佐野喜智平
さの きちへい 佐野 喜智平 | |
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生誕 |
1904年 埼玉縣粕壁町 |
死没 | 1979年 |
出身校 | 旧制縣立粕壁中學校 |
職業 | 実業家 |
団体 | 株式会社 伊勢屋 |
活動拠点 | 埼玉県春日部市 |
肩書き | 代表取締役社長 |
前任者 | 佐野伊兵衛 1863-1934 |
後任者 | 佐野一男 1928-1993 |
親 | 12代伊勢屋佐野伊兵衛 |
佐野 喜智平(さの きちへい、1904年(明治37年) - 1979年(昭和54年))は、日本の実業家。 粕壁宿で慶長年間創業15代400年の老舗伊勢屋当主。 [1]
略歴
[編集]佐野喜智平は1904年(明治37年)、埼玉縣南埼玉郡粕壁町[2][3] に生まれる。 旧制縣立粕壁中學校[4] を1922年(大正11年)に卒業後、老舗伊勢屋[5] に勤務。1934年(昭和9年)に伊勢屋代表取締役社長を継承した。
戦後の高度成長時代には、スーパーマーケット・プラス[6] を立ち上げた。1968年(昭和43年)に伊勢屋代表取締役会長に就任した。
氏は、1970年代に将来移転予定の春日部薬草園[7]の跡地に、文化施設[8]を提案。および、粕壁三枚橋の薬草園の隣接地に商業施設[9]を誘致した。
また所有する土地[10]を春日部市の再開発に供し、古利根公園橋[11]の文字は氏の夫人[12][13]が揮毫するなど、春日部市の発展に数々の貢献をした人物である。
1979年(昭和54年)にそれらの完成を見ることなく永眠(享年75歳)したが、それらは後の1980年代に、文化施設・春日部市民文化会館、春日部市立図書館、 古利根公園橋、 商業施設・ロビンソン百貨店などとして結実し、後世の春日部市に功績を遺した。
粕壁佐野家住宅
- 江戸~明治/土蔵造本瓦葺2階建・10棟
古利根川南岸上の、旧日光街道粕壁宿に面する。慶長以来伊勢屋の屋号で荒物問屋を営んだ商家で,屋敷全体を土蔵造りとする。 店舗は土蔵造り黒漆喰塗りの切妻本瓦葺2階建てとし,桁行8間,梁間6間で,正面に一間の庇が付く。 主屋は、店舗北に接続した木造本瓦葺平屋建で、二列六間取り4畳・6畳・8畳の座敷を配し、座敷まわりに縁廊下を廻す。 店舗をはじめ、主屋、袖蔵、表門、裏門、湯殿、離れ、茶室および築山池泉庭園のほか、土蔵群が軒をつらね、黒塀が屋敷地を取り囲む。当地でも大型の土蔵造町家であった。
関連項目
[編集]- 埼玉県立春日部高等学校
- ロビンソン百貨店
- 春日部市立図書館
- 佐野伊兵衛[14] 伊勢屋惣兵衛(米穀商)
- 小林治右衛門 鈴木信太郎(幸松大地主)
- 小野寺重兵衛 豊島屋(酒屋)
- 栃木屋惣兵衛 永嶋庄兵衛(米穀商)
春日部と大地主 春日部周辺は大地主が集中し... [16]
- 石川民部家(松伏) 小林家 齋藤家
- 田村家(春日部粕壁) 永田家(春日部粕壁)
- 鈴木家(春日部幸松) 田中家(春日部幸松)
- 関口家(杉戸) 野口家(杉戸) 藤波家(草加) 浅古家(草加)
- 手島家(鴻巣) 石井家(三郷) 高鹿家(吉川)
脚注
[編集]- ^ とりせん社長の前原宏之氏やコジマ元社長の小島章利氏夫人等の祖父にあたる人物である。
- ^ 現代の埼玉県春日部市である。
- ^ 春日部市は、わずか直径500mほどの範囲から、幾つもの東証上場企業が創業した。(大塚家具・島忠・マルヤ・マウスコンピューター)。
- ^ 現代の埼玉県立春日部高等学校(カスコー)の事で、現代の市立春日部中学校(ハルチュー)とは異なります。
- ^ 伊勢屋の見事な見世蔵造り店舗建築が平成時代初頭まで現存していた。当家の建築年代は江戸時代に遡る。明治建築の川越の蔵造り商家よりもさらに古く、袖蔵を有した江戸の見世蔵造り商家の特徴を伝え、非常に貴重だった。文化財指定して、保存すべきだったとする意見もある。
- ^ 「プラス」とは昭和40~50年代に春日部旧国道沿いに存在していたスーパーマーケットである。
- ^ 国立薬用植物栽培試験場。筑波研究学園都市に移転した。
- ^ 1983年(昭和58年)に建設された 春日部市民文化会館 と、春日部市立図書館である。
- ^ 1985年(昭和60年)にロビンソン百貨店が開店した。
- ^ 当家は江戸の商家や、周辺の地主と血縁にあり、地租改正の売買自由化で、商家ながら粕壁周辺の広大な農地を購入し地主化が進んだ。 後に所有する土地は春日部市に供され市街地再開発が速やかに進展した。
- ^ 古利根公園橋とは、1984年(昭和59年)に完成した橋上公園である。
- ^ 書道茶道俳句華道師範。
- ^ 慶長年間創業400年の江戸神田の老舗酒屋。
- ^ 粕壁宿東八幡社碑に明治34年佐野伊兵衛、粕壁宿稲荷社鳥居に明治43年佐野伊兵衛あり。 (太物商伊勢屋)。
- ^ 粕壁は江戸時代から、多数の桐箪笥職人が軒を連ねた。かつて(1960年代頃まで)は、 まだ古い町並みが、かなり残っていた。 粕壁宿裏通りを歩くと、土蔵や見越しの松、数寄屋なハナレが見られ、箪笥職人の槌音、鉋屑の芳香が漂い、古利根川の対岸から、薬草園の向こうに土蔵の甍の連なりが望めた。 高名な桐箪笥職人として、島村忠太郎や大塚千代三らの名が伝わる。
- ^ 埼玉県東部は関東地方では珍しく、大地主が高度に成長した地域であり、特に春日部周辺は河川改修による新田開発で穀倉地帯に発展、大地主が集中し、 関東の最大級の大地主上位10家の内、4家を春日部が占めた。(粕壁の田村家、永田家、幸松の鈴木家、田中家)。
参考図書・外部リンク
[編集]- 『図録・春日部市の歴史』
- 『春日部市史 近世史料編』
- 春日部郷土資料館
- 埼玉県立歴史と民俗の博物館