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内山安兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

内山 安兵衛(安兵衞、うちやま やすべえ、1866年2月13日(慶応元年12月28日[1])- 1936年昭和11年)9月28日[2][3][4])は、明治から大正期の林業家、実業家政治家衆議院議員。本名・末太郎[3]

経歴

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武蔵国多摩郡五日市村[3]神奈川県西多摩郡五日市町東京府西多摩郡五日市町[4][5]東京都[2]西多摩郡五日市町を経て現あきる野市)で、豪農[3]・内山善右衛門の長男として生まれ[6][7]、1883年(明治16年)家督を相続[6]同人社で学んだ[2][3][4]。林業を営む[2][5]

1880年(明治13年)深沢権八らと五日市学芸講談会を設け、自由民権運動の学習活動を行う[3][8]。その後、キリスト教に入信[3][8]。1892年(明治25年)神奈川県会議員に選出[2][3][4][6][7][8]三多摩東京府編入後は東京府会議員、同郡部会副議長などを務めた[2][3][4][6][7][8][5]。1899年(明治32年)公職を辞し五日市から湘南逗子に移住し、キリスト教信仰と絵画に親しむ生活を送った[8]

1920年(大正9年)衆議院議員選挙区の小選挙区改正を契機に、内山を擁立しようとする動きが起こり[8]岸忠左衛門らの推薦を受けて[8]1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙に東京府第16区から立憲政友会公認で出馬して当選し[8][9]、衆議院議員に1期在任した[2][3][4]。1921(大正10年)五日市鉄道社長に就任し、秋川水力電気会社重役なども務めた[2][3][4][6][7][8]。これらの活動の中で経済状態が悪化し、昭和初期には大内山と称された旧家も見る影もない状況となった[8]

親族

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脚注

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  1. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、3頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 – 衆議院議員名鑑』94頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『20世紀日本人名事典 あ-せ』399頁。
  4. ^ a b c d e f g 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』72頁。
  5. ^ a b c 『三多摩郡人物評 第1編』55-56頁。
  6. ^ a b c d e 『人事興信録 第8版』う之部60頁。
  7. ^ a b c d 『現代日本人名大辞典 昭和5年版』う之部15頁。
  8. ^ a b c d e f g h i j 「内山末太郎」『多摩の人物史』293-294頁。
  9. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』3頁。
  10. ^ a b 内山安兵衛『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
  11. ^ 内山安兵衛『人事興信録』第11版 改訂版 上 1938

参考文献

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  • 深井斧三郎 (烏城) 『三多摩郡人物評 第1編』柳暗花明書屋、1893年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 『現代日本人名大辞典 昭和5年版』東邦通信社、1930年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 倉間勝義・岩淵久編『多摩の人物史 : 古代より現代まで800人』武蔵野郷土史刊行会、1977年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『20世紀日本人名事典 あ-せ』日外アソシエーツ、2004年。