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六条有光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
六条有光
時代 南北朝時代
生誕 延慶3年(1310年
死没 不詳[1]
官位 従二位権中納言淳和奨学両院別当
主君 花園天皇後醍醐天皇光厳天皇光明天皇崇光天皇後光厳天皇
氏族 村上源氏久我家庶流六条家
父母 父:六条有忠、母:園基藤の娘
兄弟 有光千種忠顕有顕
有孝
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六条 有光(ろくじょう ありみつ)は、南北朝時代公卿権中納言六条有忠の子。官位従二位・権中納言、淳和奨学両院別当六条家4代当主。

経歴

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以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

淳和奨学両院別当

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有光は六条家から淳和院・奨学院の両院別当に補された唯一の人物である。これは中院通冬が一時的に南朝に帰属してしまった事、久我家にも年齢的に適任者がいなかった事による特例と考えられる。

系譜

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脚注

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  1. ^ 延文3年1358年)以降。
  2. ^ 前年に席次最末で参議となった弟の千種忠顕よりも1つ席次が下であるが、千種忠顕と同時に参議に任ぜられたかどうか明確ではない。
  3. ^ 東京大学史料編纂所大日本史料第六編之五』p.162。
  4. ^ 中院通冬の替え。

出典

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  • 公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※ 建武元年(1334年)に有光が参議となった時以降の記事。
  • 尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※「六条有光」および「六条有忠」の項。
  • 増鏡』全訳注、井上宗雄、講談社学術文庫
  • 本郷和人『中世朝廷訴訟の研究』 東京大学出版会
  • 岡野友彦『中世久我家と久我家領荘園』 続群書類従完成会
先代
六条有忠
六条家当主
4代
次代
六条有孝