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伴久永

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
伴久永
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 不明
死没 承平3年(933年)正月
官位 正五位下勘解由次官
主君 醍醐天皇朱雀天皇
氏族 大伴氏(伴宿禰)
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伴 久永(とも の ひさなが)は、平安時代前期から中期にかけての貴族式部少丞大伴池主の後裔とする系図がある[1]官位正五位下勘解由次官

経歴

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醍醐朝にて勘解由判官少外記を経て、延喜14年(914年)大外記に任ぜられるが、延喜15年(915年従五位下淡路守に叙任され地方官に転じる。

翌延喜16年(916年)早くも大外記に復任すると、承平3年(933年)に没するまで、15年以上の長きに亘って大外記を務める。この間、侍従・勘解由次官や、阿波権掾紀伊権介美濃権介と地方官を兼ねる一方、延長2年(924年)従五位上、承平2年(932年)正五位下と昇進している。また、延長3年(925年)からは左大史阿刀忠行と共に延喜式の編纂に参画し、延長5年(927年)に式が上表された際に、左大臣藤原忠平大納言藤原清貫神祇伯中臣安則らと共に二人の名前が挙がっている[2]

朱雀朝の承平3年(933年)正月卒去。最終官位は正五位下行勘解由次官兼大外記。

官歴

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『外記補任』による。

脚注

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  1. ^ 鈴木真年『百家系図』巻59,大伴宿禰
  2. ^ 『延喜式』上延喜格式表
  3. ^ 『類聚符宣抄』第6

参考文献

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