出羽乃富士智章
出羽乃富士 智章(でわのふじ ともあき、1976年12月4日 - )は、長崎県大村市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は冨永 友和(とみなが ともかず)。身長184cm、体重138kg。最高位は西十両9枚目(2003年3月場所)。得意技は右四つ、寄り、投げ。血液型B型、星座は射手座、干支は辰年。
来歴
[編集]中学時代(大村市立郡中学校)は柔道部に所属していた。同じ市内の大村市立大村中学校で1学年先輩の金(金開山)が出羽海部屋に入門する際に出羽海(元横綱・佐田の山)に紹介された[1]。中学卒業後に出羽海部屋に入門し、1992年3月場所に初土俵を踏んだ。相撲経験は無かったが着実に番付を上げ、初土俵から僅か2年半で幕下に昇進した。幕下中位で苦労し、幕下上位に定着するまで3年近く掛かった。1999年5月場所に右腕を故障し、途中休場を余儀なくされ一気に三段目まで陥落したが、2000年11月場所に三段目優勝を果たすと徐々に復調して行った。2002年11月場所に東幕下19枚目の地位で幕下優勝。2003年1月場所には西幕下筆頭まで番付を上げ、6勝1敗の好成績を残し翌3月場所に十両に昇進した。
右四つになると力を発揮したが、怪我に苦しみ2004年5月場所を最後に幕下に陥落した。故障のため2006年7月場所には三段目に陥落。その場所は無理をして出場したため2勝5敗と負け越しだけでなく、さらに状態が悪化し翌9月場所から1月場所まで3場所連続休場を余儀なくされた。その間に11月場所には序二段に陥落し、2007年3月場所では東序ノ口29枚目まで下がった。これは十両経験者としては昭和以降、当時4位の最低記録である。同場所で復帰し、まだ本調子ではないものの4勝3敗と勝ち越した。なお、元関取が序ノ口の土俵で相撲を取ったのは、後に前頭筆頭まで番付を上げた1990年9月場所の琴別府(当時の最高位は西十両12枚目)以来のことである。同年11月場所千秋楽に体力の限界により引退を表明、11月26日に故郷の大村市で断髪式を行った。
主な戦績
[編集]- 生涯成績:337勝303敗74休 勝率.527
- 十両成績:35勝53敗17休 勝率.398
- 現役在位:95場所
- 十両在位:7場所
- 各段優勝
- 幕下優勝:1回(2002年11月場所)
- 三段目優勝:1回(2000年11月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1992年 (平成4年) |
x | (前相撲) | 西序ノ口21枚目 4–3 |
西序二段134枚目 5–2 |
西序二段87枚目 5–2 |
西序二段45枚目 4–3 |
1993年 (平成5年) |
東序二段17枚目 2–5 |
西序二段48枚目 4–3 |
東序二段17枚目 6–1 |
東三段目68枚目 3–4 |
東三段目84枚目 4–3 |
西三段目67枚目 4–3 |
1994年 (平成6年) |
東三段目51枚目 5–2 |
西三段目19枚目 4–3 |
東三段目8枚目 3–4 |
西三段目23枚目 4–3 |
東三段目9枚目 5–2 |
東幕下45枚目 3–4 |
1995年 (平成7年) |
東幕下59枚目 4–3 |
西幕下47枚目 3–4 |
西幕下56枚目 4–3 |
西幕下45枚目 4–3 |
東幕下37枚目 1–6 |
東三段目2枚目 6–1 |
1996年 (平成8年) |
東幕下33枚目 4–3 |
東幕下24枚目 5–2 |
西幕下11枚目 2–5 |
東幕下24枚目 1–3–3 |
西幕下51枚目 休場 0–0–7 |
西幕下51枚目 4–3 |
1997年 (平成9年) |
西幕下42枚目 5–2 |
西幕下24枚目 6–1 |
東幕下10枚目 3–4 |
西幕下16枚目 5–2 |
東幕下8枚目 2–5 |
西幕下23枚目 3–4 |
1998年 (平成10年) |
西幕下32枚目 4–3 |
西幕下22枚目 4–3 |
東幕下18枚目 4–1–2 |
西幕下14枚目 休場 0–0–7 |
西幕下14枚目 3–4 |
東幕下21枚目 5–2 |
1999年 (平成11年) |
西幕下9枚目 5–2 |
東幕下4枚目 3–4 |
東幕下8枚目 1–3–3 |
西幕下29枚目 3–4 |
西幕下35枚目 1–6 |
東三段目3枚目 3–4 |
2000年 (平成12年) |
東三段目19枚目 4–3 |
東三段目7枚目 4–3 |
東幕下57枚目 5–2 |
東幕下39枚目 1–6 |
東三段目7枚目 休場 0–0–7 |
西三段目67枚目 優勝 7–0 |
2001年 (平成13年) |
東幕下44枚目 4–3 |
東幕下36枚目 5–2 |
東幕下25枚目 5–2 |
西幕下14枚目 3–4 |
東幕下22枚目 4–3 |
東幕下20枚目 4–3 |
2002年 (平成14年) |
東幕下15枚目 1–6 |
東幕下38枚目 4–3 |
東幕下33枚目 5–2 |
西幕下17枚目 2–5 |
西幕下35枚目 5–2 |
東幕下19枚目 優勝 7–0 |
2003年 (平成15年) |
西幕下筆頭 6–1 |
西十両9枚目 7–8 |
東十両10枚目 6–7–2[2] |
西十両13枚目 休場[3] 0–0–15 |
西十両13枚目 8–7 |
西十両10枚目 4–11 |
2004年 (平成16年) |
東幕下2枚目 4–3 |
西十両11枚目 7–8 |
東十両12枚目 3–12 |
西幕下10枚目 3–4 |
西幕下16枚目 2–5 |
東幕下29枚目 5–2 |
2005年 (平成17年) |
西幕下19枚目 5–2 |
西幕下12枚目 2–5 |
東幕下26枚目 4–3 |
東幕下20枚目 4–3 |
東幕下15枚目 2–5 |
東幕下32枚目 3–4 |
2006年 (平成18年) |
西幕下40枚目 3–4 |
西幕下49枚目 3–4 |
西幕下59枚目 休場 0–0–7 |
東三段目40枚目 2–5 |
東三段目68枚目 休場 0–0–7 |
西序二段28枚目 休場 0–0–7 |
2007年 (平成19年) |
西序二段98枚目 休場 0–0–7 |
東序ノ口29枚目 4–3 |
東序二段109枚目 6–1 |
東序二段29枚目 5–2 |
東三段目98枚目 4–3 |
東三段目78枚目 引退 2–5–0 |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 出羽ノ富士 友和(でわのふじ ともかず)1992年3月場所 - 1997年11月場所
- 出羽乃富士 知和(読み方同じ)1998年1月場所 - 1999年3月場所
- 喜生の山 友和(きおのやま-)1999年5月場所 - 1999年9月場所
- 出羽乃富士 智章(でわのふじ ともあき)1999年11月場所 - 2004年11月場所
- 出羽乃富士 智瑛(読み方同じ)2005年1月場所 - 2007年11月場所
脚注
[編集]- ^ 相撲人名鑑(出羽乃富士 智章)
- ^ 右大腿<ハムストリング>筋繊維断裂により13日目から途中休場
- ^ 公傷