六ヶ所村立尾駮小学校
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六ヶ所村立尾駮小学校 | |
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北緯40度58分12.5秒 東経141度21分59.1秒 / 北緯40.970139度 東経141.366417度座標: 北緯40度58分12.5秒 東経141度21分59.1秒 / 北緯40.970139度 東経141.366417度 | |
過去の名称 |
尾駮小学 尾駮簡易小学校 泊尋常小学校尾駮分教場 尾駮尋常小学校 尾駮尋常高等小学校 尾駮国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 六ヶ所村 |
併合学校 | 上弥栄小学校 |
設立年月日 | 1878年3月4日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B102210002275 |
所在地 | 〒039-3212 |
外部リンク | 六ヶ所村立尾駮小学校 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
六ヶ所村立尾駮小学校(ろっかしょそんりつ おぶちしょうがっこう)は、青森県上北郡六ヶ所村大字尾駮にある公立小学校。
沿革
[編集]- 1878年(明治11年)3月4日 - 尾駮小学設置。
- 1887年(明治20年) - 尾駮簡易小学校と改称。
- 1892年(明治25年)4月1日 - 泊尋常小学校尾駮分教場と改称。
- 1918年(大正7年)7月4日 - 泊尋常小学校尾駮分教場が独立昇格し、尾駮尋常小学校と改称。同日、出戸・二又の両分教場を併設する。
- 1920年(大正9年) - 尾駮字野附108番地に校舎移転。
- 1925年(大正14年)4月1日 - 高等科併置し、尾駮尋常高等小学校と改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、尾駮国民学校と改称。同日、出戸分教室が、尾駮国民学校出戸分教場と改称。
- 1945年(昭和20年)8月10日 - 米軍艦載機の銃爆撃を受け、校舎に大きな被害が出た。
- 1947年(昭和22年)
- 1949年(昭和24年)12月1日 - 尾駮小学校出戸分校に石川分教場が、開設される。
- 1950年(昭和25年)7月1日 - 尾駮小学校出戸分校が独立し、出戸小学校となり、石川分教場は出戸小学校に分教場となる。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 尾駮小学校二又分校が昇格独立し、二又小学校となり、中学校を併設する。
- 1969年(昭和44年)
- 1975年(昭和50年)3月31日 - 上弥栄小学校を統合。
- 1976年(昭和51年)11月30日 - 本校講堂・役場庁舎・尾駮保育所・中央公民館合同落成式挙行。
- 1978年(昭和53年)10月8日 - 尾駮小学校創立100周年記念式典挙行。
- 1983年(昭和58年)4月8日 - 給食センター完成により、六ヶ所村内小中学校の完全給食開始。
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 文部省(現:文部科学省)より、体力作り推進校に指定される。
- 2010年(平成22年)12月 - 新校舎竣工[1]。
- 2011年(平成23年)4月7日 - 新校舎での授業開始[2]。
児童数
[編集]学年 | 1年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 特別支援 | 合計 |
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学級 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 8 |
児童 | 31 | 28 | 29 | 30 | 39 | 29 | (3) 内数 |
186 |
学区
[編集]- 尾駮・野附・老部川・浜・尾駮レイクタウン・出戸・石川・二又・富ノ沢・第三二又・第四雲雀平・戸鎖・室ノ久保・千樽[4]
周辺
[編集]- 国際教育研修センター - 敷地が隣接
- 六ヶ所村立第一中学校 - 村道をはさんで隣接、主な進学先でもある。
- 六ヶ所村医療センター
- 屋内温水プール
関連項目
[編集]- 青森県小学校一覧
- 六ヶ所村立第一中学校 - 主な進学先
脚注
[編集]- ^ 事例紹介 - 六ヶ所村立尾駮小学校 - (株)相和技術研究所
- ^ 資料編 - 六ヶ所村
- ^ Gaccom六ヶ所村立尾駮小学校(児童数)
- ^ Gaccom六ヶ所村立尾駮小学校(通学区域)
参考資料
[編集]- 『六ヶ所村史 年表』(六ヶ所村史刊行委員会・1997年4月30日発行)78頁~202頁「年表 六ヶ所村の出来事」
- 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)「学校沿革 小学校」825頁~826頁「尾駮小学校」