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永江頼隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

永江 頼隆 (ながえ よりたか、生没年不詳)は、平安時代後期の神職[1]。蔵人。大中臣氏[2]

人物

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伊勢神宮神職の後胤だったが、主君波多野義常を離れ治承4年7月23日源頼朝の侍臣となる[3]山木館襲撃では千度祓を勤め、祈祷を行った[4]

脚注

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  1. ^ 平凡社 1935, p. 1706.
  2. ^ 20世紀日本人名事典. “永江頼隆とは”. コトバンク. 2022年1月30日閲覧。
  3. ^ 20世紀日本人名事典. “永江頼隆とは”. コトバンク. 2022年1月30日閲覧。
  4. ^ 廣文庫刊行会 1916, p. 528.

参考文献

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  • 『史料綜覧』(1926年、朝陽会)
  • 『廣文庫』(1916年、廣文庫刊行会)

外部リンク

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