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佐伯昌長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐伯 昌長(さえき まさなが、生没年不詳)は、平安時代後期の神職陰陽師)。筑前国住吉神社神主佐伯昌助の弟。住吉昌長とも[1]。通称は小太夫

人物

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治承3年(1179年)、兄昌助の伊豆国への配流に同行した。後に源頼朝に近侍し、1180年8月6日、頼朝は昌長と藤原邦通を呼んで占わせ挙兵の日を決めた[2]。頼朝が山木兼隆を襲撃する際に随行し[1]、昌長は天曹地府祭(六道冥官祭。陰陽道の祭祀)、永江頼隆は千度祓を以って戦勝祈願した[3]石橋山の戦いで敗戦後は伊豆山に避難した北条政子に随行した。

脚注

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  1. ^ a b 平凡社 1935, p. 1706.
  2. ^ 朝陽会 1926, p. 627.
  3. ^ 国晃館 1913, p. 871.

参考文献

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  • 『史料綜覧』(1926年、朝陽会)
  • 『大日本神祇史』(1913年、国晃館)
  • 『日本史蹟体系-第4巻』(1935年、平凡社)