コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

健軍神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
健軍神社
所在地 熊本県熊本市東区健軍本町13-1
位置 北緯32度47分05.47秒 東経130度45分19.1秒 / 北緯32.7848528度 東経130.755306度 / 32.7848528; 130.755306 (健軍神社)座標: 北緯32度47分05.47秒 東経130度45分19.1秒 / 北緯32.7848528度 東経130.755306度 / 32.7848528; 130.755306 (健軍神社)
主祭神 健軍大神・健磐龍命
社格 旧郷社
創建 伝欽明天皇19年(558年)
本殿の様式 流造
札所等 阿蘇四社
例祭 8月7日
テンプレートを表示
健軍神社の位置(熊本県内)
健軍神社
健軍神社
健軍神社の位置

健軍神社(けんぐんじんじゃ)は、熊本県熊本市東区にある神社である。阿蘇神社阿蘇市)、甲佐神社(こうさじんじゃ、甲佐町)、郡浦神社(こうのうらじんじゃ、宇城市)と共に阿蘇四社とも称せられる。

祭神

[編集]

健軍大神健磐龍命、阿蘇津姫命、神渟名川耳命(綏靖天皇)、国造速瓶玉命、草部吉見神、比咩御子神、彦御子神、若比咩神、新彦神、新比売神、若比古神、彌比咩神を祀る[1]

もともとは境内にある国造社の神、火(肥)国造 の祖である健緒組(たけおくみ。健緒純にも作る)と見る説もある[2]。健緒組は『肥前国風土記』や『肥後国風土記』逸文によれば景行天皇の時代に肥(火)君(ひのきみ)を賜ったといい、『国造本紀』によれば崇神天皇朝に火国造に定められたという[3]

由緒

[編集]

熊本市内で最古の神社と言われている[4]。社伝によれば欽明天皇19年(558年)に阿蘇神社の大宮司が同神社を勧請して創祀し、異賊征伐の為に社号を「健軍」と称したといい、後に阿蘇四社の一として阿蘇神社の別宮とされた。

初め「健軍宮(たけみやぐう)」や健軍村竹宮(たけみや)と呼ばれ、または十二社大明神とも称せられて、健軍荘(たけみやしょう)(現在の日赤病院周辺や小峯や新外、江津湖周辺の広い地域)の産土神社であった。

明治6年(1873年)に郷社に列し、昭和以降「たけみや」が「けんぐん」と音読されるようになり、地域名も託麻郡健軍村から熊本市健軍町となった。地域の基礎とも言える神社である。

境内社

[編集]

文化財

[編集]

(括弧内は種別と指定年月日)

熊本県指定

[編集]
  • 肥後神楽(無形民俗文化財、昭和35年4月22日)

熊本市指定

[編集]
  • 杉馬場(史跡、昭和43年8月13日)
  • 境内(史跡、昭和47年12月13日)

交通

[編集]

バス

[編集]

鉄道

[編集]

JR熊本駅上熊本駅新水前寺駅のいずれかより熊本市電に乗車し、

脚注

[編集]
  1. ^ 健軍神社案内板より
  2. ^ 熊本市、「健軍神社境内」(熊本市の文化財)。
  3. ^ 『国造本紀』は「遅男江命」に作るが、「遅男江」は「建(ママ)緒組」の誤写と思われる(岩波日本古典文学大系本『風土記』頭註)。
  4. ^ 鈴木喬『熊本の神社と寺院』熊本日日新聞社、1980、26頁

関連図書

[編集]
  • 熊本日日新聞編纂・発行『熊本県大百科事典』、1982、319頁
  • 高木盛義『くまもと史跡散歩』熊本新評社、1982、229-234頁
  • 日本歴史地名大系44『熊本県の地名』平凡社、1985年、553-554頁
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典43 熊本県』角川書店、1987年、450-451頁
  • 阿蘇惟之編『阿蘇神社』学生社、2007、44-45頁

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]