伴久永
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時代 | 平安時代前期 - 中期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 承平3年(933年)正月 |
官位 | 正五位下・勘解由次官 |
主君 | 醍醐天皇→朱雀天皇 |
氏族 | 大伴氏(伴宿禰) |
伴 久永(とも の ひさなが)は、平安時代前期から中期にかけての貴族。式部少丞・大伴池主の後裔とする系図がある[1]。官位は正五位下・勘解由次官。
経歴
[編集]醍醐朝にて勘解由判官・少外記を経て、延喜14年(914年)大外記に任ぜられるが、延喜15年(915年)従五位下・淡路守に叙任され地方官に転じる。
翌延喜16年(916年)早くも大外記に復任すると、承平3年(933年)に没するまで、15年以上の長きに亘って大外記を務める。この間、侍従・勘解由次官や、阿波権掾・紀伊権介・美濃権介と地方官を兼ねる一方、延長2年(924年)従五位上、承平2年(932年)正五位下と昇進している。また、延長3年(925年)からは左大史・阿刀忠行と共に延喜式の編纂に参画し、延長5年(927年)に式が上表された際に、左大臣・藤原忠平、大納言・藤原清貫、神祇伯・中臣安則らと共に二人の名前が挙がっている[2]。
朱雀朝の承平3年(933年)正月卒去。最終官位は正五位下行勘解由次官兼大外記。
官歴
[編集]『外記補任』による。
- 時期不詳:勘解由判官
- 延喜12年(912年) 正月15日:少外記
- 延喜14年(914年) 正月12日:大外記
- 延喜15年(915年) 正月7日:従五位下。正月12日:淡路守
- 延喜16年(916年) 3月28日:大外記
- 延喜19年(919年) 6月3日:兼阿波権掾
- 延喜21年(921年) 正月30日:兼侍従
- 延長2年(924年) 正月7日:従五位上
- 延長3年(925年) 正月30日:兼勘解由次官
- 延長5年(927年) 正月6日:見兼紀伊権介[3]
- 承平元年(931年) 3月13日:兼美濃権介
- 承平2年(932年) 11月16日:正五位下
- 承平3年(933年) 正月:卒去(正五位下行勘解由次官兼大外記)