宮からは外した上で、なお本文中に「○○を元に全国一の宮会は備後国一宮と認めている」とかと記すのはありかも知りません。
まとめますと、せめては該会の「主張」にどれほどの裏付けが担保されているのか、どんな史料からそれと認めたのか、が明らかにされない(「当社が一宮とされた理由を詳らかにし」得ない)以上は歴史的制度としての一宮の一応は対象外とした方が無難じゃないかなと思うのです。が、該会が認めるには当然認めるだけの材料はあるでしょうから「躊躇」している訳でして、その情報さえ得られれば即解決とまではいかないまでもかなりそこに近づけるじゃないかな、と期待しておる訳であります。
なお、上で述べた、もしかしてこれなの?という憶測ですが、三橋書に就いてはやや精確さを欠き、正しくは「一の宮勧請帳」の当該部分を「備後国 「須左男」(吉備津)神社」と校注した上で当該部分を「今後検討を要する」とするだけでした。本提案趣旨に変更はありませんが、憶測なので念の為に削っておきます。--胡亂堂会話2012年5月30日 (水) 10:45 (UTC)[返信]
コメント くり返しになりますが 私も編集した記事の中に「真実は違うのでは?」と疑念を抱かざるを得ないものもありましたので、仰りたいことは理解しますが、最初の問題提起から話がずれるといけないので、「多くの文献が備後一宮は吉備津宮で一致しています。もし疑わしさが半端でないなら一宮は外そうかと考えているのですが」に対してお応えします。私はWikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料にある「ウィキペディアは真実性ではなく検証可能性を基準に情報を掲載します。」を基に編集すべきだと思います。本件に関しては、これを私の最後のコメントとしますので、これを見た後、どのような編集をおこなうかは胡亂堂さんにお任せ致します。最後に2つだけ申し上げさせて頂きます。①胡亂堂さんの編集を受けて論争が起こった場合、私が支持するのは当社が一宮であることを肯定する方でも否定する方でもありません。私が支持するのは「検証可能なこと」にさせて頂きます。②老婆心ですが、「現実にある状況を裏付ける資料がないこと」を理由に現実を否定するのは、無意味な編集合戦や論争を起こさないか危惧します。--ひら室長会話2012年6月6日 (水) 11:40 (UTC)[返信]
コメント すみません、いくつか文献を漁ったのですがやっぱり素盞嗚神社を一宮とする史料やそれを裏付ける文献が見あたりません。情報提供もございませんし上述のように全国一の宮会発信情報の信頼性も疑わしいので、ここはどうでしょう、当神社が一宮として扱われた史実はなさそうであるという「現実にある状況」を重視し、当神社一宮説を「裏付ける資料」の提示があるまで本記事における「Category:一宮」と記事「一宮」の一覧に載る本記事を隠し表示(コメントアウト)としませんか?--胡亂堂会話2012年6月21日 (木) 17:21 (UTC)[返信]
コメント 外部リンクとしては適切ではありませんが、[2]の素盞嗚神社境内の石碑画像によると、素盞嗚神社側としては一宮であることを主張しているのは間違いないこと、一宮冒頭の全国一宮鎮座地(讃岐一宮田村神社にて撮影)画像にも載っていること、胡亂堂さん、ひら室長さん共に全国一の宮会が一宮としていることについてはご異論がないこと、一宮#一宮の一覧の表には全国一の宮会の加盟社であるかどうかを示す「一宮会」の覧があり、加盟社は載せるべきであると思われること、同一覧には片埜神社のように「一宮会」の覧に印がついていないものも載せられていること、一覧もカテゴリも定義部分で複数を列挙することを前提としていることなどから、さしあたり現状を変更する必要性はないと考えます。--立花左近会話2012年6月29日 (金) 00:23 (UTC)[返信]
参道左側の石碑
コメント 立花左近さんに同意 私の会話ページに胡亂堂さんから「更なるご意見をお寄せ願えるようでしたら」とありましたので、コメントさせて頂きます。私もさしあたっては現状を変更する必要性はないと思います。理由は立花左近さんと同じです。当社に参拝したのが3年ほど前だったので、すっかり忘れてましたが鳥居の前の石碑には「備後一宮」と刻まれてますね。--ひら室長会話2012年6月30日 (土) 13:11 (UTC)[返信]

(インデント戻す)素盞嗚神社を一宮とした資料がありましたので、ご報告します。一級資料とは言いがたいですが、『ビジュアル神社総覧 全国一の宮めぐり』学習研究社〈週刊神社紀行 特別編集 GAKKEN MOOK〉、2004年、145頁。ISBN 9784056032727 では、同社を一宮として1ページを割いて解説してありました。もっとも、同書は全国一宮会が協力していて、同会参加の神社を網羅し、それに歴史的に一宮と証されている神社を加えたものとのことなので、入っているのはあたりまえではありますが。とはいえ、学研発行の本に載っているものを、他の有力な根拠なくはずすわけにはいかないでしょう。(ところで、胡亂堂さんはご多忙なのでしょうか。急に編集されなくなり長くなってきたので、ちょっと心配なのですが)--立花左近会話2012年7月10日 (火) 12:10 (UTC)[返信]

コメント 現状では一宮とすべき おととい行ってまいりましたが、駐車場や鳥居横の石碑に一宮と記載されていました。また、一宮会にも参加していますし、移動教室出版社の諸国一ノ宮一覧図(地図)にも載っています。これが逆で、『今まで載ってすらなかったものが一宮じゃないかという学説が出た』のであれば、一宮タグをつけることはふさわしくないでしょうけど、『今まで一宮とされてきたが、そうじゃない学説が出た』段階ですので、『その段階でタグを外すことのほうが個人研究になってしまう』と思います。少なくとも現状では、上記のとおり、一宮だというう『資料』(史料ではなくて)が多数出ていて、観光客も一宮巡拝客もそれを頼りにする可能性があるのですから、『完全に一宮じゃなくなった』時に初めてタグは外すべきでしょう。 ただし、「一宮じゃない」学説についてはこのページに載せていいと思います。 繰り返しますが、一宮とするかしないかについての論評が『両方ある』のであれば、現状『一宮』とする書籍資料および現地と多数の状況がありますので、外すのはふさわしくないと思います。ここはウィキペディアですので、学会が認め、駐車場・参道に一宮碑がある時点で、一宮『とされる』ものとして認めるべきだと思います。現状では『タグを外すことこそが個人研究にしかならない』でしょう。(なぜならその学説『のみ』を信じ、通説であり書籍にも一宮会HPにも記されている一宮肯定説を無視するものであるため)本提案には反対の立場をとるものとして書き込みました。--以上の署名のないコメントは、218.229.74.17会話)さんが 2012年8月27日 (月) 01:04 (UTC) に投稿したものです(立花左近会話)による付記)。[返信]