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倉田興人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

倉田 興人(くらた おきと、1901年5月20日[1] - 1985年〈昭和60年〉3月20日[2])は、日本実業家三井鉱山(現・日本コークス工業)代表取締役会長・社長を務めた。

経歴

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元酒造業倉田主米造の三男として福岡県宗像郡に生まれる。日立製作所会長・社長を務めた倉田主税俳人神崎縷々は実兄。

1921年福岡県立中学修猷館[3]、1925年旧制福岡高等学校文科丙類[4]を経て、1929年九州帝国大学法文学部経済学科卒業[5]。修猷館在学中は、西文雄に柔道を習い、大日本武徳会が主催した全国大会に副将として出場し、優勝している。柔道7段[1]

1929年三井鉱山に入社。1952年本店総務部長、1954年取締役となり本店労務部長、1958年人事部長兼務、同年常務福岡事務所長を経て、1962年常務本店セメント工場建設部長となるが、三井三池争議当時労務担当者であったため、その責任を取った形で、同年退社[1]

1963年子会社の三井セメント社長に就任するが、1964年三井鉱山の立て直しのために復帰し、三井鉱山代表取締役社長に就任[1]

1970年日本石炭協会会長に就任。1972年三井鉱山代表取締役会長、1975年取締役相談役[5]

脚注

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  1. ^ a b c d 「トップ・エネルギーマン 逆境に体当たりする 倉田興人」エネルギー第2巻第7号(日本工業新聞社、1969年) 50-54頁
  2. ^ 『柔道 4月号』(講道館、1985年)30頁。
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員16頁
  4. ^ 『福岡高等学校一覧 第19年度(自昭和15年4月至昭和16年3月)』(福岡高等学校編、1941年)147頁
  5. ^ a b 『現代福岡の百人 青少年の座右銘<上>』(育英出版社、1976年)